八咫烏

https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/9fbc30a9289ae06f70bf1926b35187d9 【八咫烏の「八咫」は「秦・ハタ」に変化】より

神武天皇と桓武天皇には似ているところがありました。

①即位年が辛酉 紀元前660年  桓武即位年781年

   660+781-1=1440  1440÷60=24 

   なお、紀元元年も辛酉の年。

②陵のあるところの地名が似ている  柏原(かしわら) 橿原(かしはら)

続いて 

神武天皇は八咫烏(やたがらす)に導かれました。

桓武天皇は秦氏の地盤とされていた長岡京に遷都します。続いてやはり秦氏の地盤の平安京に遷都します。〈平安宮内裏は秦河勝の宅地跡だったそうです〉

そこで、神武=桓武となるには秦氏=八咫烏(やたがらす)でなければなりません。

カラスはともかくとしても、「秦・ハタ」は「八咫・ヤタ」に変えられます。

カタカナの「ハ」を漢数字の「八」に変えるだけで「ハタ」は「八タ・ヤタ」に変化します。

カタカナがいつできて,いつから使われていたのか、が問題となります。

検索したところ、桓武天皇の時代には使用されていたようです。

カタカナの「ハ」の字体の由来ですが、漢数字の「八」からつくられたようです。

八咫烏はハタ烏と変化しても良さそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D#cite_note-2

片仮名(かたかな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。

吉備真備(695 - 775年)が片仮名を作ったという説があるが、これは俗説に過ぎない[2]。漢字の一部を使いその文字の代わりとして用いることは7世紀中頃から見られるが[3]、片仮名の起源は9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものに始まると考えられている。この借字は当初、経典の行間の余白などにヲコト点とともに使われていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D

「ハ」は「八」からできました。

「ヤ」は「也」からできたそうです。

「八咫」は「ヤタ」と読むべきですし、「ヤタ」と読み仮名が振られたのでしょうが、読む人が読めば「八咫」は「ハタ」の暗号になるべきです。

としますと、神武天皇も「八咫烏」に導かれたとはいうものの、桓武天皇と同様に「秦氏」に導かれた,といえるかもしれません。

というよりも,八咫烏に導かれた「神武天皇」には「桓武天皇」が投影されている,例証の一つといっていいのでしょう。

ところで,下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神の賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) の化身が八咫烏です。

理解できませんが,続けてみます。


http://uzumasa-1962.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-d09d.html 【秦氏の一族・金鵄の秘密、】より

秦族の歴史の‘金鵄’も2回に渡って述べて来た。 さて・・・。

これだけ述べても判らぬ者には最後に此処で解る事になるであろう。 <金鵄>は皆が知る様に‘八咫烏のボス’と言われておるが、これは違う! これは神話のカラクリであり、さらに輪を掛けて‘飛鳥とやら’が書いているものに最近の研究者も翻弄されておる。 どの絵画や絵説き話しを見ても<金鵄>は‘鳶=トビ’であり、‘烏=カラス’ではない。 秦一族の象徴は‘鷹=タカ’である。 これはもしや? と思った者は正解である・・・。

鳶は鷹の一種であり、ユーラシア大陸や、アフリカ大陸などに生息する‘渡り鳥’の事である。 この事を考えれば、或る事に気が付くであろう・・・?  解らぬか。 秦一族を調べれば出て来る話しの一つである。 秦氏の一族はユーラシアの遥か向こうからやって来た一族であるという部分だ・・・。

さらに述べれば、神武東征の神話を調べれば、八咫烏が登場する場面と、金鵄が現れる場面が違っている事に気付く筈。 この間違いは、ごちゃごちゃに混同しているサイトが多い事と‘飛鳥なる者’の影響を受け、様々なブログで同じ様に書いている者どもが多いのが原因であろう・・・   

<八咫烏>は神武軍の山越えの為に護衛をしながら案内しているだけであり、実際に神武軍が苦戦を強いられている場面に現れて、敵軍を失意させ、味方の者達を復活させているのは<金鵄>である。

‘飛鳥とやら’は、「秘密組織の八咫烏」の話しから、組織のボスは‘大烏’或いは‘金烏’と述べておる所までは良しとして、‘金鵄’であると書いてしまうと真実を無視した話になってしまうと言う事に気付いておらぬ・・・。 しからば‘飛鳥とやら’の得意な書き方で示すとすれば

[八咫尺=大烏=金烏=ボス]

さらに、ボスは‘裏天皇’として‘3人’居るとして

<ボス=裏天皇=3人>として認識しなければならぬ所である・・・。 しかし、神話の<金鵄>は‘一羽’である。 この意味が解るか?

それでは<金鵄の秘密>を紐解いて、明らかにする・・・。 八咫烏のボスがもし金鵄であるならば、八咫烏でなければならぬ。 されども八咫烏とは‘三足鳥’である。 では、金鵄は‘三足鳥’か? この問いに答えを求めるまでもない。 金鵄は‘二足’なり・・・。

これ即ち‘金鵄’は八咫烏ではなく、別である事を示す証しである・・・。 それを‘飛鳥とやら’は混同しており、それを読んでいる者達は、各々自分のブログに同じ様な事を「こうである!」とか「こうなのだ!」などと、右に習えで書いているのであるからコッケイである。 ついでに面白い話しを述べれば、この<八咫烏>に関わる‘飛鳥とやら’が書いているものだが、「陰陽師の謎」「八咫烏の謎」「心御柱の謎」の三冊の流れで記されている。 この中では、「組織の者は、生まれた時から名前が無く、戸籍も無い、」と説明しているにも関わらず、自分の執筆している中で、組織の者と会話する場面では、組織の者が「土御門の血筋」とか「わが一族は陰陽師の大家、安倍晴明の末裔!」とか「われらは鳥の鴨氏の子孫!」や「忌部氏と同じ血筋の者!」などなど、名乗りまくっておる。 これをどう思うか? 笑止である・・・。

‘飛鳥とやら’の考え方は、最初は「こうではないか?」「もしかするとこうかも知れない・・・」となっているが、次の瞬間から「こうである!」や「こうなのだ!」となっておる。これはオカシイ・・・。何ともはや・・・ 思い込みと、決め付けが混ざった書き方である事よ。 研究はかなり深い所まで本格的にやっている様であるのは我も理解出来るのであるが、話しの半分は当てにならぬものと知るべし。

ブログの諸氏に述べる。 話しや書物は話しとして知る程度のものであり、知ったかぶりをして書くのはやめておく事を進言する次第である。 ‘飛鳥とやら’が書いているものは、もしかすれば‘独り言’かも知れぬ。つまり‘ツイッター’の様なものと認識しておかねばならぬ。

<秘密組織の八咫烏> カラスの集団は賀茂氏一族。 そして金鵄の鷹は、秦氏。 そして金鵄の神話のカラクリを明かせば‘金鵄が雷光の如く光を放ち、敵軍は戦意を喪失し、逃げ出した’とは、秦氏が現れ、その一族を敵軍に放ったという事である。 つまり、戦況が逆転し、秦一族によって退治されて行き<戦意を喪失>という事であり、撤退したのが事の真意である。

12928477581mx2j963639秦氏と賀茂氏は天と地にして、陰と陽であり、そしてその存在と活動は森羅万象、しかして二極一体なのである。 日本の国旗にある棒の部分の黒いシマ模様は八咫烏の鴉であり、棒の上に付いている金玉(きんぎょく)は金鵄の鷹である。 つまり、賀茂氏の後ろに秦氏あり。賀茂一族の陰に秦一族がいつでも居るという事なのだ・・・。

 

この話しは秦一族の金鵄様によろものである。因みに「金鵄」とはキンシと読むが、キンケイとも読む。

秦一族全国ネットワーク・メンバー募集中 


http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=305333 【 八咫烏という組織の考察(烏の居る場所は鳥居→鴨居(賀茂氏)→秦氏→三井)】より

中核となる八咫烏は12人――「十二烏」といい、このメンバーに欠員が出るとそのつど補充されるようになっているのです。これら12烏のさらに上に八咫烏の大ボスが3人います。これら3人が12烏の中の3人か別の3人かは分かりませんが、彼らは他の八咫烏から「大烏」と呼ばれています。「三羽烏」というのはここからきています。

(RAPT註:基本的に、キリスト教の世界では烏「からす」は不吉な鳥、サタンを象徴する鳥と考えられています。)

この三羽烏は、造化三神(三神にして一神/絶対神)に対応しているのですが、裏天皇というのはこの三羽烏のことをいっているのです。つまり、表の天皇は1人ですが、裏の天皇は3人で1人なのです。絶対三神が唯一神を形成するように3人で裏天皇を務めているのです

八咫烏を考察するにあたり、烏と縁の深いものを捉えてみる。

鳥居には、どんな鳥が住んで居るのでしょうか?

八幡宮とかなら、鳩とか似合いそうなもんですけど、、、

実際は鳥居に住む鳥は、鳩ではない。

リンクより以下転載。

古代の中国を考えてみる。

例えば、湖南省長沙の馬王堆の「帛」には、月の中のヒキガエルと対をなすように、太陽の中に、烏(カラス)が描かれているのが分かります。

したがって、"カラスは太陽神の使い"である事が分かります。

一方、日本の神社を見て見ましょう。

日本の神社は、ご神体が鏡です。

「この鏡が何を意味するか?」と言えば、、、

古事記の中で、下記のように書かれているのが、鏡を信仰する由来になっています。

天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、

この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された。

鏡に映ったのは太陽神です。

したがって、天照大神を祀る日本の神社は、基本的に太陽神を祀る神社なのです。それで、古代中国においては、"カラスは太陽神の使い"でした。

したがって、太陽神である天照大神の使役する鳥も、またカラスなのです。

だからこそ、鳥居は、カラスの住む場所と言えるのです。

そして、大事な事ですが、太陽に住む烏(カラス)は、

古代中国の時代から"3本足のカラス金烏(きんう)である"と信じられてきました。

3本足のカラスには、熊野の八咫烏がありますが、元々は、金烏だったのが、日本において八咫烏となっています。

日本にも幾つか、3本足の鳥居が残されている神社が見られます。

▼木島坐天照御魂神社の三柱鳥居 等

他にも、あちこち見られますが、実は、これらのような3つの足のある鳥居が、、、本来の鳥居の形なのです。

(中略)

その3本足が2本足に変わったのは、

その昔、藤原不比等の治世の時、唐の高宗の皇后であった武則天が、

★景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧を始めたからだ、、、とも言われています。

そのため、唐の弾圧を恐れた日本は、国家ぐるみで、仏教に転身することになり、3本足だった鳥居も、消されていったと屋外の神域を守る門の役割を果たしているのが、鳥居であり、屋内の神域を守る門の役割を果たしているのが、鴨居です。

鳥居も鴨居に共通する「居」には、「くぐる」という意味があり、鳥居も鴨居も、その中を人が通行するものです。

このようにして見ると、「鳥居の烏」と「鴨居の鴨」は、それぞれ対応しており、烏(=八咫烏)と鴨(=賀茂氏)は表裏一体の関係にある事が暗示されています。

なお、賀茂氏は、後に述べる秦氏とは古代に婚姻関係で結ばれた氏族です。

秦氏本系帳には、「鴨氏人を秦氏の聟(むこ)とし、秦氏、愛聟(あいむこ)に鴨祭を譲り与う。故に今鴨氏禰宜として祭り奉るのはこの縁なり」と書かれています。

■三井家のルーツ

ところで、少し話は変わりますが、日本の財閥で三井グループというのがあります。

実は、木島坐天照御魂神社の三柱鳥居や、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の三柱鳥居など、これら三柱鳥居の幾つかは、三井グループの三井氏と関係があります。

この三井氏のルーツについては、一般的には元々は藤原道長で、道長の六世孫が、大和の三井村に所領を持った所から、三井家と名乗っていると言われています。

しかし、この三井家は、その15代目の時に近江佐々木氏から養子を迎えています。

この影響は、三井家の家紋にも見られます。

三井氏は、養子を迎えた近江佐々木氏の四つ目結紋を、そのまま使っています。

この近江佐々木氏一族の住む近江南部は、 依知秦氏(えちはたし)など、渡来人である秦氏が多く住んでいる地域です。

さらに、近江佐々木氏(佐々木六角氏)の拠点とも言える繖山(きぬがさやま)には、観音正寺がありますが、これまた秦氏と縁の深い聖徳太子の創建とされています。

(※昨今は、聖徳太子は架空の人物で、その正体は秦河勝であると言われています)

こういった所から察すると、近江佐々木氏は秦氏と縁の深い一族であって、三井家も秦氏である可能性が非常に高いように思われます。

例えば、管理人は当サイトで常々、「君が代の謎」について書いていますが、君が代の策定には、随所に秦氏の影響が見られます。

①「君が代」の和歌を詠んだ人物は、近江佐々木氏の支配地域に近い"君ヶ畑"出身

②君が代を国歌として詠まれるきっかけになったのは島津氏で、島津氏は秦氏

③君が代の作曲に関わった、宮内省の林広守は、秦河勝の三男の末裔

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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