禅語は茶道において、まるで季語の様。無季の禅語もあるようです
https://www.gallery-yuu.com/zen.html 【無季(季節無し)の禅語】
https://www.bansui.jp/diary-detail/222 【5月の禅語(2016年):【茶道・茶席の禅語】】
【 鳥の禅語1444-1】 「海碧鳥逾白 山青花欲然」
【 鳥の禅語1444読み】 「うみみどりにしてとりいよいよしろく やまあおくしてはなもえんとほっす」
【 鳥の禅語1445-1】 「春逐鳥声開」
【 鳥の禅語1445読み】 「はるはちょうせいをおってひらく」
【 鳥の禅語1446-1】 「春眠不覚暁 処々聞啼鳥」
【 鳥の禅語1446読み】 「しゅんみんあかつきをおぼえず しょしょていちょうをきく」
【 鳥の禅語1447-1】 「野花啼鳥一般春」
【 鳥の禅語1447読み】 「やかていちょういっぱんのはる」
【 鳥の禅語1448-1】 「花鳥装春」
【 鳥の禅語1448読み】 「かちょうはるをよそおう」
【 鳥の禅語1449-1】 「知花鳥待花」
【 鳥の禅語1449読み】 「はなをしるとりはなをまつ」
【 鳥の禅語1450-1】 「花鳥楽風月」
【 鳥の禅語1450読み】 「かちょう ふうげつをたのしむ」
【 鳥の禅語1451-1】 「花鳥風月宿」
【 鳥の禅語1451読み】 「かちょうふうげつのやど」
【 鳥の禅語1452-1】 「風暖鳥声砕 日高花影重」
【 鳥の禅語1452読み】 「かぜあたたかくちょうせいくだく ひたかくしてかえいかさなる」
【 鳥の禅語1453-1】 「風定花猶落 鳥啼山更幽」
【 鳥の禅語1453読み】 「かぜさだまってはななおおつ とりないてやまさらにゆうなり」
【 鳥の禅語1454-1】 「山気日夕佳 飛鳥相与還」
【 鳥の禅語1454読み】 「さんきにっせきによし ひちょうあいともにかえる」
【 鳥の禅語1455-1】 「俊鳥不栖林 活龍不滞水」
【 鳥の禅語1455読み】 「しゅんちょうはやしにすまず かつりゅうみずにとどこおらず」
【 鳥の禅語1456-1】 「千山鳥飛絶」
【 鳥の禅語1456読み】 「せんざんとりとぶことたゆ」
【 鳥の禅語1457-1】 「竹深啼鳥月忘機」
【 鳥の禅語1457読み】 「ちくしんていちょうつきぼうき」
【 鳥の禅語1458-1】 「啼鳥雲山静」
【 鳥の禅語1458読み】 「ていちょううんざんしずかなり」
【 鳥の禅語1459-1】 「鈍鳥不離巣」
【 鳥の禅語1459読み】 「どんちょうすをはなれず」
【 鳥の禅語1460-1】 「白髪悲花落 青雲羨鳥飛」
【 鳥の禅語1460読み】 「はくはつはなのおつるをかなしみ せいうんとりのとぶをうらやむ」
【 鳥の禅語1461-1】 「閑聞啄木鳥 疑是扣門僧」
【 鳥の禅語1461読み】 「しずかにきくたくぼくちょう うたがうらくはこれもんをたたくそうかと」
【 鳥の禅語1462-1】 「古木鳴寒鳥 空山啼夜猿」
【 鳥の禅語1462読み】 「こぼくかんちょうなき くうざんやえんなく」
【 鳥の禅語1463-1】 「古松談般若 幽鳥弄真如」
【 鳥の禅語1463読み】 「こしょうははんにゃをかたり ゆうちょうはしんにょをろうず」
https://www.bansui.jp/diary-detail/161 【 6月の禅語(2011年):【茶道・茶席の禅語】】より
【雨の禅語191読み】 「かんろほうう」
【雨の禅語192-1】 「一雨普潤周沙界」
【雨の禅語192読み】 「いちうあまねくうるおして しゃかいにあまねし」
【雨の禅語193-1】 「一雨払炎熱」
【雨の禅語193読み】 「いちう えんねつをはらう」
【雨の禅語194-1】 「一雨払炎光」
【雨の禅語194読み】 「いちう えんこうをはらう」
【雨の禅語195-1】 「雨過遠山青」
【雨の禅語195読み】 「あめすぎて えんざんあおし」
【雨の禅語196-1】 「雨過山転青」
【雨の禅語196読み】 「あめすぎて やまうたたせい」
【雨の禅語197-1】 「雨過青山緑」 (読みは夜にツイート予定)
【雨の禅語197読み】 「あめすぎて せいざんみどり」
【雨の禅語198-1】 「雨過青苔湿」 (読みは夜にツイート予定)
【雨の禅語198読み】 「あめすぎて せいたいうるおう」
【雨の禅語199-1】 「雨過竹風清 雲収山岳露」 (読みは夜にツイート予定)
【雨の禅語199読み】 「あめすぎてちくふうきよし くもおさまりてさんがくあらわる」
【雨の禅語200-1】 「雨奇晴好」 (読みは夜にツイート予定)
【雨の禅語200読み】 「うきせいこう」
【雨の禅語201-1】 「雨後青山緑」 (読みは夜にツイート予定)
【雨の禅語201読み】 「うごのせいざん みどりなり」
【雨の禅語202-1】 「雨収花竹涼」
【雨の禅語202読み】 「あめおさまって かちくすずやかなり」
【雨の禅語203-1】 「雨潤物細無声」
【雨の禅語203-1】 「あめはものをうるおし ほそうしてこえなし」
【雨の禅語204-1】 「雨洗娟々浄 風吹細々香」
【雨の禅語204読み】 「あめあらって けんけんとしてきよく かぜふいて さいさいとしてかんばし」
【雨の禅語205-1】 「雨洗風磨」
【雨の禅語205読み】 「あめにあらい かぜにみがく」
【雨の禅語206-1】 「雨滴声」
【雨の禅語206読み】 「うてきのおと」
【雨の禅語207-1】 「雨晴柳橋煙」
【雨の禅語207読み】 「あめはれて りゅうきょうけむる」
https://wabi-sabi.info/archives/54 【茶道で役立つ豆知識!季節の禅語を12か月ごとに紹介します!】 より
遥か昔、真夏の炎天下の校庭で猛然と移動しながら楽器を鳴らすという数奇な練習をしていた時。意識朦朧とした仲間達に一言、友人が言いました。
「滅却心頭火自涼 しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし」
極度の疲労ピークにいた高校生達は、その言葉にドン引きの上スルーしたわけですが、
実はそのタイミング、真夏という季節、まさにドンピシャの禅語選択。
あの友人は禅師だったのか!?といまだに鮮明な印象が残っています。
茶道をやっていると、床にある書・禅語はいつもストレートにわが身を問うてきます。
言葉の持つ重みは、その茶室に明確な意図を持たせるのです。
季節によって使われるものが違う12か月の禅語を知っておくと、茶席でもとても役に立ちますよ。
茶道で使われる禅語と季節
茶室に用いられる禅語は亭主の趣向によるものですから、必ずしも季節によって変えるとは限りません。無季ものとして有名な禅語もたくさんあります。
しかし、禅語は茶花と同様に季節感を出してその意向を表現することもあるのです。
この季節にはこの禅語、という決まりはなく解釈によっても変わることはあります。
とはいえ、やはり春には春の、夏には夏に合う禅語があるのです。
主に春には花という字を含むもの 夏には水や雲という字を含むもの 秋には月、落葉という字を含むもの 冬には雪という字を含むもの このように抑えておけば大丈夫です。
茶道の禅語とその意味12か月・1月~3月
比較的使われることの多い禅語を挙げてみます。
1月
松樹千年翠 しょうじゅせんねんのみどり
いつも緑で長い年月みずみずしい松。変らない仏の真理を説き続けていることに日常の忙しさに追われて、気がつかないでいるという意味。
長寿や健康を祈って正月に使われます。
2月
一花開天下春 いっかひらきてんかはるなり
一輪の花が開いて、天下に春がやってきた喜びを表します。
禅という花が世の中に広められ、泰平の世が来たということや、一輪の花が開くように修業を積むことも指します。
3月
人生七十 力囲希咄 じんせいしちじゅう りきいきとつ
吾這寶剣 祖佛共殺 わがこのほうけん そぶつともにころす
堤る我得具足の一太刀 ひっさぐる わがえぐそくのひとたち
今此時ぞ天に抛 いまこのときぞ てんになげうつ
利休切腹の際の辞世の句です。
人生70年生きてきた。さまざまなことがあったがそれともさらばだ。
私の宝剣で全てを断ち切り、今こそ我が太刀を引っ提げ天に抛とう。
利休忌では利休像とこの句を床に掛けます。禅語とは異なりますが、
利休の到達した境地、あるいは無念とも取れる燃えるような辞世の句です。
4月
柳緑花紅 やなぎはみどりはなはくれない
柳は緑色、花は紅色をしているように、あたりまえにあるがままの自然な姿が一番尊いという意味です。
5月
薫風自南来 くんぷうみなみよりきたる
季節の変わり目に、爽やかな風が南より来る。
その微妙な季節感を感じる心の余裕をもつのがよい、という意味です。
6月
山是山水是水 やまはこれやまなり みずはこれみずなり
修業を重ね、余計なことを捨て去って到達した結果、やはり山は山であり、水は水であるという境地を意味します。
7月
青山元不動 白雲自去来 せいざんもとふどう はくうんおのずからきょらい
夏が来て青々した不動の山がはっきりと見えてくる。しかしすぐそこに動きの絶え間ない雲が湧き出でているのがわかるように人の心は不動ではなく、常に妄想や煩悩が渦巻いている。仏性を信じ、惑わされない境地を目指したいという意味です。
8月
心静即身涼 こころしずかなれば すなわちみすずし
真夏の暑い時の修行は苦しいもの、しかし心を静め澄ませれば身体も清涼となる、という意味。冒頭の心頭滅却と通じるものがありますね。
9月
清風 明月 せいふう めいげつ
清らかな風と澄み切った月は執着を捨てた悟りの境地を意味します。
10月
掬水月在手 みずをきくすればつきてにあり
手に届かない高さの月も、手の中の水に映る月ならば掬う(すくう)ことができる、ということから、何もしないでいては何も得ることがない、行動をして結果を得るという意味です。
11月
秋沈萬水家々月 あきはばんすいにしずむかかのつき
秋にはどの家にも月が輝き、あらゆる湖水や水たまりにさえ月が映る。仏性はあらゆるところに満ち溢れている。自然の恵みや、自然と生きる喜びを得ることができるという意味です。
12月
看々臘月尽 みよみよろうげつつく
臘は命を指し、みるみるうちに命が尽きようとしていることを覚えておき、1日1日を大切に生きよ、という意味です。
臘月が陰暦の12月なので年末の茶室に掛けられます。どれも奥深く、どこか心に残る禅語。
己に問いかけ、自ら考え抜く禅語。
冒頭の、心頭滅却すれば火もおのずから涼し、の言葉は信長に焼き打ちにされた禅僧の最後の言葉だと言われています。
ドン引きしてる場合じゃなく、居ずまいを正して再考すべき禅語でした・・
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