https://ameblo.jp/skoro/entry-10079016671.html 【桜貝大和島根のあるかぎり】より
友人のNZ君から次のようなメールが届いた。
「これからの俳句の世界の言葉はどう動いていくのだろう?
現代詩として、現状の如く盛隆している間は良いが、生きていくためには、学校で習わない言葉は、若い人には無理で、むしろ嫌味かもしれません。PCの中には、文語も、難解な漢字もさっとは出てきません。
まだ自分では柔軟な親と思っていても、子供からは親父は生きてる化石=シーラカンスだと言われています。
言葉は時代とともに変化していくのも事実です。何を守り、どう変化を許容していくのか考えさせられる言葉の一つでしょう。
表意文字として理解できるように工夫すべきかもしれません。」
長谷川櫂さんのこんな俳句が作りたい (20) 海と竪琴 川崎展宏論
のなかにこんな下りがある。
『 桜貝大和島根のあるかぎり 川崎展宏 『夏』
作者がわずか十七字の俳句に託した「大和島根」への祈りが直に伝わってくるからだ。
この句を読むたびに胸の上の部分がじいんと熱くなる。
この「桜貝」と「大和島根のあるかぎり」の間には、日本海溝のように青く深い切れが
ある。
そして薄桃色の貝殻と日本列島が春の海原を背景にしてくつきりと浮かび上がる。 』
と、長谷河櫂氏は絶賛している。この句で「大和島根」という言葉が分からなければ
鑑賞できない。ピンスポットの場所をいう説もあるが、ここでは大和の国の島々、
大八洲というような広く日本をいう言葉かと思う。
そして氏は、この句は蕪村の句が下敷あったのではないかという。
稲づまや浪もてゆへる秋つしま 蕪村
これも先ず、「秋つしま」が分からないと理解できない。
あきつ=蜻蛉が住む島=日本の国をいうようである。
「ゆへる」は結へ(え)る、であろう。
川崎展宏が、大和島根と表現した意味なのだろう。
長谷河櫂氏は続ける。
『 日本列島を俯瞰する視点と構図は似ている。
しかし蕪村の句がそこまでの面白さであるのに対して、展宏さんの句には祈りがある。
蕪村の句もこんなにも大きく豊かな句の産婆になったのであれば、俳句冥利に尽きる
というものだ。この「桜貝」と「大和島根のあるかぎり」の問の切れを、たとえば、
大和島根のあるかぎり桜貝は渚に打ち寄せるなどと理屈で解釈してしまってはいけない。
作者と同じように祈りを胸に潜めて、この深く青い切れを渡らなくてはいけない。
俳句は十七音しか使えないから<桜貝大和島根のあるかぎりという以上は何もいえない。
そのために、かえって作者のあふれる思いがこちらの胸にも届く。
ここが何とも切ない。
『古今和歌集』の序文で紀貫之は在原業平の歌を「その心あまりてことばたらず」と
評したが、展宏さんのこの句もその心が言葉を乗り越えてくる激情の句なのだ。』
ここでは、「秋つしま」と「大和島根」という日本を表すことばがキーになっている。
日本という国、国土を表す言葉にどのような表現があるのだろう。
日出づる国、日の本、日本、ジパング、大和、倭、豊葦原瑞穂国、豊葦原中国
(なかつくに)、大八洲(おおやしま)・・・・、まほろばといわれる国、日本。
まだ、いろいろ詩的な言葉があるだろうがそのなかから、「秋つしま」「大和島根」を
選びだすのが詩人俳人の手柄だろう。
さらにその上で、「桜貝」とか「稲妻」という季語としての言葉を斡旋する。
これらの言葉を深く知らなければ鑑賞はできないし、まして、このような後代に残る
俳句を詠むことなど出来るはずはない。
実際私も、いい歳して今頃少し分かるようになったのだから、後代の若い世代に
残すことは至難の技だ。
まずは、辞書や歳時記を残しておき必要な人はそれで知ることができること。
さらに、学校で俳句、和歌、漢文、古文の現代まで残っている名作を少しでも
鑑賞させること。
それとそれを教える国語漢文古語の先生をしっかり教育し教育委員会で少しでも
多いカリキュラムを組んでもらうこと・・・・・、これの積み重ねなのであろう。
それでも変わっていくだろうし、残らない言葉もでるだろう。
しかし、川崎展宏さんや長谷川櫂さんのように、必ず残すべき言葉を残そうとする
人も出てくるだろうからそれでいい。
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