https://www.asahi.com/articles/ASJ4T6X25J4TUTIL091.html 【(瑞穂のくに 日本がたり)神々が授けた稲作の恵み】より
1:お米と日本
豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)。
特集:皇室とっておき
「葦(あし)が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かに実る国」という意味のこの言葉。神々の住まう高天原、死後の世界である黄泉の国、その間にある素戔嗚尊が治める世界、つまり「日本」という国を示している。
京都に住まいし、もうすぐ7年になろうとしている。普段から新幹線で移動することが多いのだけれど、車窓からぼんやり外の景色を眺めているのが好きだ。富士山が見えた、見えないで一喜一憂することもあれば、桜前線の北上の様子に心浮き立つこともある。たった数日で景色が変わり、季節の移ろいを感じられるのが車窓の旅の醍醐味(だいごみ)だなぁといつも思う。
なかでも、その変化を気付くとつい目で追っているのが田んぼの景色である。トラクターが田んぼに入り、田起こしが始まると、冬が終わったことを感じる。若々しい苗が一面に植えられ、水鏡となった田んぼの姿が私はいちばん好きかもしれない。これから育っていく苗代の瑞々(みずみず)しい生命力に満たされた様子を見ていると、なんだか気持ちがすっとする。日に日に背丈が伸びていく稲の成長を見守り、稲穂が重そうにこうべを垂れた黄金田に赤とんぼが舞い飛ぶ時期を迎えると、ああ、日本に生まれてよかったとしみじみ幸せな気持ちになる。やはり田んぼのある景色は、日本の原風景だと思うのである。
海外で長い間暮らしているなかで、なだらかに広がる丘陵地帯で日がな草を食(は)んでいる羊の群れや、どこまでも続く壮大な麦畑に心動かされることはあった。でも、日本の田んぼを見ているときのように、心に直接訴えかけてくるような感動はなかった。これはやはり、日本人のDNAに刻み込まれた「なにか」なのだと思う。
この「なにか」とはなんなのか。それはきっと、日本という国のはじまりに由来するものだ。
日本では、古来お米は神様からの「授かりもの」と考えられてきた。天照大神(あまてらすおおみかみ)から地上世界の統治を託された、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は三種の神器とともに、稲穂を授けられ、高千穂峰に降り立たれる。高天原の神聖な田で実った稲を地上でも植え、実り豊かな国、つまり豊葦原千五百秋瑞穂国を作りなさい、と命じられたのである。瓊瓊杵尊の神名自体も、「稲穂がにぎにぎしく実る」という意味。穀物の神様の手によって、お米は日本にもたらされ、瑞穂の国の歴史が始まるのである。
神々の国の恵みを地上世界に再現すること。それが、天照大神の意に適(かな)うこと。以来、日本人はお米を作り続けてきた。お米が神々の世界と日本という国をつないでいるのである。ご飯を三角形や俵型に握ったものが、「おむすび」といわれるのも、お米が神様と人のご縁をむすぶから。日本という国のものがたりは、お米を抜きにしては語れないのである。
とここまで書いてきたけれど、私がお米の魅力と奥深さに気付いたのは、実は最近であったりする。英国に留学するまで、私はずっとパン党だった。朝食はいつもパン。ご飯ももちろん嫌いではないけれど、パンのほうが断然好きだったのだ。でも、留学して毎日洋食の生活になり、ああ、ご飯が食べたい……と思うようになった。そして、どうにかありあわせの材料でご飯とお味噌(みそ)汁を作って食べたとき、なんだか嚙(か)んでいるそばから身体に浸透していくような感覚があった。心の底からほっとしたのだ。ああ、自分は日本人なんだと思った。お米を毎日食べられるということが、どれだけしあわせなことなのかを実感した。
この海外でのお米との邂逅(かいこう)を経て、私はお米と日本という国のつながりについて少しずつ考えるようになった。お米が紡ぐ日本のものがたりをこれから紐解(ひもと)いていくことにしよう。(彬子女王)
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あきこじょおう 1981年、故・寛仁(ともひと)さまの長女としてご誕生。学習院大を卒業後、英国オックスフォード大マートン・コレッジで日本美術史を専攻し、女性皇族初の博士号を取得した。公務に精力的に取り組むほか、子どもたちに日本文化を伝える「心游舎(しんゆうしゃ)」を創設し、全国各地で活動している。今年4月、国学院大特別招聘(しょうへい)教授に就任。学生たちと新潟市で稲作に取り組むことになった。
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