https://blog.goo.ne.jp/michan237/e/0387025a52b132f86e3b82a0fa3019d0 【ひとみどりの初穐】 より
今朝は、名古屋市に入る。成海神社参拝!
朱鳥元年(686)、草薙神剣が熱田に還座された時に、日本武尊の縁由により鎮座。
日本武尊を主祭神に祀り、妃神の宮簀媛命とその兄神である建稲種命を配祀している。
熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」と千三百年の間親しまれる。
だるま塚もある。だるま塚を目にしたのは初。芭蕉句碑の句は、「はつ穐や 海も青田の 一みどり」 。元禄元年。鳴海下郷知足亭滞在中の作。
青田から海までも眼前に広がる視界が緑一色に塗りつぶされた大きな鳴海潟の景色を賞して、主人への挨拶とした。
芭蕉の推敲に推敲を重ね、納得のいく俳句ができあがる。
鹿島紀行附録では、「鳴海がたや 青田にかはる 一みどり」
幽蘭集では、「初秋は 海やら田やら みどりかな」
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/aota1.htm 【初秋や海も青田も一みどり】より
初秋や海も青田も一みどり(俳諧千鳥掛)(はつあきや うみもあおたも ひとみどり)
初秋は海やら田やら緑哉(真蹟草稿歌仙巻)
鳴海潟や青田に変る一みどり(かしま紀行)
貞亨5年7月10日立秋。児玉重辰興行歌仙の折の発句。
初秋や海も青田も一みどり
重辰に対する挨拶吟。鳴海潟の大きな景観を誉めることで挨拶とした。
https://blog.goo.ne.jp/t-hideki2/e/026ca9345cf2b0669a96dea5292fba0c 【鳴海眺望】 より
初秋や海も青田の一みどり 芭 蕉
たまたま見たその場の初秋の景をもって挨拶としたもの。一読、爽快な初秋の眺望である。何の巧みもなく、初秋の鳴海潟の大景に心奪われたものであって、その流動的、直線的な声調に、初秋の景に惹かれた感動のの明るさがあふれている。
対象に身を寄せて、そのものになり入ってゆく芭蕉の態度が、よく生かされている句といえよう。「や」・「も」・「の」の助詞が、実に的確に生かされている。ふつうは、「海も青田も」としてしまいがちである。「青田の一みどり」の「の」の使い方を、しっかり学びたい。
季語は「初秋」で秋。貞享五年七月十日、「鳴海絞り」で有名な、尾張鳴海(今の名古屋市緑区)での作。
「稲の伸びそろった青田が一望のうちに見え、その彼方に色濃い海が 青田のみどりとひとつづきに見渡されて、まことに清爽な初秋の景である」
女神湖の神わたるかや秋の虹 季 己
https://enjoymidori.exblog.jp/239544677/ 【緑区名前の由来/芭蕉との関係】より
緑区という名前が、松尾芭蕉の俳句に由来しているという話をご存知でしょうか?松尾芭蕉は生涯で4回鳴海宿を訪れていますが、3度目の来訪の1688年、地元の俳人児玉重辰の家で開かれた歌仙と呼ばれる句会に参加しました。歌仙というのは36句を続けて詠むという形式で、その第1句が芭蕉の詠んだ「秋風や海も青田の一みどり」という句です。
芭蕉が句会の主催者重辰へ挨拶がわりに詠んだ句ですが、初秋の鳴海潟や穂の出そろった青田が一続きのみどりとして見渡せるという美しい景観を詠んだもので、この地域の美しさが凝縮された句となっています。みどり区という名前もこの句にちなんで付けられたと言われています。
この36句には「鳴海兆望」というタイトルが付いていて、その記録は古文書として残っています。この古文書は「鳴海眺望歌仙懐紙」と呼ばれ、瑞穂区の名古屋市博物館で大切に保管されているそうです。ちなみにこの句と重辰の作った第2句は、芭蕉の自筆で書かれているとのことです。
緑区内にはいくつか芭蕉にちなんだ句碑がありますが、この句の句碑は成海神社内にあります。目立たない場所ですが、参拝の際に一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
「秋風や海も青田の一みどり」の句碑
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句碑は成海神社の駐車場横、東宮稲荷社(成海神社末社)内に建てられています。
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句の中にある「青田」のイメージ写真
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今では開発されてこの辺りが海だったことは、想像するのが難しいですが、芭蕉の時代この一帯は鳴海潟とよばれ大変風光明媚な場所でした。成海神社の近くにある千句塚公園では、芭蕉の句が下記のようなイメージで描かれています。
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