常盤木に有明かかる実盛忌

変わらないものと変化し続けるもの~~~潜象界と現象界を連想します。「かかる」でそれが一つであることを感じます。

https://club.ap.teacup.com/hagi/628.html 【ときはぎ【常磐木】】より

 『作庭記』(一〇四〇年頃)に、

○山しまは、池のなかに山をつきて、いれちがへ/\高下をあらしめて、ときは木をしげくうふべし。〔173行10-73〕

とあって、かな漢字混用表記「ときは木」一例の語を記載する。意味は、『日本国語大辞典』第二版の「松、杉などのように、年中その葉が緑色をしている樹木。常緑樹。冬木」、角川『古語大辞典』に「一年中、緑の葉をつけている木。常緑樹」(※本書の用例二例を用いて此の語を示す)を云う。

古辞書である三卷本『色葉字類抄』には未収載とし、時代が降って室町時代の古辞書天正一八年本『節用集』、黒本本『節用集』、易林本『節用集』に、

常繁木(トキワキ)。〔天正・上卷登部植物門13オ⑨〕

常繁木(トキワギ)。〔黒本・上卷登部草木門32④〕

常繁木(トキハギ)。〔易林・上卷登部草木門41⑥〕

とあって、孰れも漢字表記「常繁木」の語で「トキワキ」「トキワギ」「トキハギ」の訓みの語を収載する。南北朝時代の『太平記』所載(饅頭屋本『節用集』同)の「常盤木」、室町時代の池坊専応『専応口伝』〔一五三七〕所収の「常槃木」、『毛吹草』〔一六四五〕所収の「常〓(般+糸)(ときハ)木の落葉」〔卷二・初夏15オ⑥〕の表記とも異なる『節用集』類共通の表記が茲になされている。

文献作品資料では、当時代の『今昔物語集』〔一一二〇頃か〕に、

○庭ニ大キナル松・鷄冠木・櫻・トキハ木ナド生タリ。〔卷第二十七・三善清行宰相、家渡語第卅一〕

と「トキハ木」すなわち漢字表記「常磐木」のカナ漢字混用表記の用例が見えている。本書『作庭記』の用例と同様の表記例であることに注目したい。

〈補助資料〉

小学館『日本国語大辞典』第二版に、

ときわ‐ぎ[ときは:]【常磐木】〔名〕松、杉などのように、年中その葉が緑色をしている樹木。常緑樹。冬木。*宇津保物語〔九七〇~九九九頃〕蔵開上「宮のついならび給へば、花のかたはらのときは木のやうにみえ給ふこそ」*今昔物語集〔一一二〇頃か〕二七・三一「庭に大きなる松・鶏冠木(かへで)・桜・ときは木など生たり」*太平記〔一四C後〕三・主上御夢事「所は紫宸殿の庭前と覚へたる地に、大なる常盤木(トキハキ)あり」*俳諧・犬子集〔一六三三〕五・紅葉「常盤木か絶ず紅葉屏風の絵〈正信〉」*青春〔一九〇五~〇六〕〈小栗風葉〉春・二「靄の薄らいだ空へ、常盤木(トキハギ)の木立はスクスクと黒い梢を突出して鎮まり返って居る」【発音】トキワギ〈標ア〉[ワ][0]〈京ア〉[ワ]【辞書】天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【常繁木】天正・黒本・易林【常葉木】書言・ヘボン・言海【常盤木】饅頭

角川『古語大辞典』に、

ときはぎ【常磐木】〔名〕一年中、緑の葉をつけている木。常緑樹。「ときはぎの落葉」は季語、夏。「ときは木に這ひまじれる蔦の色なども物深げに見えて」〔源氏物語・総角〕「紅葉葉の色にまかせてときは木も風にうつろふ秋の山かな」〔新古今集・秋下〕「其外、当季の花亦は常槃木などを用ふ可き者也」〔専応口伝〕「初夏…常磐木の落葉」〔毛吹草・二〕

https://note.com/girls_study_com/n/n2060fcb8570f 【和歌に詠まれる「有明の月」はどうして寂しい心情を表すのか? 平安時代の人の気持ち】 より

☆有明の月とは?

夜が明けても、まだ空に残っている月を「有明の月」と言います。

百人一首などの和歌で聞いたことはあると思います。

※和歌に出てくる有明の月は、「(旧暦で十六夜以降の)夜更けに昇り始め明け方近くまで白く光る月」といったニュアンスで、明け方だけでなく夜更けというニュアンスも強くなります。

(中略

太陽も月も含めて、基本的には、地球の自転によりあらゆる天体は東から昇って南中して西に沈んでいきます。(いくように見えます。なお、北極星やその周辺の星などは沈まなかったりしますがここでは詳しい話は割愛します。)ですから上記で、「月の出」は東の空、「南中」は南の空、「月の入り」は西の空にそれぞれ月が見える…というのも大丈夫ですね。

☆「有明の月」が見えるのは満月~新月の間だけ!

こちらの記事で既に説明したとおり、満月は地球を挟んで太陽と反対方向にあるときの月ですから、満月を与謝蕪村のように夕方に見れば「月は東に日は西に」ということになりますし、明け方に見ればその逆(月は西、日は東)ということになります。(真夜中なら南中しているので南の空ですね。)

以上のことから、夜が明けても空に月が残っているという現象は、「満月」から「新月」の間だけしか起こらない、ということがわかります。

というわけで、満月から新月までの日であればいずれも「有明の月」になり得るのですが(夜明けに空を眺めればよい)、百人一首などの和歌に詠まれる際には、特に下弦の月を過ぎた左側だけが光っている月のことを指している場合が多いようです。

ちなみに、次の新月が9/17ですから、今月は「有明の月」を見るチャンスはもうあまりありません。この機会を逃すと次は10/2の満月から10/17の新月まで見られませんので、ぜひ明け方に空を眺めておいてください。

☆ではここでクイズです

突然ですがクイズの時間です。

✅小倉百人一首には、「有明の月」を詠んだ和歌は4首収められています。すべて答えなさい!

どうですか?思いつきますか?ここに正解を書いてしまうとすぐに見えてしまいますので、ちょっと別の話題を挟みましょう。

☆平安時代の人にとっての「有明の月」

基本的には、「有明の月」を和歌に詠む場合には、どちらかというと物寂し気なニュアンス、寂しい心情の描写、場合によっては寂しいを通り越して相手を恨んで憎む、という感じになりがちです。(私もすべての和歌に精通しているわけではありませんが、傾向としてはそう言えると思います。)

なぜでしょうか?

現代と平安時代の違いについて考えてみてください。

そうです、平安時代には、電気がありませんね。

ですから、平安時代の夜は、現代と異なりホントに真っ暗なのです。(その分、星空はめっちゃ奇麗だったことでしょう…🌟)

テレビもスマホもない真っ暗な世界。普通に考えたら、日が沈んだらとっとと寝るしかないわけですね。現代人と違って、基本的にはオール(徹夜・徹宵)なんかしなかったと思います。オールしても何も見えませんからね。

つまり何が言いたいか。平安時代の人が「有明の月」を見る機会なんか普通はあまりなかったはずなんです。

それでも和歌に「有明の月」を詠むということは、「好きな人を待っていたのにちっとも来てくれないで、待ってる間に先に有明の月が出てしまった」とか、そういう特殊事情があるときに基本的には限られるんですね。でないと平安時代の人は有明の月なんか見なかったと思います。

ですから、和歌において「有明の月」という言葉は、寂しい心情を詠むときに使われる場合が多いのです(絶対ではありませんが)。

☆まとめ

というわけで、今日もいろいろな教科を融合させたお話でした。このように、複数の教科をまたいで横断的に知識を整理すると、各教科の知識がよく定着しますよ。まさに「総合的な学習の時間」ですね!

…おっと、忘れるところでした、「有明の月」が詠まれた4首を答え合わせして今日は結びとします。各々の和歌の詳しい解釈は、また別の機会に。もしリクエストなどありましたらコメントなどでお願いします!🙇‍♀️またねー!🧡

✅いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな(素性法師、21番)

✅有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし(壬生忠岑、30番)

※言葉としては「有明」だけですが、明らかに「有明の月」を指しているのでこれも含めて4首としました。

✅朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪(坂上是則、31番)

✅ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる(後徳大寺左大臣、81番)

※ちなみに、以上の4首も含めて、「月」を詠んだ和歌は百人一首の中には12首あります。こちらは宿題にしておきますから、思い出してみてください。

※少し話は変わりますが、いわゆる「中秋の名月」は、今年は10月1日です。

※今年の「天文宇宙検定」の出願〆切は10/15です(個人受験・ペア受験の場合)。試験日は11/22(日)。私のnoteでもバックアップしていきます。(私は2級を持っています。)ぜひ挑戦してみましょう!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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