http://www.valley.ne.jp/~gyuho3/zakkanback15.html 【回り道雑感】より
カタクリ
庭にカタクリの花が咲きました。昨年山でとってきて、植えておいたものです。
私に出会わなければ、深い山の中で誰にも見られずひっそりと咲いて、ひっそりと散っていくはずだった・・・・
「はかない」などと思うのは人間の勝手で、それがカタクリの「生」なのです。
気高い、すがすがしさに胸をうたれています。
失敗
今度こそうまくやろう・・・・・失敗するたびにそう思う。馬鹿げてなどいない。それが大事なのだ。
見守る
そっとしておけば、ちゃんと自分で立ち上がり生長するのに、いらぬ手を加えるからダメになる・・・・・植物だけでなく、人もきっと同じだ。どんなに気になってもだまって見守るべきときがある。
充実
充実はしているが、こんなことしていていいのだろうか・・・・そんなとりとめもない不安におそわれることがある。充実しているのなら、いいではないか。
値打ちや意味づけはあとからいくらでもできる。
今、充実しているかどうか、それを問題にすればよい。
ほんもの何にでも優劣をつけたがる人は、”ほんもの”を見たことがない人だ。
”にせもの”ばかり見ているから、どれがほんものだろう、といつもさがしてしまう。
巧み
拒むことに巧みな人にはなるまい。受け入れることに巧みな人になりたい。そうすればもっと自分が好きになる。
別れ
「達者で暮らせ」、「元気でね」・・・・・・・短いが、別れのことばはそれだけでよい。
ペラペラとしゃべりたくなる別れは、どうでもいい相手との、ただの別れだ。
判断
自分が「おじさん」なのか「おじいさん」なのか、を一番的確に判断してくれるのは、
近所の子どもたちだ。
彼らが自分のことをどう呼んでくれるかを聞けば、ほぼ間違いなく壮年か老年かは決まる。
それを聞いてから老けても遅くはないだろう。
勝手にやれ
「純、蛍、おまえらは勝手にやれ・・・・」名作「北の国から」の最終回で語られる五郎さんの”遺言”である。勝手にやれ・・・自分の才覚で生きていけという、究極の親心である。
そのために必要なものは十分に伝えたと言う・・・・・
子育ての極意、親とは何か、をこれほど簡明に、わかりやすく教えてくれることはない。
くり返し
くり返されるものにはちゃんと意味がある。音楽にも文章や詩にも、そして人生にも・・・・・
くり返されることで強調されるものが一番いいたいこと、一番大切なことだという意味だ。
漠然とくり返してはならない。
ごみ箱
記憶の「ごみ箱」がいっぱいにならないうちに、きれいに捨てておくことですね。
”ごみ”にしたはずの古い記憶をもう一度さがして広げてみなくてすむように・・・・・
できなかった
やりたかったができなかった・・・・そんなことを数えれば一つや二つでは済まないだろう。その中から、今ならできる、ということをさがして気が済むまでやってみればいい。
なぜあのときできなかったのかが、おのずとわかってくる。
若気の至り若気の至りは、若いからあり得ることだ。
年をとってから同じようなことをすればおそらく病院が待っている。
若気の至りがなかったら、そして、それを苦笑いしながら思いだすことがなかったら、人は自分が年をとったと気づかない。
道
信じた道を歩いていれば、迷うことはない。迷うのは、信じられなくなったときだ。
この道だと選んだのなら、とことん信じ尽くせ。そのうちいとおしくなる。
定義
写真は、瞬間を切り取り、”永遠”にするもの。
絵画は、永遠を凝縮して”瞬間”を創るもの・・・・・・
奥が深いのも当然である。
ごはんつぶ
「茶碗にごはんつぶを残してはいけない」と、幼いころ教えられた。よほど体にしみこんでいるのか、外食をしてもその習慣が現れてしまう。
米作りにかかわるようになって、その教えがまちがっていなかったとしみじみ思う。
一粒のごはんつぶも立派な教材になるものだ。
目標
あの人のようになりたい、と目標にできる人が近くにいれば幸運です。
その人の「何」を真似したいのか、さえ明確なら・・・・外見でも構わないのですが、できればその”生き方”であってほしいと思うのです。
感動
ただ自然がそこにあれば感動できる、と言うものではない。感動を引き起こすのは、そこに感じられる”意思”だ。
何かを訴えている、と感じた時にだけ人はその風景に心が揺れる。
赤く紅葉した木の葉でも、茅葺き屋根の古い民家でも、訴えるものを感じないなら、ただのありふれた景色にすぎない。
訴えるものの核心は”命の営み”だと最近気がつくことが多くなった。
風景を見て感動したなら、ほぼ間違いなく、そこに”命の営み”を見出している。
鍵
幼いころに遊んだ川や海や山が、そこへ行けばそのまま残っている・・・という人は幸せです。それがどれだけかけがえのないものだったか、いずれわかるときがくるのですから、
もし残せるならその日まで思い出を”鍵”にかえて、しっかり守りなさい。
ゆめゆめ、もう縁が切れたなどと思わないことです。
解決
”時間が解決してくれる”と言うのは同情や慰めの場合もあるがほかに有効な解決方法がないときだ。
たしかにそう言うのが一番ぴったりすることはある。”うそも方便”ではない。
未練
いろんな事情で叶わなかったが、本当は進みたかった道があります。
もうどんなに望んでもそこを歩くことはできませんが、もしその道を歩けたらきっとこんなものが見えたはず、と思い描いてみることだけは許されます。
そんな”未練”も時と場合によっては明日を生きる活力になるでしょう。
言
自分にはない素質をさりげなく持ち合わせる人をみるとつい何か一言言いたくなる。
つまり、うらやましさの裏返しだ。
楽しみ
若いころ、「年をとったら何を楽しみにして生きるのだろう。」などと、思えばバカなことを考えた。そんな年になってみて想う・・・・
お金や流行や街の明かりや喧騒の中にだけ楽しみがあるのではない、楽しいと思える時間を作る意志さえあれば、草や石や土と暮らしていても十分に楽しめる。
席
貸していただいた「席」をお返しします。長い間使わせていただいて、ほんとうにありがとうございました・・・・・終わりにそう言える人生でありたい。
否応
どうやら年をとるということは、何かを失うことであるらしい。大事だと思っていた人やもの、大事にしてきたものが、ある日ふと気がつくと姿が見えなくなっている・・・・・
ああ、こうやってみんな消えていくのか、としみじみ思い知らされる・・・・・・・否応はない。
直
まっすぐに生きていない人間には、まっすぐに生きる人の”まっすぐさ”がほんとうによく見える。
済んだこと
済んだことはしかたがない、と思えるのは、済んでしまったのにもう一度何とかならないかと、かつてもがいたことがあった人である。
これから
50年以上も生きてくると、世の中のたいていのことは目にしたはずです。
でも、「目にしたこと」と「体験したこと」はちがうので、まだまだこれからがおもしろいのです。
声
ぼくと君の関係が切れないで続いているのはなぜか・・・・利害があるわけでもない。
互いに大きな恩があるわけでもない。
だとすれば、心の奥の方で聞こえる「離れてはいけない」という声をきっとふたりとも聞いているからなのだろう。なぜだかよくわからないが、たしかにそんな声がしている。
真似
あなたという人間の特徴はとてもよくわかるのですが、到底、私にあなたの真似はできません。落ち込む前に、「自分の真似ができない人がいる。」ということを考えてみてください。あなたのように生きられるのは世界中さがしても、あなただけなのです。
朗報
うれしい知らせが届いたら素直に喜ぶことです。私が「よかった!」と思う以上にそのことを心から喜んでいる人がいるのですから、それも合わせて「よかった」のです。
楽園
人生の楽園・・・・そんな名前の番組がある。入園のためのハードルの高さが少し気になるが、人それぞれに“楽園”を築き、そこで暮らせたらいいのだろう。
問題は、そんな楽園が初めからあるのではないということ。。
あったはずの、“楽園”にするための努力は番組ではなかなか見せてくれない。
会話
やってみないとわからないことは確かに多いが、続けてやっているとわかってくることはもっと多い。
やめてもいいのに続けようとするとき、紛れもなく自分と真剣な会話をしている。
続けてみることだ。
忘我
我をわすれ、損得を離れ、無心になれる時間をどれだけ持っているか・・・・一度考えてみるべきです。
円熟
こうやって人間は円熟していく・・・・その証明を怠りなくちゃんとやっているか。
一蓮托生
いやでも”共倒れ”にならなければならないときがある。正確には、「共倒れになってもよい覚悟」というべきか・・・・一蓮托生という濃密な関係は、ときに厄介だが、そんな関係など持てない者たちからみると実にうらやましく、まぶしい関係である。
清算
やり残した仕事?・・・・・あるとすればそれは、省みることのなかった”自分”がいったい何者か、という疑問に答えることだ。
ちゃんと見なければならなかったのに、それを怠ってきたツケをきちんと清算することだ。
夢
実現不可能な”夢”を、人は見ない。”夢”になるのは、その気になり、準備をして、決断さえすれば達成可能なことに限られる。
失敗
ふり返れば、あれは大失敗だった、ということがある。何であんなことをしたのだろう、と今もし思えるなら、あれはきっと人間として成長するためのテストだったんだ。
失敗したからこそ、正答が今自分の手にあるだろう。
失敗して痛い目にあわなければ決して手に入らないものだったのだ。
長靴
穴のあいた長靴は、長靴としては役に立たない。防水機能こそが彼の生存理由だからだ。
しかし、履物として役に立たなくなったわけではない。畑仕事くらいなら立派に使える。
第二の人生・・・も、そういうものだと思えばよい。
予行練習
去っていくもの、消えていくものに切なさや愛着を感じるのはどんな命もやがて終わるときがくることへの、備えである。
日ごろから予行練習をしておかなければ、とうてい耐えられる試練ではない。
捨てる
いらないから、と捨てることばかりやっているとそのうち目の色を変えて拾い集めなくてはならなくなる。
捨てるものはほどほどにしておくことだ。”捨”から「十」を捨てれば”拾”になる。
会話
なかなか思うようにいかない?そんなもんだろう。別に君のせいじゃないさ。
みんなが思うように世の中が動いたら、きっと収拾がつかなくなる。
思うようにいかないもんだとわかっていれば”思う”ことの中身も変わっていくんじゃないのかな?そんなことの繰り返しだと思うんだが・・・・・・
残り時間
夢を失うことがさびしいのではない。夢を見なくなることがさびしい・・・・
憧れを夢に育てる営みは年をとってもできないことはないが、残り時間の多い、人生の前半でうんとしておくことです。
進歩
どうしようもない自分だが、それを他人に言われたくはない。
だから、どうしようもなくても、どうにかしなければならないと考える・・・・
そこに”変化”や”進歩”がうまれる。人が生きるということはそんなことの繰り返しなんだろう。
不安
この先どうなるのだろう、という不安が明日も生きてみようという気持ちを支えている。
そう考えてみてはどうですか。流されるなら行雲流水・・・
生きることは流れていくことだとしてもただ漠然と流されるのではなく、
そこに大きな”ちから”を感じながら流されたい。流れていくのだと言い聞かせて流されたい。
強さ
本当に強い人間は、自分の”弱さ”を知り尽くしている。自分は弱い人間だと思うから、その弱さに頼らない。それが真に強いということだ。
準備
落ち込んでいるときに楽しいことを考えろ、というのは無理な話だ。落ち込んだときには、しばらく素直に落ち込めばいい。”何とかしたい”という気持ちさえあれば、心配いらない。
体や心のどこかで、傷ついた部分や崩れた姿勢を立て直す準備は始まっている。
何十年も懸命に生きてきた”わたし”はそんなに「ヤワ」ではない、と自分に言い聞かせてやれ。
課題
今日やらなければならない課題は、どんなに気が重くても今日やるしかない。
明日にのばしても状況が変わることがないのなら、渾身の力をこめて立ち向かおう・・・・・・大丈夫、君ならやれる。
豊かに便利なものや手軽に手に入るもの、おしゃれなものに囲まれて暮らしていると、
知らないうちに”豊かに生きている”と勘違いをしてしまいます。
豊かさは、便利なものをうまく使って自分で創り出すものでしょう。
豊かに生きているかどうかは、あくまでも自分の問題です。
理屈
理屈など必要ない場面なのに、理屈をさがしているときは
だれかの目には、必死で取り繕っている”わたし”の姿が見えている。
小
一匹のアリは踏みつぶされるが、何万匹になれば相手を喰うことができる。
一つの決意では何も変わらないが、くり返し固めていった決意の重層はやがて岩を割り、木を倒す。小さいものを侮るな。ささやかな芽吹きこそ大事にせよ。
変わる
「これがあたりまえ」と思って別に気にもしないことがある。
”なぜだ?”と疑えば疑えるが、気が重いし、そんなことをして何の得があるのか、と思うからである。それでもあえて”なぜだ?”と疑問をもったときに生活や人生が変わり始める。
変わるとは、それまでの何かを疑い、否定することである。
お礼
お世話になりながら、お礼も言えず、居場所もわからず、音信不通になっている人がいる。
故人となって、手の届かないところへ行った人もいる。
「あのときはほんとうにありがとうございました。」・・・・・年とともに会って心からそう言いたい人が増えていく。
鎖
いつか来るとわかっているから、寒風のバス停でバスが待てる。
いつか来るとわかっているから、深い雪の中で春が待てる。
辛抱と忍耐は我が身をしばる鎖の重さを知っているからうまれる。
今
何も言わず、ただそこにいてくれるもの・・・・いつも離れずにそばにいてくれるもの・・・・そのありがたさを忘れまい。そのかけがえのなさを忘れまい。
覚悟
覚悟を決めてやり始めたことなら、覚悟の”輪郭”がボヤけることを最大の恥と思いなさい。
覚悟の健在ぶりだけはいつも高々と掲げておくことです。たとえ結果がなかなか思い通りにならなくても覚悟の輪郭をなぞれば、また元気がわいてくるものです。
もしも元気がわいてこないのなら、それは覚悟ではなかったのでしょう。
根幹には誰かに何かを言い続けてきたのか、それとも、誰かの言うことをだまって聞き続けてきたのか?・・・・
おのれの人生の根幹にあるものはこのいずれであったかを問わないまま迎える老後は、
陽だまりに惰眠をむさぼる猫に等しい。苦痛もないが、進化もない。
勝負
この世で一番公平なものは二つ、どんな人間も同じように年をとり、老いていくこと、
どんな人間も自分の人生を二度とやり直すことができないこと・・・・・
うれしいではないか。それさえ胸に刻んでおけば誰とでも勝負ができる。
劣化
生身の人間であれば、経年劣化は避けられない。
容姿、健康、体力・・・・他人に自慢したくなるものから劣化は始まる。
自己嫌悪
”自己嫌悪”は若者だけの特権である。若いうちに、うんと自分を情けないと思い、うんと、どうしようもない奴だ、と叱りつけておきなさい。いずれそんな自分でも許せるようになる。年寄りは自己嫌悪がないから生きていられる。
努力
報われない努力はないと思うよ。結果が見えるのが、明日か一年後かのちがいだけだろう。
汗を流し、何かを犠牲にしてがんばったのならそれに見合う成果は忘れずにやってくるはずだ。そうでなきゃ、今頃みんな疲れ果てて倒れている。
すき間
護岸工事に使う「消波ブロック」の発想はおもしろい。頑丈なコンクリートの壁で守るのでなく、すき間を使って押し寄せる波の力を分散させる仕組みだ。
難攻不落の名城には、堅固な城壁のどこかにあえて作られた”弱い”ところがあるという。
押し寄せる敵をそこへおびき寄せる「隙」だという。
押し寄せてくるものが強力なら、「すき間」で守るのも一つの手だ。
”すき間で守る”とは、完璧な阻止ではなく、一部はあえて受け入れるということ・・・・
すき間に入ったものくらいで、本体は崩れたりはしない。
余力
年を重ねてくると、否応なしにいろんな意味で冷めてくる。物事や人間の裏おもてが見え、打算や欲が見え、こんな出発をするとこんな結末になるだろう、とおよその予測も立つ。
熱狂の演出の裏には誰かの計算があることもチラチラ見えて、とてもいっしょに騒ぐことはできない。仕方なしに奔走することはあってもじたばたする見苦しさはいつも頭にある・・・・・・だから、”死に物狂い”は、余力のある若いうちにやっておくことだ。
大切な人
頭を下げるべき相手をまちがえると、後ろにいる大切な人に尻を向けることになる。
若くても、老いても、決して尻を向けてはならない人がいる。
何とかなるどんな豪雪地域に住む人たちも、このすさまじい雪もいずれとける、と思うから耐えられる。
身に降りかかるどんな難事も、いずれカタがつくと思えるから、何とか乗り切ろうと頑張れる・・・・・必ず”何とかなる”と思わなければ風邪をひいただけで人生をあきらめなくてはならなくなるだろう。
聞き間違い
ほんとうにこれでいいのか、と自分に問う。これでいいのだ、という返事が返ってくるあいだは、もう少し先まで行ってみればよい。
もしもこれじゃダメだ、と聞こえたら、なりふり構わず新しい道をさがすしかない。
他人はごまかせても、自分を欺くことは至難の業なのだから自分の声だけは聞き間違えないことだ。
夢
いい夢を見させてもらった・・・・そんなできごとに、最近出会いましたか?
所詮“夢”で終わるとわかっていても見てみたい夢はあるものです。
居心地
居心地がいいかどうかを決めるのは、自分の外側にある環境だけではない。
自分の内側の、「ここで頑張る!」という覚悟が居心地を育てる。
”住めば都”というのは、ここを都にする覚悟を持て、という教えだ。
聖域
まれに他の理由もあるが、ケンカの理由の大半は「美意識」の違いである。
美意識・・・それは、失ったり、汚されたりしたくない自分だけの聖域のこと、
ふだん気付くことはないが、ケンカをしてみると見えなかった自分の”聖域”が
不思議に見えてくる。
親
我が子の生まれたばかりのころの寝顔やしぐさを親は決して忘れない。
這い出し、歩き始め、言葉を覚えていったころの愛らしさを親は心に刻んでいる。
命のあるかぎり、我が子を心配し、見守ろうとするのはそんなかけがえのない記憶のおかげだ。自分の親はそんな親ではない、などというたわけ者も親になってみればすぐにわかる。
人
その人のことをもっと知ってわかろうとするから、”大切な人”になるんです。
つまずく石は、わが身につまずいて、ぶざまによろめいた人間を笑わない。
つまずいた人間が腹を立ててその石を蹴飛ばす・・・・何かにつまずくときには
その原因はたいてい我が身にあるというのに、腹を立てても仕方のない相手にやつ当たりするのはきまって愚かな人間の方だ。
ワラ
ワラをもつかみたい・・・そのワラを差し出せる余力があれば頼りにならないと思っても差し出してごらんなさい。
たとえ助けることはできなくても、助けようとしてくれた、という事実は相手の心の中に残り、復活の一助となる。
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