https://ameblo.jp/isawo-t/entry-12152722851.html 【おもしろうてやがて悲しき】より
松尾芭蕉45才の時の作だという。句意は「 鵜舟(うぶね)が目の前で、はなやかな篝火(かがりび)を焚きつつ活発な鵜飼を繰り広げる時、面白さはその極に達するが、やがて川下遠く闇の彼方へ消え去るにつれて、何とも言い知れぬ空虚な物悲しさだけが心に残る」ということらしい。「鵜飼」とは 「鵜(う)を使ってアユなどを獲る漁法のひとつ。現在では漁業というより観光業(ショー)として行われている場合が多い」と辞書にある。鵜とは「 ペリカン目ウ科の鳥の総称。羽は黒くつやがあり、くちばしは細長く鋭い。潜水して魚を捕らえ、水面に浮上してから飲み込む」鳥のことである。 現代の都会に生きるわたしには、まったくイメージできない情景であるが、「鵜舟哉」の部分を別の言葉に置き換えても成り立つところが、この句を時代を超えた名作たらしめているように思う。
「おもしろうてやがて悲しい」のは何も鵜飼だけではなく、人間のやることはすべからくそういう展開を辿ると思う。それは、必然的に人間は死というデッドエンドへ向かう存在だからである。
翻って、すばらしい芝居というものは、だいたい「おもしろうてやがて悲しい」展開を持っているように思うが、どうか。最初は笑えてとても楽しいが、劇が終盤に差し掛かると、えもいわれぬ悲しさが沸き上がり、涙とともに幕切れを迎えるというような。なぜすばらしい芝居がそういう展開を持つかと言うと、その芝居の内容が、わたしたちの人生そのものの比喩になっていて、その芝居に流れる時間が、わたしたちの人生時間と対応しているからではないか。つまり、人生も最初は楽しいが、徐々に悲しみを帯びてくるということである。
http://www.valley.ne.jp/~gyuho3/zakkanback15.html 【回り道雑感】より
答
さわやかに、清々しく生きたいものです。さわやかに・・・・・そのために何が必要か、を
懸命に考えています。息絶えるまでにその答えが見つかるといいのですが・・・・
初恋
初恋・・・・・・その中身をぺらぺらと他人にしゃべる者はいないだろう。しゃべれないのだ。異性に感情を抱きはじめた原点であり、自分がどんな人間かを悩み始めた記念日でもある。淡い、切ない、甘酸っぱいなどと形容されるが、未熟なおのれをこれほど鮮明に思い出させる記憶は他にないのでそんな言葉でつつんでいるだけである。
なに?
「どんぐりころころ」を歌っていた子ども・・・・「”どじょう”ってなに?」自分たちの手でどじょうを消してしまったおとなは返事にこまる。
だます
「サンタさんがきたよ!」と電話のむこうで幼い孫がうれしそうに話す・・・・
世のおとなが総ぐるみで子どもをだましている。それが許されるのは、かつて自分もだまされたが、そのことを決して不快には思っていないからだ。
想像力
同情や慰めもときに必要なものだが、”下手な”それらはかえって相手を傷つける。
下手か、上手かの決め手は、一にも二にも想像力だ。
どんな言葉をかけるべきかは、相手の心情をどれだけくみ取れるかにかかっている。
だから、何も言えない無言の慰めもある。
時代
どんな少年時代をすごしたか、どんな青年時代をくぐったか、そのなかでどんな人に出会い、どんな人と別れたか・・・・・・履歴書は、そこから書き始めなくてはならない。
いま在る自分のすべては、あの”時代”から始まっている。
おもしろい
分かれ道です。標識はありません。どちらの道を選ぶのか、思案のしどころです。
この先起こり得る、あらゆることを想定して、最後は”イチカバチカ”の決断です・・・・
いくつもの分かれ道に立ってそんな危うい賭けをしながら築いてきた、自分の人生です。
「賭けごとはしない」という人生もあるでしょうがきっと平凡で、つまらないと思います。
”賭け”だから、おもしろいのです。
問い
人は自分に対する他人の評価をいつも気にする生き物である。よく見られたい、きれいに見られたい、いいやつだと見られたい・・・・・それを努力する目標だと考えれば、見栄も虚栄もまちがってはいない。
しかし、「なぜそんなことをするのか?」と問われた時の答は用意しておくべきだ。
だれも聞いたりはしないが、考えただけでもおそろしくなる問いであるから。
いろいろ
まあ、人生いろいろあるですよ・・・・(「北の国から・遺言」より 五郎のセリフ)
いろいろある・・・
自分の”いろいろ”の一つがいま目の前に現れ、解決を迫っているわけだ。
人生まっただ中、いろいろあって当然である。
しくみ
人が「ひとり」になる道筋は複雑でも、「ひとり」が「ひとりぼっち」になるしくみは、
単純である。
誕生日
誕生日など祝ってもらわなくてもいい、とは言わないことだ。年齢に関係なく、自分のことを大切に思ってくれる人がいるということ、その証しをもらっているのだから素直に”ありがとう”と言っておくべきだろう。
「もういい年だから・・・」「いまさら・・・」は禁句である。
誕生した記念日がうれしいのではなく、自分を大切に思ってくれる人の存在がうれしいのだ。そんな人のいない者から見ると、夢のような恵みである。
縁
わたしがわすれないかぎりいつもこころのなかでいきている・・・・縁とはそういうものでしょう。
返答
きのうと変わらず夜が明けて、きのうと同じように日が暮れていく。きょうは生きたのか、生かされたのか、何か一つでも生存の証しを残せたか・・・・・時間に追われる忙しさに、かつては考えたこともなかったことが、このごろ妙に返答を迫ってくる。
願い
神仏に願い事はだれもがするが、昨年願ったことへの感謝をする人はまれであろう。
以前願ったことへの謝意を告げてから新たな願いを聞いてもらうのが礼儀である。
礼儀をわきまえずに神前や仏前に立つから願いはなかなか叶わない。
成長
幼子の一年間の成長にはだれもが驚くが、同じ進度でわが身の老いも進んでいる。
それが人間としての成長の姿だ。
去年はできていたことが、今年はもう以前のようにはできなくなっている、などということはごくあたりまえのことであって、驚いたり、嘆いたりするようなことではない。
”老いる”こともまた、人として成長している姿である。
感謝
長い旅の途中であなたに出会いました。しばらくいっしょに歩けたことは忘れません。
ともに踏んだ大地に残る足あとはもうしばらく消さないでいようと思います。
別れ
あのときの「さようなら」を最後に、もうすがたを見ることができなくなった人がいる。
人生にはそんな人の方が圧倒的に多いのだ、と年を重ねるうちにわかってくる・・・・・
「さようなら」を言ってもまた会える人を大切にしたい。
正真正銘
生まれたばかりの赤ん坊も、どんな高齢のお年寄りも、「生きること」のプロである。
その年齢を生きることにかけてはだれにもひけをとらない、正真正銘の”プロ”である。
大きいもの
山があり、川があり、海がある。見上げれば空があり、雲が流れる。大地があり、木々が育ち、風が吹き、雨が降り、霧も出る・・・・得体のしれないものに押しつぶされそうになったり、自分がちっぽけな存在だと思われるようになったら、それらのとてつもなく大きなものに包まれてみることだ。
押しつけがましいことは何も言わないが、腰をおろす場所だけはいつでもそっと用意してくれる。
なるほど
ある年になると誰もが経験することがある。それまではあり余るほどあって、あるのが当然だと思っていたものが徐々に身の周りからすがたを消してしまうこと・・・・・
だが、それをさびしいとは感じない心のしくみも同時に働き始める。なるほど、うまくできている。
世代
われわれ世代の強みは、夢や希望の持つ力を信じられることだ。社会や世の中が熱を帯び、元気になっていく過程を体験し、夢や希望をもって社会に出ていく喜びを多くの人が味わったから・・・・われわれ世代の最大の弱みは、疑い深くなったことだ。
繁栄や熱情はいつか終わるということを身をもって体験してしまったから・・・
風
向かい風はだれもが感じられる。だが追い風はそれがむずかしい。追い風をつかむことのできる者でないと、船は動かない。
人生の追い風は、時として向かい風のように吹くことがある。傍らに一番苦しくて、みっともなくて、情けないときに見放さず、そっとそばにいてくれる人・・・・・大げさななぐさめや励ましなどしないが、凍えそうな気持ちをいつも温めてくれた・・・・あんな状態からよくぞ立ち直れたと思うことがあるなら、近くにきっとそんな人がいた。
立つ
立っている。自分の足で立っている。だれの助けも借りずに立っている。座りこみたくなる誘惑にまだ負けてはいない。座り込むのは容易いが、一度座ればもう二度と立ち上がれないだろう。だからこうして身を切る北風に顔をむけて必死で立っている。
返礼
いやだと言えないことが世の中にはあるものだ。無駄なことだとわかっていてもとにかくやらなければならないことがある。
そんなことでもまじめにこなしていく姿を誰かが必ず見ていて”信用”という返礼をこっそり送ってくれる。バカげたことではない。
名言
喜怒哀楽・・・・なるほど、いにしえの人はうまいことを言う。四つの感情に左右されながら人生が築かれるというなら、おそらくこの順番で進んでいくのだろう。
最期が「哀」ではちとさびしすぎる。やはり最期は「楽」でなくてはならぬのだろう。
朱
朝焼けや夕焼けを見て感動できる人間は、どこかで身を切る痛みを味わった者である。
そうでなければ、あの”朱”に心は動かない。
話
おれはおれにしかできないことをやる。つべこべ言わずにおまえもそうしろ。
情けない愚痴をこぼす前に、おまえにしかできないことを見つけろ。
そうでなくちゃ、この世に生まれてきた甲斐がないだろう。
季節
さびしいから人が恋しくなるのではない。人が恋しいからさびしくなる。
人が恋しくなるのは、これから厳しい季節や時間を迎えようとしているときである。
汗の噴き出る真夏には、そんな気持ちは起こらない。
強さ
つらいことが重なる。生きている意味を疑いたくなる・・・・それでも倒れずに生きていられる”強さ”をあなたは気づかないうちに自分の中に育てていた。弱い人間なんかじゃない。
あなたがそうであるなら他人の悪口を言うと何だか気持ちが悪い・・・・・そんな子どもに育てなさい。
「悪口」は、どんな言葉を使おうと、自分をみじめにするだけだと教えてあげなさい。
あなたがそう思うのであるならきっと伝わるはずです。
食べ物
自分の食べるものを自分で調理したことがあるかどうかは、たくましく生存できるかどうかの分かれ道だ。
他人に食べさせるものを一生懸命調理したことがあるかどうかは、やさしく生きていけるかどうかの分かれ道になる。おいしく食べてもらいたい、という気持ちがそうさせる。だから、作ってくれる人の苦心もわかる。
仲間
同じ時代を生きてきた人たちは同じころに生まれ、同じころに消えていく。
そういう仲間たちと、いまを共に生きているわけだ。顔も名前も知らないがあなたも、君も、お前もそんな仲間の一人・・・
あの頃・・・みんな貧しかったが、ちっとも恥だとは思わない時代だった。がんばれば豊かな暮らしに手が届く、とだれもが信じ、巷に流れる歌や映画にも夢があふれる時代だった。
パソコンも携帯電話もゲーム機もなかったが、それで不便だとはだれも思わない時代だった。近所のおじさんやおばさんに力いっぱい叱られ、ほめられた時代だった。
悩みや不安は今と変わらないが人がみな人にやさしくなれた時代であった・・・・・・
ほんの少し前の話である。
命
命を燃やして人は生きている。喜怒哀楽のすべてに必要な熱源だ。命は燃えるもの・・・・・だから終わりがある。
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