暗号の世界

https://gijodai.jp/library/file/kiyo2007/SATO.pdf 【暗号の世界】より

.はじめに

「全ての人間は生まれながらにして知ることを欲する」というアリストテレスの言葉をテレビの某番組が毎週流していましたが,確かに,今まで知らなかったことを知ることは喜びであり,愉快なことであり,また私達の精神を成長させることにもつながっています。だから私も今まで様々なテーマについて考えてきましたが,今回は「暗号」について考えてみたいと思います。なぜなら,昨年は『ダ・ヴィンチ・コード』のヒットで,各方面でも暗号についての情報がもてはやされ,暗号について考えることが喚起されたからです。

もてはやされたものの一例をあげると,テレビの「題名のない音楽会」で,「音楽のダ・ヴィンチ・コード」と銘打って,音楽にまつわる暗号の例を紹介していました。ラフマニノフが鏡面文字と同じことを楽譜の上で行っていた例として,「バガニーニの主題による狂詩曲」を紹介していました。また音楽には,絵画音型というものがあって,メロディ1つ1つに意味をつけて作り,旋律の形で何を表しているかがわかるようになっているものもあるそうです。ヴィヴァルディが絵画音型を使って作曲した音楽家の代表で,『四季』の中の「冬」の部分では,譜面が歯の形になっていて,寒さで震えて歯軋りしている音型になっていたり,渦巻く譜面で木枯らしを表していたりしています。この絵画音型が標題音楽に発展していったそうです。また,近代音楽の父バッハは,メロディの中に自分の名前を,ブラームスは恋人の名前を忍び込ませているということですから面白いですね。また,松尾芭蕉は隠れキリシタンで,『奥の細道』は巡礼の旅であり,それを示す暗号が『奥の細道』に隠されているという研究もありました。

こうして昨年は,暗号についていろいろ勉強してみたのですが,やっているうちに,暗

号には「秘密を隠すための暗号」ばかりではなく,「人に深く考えさせるための暗号」と

でもいっていいようなものがあることに気づきました。今回は,「暗号」について考察し

た成果として,「秘密を隠すための暗号」と「人に深く考えさせるための暗号」について

まとめてみたいと思います。

なお,「暗号」に関する用語や「暗号」の種類については,1つ1つ述べていくと煩雑

で膨大になりますし,本論文の目的ではありませんので,必要に応じて本文中で触れる程

度にさせて頂きます。

2.「秘密を隠すための暗号」

「秘密を隠すための暗号」というと,戦争や陰謀で使われるものから現代の情報化社会

における安全性や秘匿性を守るための情報の暗号化をはじめとして,文学作品における重

要な要素としての暗号まで,幅広くあるわけですが,本論文では,昨年話題になった『ダ

・ヴィンチ・コード』の暗号と,700年以上解読できなかった『百人一首』の暗号を紹介

したいと思います。

①『ダ・ヴィンチ・コード』の暗号

ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』の内容を簡単に言うと,ルーヴル美術館のソ

ニエール館長が死ぬ前に残した暗号を手がかりにして,ソニエール館長が伝えたかった聖

杯(マグダラのマリアの遺骨)のありかを,ハーヴァード大学の象徴学者ラングドンと暗

号解読官ソフィーが解読していくというものです。

この作品の最初に大きな役割を果たす暗号はアナグラム(anagram)というものです。ア

ナグラムとは,「語句転綴」とか「綴り変え」とか訳されますが,ある言葉の文字の順序を

変えて別の語句を作るものです。time を並べ替えると emit(放射する)とか item(項目)

といった別の単語が生まれます。また,revolution(革命)を to love ruin(破壊を愛する)

と並べ替えたり,Florence Nightingale を fliton, cheering angel(飛んで行け,人を励ます

天使よ)と並べ替えたり,mother-in-law(義理の母)を woman Hitler(女のヒトラー)と

並び替えることもできます。かなり前に「マジカル頭脳パワー」というテレビの娯楽番組

がありました。その中にシャッフルクイズというアナグラムクイズがありました。「ウロ

ツクタタミ」をアナグラムして「タツミタクロウ」という人名にしたり,「カマキリが離

婚」から「カガマリコ」と「キリン」(人名と動物名)を導き出すといったクイズで,中々

面白く,人気のある番組でした。

ブラウンは『ダ・ヴィンチ・コード』の中で,こうしたアナグラムの娯楽性に触れてい

ますが,アナグラムには神聖な歴史があることにも触れています。カバラ密教ではアナグ

ラムを重んじ,ヘブライ語の字句を入れ替えて新たな意味を導き出していましたし,ルネ

サンス時代のフランス歴代国王は,アナグラムには魔力があると信じ,直属のアナグラム

研究家を登用して重要文書の文言の解析にあたらせ,判断を下す際の参考にしました。ま

た,古代ローマ人は,アナグラムの研究を「アルス・マグナ」(偉大なる芸術)と呼んでいました。また,福田陸太郎著『アメリカ文学思潮史』には,ピューリタンの挽歌にはアナグ

ラムやアクロスティックの詩が実に多いことが書かれています。アクロスティックという

のは,各行の始めの文字をつなぐと意味のある語句や名前になるような詩のことです。

ピューリタンにとってそれらは単なる言葉遊びではなく,そこに神の測り知れない摂理の

啓示を読み取ろうとしたからです。

アナグラムについての脱線が長くなってしまいましたが,もとへ戻り,ソニエール館長

が死ぬ前に残した次のメモを見てみましょう。

13―3―2―21―1―1―8―5 O, Draconian devil!(おお,ドラゴンのごとき

悪魔め!)Oh, lame saint!(おお,役に立たぬ聖人め!)

これを見たラングドンは,最初の数字の羅列はフィボナッチ数列を並べ替えたものだと直感しました。フィボナッチ数列とは,初項と第2項を1とし,第3項以降次々に前2項の

和をとって得られる数列のことで,1,1,2,3,5,8,13,21,34,・・・という数列になります。配列の乱れたフィボナッチ数列は本来の配列に直して初めて意味をなします。だからこれは,次の二行の英語の句を正しい配列にせよ,つまりアナグラムで読め,という暗号だと気づき,この二行の句をアナグラムすると,一行目からは Leonardo da

Vinci が,二行目からは The Mona Lisa がでてきます。それでラングドンは,これはダヴィ

ンチの描いた「モナリザ」の絵のところへ行けという意味に解し,そこへ行くと,そこに

は,SO DARK THE CON OF MAN(人の欺瞞はかくも邪悪なり)と書いてあったので,こ

れもアナグラムして Madonna of the Rocks(「岩窟の聖母」)を得,そこへ行くと絵の後に,チューリッヒ保管銀行の鍵が隠してあったので,それを持ってそこへ行き,開けてみると中からクリプテックス(cryptex)がでてきます。これはダ・ヴィンチが発明した極秘情報

保管器のことです。因みに crypto- は「隠れた,秘密の」を表す接頭辞で,crypto-Christian

(隠れキリシタン)のように使います。cryptogram は暗号文,cryptography は暗号解読法

とか暗号学といった意味です。苦心の末このクリプテックスのふたを開けてみると,中か

ら,ダヴィンチ考案の鏡文字で書かれた英文の4行詩がでてきます。鏡文字も暗号の一種

で,鏡に映すと普通に読める逆文字のことで,ダヴィンチはラテン語を逆方向(右から左)

に鏡文字で書いています。当時は教会の権威が強く,科学者,哲学者,文学者等は,その

研究や作品が教会の教えに反すると迫害を受けることが多かったので,彼は意図的に読め

ないようにして,研究の成果を隠していたのです。

ラングドンが取り出した鏡文字を活字体に書き換えたものが次の4行詩です。

An ancient word of wisdom frees this scroll(古の英知のことばがこの巻の封を解き)

and helps us keep her scatter’d family whole(離散せる一族を集める助けともなろう)

a headstone praised by templars is the key(テンプル騎士団の讃えた墓石が鍵となり)

and atbash will reveal the truth to thee(アトバシュが汝に真実を明かすだろう)

この4行詩にクリプテックスの開け方のパスワードが隠されているので,こんどはその解

読に挑むことになります。ラングドンは headstone とは墓石のことではなく,文字通り石

の頭のことだと解釈し,テンプル騎士団が讃え,祈りを捧げた豊饒の神バフォメット

(Baphomet)と結びつけます。バフォメットの頭部は,出産と繁殖の象徴である雄羊か

山羊の形をしていて,テンプル騎士団はバフォメットの頭を模した石の彫刻を囲んで祈

りを捧げたと言われています。クリプテックスは5文字でしか開かないようになっていま

すが,Baphomet は8文字。これをクリアするために,母音を表記しないヘブライ語で

Baphomet を綴ってみます。ヘブライ語のアルファベットは22文字。A,B,G,D,H,V,Z,Ch,T,Y,K,L,M,N,S,O,P,Tz,Q,R,Sh,Th。ヘブ ラ イ 語 で Baphomet を綴ると BPVMTh(6文字)となります。4行詩にあるようにこれをアトバシュ(atbash)します。アトバシュは史上最古の換字式暗号(B.C. 500頃)で,ヘブライ語の暗号に頻出し,アルファベットの最初の文字は最後の文字に,二つ目の文字は最後から二つ目の文字にと置き換えていくものです。BPVMTh をアトバシュすると,ShVPYA(6文字)となります。ヘブライ語では,Sh はアクセントの位置次第で S とも発音でき,P は F とも発音できます。V はときとして O に置き換えられます。これを適用すると SOFIA(5文字)となります。ギリシャ語で英知のこと。これが「古の英知のことば」を指しています。

これでクリプテックスを開けると次の4行詩の書かれた羊皮紙が出てきます。

In London lies a knight a Pope interred.(教皇の葬った騎士がロンドンに眠る)

His labor’s fruit a Holy wrath incurred.(彼の者の労苦の果は神の怒りを被る)

You seek the orb that ought be on his tomb.(その墓を飾るべき球体を探し求めよ)

It speaks of Rosy flesh and seeded womb.(それは薔薇の肉と種宿る胎とを表す)

この羊皮紙は,クリプテックスの中にしまわれているもう1つの小さなクリプテックスを

開けるための暗号でした。これを解読してまたパスワードを探す必要がでてきました。こ

の4行詩からパスワードを探すには時間がかかりましたが,ラングドンはコンピュータに

キーワードを入れて検索した結果,アイザック・ニュートンには勲爵士(ナイト)の称号

があり,友人だったアレクサンダー・ポープがニュートンの埋葬の司宰をしたという情報

を得,そこからポープは教皇ではなく,アレクサンダー・ポープのことであり,ナイトは

騎士のことではなく,ナイトの称号を持った者の意と解し,ニュートンの姿が見えてきま

す。それが見えてくると,神の怒りとは,新しい科学上の発見が教会の怒りを買ったこと

を指し,その墓を飾るべき球体とはリンゴ(apple(5文字)以外ないことがわかって )

きます。このパスワードでクリプテックスを開けると,次の4行詩が出てきました。ここ

に聖杯のありかが隠してあります。

The Holy Grail ’neath ancient Roslin waits.(聖杯は古のロスリンの下で待ち)

The blade and chalice guarding o’er Her gates.(その門を剣と杯が庇い護る)

Adorned in masters’ loving art, She lies.(匠の美しき芸術に囲まれて横たわり)

She rests at last beneath the starry skies.(ついに星の輝く空のもとに眠る)

長い思考の末ラングドンは,古のロスリンとはパリを通るかつての本初子午線,世界初

の経度ゼロの線のことだと閃きます。その線上にある匠の美しき芸術に囲まれているとこ

ろはルーヴル美術館であり,剣はルーヴルのガラスでできた逆さピラミッドのことであ

り,杯はその真下にある小さなピラミッドの先端のことであり,その下が巨大なピラミッ

ド型の地下室になっていることが想像でき,そこに聖杯が置かれていることに気づきます。こうして発見した聖杯を前に,「聖杯探求の目的は,マグダラのマリアの遺骨の前でひざまづくこと。貶められ,失われた聖なる女性に心からの祈りを捧げるために旅を続けたのだよ」という声が彼の心に聞こえ,彼はそこにひざまづいた。というところでこの物語は終わります。

イエス・キリストにはマグダラのマリアという妻がいて,子までなし,その子孫が現在もいて,暗号解読官ソフィーがその子孫という衝撃的な内容に暗号解読の面白さが加わって,『ダ・ヴィンチ・コード』は世界で5千万部以上売れたそうです。これを受けて,昨年10月には反『ダ・ヴィンチ・コード』論を展開するテレビ番組が放映されました。『ダ・ヴィンチ・コード』の要旨は,キリストがマグダラのマリアと結婚していたという秘密をダ・ヴィンチが彼の作品「最後の晩餐」の中にコード(暗号)として残し,キリストとマグダラのマリアとの間にできた子ども以降現在に至るまでのキリストの血筋を人知れず守っているのが秘密結社シオン修道会であり,ダ・ヴィンチはこの結社の総長だったというものです。これに対し反『ダ・ヴィンチ・コード』派の人々は,ダ・ヴィンチは彼の絵の中に暗号など残していないし,シオン修道会も存在しなかったと主張しています。「最後の晩餐」にそのような暗号など残していないとする彼らが,その根拠とするものは,ダ・ヴィンチと彼の弟子の共作によるヌードのマグダラのマリアの絵が発見されたからです。ヌードで描かれているということは,ダ・ヴィンチが彼女のことを娼婦と考えていたからだと彼らは主張しています。ダ・ヴィンチがマグダラのマリアを娼婦と考えていたのなら,彼女がキリストの妻だったとダ・ヴィンチが思っていたという考えはなくなります。また,シオン修道会というのは,プランタールという詐欺師による捏造であり,そういう修道会は存在しなかったことをフランス司法当局が調査して明らかにしたそうです。

こうして『ダ・ヴィンチ・コード』は,反『ダ・ヴィンチ・コード』派の人々によって否定されたのですが,何が真実なのかは藪の中で,これからもこの二つの仮説を巡っての議論が展開され,いつの日か歴史の真実が明らかにされることを願っています。

②『百人一首』の暗号

『百人一首』には類似の歌が多く,駄作,愚作も入っている。こうした内容を考えると,とても定家選とは考えられないが,実証していくとやはり定家選としか考えられない」というのが『百人一首』の謎でした。この謎に挑戦し,この謎を解いたのが織田正吉著『絢爛たる暗号』―百人一首の謎をとく―です。

『百人一首』が今日まで正体不明できたのは,その本質を見誤っていたためと織田氏は指摘します。『古今集』から『新古今集』にいたる和歌の特質は「遊びの文学」で,定家も選に加わった『新古今集』の序文には和歌を「もてあそびもの」と記しています。『万葉集』と比較して『古今集』や『新古今集』を低くみる傾向にあるのはこの遊びの要素が多いためだと織田氏は指摘します。『百人一首』の本質が見抜けなかったのは,遊びの要素を否定する意識が潜在的に働いたためだということが氏の研究成果からわかります。氏の解読の跡を辿るまえに,『古今集』,『新古今集』時代の和歌にみられる言語遊戯的技法を簡単にみてみましょう。当時の言語遊戯的技法には,物名(ぶつめい),折句,沓冠(くつかぶり),文字鎖,回文,懸詞,序詞等があります。

物 名:物の名を歌の意味に関係なく詠み込むこと。

折 句:文の最初の文字を拾っていくと隠された言葉が浮かび出る技巧。

沓 冠:折句の一種で技巧が複雑になったもの。

文字鎖:歌によるクロスワードで,第一字目の文字が鎖のように各歌をつなぐもの。

懸 詞:同音異義を利用して,一語に二つ以上の意味をもたせたもの。近世以降の洒落と同じだが,作歌上の技巧として用いる場合は,これを懸詞と呼ぶ。

縁 語:ある言葉と意味上の縁のある言葉。

序 詞:歌本来の意味と関わりなく,主要部分の表現を導くための装飾的語句。

定家は言語遊戯的技法が好きで,それらを多く使っています。『百人一首』の選歌にもこの言語遊戯的技法趣味が濃厚に出ています。『百人一首』は,言語遊戯的技法や歌の配列によって有機的につながりあうように構成されているのに,今までの研究の多くは一首一首を単独で鑑賞し,研究してきたので,全体の構造がわからず,全体像が見えずにきてしまったというのが実態でした。しかし,『百人一首』を,言語遊戯的技法や歌の配列によってそのつながりを見ると,定家が『百人一首』に隠した「思い」が見えてきます。

織田氏は,『百人一首』には流罪を受けた人物とその関係者の歌が非常に多いことに着目します。小野篁,菅原道真,崇徳院,後鳥羽院,順徳院,大伴家持,在原行平,在原業平,藤原元輔,藤原実方等。織田氏は柿本人麻呂の名はあげておられませんが,梅原猛氏の『水底の歌』では,柿本人麻呂流罪刑死説が検証されていますので,人麻呂もこの中に入ると思います。こうした人々の中で,定家と特に関わりの深い人物は後鳥羽院です。

後鳥羽院は,後白河法皇の孫で,4歳で天皇に即位し,19歳で退位し,上皇となります。

その間,実権を握っていたのは源通親でした。政争の道具としてなすがままにされてきた上皇は,退位後,ありあまる才能と精力をひたすら遊興に注ぎます。蹴鞠,流鏑馬,競馬,

犬追物,笠懸,相撲,水泳,鷹狩,闘鶏,囲碁,双六,管弦,今様,旅行(熊野御行30回),女色,刀剣,御所・離宮の新築,改築,そして和歌。20歳を越えた後鳥羽院は和歌に熱中し,この時定家と出会います。和歌を通じ,定家は院の信任を得て側近に加えられ,「千五百番歌合」,『新古今集』の選歌と,文学史上に残る和歌の大業績が,後鳥羽院を中心に次々と生み出され,定家もそれに加わりますが,『新古今集』選歌の時期を境に,一転して二人の関係は決裂し,院に逆らった定家の閉居,その後におこった承久の乱による後鳥羽院の隠岐遷幸と,二人の運命はめまぐるしく転変します。

しかし,一時は歌人としての生命を絶たれたかにみえた定家に,承久の乱はこれまでの不遇を一挙に変える幸運な結果を齎します。

主家にあたる九条家,姻族である西園寺家が政界の中央に返り咲き,定家は71歳で権中納

言という高い地位にまで昇進します。承久の乱の18年後,後鳥羽院は激しく定家を憎悪し

たまま世を去り,定家は院について一切口を閉ざしたまま,その2年後,80歳の生涯を閉

じました。

しかしこれは表面上のことであり,心中では後鳥羽院を思い続ける自分の心を伝え,院の呪いを込めた歌の恐ろしさに耐え,自らの心を慰める方法はないかと考え,編み出したのが『百人一首』の中にその思いを隠すという方法だったのだと織田氏は『百人一首』を読み解いています。

そういう視点で『百人一首』をみていくと,凡河内躬恒の歌に隠されたものが見えてきま

す。

凡河内躬恒の歌:心あてに折らばやをらむ初霜のおきまどわせる白菊の花

歌 意:もし手折るのなら,当て推量に折ってみようか。初霜が一面に降りて,霜なのか,白菊なのかの区別もわからなくしている白菊の花であるよ。

白菊は後鳥羽院の大好きな花であり,これが皇室の紋章の起源でもあるのですが,定家は躬恒のこの歌によって後鳥羽院に白菊を捧げています。またこの歌にはそれだけでなく,言語遊戯的技法の「物名」によって,「おき」に「隠岐」がかくされています。隠岐に流された,白菊が好きだった後鳥羽院を暗示させるために躬恒の歌が入っていることがわかります。

次に,「竜田川」の歌がとられたのは風鎮めの祈りを込めるためだということがわかってきます。竜田に祀られているのは風を司る神で,『百人一首』に採られている二首の「竜田川」の歌には,隠岐から京に向かって吹く「あなしの風」を鎮めるよう,竜田の風神へ

の祈りが込められていることがわかります。

定家の住む山荘から見れば,隠岐は乾(北西)の方角になります。北西から吹く風は「あな

し」あるいは「たまかぜ」と呼ばれ,人々に恐れられてきました。小倉山荘に向かって吹

きつけるあなしの風を定家は後鳥羽院の呪詛のこもった風と感じ,恐れ,その風の鎮まる

ことを願って風の歌を『百人一首』へ入れたわけです。

そして,巻頭の天智天皇には後鳥羽院が重ねられています。

天智天皇の歌:秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ歌 意:秋の田の,稲の刈り穂を納めて見守る仮小屋の,草葺の編目が粗いので,私の着物の袖は,夜露にしきりに濡れ続けることであるよ。

天智天皇は朝廷と対立する政治勢力蘇我氏をクーデターで倒した勝利者であり,後鳥羽院

は朝廷と対立する政治勢力北条氏を討伐しようとして失敗した敗北者です。天智天皇と大

化の改新,後鳥羽院と承久の乱は,『百人一首』の中で裏表の一対になっていて,『百人

一首』の選歌の意図を暗示しています。この歌の内容は,流罪の地隠岐の粗末な院の住居

を連想させ,この歌を巻頭に置くことによって,反朝廷勢力の討伐という,後鳥羽院の実

現できなかった願望を隠していることになります。

『百人一首』の様々な主題を分析し,結び合わせて,『百人一首』には後鳥羽院が隠さ

れていることがわかりましたが,この他に後鳥羽院と結びつかない主題が5つあります。

その5つとは,「命」,「さしも草」,「ひとり寝」,「夢」,「梅」です。「命」を歌った3人の歌をみてみましょう。

三条院の歌:心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな

歌 意:不本意にも,つらいこの世に生きながらえていたなら,そのときにはきっと恋しく思うにちがいないこの美しい夜中の月であることよ。

藤原清輔朝臣の歌:ながらへばまたこのごらや しのばれむ憂しと見し 世ぞ今は恋しき

歌 意:生きながらえていたなら,つらいことの多いこのごろが,またやはりなつかしく思い出されることであろうか。かつて辛いと思った時期が今では恋しく思われることだから。

式子内親王の歌:玉のをよたえなばたえねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

歌 意:わたしのいのちよ,なくなってしま う も の な ら,いっそなくなってしまって

おくれ,このまま生きながらえていくなら,ますます恋心が強くなって,心に秘めている力が弱ってしまうかもしれない,それでは人目について困るから。

この三首では,誰かが先に没したのにひきかえ,まだこの世に命をながらえている人の詠嘆が歌われています。この詠嘆は定家自身の詠嘆ではないかという着想を織田氏は持ちます。そして,後鳥羽院と結びつかない5つの主題を有機的につないで考えています。燃える思い(さしも草)で恋い慕っていた女性に先立たれ,ひとり寝を嘆き,命ながらえることの辛さに苛まれている定家。こうして織田氏は,『百人一首』には,もう一人人物が隠されていることに気づきます。そのもう一人とは式子内親王。二人の間には恋愛関係があったとする「定家葛」の伝承があります。世阿弥あるいは禅竹の作といわれる謡曲「定家」は,式子内親王を恋慕う定家の心が,妄執の葛となって内親王の墓所の石塔にまつわりつくという「定

家葛」の伝説に題材を得たものです。

式子内親王は少女時代の約10年間を賀茂神社の斎院として神に仕え,後半生はある事件に関わって出家し,50年に満たない生涯を独身で過ごした薄倖の女流歌人で,父は後白河法皇,母は高倉三位成子。定家の父俊成が内親王の歌の指導者だったことから定家は内親王を知るようになります。定家が20歳,内親王28,9歳のころです。二人の交際はどのようなものであったにせよ,20年にわたって続きます。式子内親王には後鳥羽上皇の第二皇子守成親王を養子として迎える計画が確定していました。守成親王はのちの順徳天皇であり,この縁組が実現していれば,式子内親王は国母として一躍陽のあたる場所に晩年の花を咲かせるはずでしたが,病状が悪化し,養子に迎える計画はなくなってしまいます。『百人一首』の最後の歌が順徳天皇の歌であることにも意味があります。

順徳天皇の歌:ももしきやふるき軒ばのしのぶにもなほあまりある昔なりけり

歌 意:宮中の,その古びた軒端のしのぶ草を見るにつけても,昔をなつかしむにつけて,なおやはりしのびきれない栄えていた昔の御代であることよ。

定家は『百人一首』の中に最も深く記憶に留まる後鳥羽院と式子内親王を隠し,巻頭第一首と末尾の第百首にそれぞれの人物が果たそうとして果たせなかった「夢」を一対として配しました。そして定家は,『百人一首』に入れた自分の歌にこの二人への思いを託しま

した。

定家の歌:こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ

歌 意:約束しておきながらやってこない人を心待ちする夕暮れ時のわたしは,あの松帆の浦の夕なぎのころに焼いている藻塩のように,身もこがれるほどに恋い慕い続けているよ。

『百人一首』にでてくる「ひと」ということばは,定家がこの中に隠した後鳥羽院と式子内親王のことであり,定家の歌の「こぬ人」も隠岐に流された後鳥羽院であり,定家に先立って亡くなった式子内親王のことだとわかってきます。織田氏の読解によって,『百人一首』は,藤原定家による,後鳥羽院への鎮魂と,式子内親王への思慕の情が隠されていた絢爛たる暗号だったということがわかったのです。この著書を通して,暗号を読み解くには,幅広い知識と柔軟な心が必要なのだと思いました。

3.人に深く考えさせるための暗号

「秘密を隠すための暗号」のところでは,『ダ・ヴィンチ・コード』と『百人一首』の暗号

を見てきましたが,これらは主に謎解きの面白さといった趣が強いものですが,世界には,「人に深く考えさせるための暗号」とでも呼べるようなものが多くあると思います。例え

ば,異常気象や動植物の絶滅は地球温暖化や人間のエゴが齎した結果を示す暗号とも呼べ

るのではないでしょうか。ここでは,「人に深く考えさせるための暗号」の幾つかを取り

上げて考えてみたいと思います。

①グリム童話の「蛙の王様」の蛙は何の暗号かこの童話を読んだだけではわかりませんが,当時の時代背景や,童話にでてくる動物は,人間のある状態を暗示していることを念頭において考えると見えてきます。当時の身分制は貴族階級と庶民階級の違いが厳しく,庶民階級のものが貴族階級のものと結ばれることはありませんでした。姫が落とした金の鞠を持って来てくれた蛙は庶民階級の男性を表す暗号として使われていると考えると,この童話の意味が見えてきます。持って来てくれたら友達になるという約束を姫は破ろうとします。しかし蛙は執拗に約束の履行を迫り,ついには強引に姫をわがものにしようとします。姫は抵抗して,張り手の一つも加えたことでしょう。この部分が蛙を壁に投げつけるシーンとなるわけで,床に落ちたとたん,やさしい王子様に変わるのは,それまで身分の違いから,頭から蛙を否定し,抵抗していたけれど,男女関係の機微というか,反発しながらも時が経つうちに蛙の真のよさを知って,彼女にとって蛙が王子的存在に変化したということを表現したものと解釈することができます。童話にはこうした,偏見をなくすには相手のことをよく知ることだという偏見克服法も入っていることがわかります。

②竜安寺の暗号

1994年(平成6年)に世界遺産になった京都竜安寺は,臨済宗妙心寺派のお寺で,1450年に細川勝元が建立しました。勝元が相阿弥に作らせた枯山水式石庭は,俗に「虎の子渡し」と呼ばれる,一面に白砂を敷き,大小15個の石以外一木一草もない,簡素で象徴的な石庭で,秀吉もその風趣を愛し,何度も歌会を開いています。竜安寺は,いろいろな象徴を暗号として用い,それらによって禅の心を伝えようとしています。

石庭の石は15個ですが,どこから見ても左右の石のかげに置かれた石が見えないように

作られていて,14個しか見えないようにできています。東洋では15は完全を意味してい

て,15夜(満月)のように使われます。だから14は満月にちょっと足りないことを意味していて,我々はどんなにがんばっても完全ではないことを自覚するように促しています。

もう1つの象徴(暗号)は蹲(つくばい)です。蹲とは手を洗う手水鉢のことで,この蹲

には,ある言葉がちょっとした仕掛けで施されていて,その仕掛けがわかると,「吾唯足

らざることを知る」と読めるようになっています。この石庭と蹲を読み解くと,私達は,

石庭で自分達が完全ではないことを自覚し,それでも蹲に記してあるように,常に満足す

る心を忘れてはいけないという,禅に通じる心構えを知ることになります。

これら2つだけでも,竜安寺はよくできていると思えるのに,最近新たな発見がありました。それは,京都工芸繊維大学の先生が2002年に科学論文雑誌『ネイチャー』に発表したもので,方丈のある点から見ると,石が15個全て見えるという発見でした。方丈は住職や長老の部屋であり,彼らは悟りに近づいた人達です。つまりこの発見は,石庭の石は悟りに近づいたものには完全な姿で見えるということまで考えて作られていたことがわかったということです。竜安寺石庭はまさに考えさせる庭,問いかけの庭といえます。禅の美とは,自分が無にならないと見えてこないといいます。無の心境に近づくと,庭が語り始め,先ほどみた禅の教えが見えてくるというわけです。

③黄金比という暗号

『ダ・ヴィンチ・コード』では,グランドンが暗号を解いていく過程で,彼が授業でやった「美術における象徴」を思い出す場面があります。その中で彼は学生達に黄金比の話をします。黄金比とは1.618のことで,宇宙で最も美しい数値といわれています。これは,隣り合うふたつの項の和が次の項の値に等しいというフィボナッチ数列から導き出されます。隣り合うふたつの項の比が1.618なのです。これは自然界の事物の基本的構成に深く関わっている数値で,様々なものの比率が1.618対1になることをいいます。これは偶然の域を越えているように思われ,古代人は創造主によって定められたと考え,古の科学者は神聖比率といって崇めました。

黄金比の例を幾つかあげてみましょう。1つの巣のミツバチのメスの数をオスの数で割と1.618になります。オウム貝の螺旋形の直径はそれより90度内側の直径の1.618倍。ヒマワリの頭花の渦巻きを90度内側と比較すると直径の比率は1.618。この他に,松かさの鱗片,植物の茎に葉がつく配列,昆虫の体の分節の比率も1.618等です。ダ・ヴィンチは人体を形作る様々な部分の関係が常に黄金比を示すことを実証した最初の人です。身長をへそから下の長さで割ると1.618。肩から指先までの長さを肘から指先までの長さで割ると1.618。腰から下の長さを膝から下の長さで割ると1.618。これらは,混沌とした世界の底に秩序が隠れていることを示しています。太古の人々は,黄金比を見出した時,神の創りたもうた世界の基本原理に出くわしたと確信し,それゆえに自然を崇拝しました。自然の中の暗号を読み解いたということですね。芸術とは,神の生み出した美を人間が模倣する試み,と定義できるのではないでしょうか。パルテノン神殿,ピラミッド,国連ビル,絵画作品,音楽作品,等々,全ての美の基準が黄金比になっています。

④暗号としての語源

語源も人に深く考えさせる暗号の1つといえます。英語で人間は man ですが,man の語源は印欧語根の men(考える)であり,人間の特徴を「考える」ところにおいていることがわかります。この語源の意味を知ると,私達はこの語源が示すように,考えて行動しているだろうかと反省させられます。

動物を示す大和言葉は「いきもの」ですが,これは「いきするもの」のことであり,「呼吸(いき)する」ことが「生きる」ことだということです。この呼吸のことを古い日本語では「い」といっていて,「いのち」とは「いのうち」つまり「呼吸する間」という意味です。このような観念は西洋でも同じで,英語で動物を意味するのは animal ですが,これはラテン語の呼吸を意味する anima から派生した言葉で,文字通り「息するもの」だから「生き物」という意味になっています。この語源の意味を知ると,人間も動物も同じ息をして生きている「いきもの」なのであり,「いきするあいだ」の「いのち」を精一杯生きている同じ生き物だと気づかせてくれます。そして,同じいきものとして共に生きているかを反省させてくれます。

⑤象徴

桜は潔さの象徴といったりする場合を例にとると,桜といったときに桜から喚起される

もののことを象徴といいます。桜の花はパッと咲いてパッと散ります。そこに人々は潔さ

を見るわけです。世の中には潔くない人が沢山います。そういうことを思うにつけ,でき

たらあの桜のように潔くありたいものだと人々は願います。象徴というのはこのように,

人の心を動かす力を持っています。象徴も人に深く考えさせる暗号の1つといえます。象徴の意味を読み解いたとき,それはその人を変える力になります。

「蟷螂の斧」という言葉があります。辞書を引くと,「けなげだがはかない抵抗」と書いてありますが,この言葉の起こりとなった中国の故事を見ると,斉の荘公にカマキリが身を構えて戦おうとする姿を見て,荘公は勇者としてカマキリを尊び,カマキリを避けて通ったことによります。従ってここでのカマキリは勇気の象徴となっています。私達も日々生活をしていて,臆病さから何かに立ち向かう勇気が持てないことがしばしばですが,カマキリのこの話を知ると,自分もカマキリのような勇気を持ちたいものだという思いになるのではないでしょうか。

私達も,いろいろなものを何かの象徴(暗号)として見る習慣を身につけ,象徴という暗号を深く理解すると,自分だけでなく,まわりの人々の生活をもよりよき方へ導き,改善し,美しくすることができるのではないでしょうか。例えば,お墓を命のつながりの象徴と見てみましょう。ここに眠っているご先祖様がいなかったら,今の私はないわけで,そう思うと先祖に感謝し,お墓参りに行くようにもなるでしょうし,両親にも感謝して肩たたきでもやるようになるでしょう。そういえばラジオ謎かけ問答で,肩たたきとかけて,豚二匹と解く。その心は,トントン。というのをやっていました。子供達にトントンしてもらいたいものです。話がそれてしまいましたが,子供達が肩たたきするようになれば,自分が変わったことになり,その変身が親や周りのものに感動を与え,それに刺激されて親や周りも変わっていくというプラスの連鎖を引き起こしたりするケースも考えられます。

象徴という暗号は日常生活に身近にあります。おせち料理はその代表です。おせち料理というのは,縁起をかついだ食材を使って一年の無事や長寿を祈るものです。こうした縁起物からまず考えていくのもいいでしょうね。この他にも,身の回りの動植物やその他のあらゆるものが何かの象徴(暗号)になっています。

4.終わりに

この論文では,『ダ・ヴィンチ・コード』と『百人一首』で「秘密を隠すための暗号」に

ついてまとめ,「蛙の王様」,「竜安寺」,「黄金比」,「語源」,「象徴」によって「ひとに深く考えさせるための暗号」について考えてみました。

しかしこれらは,そんなにはっきりと分類できるものではなく,両者の性格が混ざり合っているのが実状だと思います。どちらの面が強いにしろ,私はこの暗号の勉強を通して,世界は暗号で成り立っているという思いを強く持ちました。私達が,謎解き中心の「秘密を隠すための暗号」についての興味だけでなく,「人に深く考えさせるための暗号」を解こうとする精神あるいは習慣を強く持てば,自分も変わり,世界も変わるのではないかと思いました。

参考文献

1 ダン・ブラウン著・越前敏弥訳『ダ・ヴィンチ・コード』上,中,下,角川文

庫,2006.

2 織田正吉著『絢爛たる暗号』―百人一首の謎をとく―,集英社,1978.

3 長田順行著『推理小説と暗号』,ダイヤモンド社,1979.

4 高川敏雄著『暗号学入門』,PHP 研 究社,2003.

5 歴史の謎研究会編『世界昔ばなし[謎]と[暗号]』,青春出版社,1995.

岐阜女子大学紀要 第36号 (2007.3.)― ― 24

6 三木幸信・中川浩文著『評解 小倉百人一首』,京都書房,1979.

7 梅原猛著『水底の歌』,集英社,1981.

8 映画『ダ・ヴィンチ・コード』パンフレット,2006.

9 テレビ番組『世界ミステリー紀行 真・聖杯伝説 キリストの暗号』,2006.

10 アト・ド・フリース著『イメージ・シンボル事典』,大修館,1984.

11 James Kirkup, The Mystery and Magic ofSymbols, Seibido,1987.

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