https://www.jstage.jst.go.jp/article/jans/33/2/33_2_93/_pdf 【『再生』とはなにか】より
What Is “Regeneration”? 上田紀行(東京工業大学リベラルアーツセンター)
1.はじめに
1988 年頃,「これから癒しが重要だ」と大きな声で言ったのは私と私の仲間でした.「スリランカの悪魔祓い」のフィールドワークをやり,これこそ癒しじゃないか,村ぐるみでみんなで儀式をやって癒していくことが癒しではないかと言ったときに,精神科医荻野恒一氏に「癒しというのは著者の造語だろうか.こんな言葉を聞いたことはない.しかし,中々ふっくらとした語感のいい言葉だ」との書評をいただきました.
当時,私たちは,これからは癒しの時代にしなければいけない.こんなに豊かではあるけれども,満たされていないのはおかしいと,「癒し」を提唱していきます.
「生きる意味」(岩波新書)では,日本社会は生きる意味の不況だと書きました.世は構造改革を礼賛する時代でした.額に汗せず株でもうけて六本木ヒルズの一番上に住む人間を成功した人間ならば,弱者の側に立って給料はよくなくても寄り添っていこうという若
者が育つだろうかと批判しました.
また,日本仏教の再活性化の運動にも関わっています.仏教のお寺は全国に 76,000 もあり,コンビニの数の 2 倍です.しかし,お寺が葬式をするだけの施設になってしまっている.葬式も意味が感じられない.そこで,もっといいお坊さんやお寺を育てていきましょうと「ボーズ・ビー・アンビシャス!」運動をやってきました.
2.311 の東日本大震災の前後で2011 年 3 月 11 日の地震,そして原発の事故.私は,その頃看護師にたくさん会っていました.2010 年 4月に双子を授かり,上の娘は当時 5 歳で 311 を迎えました.双子の一人は低体重で生まれ,重い病気も抱えました.出産日にすぐ手術,その後 2 回手術を受けました.幸い少しずつよくなり,やっと 2011 年 2 月に家に帰ってきました.もう一回手術しなければならないという時期に地震は起こりました.地震前の一年
間,私は NICU に通い,看護師の方々にエンパワーメントされ,その明るさと前向きな態度に励まされ感銘を受けていました.
2010 年 4 月には,私の母が膵臓がんのステージ 4bと診断され半年の余命といわれました.地震の日は,余命半年のところを頑張って 11ヵ月生きたところでした.在宅看護にうつりましたが半年後には食べられなくなり,12 月に経静脈栄養に切り替えました.それで一時元気になり,私は母親と一緒に毎週ドライブして病院に行くのを続けていました.
そういう状況下の 311 で,テレビの報道に何か隠されていると思い友達に聞くと,ものすごい放射能が出ているという.3 月 15 日には初めての北東の風という天気予報で,長女を 10 時に迎えに行き家の中で籠城する.卒園式まではと待って,次の日には女房の実家の愛媛に娘 3 人と妻を送り,私は東京で末期がんの母親と二人で生活したのです.
3.私の憤り
命に対して感覚が鋭敏になっているときの震災で,私にとって 311 は絶対に忘れることができないものになりました.だんだん腹が立ってきてしょうがない.津波で苦しんでいる人がいること,私たち世代が日本国土に放射能をばらまいたことに対して憤りを感じたのです.私や年長の世代が,愛する日本の国土に放射能をばらまき,福島のある地域は長い年数住めない地にしてしまった.避難生活で自殺してしまった人もいるという.本当にやりきれない思いになりました.
しかし,次に頭にきたのは「きずな」です.きずなきずなとメディアは繰り返し言っていました.この状況できずなはないでしょうと腹立たしく思いました.
原発事故をもたらしたのもきずなです,ただきずなと言っているのでは,第 2 次世界大戦後の 1 億総懺悔(ざんげ)と同じです.
母親の看病をしながら 3ヵ月間,「慈悲の怒り—震災後を生きる心のマネジメント—」(朝日新聞出版)を書き,6 月に出版しました.きずななんていって気持ちよくなっていたら,状況は絶対に改善しないと.それが今日の再生という話に結び付いてまいります.
4.通過儀礼と死の後の再生
「再生」は気持ちのいい言葉ですが,一度死ぬから再生があるのであり,同じことをそのままやっても,それは生の延長です.われわれが今求めるのは再生であり,古い部分のどこが間違っていたのか.逆にいえば,どの部分を死なせなければいけないのかを考えなくてはと思います.
文化人類学に,人間がどう成長していくかという人間の人生史を考える部分があります.その中の重要な概念に通過儀礼があります.例えば七五三は通過儀礼の一つです.成人式,結婚式,お葬式もそうです.人間は節目,節目に,通過儀式をへて大きくなっていく.例えば成人式.子供と大人の間には線が引かれていて,やるべきことは全く違う.子どもは何かをやっても親のせいにできますが,親に従わなければいけない.しかし,大人は自分の決断で行動し,親のせいにはできない.しかし,親離れ子離れは難しい.ですから,世界には成人式で一度子どもが死んだという儀式をやる文化も多い.例えばアマゾンの部族では,怖い
おじさんたちに子どもが引っ張られ,お母さんは泣き叫ぶ.「そうだ.おまえの息子は死ぬのだ」.一度子どもを死なせ殺して,山奥などに閉じ込めていろんなことを教えたくましい青年にして,成人式のあとに復活する.再生の儀式では,ものすごい飾り付けをし晴れ着をきて社会に出てくる.そして,大人となって生まれ変わるのです.
結婚式でも,結婚前は二人の関係は一線をこえてはいけないが,結婚した途端に子作りをやらなきゃ駄目となる.その日を境に一つの家族になるにはやはり式が必要なわけです.結婚式やハネムーンをやり聖なる領域で二人きりになって家に帰る.前の状態を一度リセットし,そこから生まれてくるのが人類の知恵なのです.こう考えると,再生と言うときに,今のままの継続ではどこがまずく,どこをリセットするのか,生かしていくのかを話さなければいけないのです.
5.第 3 の敗戦と人の使い捨ての社会
「『肩の荷』をおろして生きる」(PHP 新書,2010)で,私は日本は第 3 の敗戦にひんしていると主張しました.第 1 の敗戦は第 2 次世界大戦の軍事的敗戦.日本人は敗戦にもめげず強く頑張って,1990 年には世界一と言われるほどに成功したのです.90 年代初頭にバブルの崩壊で経済的敗戦を迎え第 2 の敗戦です.
そのあとのかじ取りがまずく日本はますます経済化し,金さえもうかればいいという 2005~ 6 年に第 3 の敗戦を迎えます.
小泉首相のチルドレンへの言葉「お前たち議員は使い捨てだから,せいぜい頑張れ」にものすごく頭にきました.小泉さんは「世間では使い捨てという言葉がはやっているが」と言いましたが,一体誰がはやらせたのか.政府がセーフティネットを用意せず,苦しんでいる人の自己責任といって弱者を切り捨てる.さらにショックだったのは,その直後の世論調査での,まさに使い捨てされているワーキングプアの人たちの間での小泉さんの支持率が上昇したことです.小泉さんは「すべての人間が使い捨てだ.大臣も使い捨て,社長も使い捨て」と言ってくれたと,共感に満ちた人と人気が上がったのです.
東工大で 200 人の学生が受けている一般教養の授業で「人間は使い捨てだと思う人?」と尋ねると,半分の学生が手を挙げたことにも衝撃を受けました.自分が使い捨てだと思う人間は,自分を大切にできません.人の幸せを喜ぶよりも,おまえも落ちてきたな.早くおまえも落ちてくれという.そのような子どもが育ってきたらどうなるだろう.社会の信頼とか安心はどこに行ってしまったと痛感しました.そして,20年後の退官するころには,誰も手を挙げないような国にしたいと決意したのです.
6.人は人の中で生かされていく
ダライ・ラマは「私たちは社会的動物ですから,どんなに貧しかろうが,どんなになろうが,人と人との関係さえよければ幸せになれるのです」「人間は思い『再生』とはなにか
やりによって生かされている.これは宗教的なことではない」と言われます(『ダライ・ラマとの対話』講談社文庫).「誰だって,最初に出会う感情は親の思いやりです.どんな罪人であろうが極悪人であろうが,最初に出会った感情は思いやりです.だから,思いや
りがこの社会を支えているのであり,法律とか経済が支えているわけではない」と言われるのです.
そういうことが語られないまま,自己責任だとか切り捨てだとか 15 年くらい言い続けられ,20 歳の学生は,人は使い捨てと答える人が半数になってしまったのです.それは,まさに私たち年長世代の責任です.
7.社会への信頼と自分の責任
私は,東工大生にこの 10 年ぐらい,日本の企業の中での内部告発の様子のビデオを見せたあとで,次のような質問をしています.
東南アジアの工場に若手社員として赴任したら,毒液を川に流し川下のほうで多くの人が病気になり大変なことになっています.あなたは,これを発見し工場長に掛け合います.「大変です.今すぐ毒液を止めなきゃ.ろ過装置を付けなきゃ駄目です」と,工場長は「それはおれたちの責任じゃない.東京の本社の人間も知っていることだ.彼らからの指示なしにおれたちだけやれば処分されちゃうよ.何のために東南アジアまできてコストダウンしているんだ.だから人から言われるまでは余計なことはしなくていいんだ.ははは…」と言って全然通用しない.あなたはどうするか.
①.名前を出して「私はこういう事実を知りました」と言って報道社とかに駆け込む.
②.名前を出さないでどこかインターネットに書き込む.
③.何もしない.
半分が使い捨てだと手を挙げた 2006 年の 200 人の学生は,①が 5 人,②が 15 人,③が 180 人でした.
東工大は日本のリーダーになる人たちを養成する優秀な大学です.大多数が何にもしないところに手を挙げてしまう.人間が使い捨てだと思っているから,使い捨てられてはいけないと考える.そんなこと言ったら解雇され,後は自己責任で誰も救ってくれない.社会に対して信頼や安心がない状況では,集団の中で間違ったことであってもそうとは言えないのです.
8.現実を直視すること
日本の原発にはベントフィルターが付いていません.ところがヨーロッパの原発には全部ベントの出口に付いています.チェルノブイリの原発事故のときに,「原発は安全ではない」とわかり,フランスは 3 年間ですべての原発にフィルターを付けました.実は日本の保安院の人たちも電力会社の人たちも検討したけれども,付けなかったのです.ある原発メーカーの元技術者は,「日本の原発は 100 パーセント安全と言っているので,ベントフィルターを付けたら爆発寸前になりベントをしなきゃいけないことがあるのを認めることになるので付けられなかった」と言っていました.
人間の健康は病気にならないと考えるようなものです.人間は誰でも病と健康の間を生き,病気のときにメッセージを受け取り,より健康な状況に持っていく.つまり,その揺らぎの中で健康になっていく.人間には慈悲があって善意があって美しいけど,当然憎しみもあれば,ねたみもある.だから,いじめは必ず起こるけれど,小さいいじめで発見して対処する.いじめられている子だけが阻害されているのではなくて,いじめている子も問題を抱えているのです.だから,教師も入っていって解決していく.いじめがあることを認めて解決することは,いじめられている子をだけではなくて,いじめている子をも解放するわけです.
貧しい人間関係の質を,その場全体の中で向上させていくという大きな意義がある.ところが,いじめは一切ないと否定すれば,向上の機会を逃してしまう.
表面を取り繕っていれば何とかなるという考え方は,われわれが本当の意味での安心や人間に対する信頼を欠いているから起きる.人間や社会にどんなことが起こっても,必ずそこからよみがえるという意識を欠いているから起きるのです.
9.スリランカの悪魔祓い
川島みどり先生の「看護の力」(岩波新書)を読みますと,看護は自然に治る力を引き出すためにはたらくわけです.しかし,自然に治る力がなかなか引き出せない.「癒し」という言葉を広めるきっかけになった「スリランカの悪魔祓い」(講談社文庫)を紹介しましょう.
スリランカの田舎では,今でも悪魔祓いで病気を治していますが,西洋医療も発達しています.みんな心身の不調になれば,まず病院に行きます.でも治らないことがある.例えばお父さんがストレスで仕事に行けなくなったとか,子どもが不登校になったとか.そういうときに悪魔祓い師のところに行くのです.
悪魔祓いは,楽しい歌あり踊りありの儀式で,呪術(じゅじゅつ)師は歌って踊れる先生です.太鼓に合わせて踊りながら悪魔はこうだ,仏さんはこうだと言って,歌ったり,舞い踊ったりします.深夜の 12時になると太鼓をドンドンドンドンたたき,患者さんも「ハアー」って踊り出す.「おまえは誰だ」,「何とか悪魔だ」,「いつ来たんだ」,「何月何日に来た」,「おまえ,仏さんを信じるか?」,「信じる」,「じゃあ仏さんの言うこと聞いて,おまえは去るか」,「去る」,「何時に去るか」,「4 時に去る」,「4 時は早いから 6 時に
しろ」とか交渉になるのです.このあとお祓いみたいなことをやり,朝の 6 時ぐらいまでは仮面をかぶった悪魔とか出てきてお笑い演芸会になります.もう下ネタ,替え歌,ダジャレ全部ありみたいな.そうすると,小学生からおじいちゃん,おばあちゃんまで村人が200 人ぐらい参加しているのですが,「うわー」って笑い合って,笑い合って,日が昇ってくると患者も笑っちゃって,みんなの笑いの中でボーッとして,日が上がってきて,そして「はい,治りました」となる.
それで相当治るのです.なぜ治るのかの質問に,悪魔祓い師は,「どんな患者さんの病も心がわくわくしないと治らないよ」と答えた.日本の病院で,わくわくするだろうか.「どうやったら悪魔が来るの?」「孤独な人に悪魔がつくのです.孤独な人に悪魔のまなざしが来るのです」と.
私の講演はわかりやすいと結構人気あるのですが,単に,わかりやすくやればいいというものではない.
成功といっても,8 : 2 とか 7 : 3,6 : 4 でも,もっと低くてもいいのです.100 人にいたら 100 人の人に愛されようとか,友達 100 人できるなんて,われわれは逆にそういう脅迫観念にさらされているのです.
10. 慈悲の怒りとケアをみせることの意味;再生の出発
川島先生の本には,看護は闘いながら歩んできたことが書かれています.ケアをする場,本当に素晴らしい治癒力を引き出す場をつくるためには闘わなければいけない.世の中には不正義や差別がある.それに憤りの気持ちがわき上がる.それをダライ・ラマは「慈悲の怒り」と言われます.「慈悲の心を持てばこそ,大きな問題に対しては怒るべきです.慈悲から生ずる怒りによって,私たちは社会を前進させていく」と言われました.
見藤隆子先生も本当にあったかい方でしたが,憤りの力を持っておられたと思います.人間の質を低下させていくものに対して,慈悲の怒りを持つべきではないか.世の中に支えという場があるということを見せていく,人間の質を上げていくべきではないかということです.
看護の方にお願いしたいのは,どのように人間的な看護が行われているのか,もっと社会にアピールしていただきたいことです.救う力とか回復していく力が,病院の中に押し込まれていることが問題だと思います.
社会には救う人がいて救われる人がいる.その行為を見ながら育つことは,救われている人だけでなく,それを見ながら育つ人々をも救うのです.
ケアすることはケアする人をも救います.ケアという関係の中で,ケアする人,ケアされる人,それを見ている人みんなが救われているのです.
11.在宅の死の看取りから学んだもの
私の母を在宅で看護できたことは,ほんとうにありがたかったと思います.元気な頃,娘は身体的な激しい遊びを母としていました.だんだん衰え,私の母の体が徐々に動かなくなると,新聞の絵の間違い探しとかを二人でやり,心を通わせていました.それもつらくなると「おばあちゃんが,つらいからもう寝たいと言うから」と言って部屋に帰ってきました.ホスピスで最期を迎え,看護師が「お化粧するからちょっと出てて」と言っても,娘は「私もお化粧したい」と出ていこうとしない.処置が終わるとすぐに入って,母親にファンデーションを一心に塗っていました.母親がいかに強い人間でがんの痛みにどれだけ耐えてきたの
かも見ました.確かに死だけれども,最後に死ぬことの自己表現を,私に対して,娘に対してメッセージを伝えることができたことに感動しました.
翌日霊安室に降りると,81 歳の私の母の隣の部屋が○○君でした.1 歳 2ヵ月で亡くなった○○君,看護師たちの思いはどういうことか.それでも,前進していくという力はどこから来るのだろう.そのエネルギーのあり方に感銘を受けました.人は悲しみに直面します.しかし,いのちの喪失を深く悲しむこと悼むことから,そのかけがえのなさに気づかされるのです.
死の体験から,再び生きる力,再生への大きな決意を新たにするのではないでしょうか.
12.希望をもって未来に向かって種をまく
最後にダライ・ラマが語った希望の話をします.
『再生』とはなにか
ダライ・ラマの講演はみんなが元気になるユーモアあふれる話でしたが,最後に学生が質問したのです.
「あなたはなんでこんなに明るくてユーモアがあって,私たちを元気にしてくれるのですか.50 年前に中国に攻められて,あなたの祖国チベットは植民地となり,あなたは追放され,帰国もできない.なおかつ,50年間で 120 万人もの死者を人権問題で出している.
なのに,なんであなたはそんな明るくて笑っていられるのでしょう」.
ダライ・ラマは,こう答えました.「講演で,仏教の中心にはご縁,縁起という考え方があることを言いました.すべてのものはつながりあい,因果関係がある.50 年前チベットの政治家は,自国しか見ず鎖国みたいなことをし,僧侶もチベット人だけに教えを説いていた.ほかの世界の誰がどんな状態にあろうとかまわないという考え方でした.だからチベットが攻められ助けを求めても,誰も助けてくれなかった.しかし,私たちは追放されて世界の人たちの苦しみを見て,チベットの仏教の教えは 20 世紀のすべての世界の人たちに光となりうると確信し語り出したのです.そうしたら,皆さんの心に届いてノーベル平和賞をいただ
くことができました.悪い種をまけば悪いことは当然起こります.しかし,仏教の教えは良き種をまけば必ずや良いことが起きるという確信です.もちろん,良き種をまいても,私の眼の黒いうちにチベットが解放されるかどうかわかりません.しかしながら,苦しみの中でこれだけの方が集まりきてくれた.そして,こんな素晴らしい質問をしてくださった.私は,君自身がこの場で良き種をまいたし,私たちは良き種をまき合ったと確信しています.だから良き種のことを考えると幸せがあふれ,私はこんなに 100 パーセント幸せなのです」と.
私はそれを聞いて号泣しました.日本では,後ろ向きの悪い種の話はしても,どんな絶望的な状況下でも良き種をまけるという話をしない.どんな人間も今日良き種をまくことができる,未来に向かって何かができるということを伝える.その良き種をまいていくことが大切なのではないかと思うのです.
13.再生とは
再生とは未来に対して希望を持つこと,誰もが良き種をまけるという確信ではないでしょうか.過去のきずなにがんじがらめになるのではなく,未来に向かってどのようなきずなを築けるか.どのように良き種をまけるのか.苦しみに向き合い一度死を体験したところから,再生への大きな希望が現れてくるのです.
最後に東工大生の話をさせてください.「工場廃液たれ流し」の話が,原発事故後にどう変わったのか.
3ヵ月後の 2011 年 6 月,①が 200 人中 30 人,②が100 人,③が 70 人となりました.学生の態度が逆転したのです.2012 年には元の数字に戻ってしまうのではと心配しましたが,①が 50 人,②が 120 人,③が 30 人と告発派が多数になりました.原発事故という未曾有の事態に直面し,学生たちは目覚めたのです.
科学技術の死という現実を経験し,学生たちは再生への道を考え始めたのです.
私は看護の方々の生と死に向かい合うさまに大きな力をいただいてきました.そのお仕事は 21 世紀を大きくブレークスルーする良き種となると確信しています.再生とは私の方から説明させていただくものではなく,すでに皆さんの中にあるのです.ぜひ,良き種をますますまき続けていただきたいと心から念願しまして,講演を終わらせていただきます.
Facebook・Human Potential Lab 投稿記事
レジリエンスは、回復力という一つの力のように知られていますが、3つのプロセス:
1. 底打ち ー 苦しい時
2. 回復 ー 元の位置に戻る
3. 教訓化していく ー 再構築
を伴います。どんな身体状態になり、その状態をどうサポートし、どう回復していけるか、より成長していくためには、各プロセスをどのようにしていけば良いのかについて小笠原和葉さんにお聴きしていきます。
【講師からのポイント】
分かりやすいストレスと分かりにくいストレスがあります。現代は、後者による落ち込みが増えています。私たちのストレスは、出来事の中にあるのではなく、「身体(神経)」の中にあると言われています。トラウマ療法でも同様の考え方で身体を治療します。心が危機的な状況を乗り越えるためには、身体マネジメントが大きな鍵になるのです。「底打ち」「立ち直り」「教訓化」のレジリエンス3つのステップを支えるための身体アプローチのためのマップを手に入れます
https://lightworks-blog.com/pos-psych-what-is-resilience 【〔ポジティブ心理学〕レジリエンスとは 折れない心を作る6つの要素】 より
ある会社の管理職研修の際、役員の方に「御社の強みは何ですか?」と尋ねたところ、「打たれ強いところですかね」という答えが返ってきました。
「打たれ強い」というのは、つまり「レジリエンスが高い」ということだろうか。そう思いながら、200名近い方々に対する研修を実施して感じたのは、自分自身を肯定的に捉えていて、かつ物事に楽観的な方が非常に多い、という点でした。
「レジリエンス(Resilience)」の元々の意味は、「回復力、弾性」です。弾力のあるゴムタイヤを押しつぶしてもすぐに元の形に戻る、あるいは竹やぶが強風に煽られて大きくしなっても、折れることなくまたすっくと立ち直る、そんな回復力のことです。
レジリエンス研究の第一人者であるペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターのカレン・ライビッチ博士は、レジリエンスとは「逆境から素早く立ち直り、成長する能力」と定義しています。日本では、打たれ強いこと、折れない心、心のしなやかさ、といった表現が使われることもあります。
「ストレス社会」と言われて久しい今日、私たちを取り巻く環境は目まぐるしく変化しています。その中で、生産性を上げて持続的成長を遂げるといった難題に取り組みつつ、心身ともに健康で幸せな人生を歩んでいくには、レジリエンスをいかに高めるかが社会人生命を左右する重要なテーマです。
ただし、レジリエンスと一口に言っても、魔法の杖をひと振りすれば叶うようなシンプルな秘策があるわけではありません。
レジリエンスとは、いくつかの能力が複合的に作用して成り立つものであり、冒頭の管理職の方々が備え持つ「自己効力感」や「楽観性」は、まさにそうした能力の一部であり、取りも直さず、これまでのポジティブ心理学シリーズでお伝えしてきたキーワードでもあります。
シリーズ第6弾の今回は、このレジリエンスの要素について取り上げます。
1-1. 自己認識(Self-Awareness)
自己認識(Self-Awareness)は、自分自身の感情や思考はもちろん、自分の強みや弱み、大切にしている価値観や人生の目標を正しく認識することです。
逆境に陥ったとき、自分が怒っているのか悲しいのかつらいのか、まず自分の感情を正しく認識することが、立ち直るための第一歩です。そもそもこうしたネガティブな感情自体に気づかぬまま走り続けていると、取り返しのつかないところまで心身が疲弊してしまいます。
一方で、逆境を上手に乗り越える際には、自分の強みを意識的に使うことが効果的です。シリーズ第4弾で取り上げたように、「強み」は私たちの生活の充実、幸せに直結します。したがって、日頃から自分の強みを認識しておくことは、レジリエンスの観点でも非常に大切なのです。
1-2. 自制心(Self-Regulation)
自制心(Self-Regulation)は、その時々の状況に応じて自分の感情や思考、行動を律すること、適切に制御することです。
こちらもシリーズ第4弾でご紹介した24個の「キャラクターストレングス」のうちの1つでもあります。逆境時の感情や思考を自己認識したあとは、それを制御して、適切な行動に移ることがレジリエンスの基本です。
1-3. 精神的敏捷性(Mental Agility)
精神的敏捷性(Mental Agility)は、物事を多面的に捉え、大局的見地から対処することです。
何らかの逆境に直面したとき、むやみに慌てふためいたり感情的になったりせず、冷静に本質的な原因を究明し、適切な解決策を講じて、迅速に対処する。そうした現実的・客観的・実務的な対応ができるための精神性を養うことは、特にビジネスにおけるレジリエンスとして非常に重要です。
1-4. 楽観性(Optimism)
楽観性(Optimism)は、未来はより良いものになる、良くすることが自分にはできるという確信を持つことです。
もっと厳密に述べると
ストレスを脅威と思わず、自分がもう一回り成長するための挑戦と捉えること
ストレスの原因となる事象のうち、自分がコントロールできる部分とそうでない部分をきちんと峻別すること
前者に対しては、しっかり対処する能力を自分は持っている、という自信を持つこと
を指します。ここで言う楽観性は、単なる「Don’t worry, be happy(心配するな、ハッピーでいよう)」的な、お気楽なスタンスとは一線を画していることをご理解ください。
1-5. 自己効力感(Self-Efficacy)
自己効力感(Self-Efficacy)は、問題を解決したり、外部の世界を自分でコントロールしたりできる、つまり「やればできる」という自信のことです。
自己効力感があれば、逆境に直面しても「ダメかもしれない」とひるむことなく、勇気を持って行動することができます。結果、逆境に打ち勝てれば、自信は補強され、また新たな行動を起こそうという行動力のエネルギー源になります。
自己効力感は、自分自身の直接経験だけでなく、うまくやっている人を見ること、つまり「代理的経験」によっても培われます。
また、「君ならできる」といった言葉による説得や、リラックスするなど生理的状態に訴えることによっても、自己効力感を向上させることができるとされています。
<自己効力感と他者の存在>
自己効力感について注目すべきは、①~④が主に自分個人で磨いていくしかない能力であるのに対して、代理的経験や言語的説得など他者の介入によって強化できる、という点です。
組織においては、難局を乗り越えて見事に成果を上げた部署や社員のやり方を真似て全体のパフォーマンスレベルを上げる「ベストプラクティス」が奨励されます。
これには、具体的な手法を社内に普及させるという実務的なメリットだけでなく、ベストプラクティスを実践している同僚を見ることによって、「自分にもできるかも」という自己効力感を醸成する、心理的なメリットもあるのです。
また、上司が部下に「君ならできる!」と発破をかける光景はしばしば見られます。ただし、こうした言語的説得のみによって高揚した自己効力感は、すぐに消失してしまいやすいという弱点があります。
組織の中でメンバーの自己効力感を向上させるには、その人を励ますだけでなく、その人が実際に行動して結果を出すところまでサポートすることが重要です。
「自分自身でやった」、という実体験を持つことで初めて、確固たる自己効力感が育まれるのです。
1-6. つながり(Connection)
つながり(Connection)は、「他者とのつながり」を指します。
逆境に見舞われたとき、誰かがそばにいてくれるだけで救われた経験を持つ人は、少なくないと思います。支えてくれる他者がいることは、①~④のような自分の内に持つ能力とは性質が異なりますが、その人が持つ貴重な資源、財産のひとつです。日頃から信頼できる仲間を作っておくことは、レジリエンスを高める作用があります。
<スピリチュアリティーによる効果>
レジリエンスに資する「つながり」は、人間関係に限りません。もうひとつ、ライビッチ博士が挙げるのは、「スピリチュアリティー」です。というと、なんだか宗教臭く、あるいは超能力めいて聞こえるかもしれません。でも、こんな例を思い浮かべてみてください。
元日の早朝、初日の出を見に、寒い思いをして海辺や山の頂上に出掛けたことのある方は少なくないと思います。空をオレンジ色に染める曙光に、私たちは得も言われぬ有難さや敬虔な思いを抱きます。何を拝むのかわからぬまま、思わず両手を合わせてしまう、その合掌の先にあるものが「スピリチュアリティー」と呼べるのではないでしょうか。
あえて一般的な言葉で定義すると、「心の奥深くで感得する、(人間や大自然を含む)宇宙がここに在ることの意味、価値、有難さ」という感じでしょうか。
シリーズ第1弾で、幸せに必要な5要素の1つである「M=Meaning、意味、意義」について、「単に自分のためだけではなく、誰かほかの人のため、社会のため、世界のためなど自分よりも大きなものにつながるとき、そこから得られる幸せは最良のものとなる」とご説明しました。この「大きなもの」は、「スピリチュアリティー」とも言い換えることができます。
自分が「大きなもの」につながっていると信じるとき、目の前の逆境がちっぽけなものに思えて、乗り越える勇気がわきます。同じく「大きなもの」につながっている大切な人を思うとき、私たちは果敢に闘うことができます。
私たちが日々働いているのは、所属する組織の「目的」を実現させるためです。
それが「売上○億円」とか「シェア○%」といった物理的な目標ではなく、お客様や社会に対する価値提供や貢献といった、社会的意義のある目的であればこそ、私たちは高いエンゲージメントをもって仕事に臨むことができます(シリーズ第5弾の3-3をご参照ください)。
この「社会的意義のある目的」の先に「大きなもの」「スピリチュアリティー」を据えることができます。
日々の業務を遂行する中で生じるさまざまな逆境も、「目的」をしっかり見据えることによって、具体的にどのように解決すればいいのかを考え、行動できること、それがレジリエンスを発揮することになるのです。
「ポジティブ心理学って、ポジティブ思考のこと? いつも前向きって大切だよね」 「ポジティブ心理学、知りたい! ネガティブに物事を捉えるタイプの私には必要かも」 「ポジティブ心理学」と聞くと、たいがいの人はこういう反応を示 […]
「日本は、『熱意あふれる社員』の割合が6%しかない」 今年5月、米国のギャラップ社が発表した世界各国の働く人たちの「エンゲージメント調査」の結果について、日本経済新聞ではこのような表現で報道されました。 最近、人材開発の […]
2. 6つの能力要素を使ったレジリエンスの発揮例
それでは、ひとつの事例(フィクションです)を使って、6つの要素が具体的な能力としてどう役立つのか見ていきましょう。
*****
ある会員制ネット通販会社で、お客様電話相談窓口業務を担当しているAさん。ほとんどの問題はサイト上の「よくある質問」コーナーで解決されるため、電話をしてくるのは、たいがい一筋縄ではいかない、いわゆる「モンスター顧客」です。
その日最初に取った電話は、会員登録の解約の仕方がわからない、という年配の男性からのクレームでした。
「大体、おたくの会社は会員数を減らしたくないから解約しにくい設定にしているんだろう。そういうケチな根性だと、あんた、嫁に行けないぜ」
セクハラまがいの罵詈雑言に、Aさんは思わず涙ぐみそうになりました。ちょうど前日、恋人とひどい喧嘩をしたばかりだったのです。
しかし、この厄介な顧客に対応せざるを得ないという逆境は、Aさんがレジリエンスを発揮するチャンスなのです。
まず、「自分は今『とても悲しい』と思っている」、という「自己認識」を持ちます。さらに、その感情の原因は、顧客の態度の悪さのせいではなく、顧客の言葉が図らずもプライベートの「傷口に塩」だったから、というところまで自己分析をします。
そこまで自覚することで、「自制心」を働かせてぐっと涙をこらえて感情を落ち着かせ、相手の言葉に過敏に反応する代わりに、落ち着いた声で「大変申し訳ございません」と謝る、という基本動作に移ります。
次に、「精神的敏捷性」をフル回転させ、何がこれほどに彼を激昂させているのか、その本質的な元凶を究明します。彼は今、解約の仕方がわかりにくいことに腹を立てているけれども、大局的に見れば、解約したいと思った理由に原因があるのでは、と推測します。
サイトの解約プロセスはすぐには修正できないけれども、相手の問題に寄り添う共感性を示すことはできる、という「楽観性」を持ち、さらに、以前同じような顧客対応をして成功したことや、隣の席でいつも落ち着いて対応する先輩社員の声を思い出して、「自己効力感」を鼓舞し、声のトーンをうまく調節しながら質問します。
「恐れ入りますが、お客様が解約なさりたいと思われたきっかけをご教示いただけますか?どんな点がご不満でしたでしょうか?」
厄介なお客とのやり取りらしいと感じたのか、隣の先輩が「大丈夫?」と顔をのぞき込んでくれます。向かい側に座っている後輩も「がんばれー」と無言のエール。
ここには、クレーム対応という気の滅入る業務に従事する同じ部署のメンバーとの「つながり」のありがたさがあります。指でOKサインを出しながら、ふと視線を上げると、壁には「私たちは、お客様に世界一の喜びと幸せを提供します」というわが社のビジョンポスター。そうだ、不満爆発のこのお客様も、本当はうちの商品を買って喜びたかったはず。
この会社で働いている意味を再確認したAさんの脳裏には、会社を中心に、自分や同僚、電話の向こうの男性も加えた「皆がつながっている大きな地球」が思い浮かびます。
すると、いまだ怒りを含んだ相手の声にも、なんとなく親近感がわいてきて、自然と穏やかな声が出てくるものです。そんなAさんの口調に、顧客の態度もだんだん軟化してきました。
「実は明後日の娘の誕生日に贈りたくて注文したのに、発送が1週間後だと表示されて、ムカついたから解約してやろうと思ったんだけど、よくわかんなくてなあ」
「その商品は、水色でしたら在庫があるのですぐに発送できますよ」
「そっか、色違いなら間に合うんだな」
確実に翌日配送されるよう、注文画面に記入すべき事項を丁寧に伝えたあと、Aさんは最後にこの言葉を忘れませんでした。
「お嬢様、お誕生日おめでとうございます。お父様からのプレゼント、きっと喜んでくださると思いますよ」
電話を切った瞬間に思わずとったガッツポーズの肩を、いつの間にか後ろに立っていた課長からポンと叩かれました。
「いい対応だったな。部署の『典型的なクレーム対応マニュアル』に採用しよう」
Aさんは、自分の仕事ぶりが認められたことはもちろん、前日のプライベートでの落ち込み気分を引きずることなく冷静に仕事に従事できたことに深い満足を覚えます。
「メンタルが強くなったかな。そうだ、やっぱり私から彼に謝ろう。今夜早速電話しなきゃ」
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