救急車さつきの花に来て止まる

遠く来てサイレン廻る花は葉に  五島高資

救急車さつきの花に来て止まる  五島高資

サイレンは空耳ぞかし五月闇  五島高資


さつきの花は皐月と先ほどまでの花を意味するのでしょうか? 散る命の痛ましさが伝わってきます。同時に「花は葉に」は死と再生がセットであることを暗示している感じです。命の営みは光と闇を際立たせるのでしょうか?


http://haiku-shin.blogspot.com/2015/05/blog-post_21.html 【花は葉に】 より

今月の3講座共通の兼題の一つに葉桜があった。ホトトギス新歳時記の葉桜には無いが、角川合本歳時記の葉桜には「花は葉に」という傍題がある。ある受講者から、伝統俳句を学ぶものは、「花は葉に」という季題を使ってはいけないのか、という質問が有った。

そこで「花は葉に」という季題を知らべてみた。最初に述べたように、ホトトギス新歳時記には見当たらない。花、桜、余花、残花その他の関連の季題を見ても無い。同じようにして、講談社版日本大歳時記を調べてもない。そして、何と昭和59年8月発行の角川合本歳時記新版にも無い。現在の角川合本歳時記が第4版だから、版を重ねる間に、傍題として認められたのだろう。

傍題ではあるが、角川に認知されているほどの季題であり、使ってはいけないというものではない。俳句として、作品として優れていれば、伝統俳句の俳壇でも認められると思う。

ところで、葉桜という季題は、目の前の桜若葉の瑞々しさ、美しさに焦点を当てたものである。これに対して、「花は葉に」という季題には、花から葉への移り変わり、時の流れが要素として含まれている。この微妙なニュアンスの違いを大切にしたい。

         葉桜の色に染まりて仁王尊      伸一路

         新しき職場の話題花は葉に       〃   


https://furansudo.ocnk.net/product/804 【近藤千雅句集『花は葉に』】 より

大緑陰ディスカッションの輪のできて 男のうそ聞きつつ我はビール干す

一度は捨てた俳句を、自分の表現手段としてもう一度取り戻した著者の句集。

◆ 著者第一句集

いつの間にか花の盛りは過ぎて、ちらほらと枝先に残っていた花片もすっかり散り尽くし、柔らかな緑の葉がさわさわと吹かれる季節になっている───。「花は葉に」という季題の心を思うとき、<どこまでもひとりと思う花は葉に>のアンニュイは、季題が従来担ってきた伝統をしっかり感じさせる。しかし<花は葉に久女の謎は謎のまま>になると、加えて作者独自の感性と知性の融和を見ることが出来るのである。行方克己(帯文より)

今度句集を編むにあたって、今までの作品をすべて読んだ。そこには紛れもない近藤千雅さんの全貌が語られていた。勢いのある青春時代、教師としての喜び、迷い、悩み。女性としての心の揺れも、冷静な目も、潔い覚悟も、人生の陰翳も、一句一句に表われていた。西村和子(序文より)

     大緑蔭ディスカッションの輪のできて

     男のうそ聞きつつ我はビール干す

     シャンデリア涼しスターの足長し

     学校を捨てやう春の野に出やう

     回り道ばかりしてをり鰯雲

     ぬひぐるみ答へてくれず秋の夜


http://blog.livedoor.jp/satonaoayu/archives/51845135.html  【俳句のレシピ 5 五月闇 (さつきやみ)】 より

 たぶん「五月闇」という言葉は、俳句の世界でしか用いられない言葉ではないでしようか。古くは和歌にも詠われていたのですが、現代ではどうでしょう。私も俳句を学ぶようになってから知った言葉です。

 意味は、梅雨時の夜、暑く雲に覆われて月の明かりも星も見えないような真っ暗な夜闇のこと。また、この時期の昼間の暗がりも言います。

 日常では使われない言葉なだけに、逆に俳句的な味わいのある季語なのですが、いざこれで一句となるとイメージがちょっと茫漠としていて難しいものです。できれば五月闇がどのようなものかという情景の説明はせず、何か飛躍したもの と取り合わせてみたいもの。

 

 やはらかきものはくちびる五月闇  日野草城

 真っ暗で湿った梅雨の夜の質感と「くちびる」の触感を取り合わせて見事です。詠み手に具体的な「くちびる」の持ち主をあれやこれやと想像させる「喚起力」もありますね。

 五月闇秘仏の闇は別にあり  井沢正江

 これは、視覚的に秀逸。寺院を覆う大きな暗がりとは別に「秘仏」を囲む闇。しかし、ここではむしろ秘仏を安置する厨子(ずし) の金具・装飾や秘仏そのものの金色の輝きの方が想像されて、漆黒の闇と美しく対照されています。

 海鳥のこゑ洩らしけり五月闇  神尾久美子

 真っ暗闇の浜辺。波打つ音だけが聞こえます。そこに海鳥の声。その鳴き声も「鳴く」というよりは「洩れる」というように、寝言のような弱々しさ。「五月闇」に「海鳥の声」を配することで、梅雨の夜の海の寂しさ、もの憂さ、暗がりが映像として、音響として美しく立ち上がってきます。

 さて、作句のまえに、ちょっと「五月闇」を体感するため、あらためて深夜、外に出てみましょう。みなさんには、どんな「闇」が感じられるでしょうか。

 私の一句は、

 五月闇 蠢 (うごめ) いている 土の中

⇒「俳句のレシピ」

 

【追記 2019年7月10日】

 「五月闇」がこの時期の昼間の暗がりについても言うのかについて、私は「角川俳句大歳時記」「角川合本俳句歳時記」「講談社学術文庫 基本季語五百選」(山本健吉著)、などを論拠に紹介させていただきましたが、下記コメントのように反論があります。ご指摘ありがとうございます。

→ うたことば歳時記 五月闇

  


https://blog.goo.ne.jp/mayanmilk3/e/85871199018d9b13b0fda863bddbbcc6 【五月闇】 より

 ただ何となくネットを検索していて、どうにも納得できない解説を見つけました。それは「五月闇」についての解説です。『角川類語国語辞典』には五月闇の解説として、「梅雨のころの夜の暗いこと。また、そのころの薄暗い空模様。」、『三省堂おしゃれ季語辞典』には、「連歌書『産衣』に、『「五月闇は夜分にあらず』と示されているとおり、本来は、昼なお暗き空間を指す言葉であったが、最近では雲の垂れこめた夜の闇の陰鬱さにも用いられつつある。」と書かれているというのです。また山本健吉『基本季語五〇〇選』には、「【五月闇】五月雨の降るころの空が曇りがちで、陰鬱として、昼なお暗いのも、月の出ぬ闇夜をも言う。」と記されているというのです。あいにく手許にそれらの本がないので、この目で確認したわけではありません。ネット情報だけで判断するのは危険ですが、この場合は間違いなさそうです。

 私は今日の今日まで、五月雨の降る頃の、月も星も見えない真っ暗な夜とばかり思っていましたから、とても驚きました。「本来は、昼なお暗き空間を指す言葉であったが、」という解説に至ってはどうにも信じられなく、さっそくいろいろ調べてみました。昼間の暗いことをも意味するという解説の根拠は、1698年に成立した連歌の書物である『産衣』(うぶぎぬ)に載せられた、上記の記述のようです。それ以外にはどうしても探し出すことはできませんでした。しかしそれが本来の五月闇とまで断言されると、このまま引き下がるわけにはいきません。私が知っている五月闇を詠んだ歌は、全て夜の暗さを詠んでいるのですから。そこで国歌大観と首っ引きで調べてみました。

 結論から言えば、「本来は、昼なお暗き空間を指す言葉であったが、」という解説は誤りであると言わざるを得ません。歌の意味からして、夜の暗さを詠んだ歌が圧倒的に多く、明らかに昼間の薄暗さを詠んでいると断定できる歌は一首もないのです。もし「本来は」と断言するなら、五月闇を詠んだ古い歌の大半が昼間であるはずです。それが全く見つかりません。辞書の編集者や山本健吉氏は、五月闇を詠んだ古歌を片っ端から調べた上で書いていない証拠です。山本健吉と言えば、歳時記については相当な権威者ですから、同氏の説を疑う人はまずいないでしょう。俳句の歳時記を調べるほどの人なら、山本氏の著書を愛用しているでしょうから、私のような素人の考察など、誰も本気では信じてくれません。しかしそれなら、本来は昼間の薄くらいことであった根拠を示してほしいものです。『産衣』に載っていると言っても、それは元禄年間のこと。古代・中世の文献から指摘しなければ、本来そうであったという証拠になりません。あるいは私が見落としている歌があるかもしれません。しかし「本来は」とまで言うのならば、一つや二つそのような歌があっても、説得力は全くありません。何しろ、夜の暗さを詠んだ五月闇の古歌はたくさんあるのですから。江戸時代の初期には、本来は五月雨の時期の暗い夜を意味した五月闇が、昼間の薄暗いことも表すように意味が拡大されたというならまだわかります。もっとも『産衣』の説も、同じような意味で使われている文献で補強しなければ、どこまで信用できるかわかりません。たった一例では不十分です。そして江戸期の俳諧から、昼間の五月闇を詠んだ句をいくつも上げられなければなりません。そのような考証を経ずして、「本来は昼間の・・・・」などと言ってはなりません。山本健吉や辞書という権威に裏打ちされて、「本来」とことなる五月闇が、いずれ定着してしまうのでしょうか。根拠を実証的に示していないネット情報は、まずは疑ってみなければなりません。

そこで明らかに夜の暗さを詠んでいる歌を載せておきましょう。

①五月闇花たちばなのありかをば風のつてにぞ空に知りける(金葉集 夏 148)

②五月闇みじかき夜半のうたたねに花橘の袖にすずしき(新古今 夏 242)

③五月闇狭山が峰にともす火は雲のたえまの星かとぞ見る(堀河院百首 421)

 ①②は、暗闇の中でも花橘の香が漂ってくることを詠んでいます。暗いために視覚が効きません。そのためかえって嗅覚が研ぎ澄まされるわけです。暗闇の中の花の香を詠むことは梅にもよくあることで、古歌では常套的な詠み方でした。③は山中にともされた焚き火が星のようだというのですから、これも明らかに夜の五月闇を詠んでいます。近い例では、唱歌『夏は来ぬ』にも「五月闇ほたるとびかい・・・・」と歌われていますが、これももちろん夜の闇です。

 それにしてもいくら薄暗いといっても、昼間の暗さですから、それを「闇」と表現することは、どう見ても不自然だと思うのですが・・・・。

追記(平成28年5月29日)

 五月雨について書いたので、ついでに五月晴について。国語辞典には、五月晴れは五月雨の頃の雨が途切れた短い晴れ間と説明されていますが、近年は新暦5月の爽やかに晴れ渡った天気という誤用が定着しているようにも説明されています。かなり前に、誤用であるとNHKに抗議したことがあるのですが、全く相手にされませんでした。まあ言葉は時の流れによって少しずつ変化するので、仕方がないのかもしれませんが、少なくとも私自身は正しい言葉を使いたいと思っています。(その割には、しょっちゅう言葉を間違えたり、変換ミスをしているので、大きなことは言えないのですが)。どうしても新暦5月の晴天の意味で使い場合は、「ごがつばれ」と読むようにしています。

 五月雨という言葉は『万葉集』には詠まれていませんが、『古今集』以後にはたくさん歌に詠まれるようになります。その五月雨の合間の晴れ間である五月晴という言葉も、同じように古くから使われていると思いきや、少なくとも勅撰和歌集には見当たりません。江戸期の俳諧には詠まれていますから、言葉の歴史としては、かなり新しいと言うことができるでしょう。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

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