https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000288.000003943.html 【イルチブレインヨガの瞑想プログラムで「中脘呼吸」がスタート】 より
へそ上のツボ「中脘(ちゅうかん)」を目覚めさせ、瞑想力をUP。負の感情から抜け出しストレス緩和、自己管理能力アップへ
ダンワールドジャパンは、全国で展開するイルチブレインヨガの各スタジオにて、「中脘(ちゅうかん)呼吸」のトレーニング・プログラムを導入します。中脘呼吸は、イルチブレインヨガの新しい呼吸瞑想法の一つです。中脘呼吸の後に瞑想をすると、よりスムーズに瞑想状態に入ることができます。
私たちが一日に口にする言葉は、平均1万6000語に及ぶといいます。発話されないまま頭のなかを駆けめぐる言葉は、当然のことながら発する言葉をはるかに上回ります。口で発しない言葉は、事実よりも、感情にもとづくものが多いと言われます。この中には、自分の行動にプラスになるようなポジティブなものもあるでしょう。その一方で、ネガティブなものもたくさんあるはずです。「○○さんのメールの返信が遅い!」「こんなことをしたら笑われないかしら」「今日もまた1日ぶん歳をとってしまったのか・・・」など、不安やイライラ、妬みといったネガティブな感情にもとづく考えです。
こうしたネガティブな思考は、ストレスをもたらします。だからといってまったく遮断するのも難しいでしょう。大事なことは、不安やイライラといった感情に振り回されたり、逐一反応したりしないことです。うまくかわしたり、あるいは必要に応じて建設的な行動へと結びつけたりするのです。それができれば、自分をやたらと責めたり、人に対して声を荒げたり、過度にストレスを抱えたりしにくくなります。
感情を上手に制御し、活用するためには、イルチブレインヨガの呼吸瞑想がたいへん有益です。瞑想をすると、感情に閉じ込められている意識を拡張させることができます。感情を冷静に眺められるようになり、感情にずっとはまっているのではなく、感情からスムーズに抜け出せるようになります。ストレス耐性が高まり、集中力も向上します。
瞑想のポイントは、今この瞬間に完全に留まることです。一般的に私たちの心は、ネガティブであれポジティブであれ、多くの思考に満ちています。私たちの心は今ここにあるよりも、周りの感覚的な刺激や情報、考え、感情に従ってあちこちさまよいます。瞑想は、このように過去や未来にさまよう心、刺激にすぐさま反応する心を「今ここ」にとどまらせ、自分の身体と心で今起こっている現象を観察し、認知することです。
イルチブレインヨガが新たに導入する中脘呼吸では、みぞおちとおへその間にある「中脘(ちゅうかん)」というツボに手をあてて押しながら呼吸します。現代を生きる私たちの多くがストレスで胸が詰まっていると言われます。胸が詰まり、中脘が詰まっていると呼吸が深くなりません。すると、瞑想もうまくいきません。中脘呼吸の後に瞑想をすると、頭の中を飛び交う様々な考えや感情が静まった状態で自分の置かれた状況やすべきことを偏りなくありのままに、より明確に見ることができます。自分の本当の価値に気づき、その価値を実現するために脳を活用できるようになっていきます。
Facebook・竹元 久了さん投稿記事 🔵日本人の文化としての呼吸法「丹田呼吸」
大森 正義 城西大学 現代政策学部より抜粋
3.文化としての呼吸法
呼吸をするということについては一様であり、呼吸は人間の生命活動を維持していくために必要な機能である。しかし、呼吸は単に生物の生命維持だけではなく、それ以上の意味を付与される。一概に呼吸といってもその方法や意味づけなどは社会や文化によって異なる。それは呼吸が身体文化の一つだからである。つまり呼吸の仕方や意味づけは時代や地方、文化によって大きく異なる。呼吸の仕方ひとつとっても、胸式、腹式とあり、息の吸い方も鼻から吸う、口から吸うなどいろいろな方法がある。民族や階級の違いによって、生活習慣や文化、意識が異なるように、呼吸の仕方もおのおの異なるのである。
中略
身体技法は、ある民族・文化・集団で模範的であるとみなされ、それが伝承されているのである。
また座るという行為について考えてみると、日本では近代に入り西欧化が進み、イスとテーブルの生活が主となった。それに伴い、座るということが、以前は畳を中心に生活していたために、正座を意味していた時代から、イスに腰掛けるという行為を意味するようになった。またトイレについて考えてみても、洋式トイレは座るというスタイル、和式トイレはしゃがむというスタイルである。近年、正座やしゃがむことができなくなった子供が多くなったというのも生活環境が変わったことが大きな原因と言える。山折(1981)は、『坐の文化論』のなかで様々な坐・座り方について考察を行っている。これも、坐るという行為が文化に規定されていることのあらわれである。
中略
これら身体技法は、社会や文化で継承しているものを習得しているといって良いだろう。呼吸についてみると、一般的に東洋人の呼吸のほうが深く長い、西洋人のほうが浅く短いと言われる。東洋と西洋では、呼吸の重点の置き方が異なる
中略
4.1 生活の中の呼吸
生活のなかでの呼吸とは、歴史や社会の生活スタイルに大きく影響を受けている呼吸法である。 特に日本では呼吸が生活と密着していた。生活の中に重要な要素として溶け込んでいたと考えてもいいだろう。呼吸は息ともいうが、まずは、この息を用いた日本語がどのようなものがあるかみてみよう。「息が合う」「息が掛かる」「息が通う」「息が切れる」「息が続く」「息が詰まる」「息が長い」「息が弾む」「息を入れる」「息を殺す」「息を呑む」「息を潜める」など、息を用いた言葉は、実にたくさん存在する。言語は社会や文化、社会関係、環境など外部に対する人間の認識や状況を表現する。そのため、その社会が重要としているものの度合いが高ければ高いほど、ある言葉は細分化され、微細な相違も表現できるようになる。息に関する言葉が多いというのも、日本語では息を重要なものと位置づけていたことを裏付けられる。また、息は、すなわち「生き」るに繋がるという思考があり、生と非常に結びついている。
齊藤(2000)は、日本の身体文化の中心には、「腰肚文化」と「息の文化」が重要な要素として存在すると分析した。日本は古くより農耕を営み、多くの日本人は稲作にもとづく農業を中心に生活してきた。農業は大地にしっかり立ち、鍬や鋤で大地を耕す。その際に、足腰の踏ん張りや安定性が必要となり、必然、お腹を意識した腹式呼吸となる。生活のなかでは、かまどに火を入れたり、水を汲んだり、薪を割ったりという行為が日常的に行われていたが、これらはすべて腰や腹に力をこめている必要があり、腹の奥深くまで息を吸い込んでいないと、上手に実行することはできなかった。身体の中心軸となるものが腰や腹であり、腰と腹の構えがしっかりしていると、力強さが生まれ、落ち着いた動きが可能となる。この腰や腹が据わった状態は、深く腹で息をすることによってはじめて可能となる。日本の伝統的な身体観である「腰肚」は、深く腹で呼吸をする丹田呼吸によって支えられていた。
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