八紘一宇

Facebook髙橋 眞人さん投稿記事

こんばんは。【今日の名言】神武天皇(初代天皇)

今、私はこの橿原(かしはら)の山林を開いて慎んで天皇の位につく。これから、この国の民が心安らかに住める平和な世の中にしたいと思う。この国が神の住まいにふさわしい清らかな場所となり、他の国もそうなったならば、世界は一つの家族のように仲むつまじく、平和な世界となるだろう。それは、なんと素晴らしいことではないか。

八紘一宇(世界を一つの家のようにすること)。むやみに人を殺すことが武ではない。

私を捨て、公となる。自分が正しいと思うことをやりなさい。正しいと思う心を広めて、この国を守りたい。

※2月11日は建国記念日(神武天皇が即位された日、紀元前660年)です。戦後のGHQによる改革により、それまでの2月11日の呼称である「紀元節」は「建国記念の日」に変えさせられ、神武天皇が語ったとされる「八紘一宇」という言葉も使用を禁止されました。


Facebook斉藤 一治さん投稿記事

日本は世界の祖国

八紘一宇(八紘為宇 はっこういちう)とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条ある「掩八紘而爲宇」を縮約した語。

大意は「天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に仲良く明るく住むことは、何と楽しいことだろうか」。

世界各地の民族はそれぞれに、生活習慣、文化、言葉、環境は違っていますが、

魂において、それぞれの文化や生活習慣を認め、お互いに尊敬し合い、世界中、みんな「一つの家族の兄弟姉妹」のように仲良くなることができます。

これが「日本建国の精神」です。日本人としての誇りです。

もっとも古いものは、もっとも新しい。

日本人がもう一度、日本建国の精神に立ち帰ることが人類の未来の扉を開きます。


Facebookごとう 孝二さん投稿記事

I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜〜㊗️2.11建国記念日〜「日本の建国理念は凄かった!」

質問です。日本の建国理念って何ですか?アメリカの建国理念は、自由、平等、幸福追求の権利アメリカ国民なら誰でも言えます。建国の父はジョージ・ワシントンですね。

日本の建国の父は?戦後日本では一切教えられていませんね。

日本の建国理念は、〝ひとつの家族世界の実現〟(八紘一宇)

日本の建国の父は、初代の神武天皇です。建国記念日は2月11日今年で建国2680年になります。西暦より660年も長いですね。また、令和の今上陛下は初代神武天皇から126代目の天皇陛下となります。

「日本書記」の神武天皇のところには、「八紘一宇の神勅」(はっこういちうのしんちょく)というのがあります。

「八紘を おほひて宇と為むこと、また可からずや」(はっこうを おおいて いえとせんこと、またよからずや)

口語訳は↓「天地四方に住むすべての者が、ひとつの屋根の下の大家族のように仲良く暮らすならそれはなんと楽しくうれしいことだろうか」この、八紘一宇の神勅の「八」は「八百万」の「や」であり、無限の広がりを意味し、数多いこと意味するそうです。

「紘」は「冠のひも」という字であり、八方の隅から、紐をまとめて一箇所に結ぶようにまとめる意味があるようです。

すなわち、「人類の魂の緒」を八方から一つに結び合わせて、お互いの個性を尊重しながら

一つの家族のように仲良く結び合うということなのです。

古代日本民族は、魂は霊的根本において,つながっている「緒」をなし連なっていると考えていました。

したがって、肉体は別々に見えていても、魂は一つに繋がっていると捉えていたのでした。

世界民族はそれぞれに、生活習慣、文化、言葉、環境は違って、肉体も離ればなれになっていますが、魂において、それぞれの文化や生活習慣を認めつつ、お互いに尊敬しあって、世界中、みんな「一家族の兄弟」のように仲良くしましょうと言うのが〝日本の建国の理念〟

なのです。

神武天皇によって建国されたのが「やまとの国」であって、「大和の精神」すなわち

〝大調和の精神〟が日本の建国の理念といってもいいでしょう。

戦後使うことを禁止されましたが本当の意味は〝真の平和〟世界恒久平和を意味していたのです。21世紀になり今でこそ地球家族や世界平和と言い始めましたが日本は2600年前から

人類一家族の理想を建国の理念として創建された凄い国だったのですね。

ちなみに戦前までは日本国民はみんな当たり前に知っていました。この崇高な理想の元にみんな生活していたのです!これが日本人としての誇りでした。

世界で唯一肌の色や人種の違いで差別してこなかった国なのです。

そして1919年 大正8年に世界で初めてパリ講和会議で人種差別撤廃の提案をしたのはなんと日本なのです。その当時アジアの独立国は日本のみでほとんど欧米に支配、抑圧されていました。日本の勇気ある提案に11ヶ国が賛成5ヶ国が反対 ところが議長国のアメリカのウィルソン大統領が全会一致でなくてはダメだと否決してしまします。

しかしこの勇気ある日本の案に特に黒人諸国にも希望を与えました。

500年間奴隷のような生活を送っていた国がたくさんあったのです。

あの黒人の人種差別撤廃に命をかけた英雄キング牧師は世界に人種差別がない国があると知り

キング牧師の運動に日本は大きな希望を与えていました。

日本はなぜ、人種差別撤廃に命がけで世界に訴えたのか?

それは世界はみんな家族である肌の色や人種の違いで排除するのはおかしいという日本の建国理念八紘一宇の精神があったからなのです。

日本人はもう一度建国理念の原点に立ち帰ることが必要だと感じます。

☆写真は八紘一宇の塔(宮崎平和台公園)

☆昭和39年の東京オリンピックでは聖火リレーの第二コースの出発地点ともなったそうです。


Facebook出口光さん投稿記事  日本建国の志

みなさん、おはようございます。日本建国の志は何か知っていますか。え、日本の国にも志があるの?神武天皇(初代天皇)が熊野の地から八咫烏(やたがらす)に導かれて、大和朝廷を創りました。奈良の橿原の地で、日本建国の志を宣言します。

「八紘為宇 (はっこうゆう)」

八紘とは八つの方位に天地を結ぶ八本の綱で世界の隅々までを意味する言葉です。

為宇とは一つの家の屋根にするという意味。つまり八紘一宇とは、『世界を一つの屋根の下に平和に』人類皆兄弟、争いではなく、和の心をもって平和な世界を目指そうという、日本の建国から今日に至るまで受け継がれる【日本の志】です。

資源の奪い合い、宗教観や価値観の違いによる争いが絶えない人類。その代償として、 地球環境の悪化が著しい現代。

『八紘為宇』もし、ほんとうに日本建国の精神で世界を一つの屋根の下に家族のようにすることができたらどんなに素晴らしい世界になるでしょうか?日本の役割と責任は大きいです!


Facebook有原 誠治さん投稿記事

こんばんは

12日に宮崎市内であった「”八紘一宇”の塔を考える会」30周年記念講演会などのかんたんな報告です。

 参加者は30名ほど。講演者は考える会代表の税田(さいた)啓一郎さん。元宮崎映画センター代表者でした。税田さんは、1991年に「八紘一宇」と刻んだ塔が「平和の塔」と呼ばれていることに違和感を感じた私の疑問を、正面から受け止めて下さり、宮崎で知人友人に呼び掛けて「塔の史実を考える会」を立ち上げて今日まで、塔建設の歴史的背景や、土台の石の身元や出目を調査し、この塔が「平和の塔」とは裏腹に、侵略と掠奪を象徴する塔であることを事実を持って明らかにされて来た方です。12日の講演内容も、その30年の歩みと成果の数々を語って下さいました。

 ご承知のことと思いますが、「八紘一宇」は大正時代の造語で、「世界は一つの家」との意味を持ち、日本軍が中国や朝鮮に侵攻して行くことを正当化する国策的スローガンでした。

 私がこの塔と出会った91年当時は、この塔が南九州回りの中学生の修学旅行コースに組み込まれていて、バスガイドが学生たちに「紀元2600(1940)年に世界平和を願って建立された『平和の塔』」と案内していました。とんでもないと思って税田さんに相談したことから「考える会」の発足と活動が始まりました。

 その活動の大きな成果と思いますが、今では税田さんたちにガイドをお願いしてくる修学旅行があるそうです。

 税田さんたち「考える会」は、「石の証言」という機関誌を発行し続けています。現在105号だそうです。また、同じタイトルでブックレットも発行しています。そのブックレットを片手に、石の調査を独自にする方々も現れているそうです。

 12日の午後は、税田さんたちと一緒に八紘一宇の塔を観に行きました。私にとっては20年ぶりでした。そのときに写真に撮りましたが、土台の盛り土に埋められた石に「多田部隊 万里の長城」などのように送り届けた軍隊名と石の出所を刻んだ石が数多くあります。目撃した方が教えて下さいましたが、この日も「石の証言」のブックレットを片手に、石の一つひとつを刷毛で掃きながら、刻まれた文字を確認している方がいたそうです。

 やはり、調べて明らかにしたことを記録に残すことの大切さを痛感しました。


Facebook赤塚 高仁さん投稿記事

「八紘一宇」世界の希望の光です。ブログ更新しました。

八紘一宇の世界

宮崎での「ご縁紡ぎ大学」講師として出かけたとき、主催してくださっている田鹿さんにお願いして、平和台公園へ連れて行ってもらいました。以前から行きたかった場所なのです。

36.4メートルの高さの「八紘一宇の塔」があるのです。

「八紘一宇」というのは、『日本書紀』において、初代神武天皇が即位の折りに「掩八紘而爲宇」(あまのしたおおひていえとなさむ)と仰った、日本国建国の基ともいえる、日本にとって最も大切な言葉です。

この「八紘一宇」とは、簡単に言えば、「ひとつの家族のように仲良く暮らして行ける国にしていこうではないか」ということなのですが、昭和13年に書かれた「建国」という書物によりますと、『八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。

一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。

強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。

強い国はびこって弱い民族をしいたげている。

世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。

日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう。』ということです。

世界平和を口にして、愛を説く宗教が争いをやめず、神の名のもとに殺戮が続き、世界が終わろうとする今、八紘一宇の精神こそ、世界の希望でしょう。

建国以来滅びたことのない日本国。

その理由が、建国の理念「八紘一宇」にあることを日本人一人ひとりが知らなければなりません。昭和39年 東京オリンピックの聖火は、宮崎の八紘一宇の塔からスタートしました。

2020年、再びそこから希望の火が世界に灯りますように。

塔の高さ、36.4メートル ミロクノヨ・・・弥勒の世

ヤマトが世界の灯明台となる日が来ています。


https://gendai.media/articles/-/147600?imp=0 【「紀元2600年記念」の祝祭ムードで注目された「あのスローガン」を知っていますか】より

知られざる「戦前の正体」

辻田 真佐憲

文筆家

近現代史研究者

プロフィール

神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 

右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。

歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。

※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。

紀元二千六百年に「臣も亦百代の臣」

日中戦争下の1940(昭和15)年11月10日、昭和天皇・香淳(こうじゅん)皇后臨席のもと、内閣主催の紀元2600年式典が宮城外苑で厳かに挙行された。神武天皇の即位より2600年の節目を祝うイベントである。

近衛文麿(このえふみまろ)首相が寿詞(よごと:お祝いのことば)を奏上し、天皇陛下万歳を主唱。5万人余の参列者の和する声は、約7万坪の会場にみたび響きわたった。

作家で文藝春秋創業者の菊池寛(きくちかん)は、『文藝春秋』誌上でこの式典に臨んだ感想をこう述べている。

これは新聞にも書いたが、2600年の昔、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で御即位式を挙げさせたまふた時、天神の寿詞を奏した天児屋根命の子孫たる近衛さんが、2600年後の式典に寿詞を奏上したことは、皇統連綿たると共に、臣も亦百代の臣たることを偲ばせてよかつた。(「話の屑籠」『文藝春秋』1940年12月号)

「近衛さん」とは、ときの首相・近衛文麿のこと。近衛は、公爵を授けられた五摂家(ごせっけ)筆頭の家柄で、摂関政治で有名な藤原氏の末裔だった。そして藤原氏は、大化の改新で中大兄皇子(のちの天智天皇)に協力した中臣鎌足(なかとみのかまたり)に端を発する。中臣鎌足は、別格官幣社たる談山(たんざん)神社の祭神だ。

さらに中臣氏の祖先をたどると──アメノコヤネ(天児屋根命)という神にたどりつく。このアメノコヤネは、天孫降臨のときに、アメノオシヒ(大伴氏の祖先)などとともにニニギに随伴した神の一柱だった(神武天皇即位のときには出てこないため、これは菊池の勘違いだろう)。

ようするに、天孫降臨のとき、ニニギに従ったアメノコヤネという君臣の図式が、皇紀2600年の当時、昭和天皇に従う近衛文麿というかたちで再現された。それが「皇統連綿」とともに「臣も亦百代の臣」であることを思い出させて感動的だったと、菊池寛は述べているのである。

まさに、教育勅語で述べたところの「忠孝の四角形」ではないか。

奉祝ムードで娯楽解放

菊池も浮かれるほどの紀元2600年奉祝ムードに、民間も乗らないではいられなかった。

温泉専門雑誌『温泉』2月号に掲載されている記事は、時代の空気を象徴している。いわく、温泉で「清浄な心身」になりながら神武東征のルートをたどって、神武天皇陵、橿原神宮、吉野神宮などを参拝しよう、と(富士雄生「温泉南北」)。

温泉と聖地巡礼。どちらが本当の目的なのかはいうまでもない。そのような呼びかけを待つまでもなく、伊勢神宮の参拝者は激増し、奈良県や宮崎県などは降って湧いた観光特需にうるおった。泥沼の日中戦争で押さえつけられていた娯楽への渇望が、聖地巡礼の大義名分のもとに一時的に猛烈に解放されたのである。

レコード会社もこの流れに乗り、紀元2600年ソングをつぎつぎに送り出した。とくに紀元二千六百年奉祝会と日本放送協会によって制定された奉祝国民歌「紀元二千六百年」(増田光生作詞、森義八郎作曲)は、コロムビア、ビクター、ポリドール、キング、テイチク、タイヘイの各レーベルより、人気歌手のカバーでリリースされた。

その1番の歌詞が、神武東征の伝説に由来するのはあらためて繰り返すまでもないだろう。

金鵄輝く 日本の 栄ある光 身にうけて

いまこそ祝はへ この朝あした 紀元は二千六百年

あゝ一億の胸は鳴る

このような世紀の祭典では、さまざまなアーティストがふだんならば依頼がなく、つくることもない経費度外視の記念碑的大作を世に問いやすい。

なかでも交声曲「海道東征(かいどうとうせい)」(北原白秋作詞、信時潔作曲)は、「戦後長らく封印されていた」という触れ込みで近年再演される機会が多くなっており特筆に値する。

じっさいは封印されていたわけではなく(戦後もいくどか再演されている)、浅薄な愛国ビジネスの売り文句にすぎないのだが、それでも神武天皇が南九州を発して大阪湾に上陸するところまでを描いた全8章からなる大掛かりなカンタータは、明治にあわてて洋楽を取り入れた日本人がついにここまでの作品をつくったかと感嘆させられるもので、いちど聴いてみて損はしない。

そして白秋が技巧の限りを尽くした詩は、第8章「天業恢弘(てんぎょうかいこう)」で大合唱とともに、つぎのようにしめくくられる。

神と坐す大おお稜威みいつ高領たか しらせば、八紘(あめのした)一つ宇とぞ。

邈はるかなりその肇国(はつくに)涯も無し天つみ業わざ、

いざ領しらせ大和ここに、雄たけびぞ、弥栄(いやさか)を我等。

注目のスローガン「八紘一宇」

ここで示されているように、この年、もっとも注目を集めたスローガンは、神武天皇が唱えたとされる八紘一宇だった。

これまでなんども出てきたが、「八紘」とは世界を意味し、「一宇」とはひとつの家を意味する。出典についてはこのあと詳しくみるとして、まずは「世界をひとつの家にする」くらいに捉えておけばよい。

第2次近衛内閣は、同年七月に成立するや、基本国策要綱でこの八紘一宇を国是として掲げ、大東亜の新秩序を建設すると宣言した(「皇国の国是は、八紘を一宇とする肇国(ちょうこく)の大精神に基き、世界平和の確立を招来することを以て根本とし、先づ皇国を核心とし、日満支の強固なる結合を根幹とする、大東亜の新秩序を建設するに在り」)。

また9月、日独伊三国同盟が成立すると、昭和天皇から発せられる詔書の冒頭でも八紘一宇がお目見えした(「大義を八紘に宣揚し、坤輿(こんよ)を一宇たらしむるは、実に皇祖皇宗の大訓にして朕が夙夜眷々(しゅくやけんけん)措かざる所」)。「坤輿」は「八紘」とほとんど同じ意味だから、この歴代天皇の教えである八紘一宇を昭和天皇自身も日夜大切にしていると述べられたわけだ。

そして11月には、宮崎市に八紘一宇の塔が完成し、翌年にかけて神武天皇にかんするさまざまな記念碑が西日本を中心に建てられた。その多くは現在でもしっかり残されている。

本章ではこのような詩歌やモニュメントをとっかかりに、大日本帝国の崩壊を招いた大東亜戦争と神話の結びつきを考えてみたい。

さらに連載記事<靖国神社は「上から7番目」…日本人が意外と知らない「神社には序列がある」という「驚きの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。

*本記事の抜粋元・辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)では、「君が代はなぜ普及したのか?」「神武天皇によく似た「ある人物」とは?」「建国記念の日が生まれた背景とは?」……といった様々なトピックを通じて、日本人が意外と知らない「戦前の日本」の正体を浮き彫りにしていきます。「新書大賞2024」で第7位にランクインした、「ためになる」「わかりやすい」と話題のベストセラーです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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