自分の言葉

Facebook宇宙からの呼びかけさん投稿記事

バシャール:本当の自由とは

『自由』とは何を意味しているのでしょうか? 実際『自由』はとてもシンプルです。

『自由』とは、何からも束縛されない解放的な自分で、本来の自分を余す事なく表現できるさまを指しています。

つまり、古い旧型の世界観を手放し、『こうあるべき、こうすべき』の限定的な捉え方から自分を解放して、自分の可能性に意識を向けながら進んでいけるさまを表しています。

従って、自分らしく生きる上で必要なものを、『自由』という体験を通して受け取る事ができます。楽しく自分らしく生きる自分になればなるほど、『自由』を体験する幅も拡張・拡大する事になります。

つまり、バイブレーションが上昇すればするほど、自分が体験できる『自由』の幅も大きく成長する事になることを意味しています。

新しい地球のスターシード達へ the PLANET from NEBULA


Facebook大西 淳さん投稿記事

腹を括り、勇気を振り絞り、声を出すということは、自分自身に掛けた封印を解くということだ。それなくして「我」は「ここ」にあるとは言えない。「我ここにあり」と言葉にするだけでも響くけれど、それだけでは足りない。胸に秘めた思いを言葉にすることで初めて足掛かりとなり得るのだ。

他者の存在があるからこそ、人は自分を定義することができる。しかし最大の厄介事は他者との関わりでもある。他者は鏡であると同時に「我」を殺し得る者でもあるから、他者を無為の加害者としないためにも「我」は独立自尊のために声を上げなければならない。

歌うこと、踊ること、言葉を発することは、もしかしたら闇に埋没してしまうかも知れない、その声にならない声を汲み上げ、「我」の音を空間に響かせることだ。そこで返ってきた木霊こそが、霊的共同体の礎となりうるものであり、そこにはモナドロジーの原則が成り立つ。

モナドには窓がない。しかしすべてのモナドがその内部にお互いを映し合い、響きを通してつながり合っている。新しい宇宙は、そのような霊的共同体に参画し得た者たちの手によって創造され、構築されていくのだろう。「我ここにあり」とは全きモナド宣言と言えるのではないだろうか。

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

心の道具

 いろいろとイヤなニュースやその反応を見聞きしますと、言葉というモノがいやになることがあります。

過激であれば、アピール力があると考えている人もいますし、早々の同調や批判。一旦胸におさめてから言葉を発するということが少なくなっているような気がします。

口が先。相手を負かそうとか、主張しようとかの思いが強いのでしょうか。扇動的な言葉があふれているのがイヤな気分の正体かも知れません。

 自然というのは、人間の言葉を使わずに語ってくれます。言葉を持たない自然が私たちの心をいやしたり、慰めたり・・・。

 人の世界にも不立文字(禅ですが)というものがあります。 悟りの内容は文字や言説で伝えられるものではないということ=教えは師の心から弟子の心へと伝えられるものであるというのですね。言葉の限界であるとともに、心の可能性です。

 臨済宗・円覚寺の僧侶の言葉に出会いました。

 「私たち、禅宗において、文字を読まず言葉を否定する修行をする(不立文字)、無に成りきるということは、まさしく、宇宙空間の中に何もない真っ暗闇の中に一人さまようような無の体験をすることによって、そこで初めて、本当の言葉の力、言葉の意味というものを体感するのであろうと思います」。

「言葉や文字に溢れすぎていると逆に言葉の力を失っていくのではないでしょうか。何もかも否定することによって初めて言葉の力が湧いてくる。思いが言葉になって実現する。

思いを正しくする、言葉を正しくする、姿勢を正しくする、この3つに尽きると思います」。

言葉は心の道具なのですね。大切な道具ですから、いつもきれいにしておきたいものです。


Facebook牛越 国博さん投稿記事

🔥知恵の言葉

1- 自分の言葉に気を配りましょう。言葉で自分の世界が作られます。

2- 他人が言うことをすべて信じてはいけません。

3- 自分の直感を信じましょう。

4- 自分の内なる真実は、他人の真実よりも価値があります。

5- あなたがすること、言うこと、考えることはすべて、自分に返ってくる結果を生み出す原因であることを知っておくべきです。

6- 自分を自分から引き離すような人には近づかないでください。

7- 自分の限界を知っておけば、誰かが限界を超えようとしたときに、ノーと言えるようになります。これは私が望んでいることではありません。

8- 他人があなたについて言うことは、彼らが誰であるか、彼らの恐れや欲望を反映しているだけであり、あなたが本当は誰であるかを反映しているわけではないことを忘れないでください。

9- 愛を信じましょう。愛は生命を維持するものであり、生命はシンボルとシンクロニーの言語であなたに語りかけ、あなた自身への道を示してくれるからです。

10- あなたが判断するときはいつでも、エネルギーの流れにブロックが生まれます。

11- 誰かがあなたを裏切ったとしても、信頼したからといってあなたが愚かなわけではありません。その人は、あなたが彼に与えたものをどう扱えばよいか知らなかった人なのです。

12- 病んだファッションが決める美しさを超えて、自分自身を愛することを学びましょう。自分を愛さない人は良い買い手になり、それは売り手に役立ちます。

13- 私たちの人生計画は星に書かれています。私たちが変えることができるのは、やらなければならないことをどのように生きるかを選択することだけです。

14- 誰にもあなたの夢を殺させないでください。夢を殺したのは、かつて夢を持っていてそれを殺した人たちです。

15- あなたのエネルギーを清潔に保ち、高い振動を保ちましょう。あなたは一人ではありません。あなたの先祖があなたに付き添い、導いてくれます。

すべての人のための愛、善良さ、知恵、光、無限の感謝、祝福


https://gospel-haiku.com/tubo/kotoba.html 【言葉におぼれる弊害】より

俳句を始めたばかりのころは、 無心に句を作るので意外に佳句に恵まれるケースが多いです。

ところが、少し慣れてくると、 言葉遣いや体裁を構うようになり、いろいろ頭で考えて句を作るようになって、 やがて不調に陥ります。 これは、ほとんどの方が必ず一度は辿るプロセスです。 どうしてそうなるのでしょうか?

良い俳句を作りたい、句会で高得点を得たい、というような願望が無意識に働いて、 ちょっと珍しい言葉を発見すると使ってみたくなったり、 歳時記で面白い季語を見つけると、「よし!こんどはこれで・・・」 といったふうに、人の目を意識した作り方になっていくからです。 あたらしい季語やことばに挑戦する姿勢はとても大切なことですが、 でも、想像で使うのは間違いです。

ぼくが間違っていることも多いので、偉そうなことはいえませんが、 ときたま添削に納得されないケースで、

**という歳時記には季語として載っていますが・・・・

**という人の作品にこんな用例がありますが・・・

というような疑問を返されることがあります。 歳時記に載っていても、現代の生活では死語同然の季語もあります。 正しく季語を理解して(見れるものは実際に見て)使う。借り物ではなく自分の言葉として消化できる「ことば」を使う。 というのが俳句つくりの基本です。

俳句には、「季重り不可」、「切れ字は一句に一つ」など、いろいろな約束事があります。 ところが、歳時記を見ると掟破りの作品もたくさん掲載されていますね。 要するに必ずしも絶対ではないのです。 しかし、そうした掟破りは、約束事本来の精神を十分に理解し基本を身に付けて、 免許皆伝のレベルに到達した作者にだけ許される行為だと思ってください。 大切なことは、ものまねや借り物ではなく、自分の作品を作るということです。 出来が良くなくても実体験にもとづいて苦労して作った作品は後々のよい思い出になります。 いくら句会で高得点を得ても、想像や物まねで作った作品には魂がこもっていないので、 感動は残りません。

何のために、誰のために句をつくるのか・・・

ということをいつもチェックして、よき俳句人生を愉しもうではありませんか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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