Facebook芳村思風 感性論哲学 · 投稿記事 芳村思風一語一会 vol.5677
感性とは?
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「あの人は感性が豊かだ」「感性がするどい」「感性型人間だ」と言われるとなんとなくうれしくなりませんか。「感性が豊か」という言葉は、人の気持ちを感じる力や場の空気を読む力、音楽や絵画などの芸術的な才能が豊かであるというイメージが多いようです。
今までは理性的な人間になることをめざしてきた。理性的な人とは、感情や欲求に動かされずに、冷静に物事を判断し、行動できる人であり、「理性的な人」は、誉め言葉でした。
しかし、最近では「冷たい人」「冷酷な人」と言われているような気がして、誉め言葉ではなくなっています。
感性は本能で、理性は人間にしかない高等な能力だから、理性能力を成長させることが人間として成長することだとされてきました。感性は理性よりも劣る能力だとされてきました。感性よりも理性能力を成長させることのみに重きを置いてきたのです。
反面、理性で本能をコントロールすることをしてきたため、ストレスによる精神的な病が増えました。今まで感性とは、「感受性」だと考えられてきました。感性は受動的な能力ではなく、能動的な能力です。それを「求感性(★ぐかんせい)」といいます。
感性の本質は求感性です。
求感性は、生きるため必要なものを積極的に感じ取ろうとする能力です。求感しなければ、感受しないのです。
人間らしく生きるということは、理性的に生きるのではなく、感性から湧き上がってくる欲求や欲望にしたがって生きることなのです。
感性とは、命の底から湧き上がってくる本音・実感・欲求・欲望・興味・関心・好奇心のことなのです
※「ほんとうの自分が見える55の問い」より文芸社 2025年1月発売
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・
Facebook大覚院 真観さん投稿記事
これからの能力は感性の豊かさところで、「能力」とは何でしょうか?変化の激しい時代、「能力」とは “感性の豊かさ ”です。
その感性を磨く方法は、まず「過去を捨てる」ことです。これができないから、経営でいうならば、顧客ニーズと事業者側の想定しているニーズの間にギャップが生まれ、業績不振に陥ります。
また、「頭がいい」という言葉があります。これまでは「百科事典」と言われるような多くの知識を持った人材が頭がいいと言われました。
しかし、これからの時代に求められる頭の良さは、直感的な「気づき」「閃き」を生み出す “感性の豊かさ ”です。これは教科書や学校では身に付けられない真の “神技 ”です。
では、この感性や直感はどうすれば身に付けられるか?
それは、自然や芸術に触れることです。あるいは瞑想もいいでしょう。
とにかく、知識や常識は時代と共に変化するものだから、さっさと捨てて自分を 「空っぽ」にすることです。すると目に見えないものが見えてきます。
Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事
おはようございます。『視野を広げること』
池の中で泳ぐ小さな魚は、広い海をゆったりと泳ぐ大きな魚の存在を知りません。
かごの中の鳥は、果てしない空を自由に舞う鳥の姿を見ることができません。
私たちもまた、知っている世界だけがすべてだと思い込んでしまいがちです。
だからこそ、まずは自分自身を見つめ直し、視野を広げ、ものの見方を変えていくことが大切だと感じます。
知識を単なる情報としてではなく、深い智慧へと昇華させていきたいと思います。
すべては、自分自身の内面から始まるのではないでしょうか。
気づけば、もう3月も半ばに差し掛かりました。
卒業や新たな門出の準備が進む季節。
すぐそこに、春が待っています。どうぞ素敵な一日をお過ごしください。
Facebook相田 公弘さん投稿記事
悲しいかな、今の日本は便利になりすぎました。水道をひねれば いつも 水が出て、スイッチを押せば電気がつく。コンビにに行けば 簡単に食べられるものがたくさん売っていて、
都心部では 緑と公園が減り、子供たちは 携帯やゲームを与えられれば大満足社会を便利にするために生まれたものが自然や目に見えないものへの敬い や創意工夫の精神を奪ってしまったー
そんな皮肉な結果が、いまの日本の閉塞感をつくっているように思えてなりません。
人生に迷ったときに 大事なのは「原点に帰ること」。自分にとって何が一番大切かを思い出すこと。
話題になった映画の中で「永遠のゼロ」「ゼログラビティ」がありますがその共通点は、何か分かりますか?それは「ゼロ」です。「0」は「レイ(霊)」とも読め、「目に見えないもの」、「原点」という意味もあります。実は、ちょうど今の時代も日本人の原点、地球人の原点に 回帰する時期に思えてなりません。
他にも 話題になった作品に「風立ちぬ」「海賊と呼ばれた男」「はだしのゲン」「終戦のエンペラー」などがありましたが共通してるのは、どれも時代設定が
争前後の混乱期だということです。時代は、繰り返すと言いますが今は、あの頃の混乱期と 同じ学びが周期的に巡ってきているように感じます。
今の時代を季節で言うなら、冬の時代です。これは古事記で言うところの「天照大御神が岩戸にお隠れになった」日本神話にあたります。
つまり、これからは 春の時代に向けて「岩戸開き」がはじまります。
私たちは今大きな時代の転換期にいて古い殻から脱皮する時期にいるのです。
天照大神がお隠れになった問題に対して八百万の神々は 会議をひらきました。
その結論は みんなが団結しそれぞれが 自分の個性を 発揮し、「笑い」と「芸術」の力で
岩戸開けようというものでした。
これからは「原点」に立ちかえり自分の個性を精一杯に活かし自分の足元から明るくしていく必要があります。
もし 物事がこれまでのようにうまくいかなくなったら、今のままではいけない、古い自分から新しい自分に生まれ変わるときがきているというサインです。
世の中のパラダイムが大きく転換していきます。その後 どのような未来を創っていけるかは
私達 一人一人の意識 次第です。( 大樹 )
Facebook田中 宏明さん投稿記事
二十代の前半 完全に引きこもり状態だった僕はアパートの近所にあった図書館に通う事が日課でした 朝から鬼殺しを一気飲みして 図書館のソファーでホームレスのおっちゃん達と横並びになってひたすらに本を読んでいました そのほとんどが哲学書でした^ ^
カントやヘーゲル ハイデガーにショーペンハウエル バッハにモーツァルトに カンディンスキーあ、それは違うか^ ^
まぁ、元が良くない頭で必死に煙を出しながら読んでいました 本を読むことなんてほぼなかった人生で しかもいきなり哲学書を読んだりしたのは本当に生きていることが苦しかったからです
藁にもすがる思いで人類の叡智と言われる哲学の中に救いを求めていたんですな^ ^
ああ、可哀想な子😆そして結果は惨敗^ ^むしろ、読めば読むほど 頭が混乱して
一度本気で腹が立って「何が純粋理性批判じゃ!」と壁に投げつたのを覚えてます
公共物に大変申し訳ないことをしました まぁ、それくらい意味がわからなかったんです
ただその中で一人だけ僕のハートが反応する哲学者がいました それはニーチェでした
「神は死んだ」で有名なおっちゃんです それを一度京大の哲学科に行っていた友人に話すと
「田中くん、ニーチェは哲学ではなく詩だよ」と言われました そうか^ ^であるなら詩の方が僕にとっては真実に近い気がしました
では詩とは何でしょう?それは言語化出来ない一種の霊的な感覚を言葉にしようとする試みです だから本物の詩人の言葉はどれだけ時間が経っても色褪せることなく光を放っています
それは普遍的な人間の感性を的確に捉えているからです
「詩は歴史に対して 垂直に立つ」と僕の好きな作家の稲垣足穂も言っていましたな^ ^
○
そんな僕が福井 幹さんにはじめて会った時何と詩的な人なんだ!と衝撃と共に感じたの
を覚えています その在り方が日常にさらされているように見えなかったからです
これがアーティストと呼ばれる人なんだと感動したのを覚えています
まぁ、シンプルに不思議な人だったんですね^ ^
言語ではなく在り方が詩のようだったと言ってもいいかもしれません
そしてそんな幹さんが奏でられる演奏を 聴いた時例えようのない静けさを感じました
その音に含まれたバイブレーションが聴く人の中に確かに感じる「異変」を起こすのです
それを今僕の言葉で表現するなら「神の気配」が音の中に含まれていたからだと思います
神とは一種の静謐さですどこまでも広がる安らぎの感覚です
幹さんの音を通して聴く人の中にそれぞれに備わっている神性が共鳴を起こすのです
そんな共鳴を起こすことが出来るアーティストは稀だと思います^ ^
少なくとも僕が出会ったミュージシャンでも片手で数えられるほどしか思いつきません
幹さんの言葉で言えば「天才ミュージシャン」✨まぁ、本物は自己肯定感も一流です^ ^
本来なら幹さんの「音」の波動に共鳴するだけで充分なんだと思います^ ^
でも、その感覚を言語化して共有することもそれはそれでこの宇宙の豊かさの一つでもあります🌈
幹さんとの8月11日のFacebook コラボライブはそんな幹さんの生演奏もバッチリ聴くことが出来ます^ ^それに触れるだけでも必ず「異変」が起こることは間違いないでしょう
自分で言うのも大好きですが我々の波動はとても軽くて広がりがあります
なぜって自分を深く愛しているから^ ^そんな「在り方」に是非ライブを通して触れてみてください
幹さんがよく言われる「波動共鳴」とは理屈ではなく単純にその波動に触れることで起こります なぜなら僕たちは同じもので出来ているからです
同じエネルギーを 源にした一つのもので出来ているからです
それを神と呼ぶ人もいれば僕のように「愛」と呼ぶ人もいます^ ^
我々が我々自身の中にある愛に気づくほどの人生において価値のある「異変」はないと僕は思っています^ ^
今参加したいと一瞬でも感じたならどうかご自分の直感を信じてあげてください^ ^
僕も自分の直感だけを頼りに生きて来ましたが自分の人生で今が一番幸せです😊
そんな感覚を少しでもたくさんの人と共有出来ればそれ以上の喜びはありません^ ^
是非ご縁のある方のご参加を楽しみにしています💓✨🌈ハートが震える時間をご一緒しましょう^ ^
そんなわけで今日は本気の宣伝でした😆読んでくださってありがとうございます✨
では皆さまも素敵な一日を🌈らぶ💓
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