春季俳句講座

https://www.haijinkyokai.jp/event/post_646.html【令和6年 春季俳句講座】より

 俳句講座は、新型コロナウイルス感染症予防のため、昨年同様、動画配信いたします。日程・内容は以下の通りです。トピックスの動画画面をクリックすると視聴できます。

「第一句集を読むー師系を超えて⑦」

第1回 加藤かな文  『初鴉』 高野素十

   「素十の素」

 素十俳句の手ざわりは、素直、素顔、素焼、素手とか、素十の素を連想させる。でも本当にそうなのだろうか。ちょっと疑いながら読んでみたい。


第2回 高田正子  『おりいぶ』 飴山 實

   「孤絶のわざへ向かって」

 のちに仙境とも呼べそうな抒情世界を作り上げた實の出発点は社会性俳句であった。欣一に兄事し、兜太と交友を深め、自己発見への道を模索する若き實の作品を読み解こう。


第3回 山尾玉藻  『群萌』 大石悦子

   「柔らかな遊びごころ」

 大石悦子は古の詩歌や文学を基調とした独自の句境を開いた俳人であり、その深部には常に遊びごころが息づいていた。その遊びごころを探り学びたい。


第4回 仁平 勝  『鳥子』 攝津幸彦

「俳句的というパラダイムを離れて」攝津幸彦 の俳句が「難解」といわれるのは、それが一般に「俳句的」といわれるパラダイムから逸脱しているからだ。とすれば「難解」な作品を読むには、まず、そうしたパラダイムを離れる必要がある。


https://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/11/blog-post_13.html 【異界のベルカント

―攝津幸彦百句 [1] ―】より

                       ・・・恩田侑布子

はじめに

ようこそ摂津ワールドへ。ご案内するのはわたしでもあり、あなたの中に眠っている記憶でもあります。このなつかしく危険な、覚醒と酩酊とがともに訪れる階段の迷宮を、わたしのおぼつかないカンテラをたよりに、ご一緒していただけますか。

攝津俳句は、言葉によって建てられた日本のサグラダ・ファミリアです。それは、一風変わった五重の塔です。薬師寺の東塔のようにつねに端正な姿勢を保つ「凍れる音楽」ではありません。あるときは虚空へ遊戈し、あるときは海底にゆらめき、いつかあなたの胸に棲みついてしまう不思議な塔。電車に揺られていたり、お風呂にぼんやり浸かっていたり、そうしたなにげないひと時に、ふっと微笑んでスウィングする塔。どこで笑いに身をよじらせようと、いつ溜め息をつこうと、すべてはあなたの思いのまま。

この塔を上るのは下りることで、下りることは上昇することです。一層目が五層目であり、三層目が基壇になる。あなたの歩みにつれて、ゆらぎ入れ替わるやわらかな五層の裳階(もこし)。

百句の扉をひらくたびに、心に仕舞いこまれていたなつかしい光景が息を吹き返すことでしょう。百句の中のいくつかは、ふいに脇腹をくすぐってきたり、背中をほっこりと包んでくれることでしょう。

一九九六年一〇月一三日、攝津幸彦は四十九歳で他界しました。二〇代の句集『輿野情話』にある〈仲秋の何処の秋に落球せん〉の句が、まるで予言のようになりました。しかし一三回忌を修した今、知る人ぞ知る存在であった生前にくらべ、はるかに大勢のファンが若い層にもひろがっています。攝津幸彦の圧倒的に自由な精神は、それまで誰も作ったことがない「おどろきの桃の木」の豊饒の俳句に結実をとげたのです。その俳句は、これから益々大勢の人々に、ぬくもりと忍び笑いをもたらし、やさしく芳醇に生きつづけるに違いありません。

自由な精神とは、本来、好きなことをするというよりも、既成の権威に服従しないことです。それは、きまったレールの上をなめらかに走るよりも、何が出てくるかわからない茨の道を心の底から楽しむことです。

攝津の俳句には、ダダイズムやシュールレアリスムの自動筆記、キュービズムなど、西洋の20世紀の芸術手法が自在に試みられています。しかしその早熟の才は、すでに第一句集の『姉にアネモネ』で、「脱亜入欧」ではなく、「着亜引欧」ともいってみたくなるような、西欧を引きよせアジアに着地する独自の手法に至っています。

ここでは、攝津幸彦の全句集2320句のなかから、百句を選んで鑑賞します。攝津の句集は、じつは駄作の山なのです。したがって句集を開いた人が、五分もしないうちに、「ワケ、ワカンナイ」と、なげうつおそれがあります。攝津は、八、九〇点の俳句を並べる優等生ではありませんでした。裏返せば、糞尿まで内包したカオスと混沌の宝庫です。ですから、うっかり青い実や饐えた実を口にしてしまい、食傷することがないよう、山襞深く実っている「おどろきの桃の木」の美味な果汁をご一緒に味わいましょう。

攝津の弁護をすれば、いくら駄作が多くても、鑑賞に足る馥郁たる百句をもつ俳人は稀です。芭蕉も、秀逸の句が三つか五つあれば立派な俳句昨者、十句あれば名人、といっているくらいですから。

ではまず、一段ずつ階段を踏みしめる前に、五重の塔の各層の名称をあらかじめご覧いただくことにしましょう。                                                          

一層  大いなる翼  二層  露地裏   三層  夢の肉  四層  すべては北に

五層  近江の春

えッ、余計もわからなくなりましたか。いいんです。いいんです。五層といっても、エッシャーのだまし絵以上に、融通無碍に変容する建物ですから。くらくらっと眩暈がして、二三段階段を踏み外してしまう人こそ、この塔の賓客なんです。

ほら、ゆらめく五重の塔のらせん階段で、恰幅のいいスーツ姿。ベルカントを聞かせようと攝津が待っていてくれるではありませんか。

大いなる翼    一層目

ことにはるかに傘差しひらくアジアかな 1  

たった一本の傘が、ユーラシア大陸からインドネシアの多島海までをゆるやかに覆ってしまう魔術が、ここにあります。

もちろん傘を差しひらくのは一人の人間ですから、この句の基本の解は、アジアのどこかで、いつの時代ともしれず、誰かさんが傘をひらく。それだけの光景です。しかし、一人のひらく傘は、「ことにはるかに」という、ゆったりとした七音の字余りをイントロとして、悠久の時間と地平線のかなたに開放されてゆきます。そこにどういうイマジネーションがひろがるでしょう。

しめやかな雨の帳は、滔々たる黄河を超え、揚子江流域、西域やインド大陸、メコン河流域のデルタ地帯までをもしずしずと潤してゆくのです。赤い傘や白い傘が、つぎつぎに、しかしゆるやかな時差を持って、間歇的に時をさかのぼって差しかけられてゆくのです。

アジアとは、黄河文明のみならず、インダス文明、メソポタミア文明という三大文明の発祥地を包含します。はるかな時間と地勢に、いわば「行きて帰るこころの味はい」は、ひとつひとつの傘が花咲く花弁のようなイメージをもって連鎖的に広がっていくのです。やや前かがみになってつぼんだ傘をひらく、やさしいしめやかな女人のしぐさの幻像とともに。そのはてしない無限感こそが、この句の命でしょう。大いなる諧調のもつ、ゆるやかな慈しみの声音に、うらさびしい雨の中をでかける人は、老いも若きもひとしなみになぐさめられることでしょう。そして恥ずかしいですが、わたしも、雨の日は何度この句になぐさめられたかわかりません。

このような幻視を広げる力は、ひとえに一句の音韻から涌きあがっているといってもいいでしょう。冒頭4音目に登場し、一句のうち実に10音を占めるア母音のおおらかさは、地面をなめるように写してゆくカメラさながら、アジアのゆるやかな大地の起伏を目の当たりにさせます。そこに、カ行のコ、カ、カ、ク、コの澄んだ響きと、中七以下サ行の、サ、サ、シ、ジ、の繊細な音が絡みつき、つつましやかな人間の所作、すなわちここでは傘を差す行為を次々に浮かび上がらせるのです。やさしくしかも暢びやかなリズムは、すぐれて音楽性に富んだ日本語を操る作者の独壇場です。

まったく、「ことにはるかに」などという、副詞+形容動詞のとんでもない言葉で俳句をはじめた人がいたでしょうか。ひらがな表記の七音の字余りは、作者のゆるやかな呼吸さながら、すべてをおしつつむ雨のように、ユーラシアの悠久の大地のような効果を発揮しています。こうして攝津の非凡な言語感覚は、二六歳の処女句集『姉にアネモネ』に、大いなる産声をあげたのです。

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/11/2.html 【異界のベルカント―攝津幸彦百句[2]―・・・恩田侑布子  一月の弦楽一弦亡命せり】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/11/blog-post_466.html【異界のベルカント―攝津幸彦百句[3]―・・・恩田侑布子  冬鵙を引き摺るまでに澄む情事】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/12/blog-post_06.html 【異界のベルカント―攝津幸彦百句[4]―・・・恩田侑布子  濡れしもの吾妹に胆にきんぽうげ】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2008/12/blog-post_27.html【異界のベルカント―攝津幸彦百句[5]―・・・恩田侑布子   首枯れてことりこ鳥子嫁ぐかな】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/01/blog-post_7705.html【異界のベルカント―攝津幸彦百句[6]―・・・恩田侑布子  閼伽水と紅梅つなぐ逢ひにゆく】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/03/blog-post_07.html【異界のベルカント―攝津幸彦百句[7]―・・・恩田侑布子 冬景のうしろばかりを天狗ゆく】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/04/8.html【異界のベルカント―攝津幸彦百句[8]―・・・恩田侑布子   春の昼不幸なやかん丸見えに】

【異界のベルカント―攝津幸彦百句[9]―・・・恩田侑布子  餓鬼道の春の道にも酢や溢る】

https://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/05/blog-post_24.html 【異界のベルカント

―攝津幸彦百句[10]―  ・・・恩田侑布子】より

五層  近江の春

燕子花人生は昼捨つるべし  10 

      『鳥屋』所収

燕子花がいちめんに咲いているところを見たい、とずっと思ってきました。悠長な話ですが、三十年後の昨年やっと願いが叶いました。しおたれている私に同情したのか、大学の先輩が「葵祭はいいよ」と、幸運にも上賀茂神社の招待券をくださったのです。家事を放棄して放浪の旅に二日間出かけることにしました、賀茂川の河原に下りて、ひとり気ままに敷物をしき、牛車が土手に来ないか鳩ぽっぽと待っていました。昼寝でもと、うつらうつらしかかるたびに顔を覗きに来るのは散歩の犬ばかり。そうだ、昼寝をやめて、燕子花を見に行こう!と太田神社まで足をのばしたのです。

閑静な洛北の住宅地から山裾にひょいと五,六間紛れこんだだけで、今日が京都一の祭なんて嘘のようなしずけさです。椎の木が黄金の花をつけて男くさい匂いを放っている。大和絵にある誰が袖のような新緑の雑木山を背景に、池の面を覆っていちめんに燕子花の紫があふれています。浅緑に透きとおる葉の一枚一枚は、絵に描いたように平べったくて、おおどかです。紫の花という花は、空を信じきった風情でひたすら光をはじいて開いています。葉と花の明るさが、中空にまばゆい金色の日を反射させています。

そのとき、だれもが思うことでしょうが、

から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ

という『伊勢物語』の東下りの段が、やはり私にも思い出されたのです。

目の前にひろがる数限りない燕子花の花冠の上に、まざまざと女の幻影が現れ、ふっくらとした頬にあどけない目で「業平を待っているの」というふうに微笑んだのです。

「ああ、なんてかわいい人。つぶらな黒い瞳。まだ、ずいぶんお若い方なのですね。〈きつつなれにし〉なんていうから、つい、ろうたけた女性を想像してしまって、失礼」。

燕子花の女人に向かって、思わずひとり呟いていました。燕子花と、陰影に富む花菖蒲とは、似て非なるものだということが、そのときやっとはっきり私にもわかったのです。

「人生は昼捨つるべし」とは、けっしてエピグラムとして書かれたわけではないということもその時気づきました。読者にいっているのではなく、攝津が自分自身にふっと呟いたのです。

上五はKAKITUBATAとA音主調の明るく羽ばたくような開放感ですが、対比的に、中七以下は厳しいI音とくぐもるU音に四音づつ占められています。ことに末尾の七音は、HIRUSUTURUBESIと、まるで吃音をおもわせる韻律。にがさと翳りが滲みます。燕子花の池畔の光の遍満と、死してここからいなくなること。その対比が、音韻上にも明暗をくっきりと際立たせて奏でられています。

「燕子花」の背景にひろがっているのは金のハレーションなのだ。太田神社のいちめんの群生を眺めながら、なぜか私は確信したのです。即座に三百年前の画家、尾形光琳の六曲一双の金箔地屏風「燕子花図」との類縁が思われました。

黄金は、どの民族にとっても、また例外なく日本でも、古代から富と権力の象徴としての役割を担ってきました。しかし一方、そうしたカネと権力の裏側で、金という色自体が日本人の精神に刻んできたものがあります。金色は、あるときにはあでやかに、あるときにはひそやかに、どのような幻想をもたらしてきたのでしょうか。

漢委奴国王の金印に始まって、奈良の大仏の鍍金や、紫紙金字経、鳳凰堂の阿弥陀佛の金箔。平家納経の金彩。マルコ・ポーロの黄金の国。金閣寺。平泉の金色堂。信長時代の金碧障壁画。秀吉の黄金の茶室。今に至る截金細工。金蒔絵。金工。茶盌の金繕い…思い出せないほどにおびただしい金脈。

平面芸術では、とりわけ絵巻物や屏風絵に数多く描かれてきた大小さまざまの金雲が印象的です。そうした金雲は物語や風俗絵の場面転換に使われ、時間と空間の隔たりを自在に表します。しかし、光琳の屏風「燕子花図」に典型的に見られるように、金碧障壁画や金屏風の背景にあるいちめんの金は、もはや流れる時間を表そうとはしてはいません。永遠の一瞬としてそこに在る命を、ただそこに在らしめているだけです。

太田神社の燕子花の群落をみていると、五月の紫外線にくらくらしてきました。まばゆさにうつむくことも知らず、信じられたものとしてある燕子花のあどけなさ。その花の上の空間はたしかに空というより金碧でした。そのときふと、金色の空間の中心に、なにもない消失点のようなものがほのめいたのです。

この世からあの世へのだれもが通る道。帰って来た人がいないばかりに、永遠の謎としてとどまる消失点。出口でも入口でもある不思議な光点は、いつまでも虚空にホバリングを続けていてほしかった。三十九歳で刊行した第四句集「鳥屋」におさめられた掲句をつくったときには、作者はいたって健康だったはずです。しかし、攝津はそれから十年後の「人生の昼」に四十九歳でこの世を去りました。純粋美であるはずの不思議な光点は現実によって蔽われてしまったというべきでしょうか。いいえ、いまも虚空のホバリングは、あそこでもここでも金をほのめかしているにちがいありません。

攝津一流の美意識による白日夢は、俳句で書かれた蠱惑的な黄金幻想ではなかったでしょうか。

 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000