日本精神の原点

https://in.ghqfs-archives.jp/taburn10_gdn_special?cap=dis_mishima&gad_source=5&gclid=Cj0KCQiAv628BhC2ARIsAIJIiK9CdVWFvlwgbpibKDm7_i6fdBahzJ3V1vKB_tp7vuEPtarRmIRB9PkaAmVyEALw_wcB 【島由紀夫が心酔し、GHQが恐れ封じた 原点 日本精神の原点とは 戦後、GHQに禁書指定された本を

70年以上の時を経て復刻】より

申し訳ありません。

正直に言って、私たちはこの本をどう勧めたらいいかわかりませんでした。なぜなら、この本で伝えられている “教え” は、一見すると過激な表現ゆえに、「狂信的だ」というレッテルが貼られているからです。単にタイトルを伝えただけでは、この本もきっと誤解されてしまうに違いありません。よって、いったん伏せておくことにしました。

この教えは、我が国に建国当初から受け継がれる “日本精神の原点” ともいわれているもの。

はるか昔から、日本人が当たり前のように大切にし、親から子へと受け継いできたものでした。しかし、現代の日本では、学校でこのようなことを教わる機会がなく...

英語ブームや欧米文化に押され、今にも消えてなくなってしまいそうな状態です。

混乱した政治、落ち込む景気、緊迫する世界情勢...先の見えない時代に、ひとりの日本人として、どう生きていけば良いのか。この “教え” は、心の拠り所を見失いさまよっている多くの日本人に、自信と希望を与えるものだと確信しています。

この本には何が書かれているのか?その前に、すでにこの “教え” の価値に気付いた人たちの声を聴いてください...

“二十数年間、折りにふれて、あるページを読んで感銘を新たにした本といえば、おそらくこの一冊のみ”                          小説家 三島由紀夫

戦争時代に少年期を過ごした三島氏。もっとも当時強烈な印象を受けた本は、レーモン・ラディゲの小説「ドルジェル伯の舞踏会」。しかし、戦後になると嗜好が変わり、次第に魅力が薄れていったといいます。

もう一つの本は、空襲のさなかにも持ち歩いていた上田秋成の全集。しかし、こちらも徐々に「座右の書」ではなくなっていったそうです。そんな中、三島氏のもとに唯一残った本がありました。それが、この “教え” が記された原書です。彼はこの本を、いつも机の周辺に置き、以後二十数年間... 折りにふれて、あるページを読んでは感銘を新たにしたと語っています。

“魂の熱さが流れているからこそ、古典としての魅力を失っていない” 

                          齋藤孝 明治大学文学部教授

多数の著書を誇るベストセラー作家。第14回新潮学芸賞、第56回毎日出版文化賞を受賞。世界一受けたい授業(日本テレビ)、にほんごであそぼ(NHK Eテレ)などTV出演も多数。

250万部突破の『声に出して読みたい日本語』で一躍有名になった教育学者の齋藤氏。この “教え” についても、原書の解説書を執筆しています。

世間一般では、勇猛果敢なイメージのあるこの “教え” 。しかし、書かれていることのほとんどは「この世にどのように処していくのか」という処世訓であり、その上、酒の飲み方、人とのつきあい方、手紙の書き方、仕事の仕方といった具体的で親切なアドバイスに満ちていて、現代人にもそのまま役立つ教えだと語っています。

さらに、日本の精神文化の柱の一つがこの “教え” であり、古典から精神文化を学ぶことで、心の安定を得ることができると齋藤氏はいいます。

“単なる書物ではない。それは魂が、書物という形になっているだけなのだ” 

                                  実業家執行草舟

日本生物科学(株)を創業。実業家として成功を収めつつも、生命論・人間論研究者として、著書20冊超。美術にも造詣が深く、画家・戸嶋靖昌氏の記念館館長も務めている。

執行氏は、少年時代に医者から「必ず死ぬ」と宣告された大病に見舞われました。約半年間の闘病の末、奇跡的な回復を果たした直後に出会ったのが、この “教え” だったといいます。

以来、60年以上にわたってこの “教え” を心の支えに、人生を歩んできたそうです。執行氏は、この “教え” が記された原書について、これは単なる書物ではなく、魂が書物という形になっただけであり、あの『新約聖書』に最も近いものだと語っています。

また、膨大な蔵書がある執行氏は、『ヨハネ黙示録』や『般若心経』など、世界で最も優れた文献として残っているものは、すべてこの “教え” に通じていると、その思想の奥深さを賞賛しています。

この“教え”を学んだ、戦前の軍 人たち…

日米大戦において “撃墜王” と呼ばれたエースパイロット・坂井三郎

陸軍大将・真崎甚三郎

海軍大将・百武三郎

そのほか、この “教え” の発祥の地である佐賀県出身の軍人が、次々と戦地で活躍したり、

陸海軍の要職に抜擢されたりしたことで、戦中、この “教え” は一躍話題になりました。

この“教え”の発祥の地・佐賀藩の躍進…

この “教え” は、佐賀藩のある武士によってまとめられたもの。

時の権力者にとって都合の悪い表現や批判が含まれていたことから、奇書、禁書という扱いを受け、明治の半ばまで日本で広く読まれることはありませんでした。

しかし、価値を見出した一部の武士たちによって写本が出回り、読書会が行われるなど、

佐賀藩内のみで伝えられてきたといいます。

かつて、佐賀藩は苦しい状況にありました。例えば…長崎港の警備など、幕府に課されたさまざまな負担により、莫大な借金を背負うことに。利息の返済さえままならず、さらに借金を重ねるありさま...度重なる凶作、大飢饉によって多くの餓死者を出し、わずか3年で藩の人口が8万人も減少...お金を刷りすぎて交換不能へ。札元の打ち壊しが起きるなど、踏んだり蹴ったりの状態でした...しかし、幕末になると佐賀藩はメキメキ頭角を現します…

長崎の海軍操練所に多数の伝習生を送り込み、オランダ語、軍事技術、化学などを習得。

1850年、佐賀藩は日本初の反射炉を建設。翌年には日本で初めて、鉄製の大砲の鋳造に成功。 もっとも有名なのが、のちに日本赤十字社を創設した佐野常民。

佐賀の海軍所の監督となり、1865年に国産初の蒸気船「凌風丸」を完成させます。

当時、佐賀藩は日本一の海軍力を誇っていました。そのほか…読売新聞を創設した本野盛亨

ドイツ医学を採用し、東京医科大学を創設した相良知安幕府遣欧使節に参加。

佐賀新聞の基をひらき、写真術の元祖と呼ばれる川崎道民 明治維新で活躍した江藤新平、副島種臣、大隈重信、大木喬任、中牟田倉之助 政治力こそ薩長には劣るものの、豊富な人材を輩出。あれほどボロボロだった佐賀藩は、幕末にはハイテク日本の先駆けともいえる存在にのし上がっていました。他藩に比べ、お金も資源も乏しいなか…躍進の原動力は、当時は佐賀藩のみで密かに学ばれていた “教え” にあったのです。

維新の十傑のひとり、江藤新平はこの“教え”を「明治という、新しい時代を形作る原動力にした」と言い、元内閣総理大臣・早稲田大学創始者である大隈重信も「この “教え” の教訓は現代になっても顕著な効き目がある」と賞賛しています。

明治から戦中...そして現代に至るまで、一部の人々の間で密かに読み継がれ、影響を与えてきたこの “教え” とは、いったい何か?それは『葉隠』という書物です。

今から300年以上も前の江戸時代中期。激しい戦が終わり平和が訪れたことで、武士の力は弱くなっていた時代でした。廃れていく武士道を嘆き、その生き方、振る舞いの美学を残したいと願う2人の武士が意気投合し、約7年の歳月をかけ談話を筆録でまとめあげたのが、この『葉隠』でした。

戦後、三島由紀夫が切腹をしたことで、“武士道とは死ぬことと見つけたり”という言葉だけが一気に有名になり、一人歩きした結果、「葉隠=極端な過激思想」というイメージが定着してしまいました。

しかし、『葉隠』を丁寧に読み解いていくと、むしろ伝統的な武士の心得が記されていることがよくわかります。過激な思想どころか、『葉隠』は、建国当初からある日本国民の性格、

深い精神性を明らかにしたものだったのです。

じつは、“武士道”というものは、武士が現れるはるか前から日本に存在していました。

「武士道は武士だけのもの」という考え方は、むしろ西洋流の見方であり、“日本の国体”とも呼べるほど大事なものだったのです。その武士道の原点が、『葉隠』には書かれています。

約300年の時を超えて読み継がれ、いつの時代も、“葉隠” の教えの真価を知った人はその力を味方につけ、影響力を発揮してきました。

古典というのは、悠久の時を経てもなお読み継がれてきた人類の叡智。特に『葉隠』は、2000年以上の歴史のなかで日本人が育んできた、独自の思想や哲学がギッシリと詰め込まれたものです。正しく読み解くことができれば、そこから大きな力を得ることができるでしょう。

『葉隠』原書の問題点…

しかし、1つ重大な問題があります。それは、あまりに難解すぎること。“葉隠” の教えは全部で1,299個も存在。口伝や写本で密かに読み継がれていた時期も長く、先人たちが付け加えた注釈や、解説を含めればもっと多くなるといわれています...

さらに、全巻すべてを現代語訳すると、短くても数千ページを超える内容になります。

(事実、講談社の『葉隠』は上中下の3巻セットで2,056ページあります)

一部の学者や研究者でもなければ、とても読み切れるものではありません。

よって、ほとんどの日本人が “葉隠” のほんの一部。全体の1%にも満たない部分のみを切り取って、「過激で危険な思想」と誤解し、価値のないものと切り捨ててしまっているのが現状です。

戦後GHQによって葬られた…“葉隠流の生き方” 実践の名著

では、一体どうすれば “葉隠” を正しく読み解くことができるのか。そこで今回復刻したのが、戦前に出版された“葉隠”の実践書『葉隠武士道』です。

この本の初版が出された1938年は、日米大戦の開戦からちょうど3年前。明治維新以降、日本に西洋化の風が吹き荒れたことで、外来文化が流行。「自分さえ良ければそれでいい」という個人主義、私利私欲に走る空気が蔓延していると、著者は強い言葉で批判しています。

例えば…

“一にも泰西(西洋諸国)、二にも西洋と、日本に古来立派な表現の言葉があるにも関わらず、歯の浮くような外国語を喋って得意になり、音楽も西洋音楽、美術も洋画、文学も欧米の真似をしなければ名誉ではないかのように考える不心得はなはだしい者が、思想混沌の際には特に多かった”

*『復刻版・葉隠武士道』 P.53

“激しい勢いで流れ込んできた外来思想の影響で、かつては自由主義の毒華が咲き、個人主義の醜さに、ついに街頭は生きる希望を失い、力のない青年淑女で満たされた。彼らはジャズの音楽の陰に、暗い日曜日の感傷にひたり、果ては三原山に心中王国(*戦前、三原山で男女944人が命を絶つ自殺の流行があった)を築いたりした”

*『復刻版・葉隠武士道』 P.35

70年以上も前に書かれたものですが、現代とソックリではないでしょうか。

当時、『葉隠武士道』はこのような風潮にどこか違和感をもつ読者に支持され、

“大好評・再販出来!!” と重版の際にはページ数も増量。

値段が上がっても売れるほどの人気ぶりでした。

この『葉隠武士道』は、膨大な原書から重要なエッセンスを抽出。

著者であり、歴史小説を得意とする作家・松浪氏の解釈を付け加えているので、

とても読みやすく、実践しやすい内容になっています。

GHQは日本人から何を奪いたかったのか…

戦前まで、この本は当たり前に本屋に並び、当たり前に一般家庭の書棚に並んでいました。

しかし、この本は戦後すぐに、GHQによって “禁書指定” されてしまったのです。

流通を止められ、戦後の日本から葬り去られてしまいました。

いったいなぜGHQはこの本を禁書にし、日本人に見せないようにしたのでしょうか。

あの戦争で、日本は国力で12倍もの差がある米国に対し、約4年間の死闘を繰り広げました。

国を守るために一致団結、時には捨て身で体当たりする特攻兵を目の当たりにし、

米軍では、パニックで精神病を発症する兵士が増加。心底、恐怖を覚えたのです。

「もう二度と、強い日本は見たくない」

戦中から戦後にかけて、米国は日本の強さの秘訣を徹底して研究。

その一つに、日本独自の精神性が関わっていることを突き止めます。

そして、そのような精神性を育む教育を禁止。書籍の流通を一斉に止めたのです。

この『葉隠武士道』も、そのうちの1冊。この本には、建国当初からある“日本精神の原点”が、

一般大衆にも理解できるよう記されていたのです。

ちなみに、戦後も『葉隠』の関連書籍は複数出ていますが、

戦前〜戦中の激動期を生き抜いた著者が書いた “実践書” は多くありません。

あくまで戦後の感性で解釈されたもので、 “処世訓” としての側面が強調されています。

戦前に出版された『葉隠武士道』では、戦争という危機が眼前に迫るなか、国民の心を一つにまとめ上げるため、とくに日本古来の精神へと立ち返ることの重要性が説かれています。

抜き取られた “日本精神” という背骨…

戦争というのは、軍事的な脅威だけでなく、思想によっても行われます。

当時の日本は、弾を使わない侵略。つまり、西洋の思想による侵略を深刻に受けていたのです。そんななかで、いま日本人として立ち返るべき “原点” はどこにあるのか。

それを必死で伝えようとする緊迫感、リアリティーが、この本からはヒシヒシと伝わってきます。もちろん、この本だけで成し遂げたわけではありませんが、

かつての日本人は、日本独自の精神に立ち返ることで一致団結し、強靭な力を発揮。

米国をはじめ、世界の大国を脅かすことになったのです。

日本精神を奪われた現代の日本人は、まるで背骨を抜かれたような状態に。

さらには、戦前と同様、英語、思想、文化など、欧米のものばかりをありがたがり...

「自分さえ良ければそれでいい」という個人主義に、またしても支配されつつあるのではないでしょうか。そこで、今こそ、日本人に力を与えてくれる “日本精神の原点” を知ってほしい。そして、子どもや孫の世代にも受け継いでいってほしい。そんな想いから、70年越しにこの書籍を復刻することにしました。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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