facebook和合 亮一さん投稿記事
詩を書くことは 失われた命と暮らしに 祈りを込めること 静かな時計の音に 耳を澄ますこと 冬の寒い風に 言葉の明かりを灯して 空のかなたを見あげること
詩を読むことは 声をひろうこと 30年前の 地の震えの未明の恐ろしさと 無数の涙のあとを 文字の連なりの息に たどっていくこと
ソプラノの優しい歌声が 濡れた人々の頬を 撫でていったのを浮かべること
歳月が過ぎても 昨日のように隣にある 一日がある 沈黙の闇に それでも与えられる
しなやかな光がある
私たちの心の 蝋燭の上で揺れているのは 言いあらわせない 悲しみと 喪失と
暮らしと 歳月の姿である
1月17日 午前5時 46分 暗がりに 静かな炎が 照らし出そうとする 想いを
いつまでも失わないように 守っていこうとする この時を 分かち合いたい
無数のキャンドルに わたしたちは 一つの火だ
https://edist.ne.jp/nest/tsuito_takemura/ 【【追悼】松岡正剛:編集の召喚者(武邑光裕)】より
1971年、私は高校2年の時に、雑誌「遊」の創刊号と出会いました。松岡正剛という存在を知り、のっぴきならない衝撃を受けました。退くことも引くこともできない状況は、「遊」が号を重ねる度に大きくなっていきました。「遊」からの一撃で、松岡さんを追尋していく旅が始まったのです。
それから80年代、90年代と、松岡さんとは何度かシンポジウムなどでご一緒する機会がありました。移住先のベルリンから一時帰国していた2017年、特別な対話の機会を設けていただいた時に、松岡さんが私の活動履歴を見事に「編集」し、端的に総合してくれたことに驚きました。この対話の後、2023年末、私が主宰する武邑塾の特別ゲストとして、松岡さんの登壇が叶ったことは大変光栄なことでした。松岡さんはいつもの鋭い返しで、周囲への気遣いを忘れない配慮の人でした。
死について考えることは、魂や精神の連続性について推量することです。それは、亡くなった人の本質が、私たちが抱く思い出の中、故人が伝えた教訓の中、あるいは私たちの地上での理解を超えた感覚の中などに、何らかの形でいのちが存続していくことを肯定する方法だからです。死後の世界とは、この地上に生きる私たちの思惟の中に、故人の息づかいを感じることです。その意味で、あの世は此の世との間合いの中で、面影として新たないのちを紡いでいくのです。
松岡さんにとって、編集とは壮大な哲学でした。彼は文化そのものを「編集」として捉え、新たな方法でキュレーションし、形を与え、表現しました。彼の仕事は、古今東西の知性を集積した「千夜千冊」や『情報の歴史』のような博覧に加え、別様の日本を想起し、伝統的な日本、芸術形態、慣習を参照し続けました。それはノスタルジアではなく、因果伝承を再解釈し、活性化させるという意図に基づいたものでした。松岡さんは、過去とは琥珀の中に保存されるものではなく、積極的に関わり、再考し、現代の生活に再び導入すべきものがあると確信していたと思います。その意味で、彼は古代から現代、未来の叡智を見つめた編集と魂の召喚者でした。
しかし、それ以上に重要なのは、松岡さんが文化の対話の重要性を示してくれたことです。過去と現在、そして未来と対話すること、そして、伝統文化を新たな解釈と可能性に開放することの重要性です。変化のペースに圧倒されそうな時代にあって、松岡さんの著作は、過去は私たちを押しつぶす重荷ではなく、私たちを前進させる元手であることを示してくれます。松岡さんは、これからも人々の心に響き続け、創造し、問いかけ、そして結びつけるという人間の精神の永続的な力を私たちに与えてくれています。
松岡正剛さん、あなたは、あなたに触れた人々の人生や、あなたが形作る手助けをした文化の風景の中に生き続け、私たちにかけがえのない宿題を残してくれたのです。
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