https://kakuyomu.jp/works/16816927862765095024/episodes/16817139557270483419 【第28話 シュメール王名表とギルガメシュ叙事詩】より
古代メソポタミアの資料はすべて神話と史実という二つの観点から眺める必要がある。シュメールの歴史には神話が混じり、その神話の中にはほんの少しの史実が含まれている。シュメール王名表には、ウルク第1王朝第4代の王ドゥムジの後に、126年間統治したといわれるギルガメシュの名が見える。ドゥムジは神話のヴェールに包まれており、大洪水の前と後の二度にわたって現れるが、ギルガメシュの方がはるかに史実に近い話が伝わっている。ギルガメシュの名はシュルッパク出土の膨大な文書の中にあるBC26世紀の王名表に初めて登場する。そこで彼は3分の2が神で、3分の1が人間である神人として描かれている。その姿は彼の住んでいた町ウルクの最古の歴史と同様、歴史的には闇の中に埋もれている。世界最古の叙事詩といわれるアッカド語版「ギルガメシュ叙事詩」はBC18世紀のものである。つまり、叙事詩に謳われた出来事の1000年後に書かれたものである。こうしたテキストの一つに、BC2100年~BC2000年ごろにかけて在位したウル第3王朝第2代のシュルギを称えたものがある。その中で、キシュの王エンメバラゲシがギルガメシュと戦ったことを伝えている。これはメソポタミア最古の歴史的事実に関する記録となっている。そして早くも成立したばかりのシュメール都市国家間で始まった戦いに関する一つの証拠にもなっている。現在、ギルガメシュはBC2700年ごろ、シュメール初期王朝時代(BC2900年~BC2335年)のウルクに君臨していた王であることが考古学的に実証されている。
<ギルガメシュ叙事詩に記されている洪水物語>
神々は心に怒りを覚え、大洪水を起こそうとした・・・1日中、南風が吹き荒れ、激しくすごい勢いで吹き、大洪水が大地を襲った。大軍のように押し寄せ・・・人々は互いに見ることができず、見分けがつかなくなった。神々さえも恐怖に慄き、引きこもってアヌの天へ昇ってしまった。神々は犬のように縮こまりうずくまった。イシュタルは、子を産む人間の女のように、絶叫した。甘きよき声の女神が、絶叫した・・・「どうして私は人間たちを滅ぼすために、大災害を命じてしまったのか、世界が大洋となり、私が生んだ私の人間たちが、稚魚のように海に満ちた。」・・・6日と7夜にわたり、嵐は吹き荒れ、大洪水と暴風が大地を襲った。7日目になって、暴風と大洪水は戦争のように自らに襲いかかり、陣痛に苦しむ女性のように自らを打った。
(シュメール王名表)
シュメール王名表または王朝表はウル第3王朝時代(BC2112年~BC2004年)に、メソポタミア南部におけるシュメールの政治権力を統合することを目的としたプロパガンダ的文書として作成された。王名表の写本はキシュ、シッパル、スーサ、ニップールなどから出土し、分布範囲が広い。しかし現在残るのはすべて古バビロニア、つまりバビロン第1王朝(BC1792年~BC1594年)時代以降の写本だけで、それ以前のウル第3王朝時代に遡るものは現存しない。さらに各写本で王朝の順序が異なる場合がある。特にシュメール初期王朝時代(BC2900年~BC2335年)に当る部分に多く見られる。王名表を形づける考え方は次の3点にある。
① 原初以来国土は統一されており、1人の王が宗主権を持ち、複数の王が並存することはない。
② 神々は都市に王権を下すが、それが永久に存続するのではない。
③ したがって、王権はある都市から他の都市へと巡るのである。
この考え方は統一王朝であったウル第3王朝以降にしか成立しえないもので、王名表の成立年代はウル第3王朝か、それ以降と推定できる。
王名表は太古の昔「王笏おうしゃく(王権)が天から下り」最初の都市エリドゥに委ねられたときからのシュメールの王朝を列挙する。そこにはシュメールの各都市の王たちの名と、彼らの統治年が言及されている。ウル第3王朝の滅亡後に王名表を最終的に編集したと思われるイシン王朝(BC2000年~BC1900年ごろ)の王たちは、自分たちのシュメールにおける支配権を過去の偉大なシュメールの王たちの伝統と結びつけることで、メソポタミア南部の諸都市に対する支配が正当であることを示そうとした。「洪水はすべてのものを流し去った。そして洪水がすべてのものを押し流した後、王笏(王権)が天から下ったとき、王権はキシュにあった」と王名表には記されている。
これに続いて大洪水以前に存在した5つの都市名と、それらの都市を支配した8人の伝説的な王の名前があげられる。彼らの治世年数を合算すると、24万1200年を下らない。大洪水以前の時代からBC1800年までに興亡したシュメールの諸王朝をパノラマ風にまとめたこの王名表はトアキル・ヤコブセンによって細部に至るまで手際よく編集された。現在、シュメールに王権が打ち立てられたのはBC3200年ごろであったと推定されている。それは互いに覇権を争う都市国家間の戦いが熾烈を極めていた時代であり、シュメールの東と西から侵入の機会を狙っている野蛮人たちの脅威が、1人の大きな人(王を表すシュメール語ルガルの文字どおりの意味)を選ぶことの必要性を焦眉しょうびの急としていた時代であった。それ以前の時代までは、政治権力は自由市民たちの手に握られていた。彼らは最終決定をする必要がある場合には、長老たちと武器を取る若い成年男子から成る集会を協議のために開いた。こうした政治手続を生き生きと伝える例は、叙事詩(ギルガメシュとキシュのアッガ)に見ることができる。王は戦争か平和かというような非常に重大な決断を迫られていると感じた場合には、自由市民たちと協議しなければならなかった。
王名表は、大洪水前の神話時代と大洪水後の歴史時代を区別しており、そこにメソポタミアにおける王権の概念が具体的に表されている。つまり、さまざまな都市国家の間には領域争いがあったにもかかわらず、ここでは王権はシュメール全体で1つのものとして示され、シュメールは単一の地理的・政治的統合体して見なされる。
・大洪水前の最初の都市はエリドゥで、第2の都市はバド・ティビラで、第3の都市はララクで、第4の都市はシッパルで、第5の都市はシュルッパク。
・大洪水後の最初の都市はキシュで、第2の都市はウルク、第3の都市はウル、第4の都市はイシン。
王名表にある都市名(古い順)と主要な王の名:
なお当時の有力都市ラガシュがこの王名表に記載されていない理由は不明である。
<大洪水前>
エリドウ:アルリム、アラルガル、合計2人の王
バド・ティビラ:エンメンルアンナ、エンメンガランナ、ドゥムジスィブ、合計3人の王
ララク:エンシブジアンナ、1人の王
シッパル:エンメンドゥランナ、1人の王
シュルッパク:ウバルトゥトゥ、1人の王
以上5都市、8人の王、その年数は24万1200年である。
<大洪水後>
キシュ第1王朝:ガンウル、エンメバラゲシ、アッガ、・・・合計23人の王(おそらく第1王朝から第4王朝までの合計の人数)
ウルク第1王朝:メスキアッガシェル、エンメルカル、ルガルバンダ、ドゥムジ、ギルガメシュ、・・・合計12人の王(これも第1王朝から第5王朝までの合計の人数と思われる)
ウル第1王朝:・・・
アワン(エラム地方)王朝:・・・
キシュ第2王朝:エンメバラゲシは第2王朝の創始者で、アッガは最後の王とされる
ハマジ王朝:・・・
ウルク第2王朝:・・・
ウル第2王朝:・・・
アダブ王朝:・・・
マリ王朝:・・・
キシュ第3王朝:・・・
アクシャク王朝:・・・
キシュ第4王朝:・・・
ウルク第3王朝:ルガルザゲシ
アッカド王朝:サルゴン、ナラム・シン、シャルカリシャリ・・・
ウルク第4王朝:・・・
グティ人の時代:
ウルク第5王朝:ウトゥヘガル
ウル第3王朝:ウルナンム、シュルギ、アマルシン、シュ・シン、イビ・シン、合計5人の王
イシン王朝:・・・
(ギルガメシュ叙事詩)
世界最古の文学作品として名高い「ギルガメシュ叙事詩」は、古いシュメールの物語を基にしてウル第3王朝時代(BC2112年~BC2004年)に完成された。主人公のギルガメシュはBC2700年ごろの実在したウルクの王で、世界で初めて個人の名で文学に登場した人物となった。ギルガメシュは神々によって死ぬべきことが定められた運命に抵抗し、永遠の生命を探し求めるが、最後には死が避けられないものであることを悟り、その運命を受け入れる。メソポタミア南部は絶えず洪水に見舞われていた。そのたびに人びとの暮らす集落は大きな被害を受けたことは間違いない。そうした洪水に対する不安と恐怖の中から悲観的な運命論が育まれていったと考えられる。
伝説によると、ギルガメシュはウルクの王になった。ところが次第に暴君になっていったため、ウルクの住民たちは神々にギルガメシュを懲らしめてほしいと願い出る。そこで神々はエンキドゥという野人を作り、ギルガメシュと対決させることにした。それを聞いたギルガメシュはエンキドゥのもとに娼婦を送り、ウルクの町におびき寄せる。町にやって来たエンキドゥとギルガメシュは戦うが、まもなく二人の間に友情が芽生え、力を合わせて森に住む怪物フンババを倒しに出かける。
一方、愛の女神イシュタルはギルガメシュのそうした姿に夢中になっていたが、ギルガメシュはイシュタルを拒絶し、エンキドゥもイシュタルの気まぐれな態度を非難する。イシュタルと神々はそうしたエンキドゥに腹を立て、彼を殺してしまう。友人を失ったギルガメシュは、人の命のはかなさを思い知らされ、永遠の生命を与えてくれるという泉を求めて、大洪水の唯一の生存者ウトナピシュティムを探しに旅に出る。その途中、ギルガメシュはシドリという女性に出会い、質問される。
「なぜあなたは永遠の生命の泉を探しているのですか。人は死ぬ運命にあると神々がおっしゃっているではありませんか。昼も夜も楽しみなさい。それもまた人間の運命なのだから」
しかし、その後もギルガメシュは旅を続け、ついにウトナピシュティムを探し当てる。だが結局、永遠の生命を手に入れることは不可能であることに気づき、ウルクに引き返して、死を受け入れたのだった。
ギルガメシュはその死後まもなく、単に不死の存在の仲間入りをしたばかりでなく、彼と同様有名でまたより古い時代に生存していた何人かの人物、とりわけドゥムジやルガルバンダとともに「神格化」された。ルガルバンダはウルクの王で、ギルガメシュの父であり、その妻は女神ニンスンナ(水牛の女主人)であった。ごく古い時代のこうした君主たちの神格化、ルガルバンダ・ニンスンナのような半神のカップルがパンテオンの中に存在したこと、さらにはこの「混合婚」の結果、彼らの息子が「3分の2は神、3分の1は人間であった」ことは、少なくとも非常に古い時代、おそらくシュメール人が優勢であった時期に、パンテオンの周縁の一部が「神格化」された人間たちによって占められていたこと、そしてまたこのような古い時期には、「神」の概念がある程度弾力的に理解されていたことを推測させる。
[ギルガメシュ叙事詩の変遷]
① シュメール語版:古いシュメールの物語を基にしてウル第3王朝時代(BC2112年~BC2004年)に完成された。
② アッカド語版:バビロン第1王朝(古バビロニア)時代のBC18世紀ごろの作品。
③ カッシート朝バビロニア版、ヒッタイト語版、ミタンニのフルリ語版:BC16世紀~BC13世紀の作品。
④ アッシリア語版::新アッシリア時代(BC911年~BC609年)の王アッシュールバニパル(在位:BC668年~BC627年)の宮殿内の文書館から出土のものが現在、標準版となっている。
シュメール初期王朝時代第Ⅱ期(BC2750年~BC2500年ごろ)に実在したと考えられるウルクの伝説的な王であるギルガメシュに関する悲劇的で感動的な叙事詩は、その冒頭で都市とその防備を称えるよう読者に呼びかけている。
「見よ、今もなおその姿を。軒じゃばら(最上部に帯状に巡らした突出部)の走る外壁、それは華やかなる銅の輝き、内壁もまた他に類なし、敷居に触れてみるがよい。それは古い時代のものだ・・・。ウルクの城壁に登ってみよ。それに沿って歩いてみるがよい。礎石のテラスに注意し、建物を調べてみよ。それは焼いたレンガではないか。なんとまた素晴らしいではないか」
ウルクのようなシュメールの内部では、人びとが建築、彫刻、金属加工、宝石細工、その他それらに付随した積極的な共同作業を営む職人たちの技と商いとを伸ばしていったでけでなく、学究的で鋭敏な神官階級や知識人層によって社会組織や哲学的な思考の上で決定的な進歩がなされ、文字という偉大な発明を生み出すに至った。一式の既定の記号が組み立てられ、それによって人間の言葉や数学的概念のような口にはできない思考が永久的な形で記録されることができるというこの発明は、この後に続くあらゆる事柄の基礎となるものであった。これは商取引上のやり取りが、個人間の物々交換の段階を越えて、神殿を中心とした官僚組織の始まりとともに、組織的に大規模で長期的なものになりつつあった情勢から起こったと考えられる。
ギルガメシュ叙事詩は、ギルガメシュがその生涯で圧政を行った傲慢な暴君だった青年時代から、その懲らしめとして、望みを遂げられずに陸と海とをさ迷い歩いて帰国するまでを描いている。その輝かしい業績をめぐって多くの神話と伝説が生まれ、歳月とともに民族の最高の英雄、そして半ば神のような存在となった。この時代、キシュ、ウル、ウルクの各都市の支配者がシュメールの覇権をめぐって三つ巴になって激しく争っていた。この戦争で勝利を収めたのがウルクの王ギルガメシュだった。
ギルガメシュ叙事詩は英雄的行為と人間的な友情の最初の記録であり、また人間を神々から解放していく過程を描くと同時に、人間が死の不可避性への不安にも直面する様子を描いた世界最古の文学作品でもある。その一節を見てみると、
「英雄も賢者も満ちた後はただ欠ける時を待つ。それは新月と同じ。人びとは言うだろう“彼のように力強く支配した者は他にはいなかった”と。まるで暗い月のように、陰に入った月のように、彼のいない世界に光はささない。ああ、ギルガメシュ、これこそお前が見た夢の意味だった。運命はお前を王にした。けれども永遠の生命を与えてはくれなかったのだ」
また、洪水に関する次のようなフレーズがある。「水の中からやがて大地が現れた」。洪水物語はおそらく世界の誕生、つまり天地創造を描いた神話と考えられる。旧約聖書にも海の中から大地が現れたと記されている。ギルガメシュ叙事詩に出てくる大洪水の話と、旧約聖書に登場するノアの箱舟の話はよく似ている。
この作品の壮大な規模、主題の大きさ、登場人物とその武勇伝の美しさ、この長い物語に生気を与えている勇壮で詩情溢れる息吹、それこそがこの作品を「叙事詩」と呼ぶにふさわしいと思わせる。ギリシャの「オデュッセイア」を思い出させるといえる。
物語は生と死をめぐる問題と深い関係があるが、実際にギルガメシュは冥界の神として祀られていた。作者はシンレクェ・ウニニという名で、ウル第3王朝時代のウルの書記一家に生まれた人物である。そこにはキシュの王エンメバラゲシによるウルクの包囲と、ウルク王ギルガメシュによる反撃などが記されている。この後の版にしても完全な形では残っておらず、およそ全体の3分の1が欠落している。しかし幸いなことに欠けているのは決定的な部分ではなく、作品の大筋はほぼ追うことができる。さらにインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語、その他の言葉で繰り返し書かれている。ギルガメシュは後の時代のギリシャの英雄ヘラクレスの原型といってもいいかもしれない。
古いものから新しいものまで数々の粘土板を貪欲に収集したアッシリア最後の王アッシュールバニパル(在位:BC668年~BC627年)のコレクションの中にはギルガメシュ叙事詩を綴ったものがいくつかのヴァージョンで存在する。王宮内の図書館に保存されていたこれらの粘土板は、BC612年にニネヴェが侵略による焼き討ちに在って以来、瓦礫の下で眠りつづけていた。やがて1850年代にイギリスの考古学者たちがこの宝を発見し、世界を驚かせることになる。ギリシャ文明のはるか昔に未知の文明が存在したのだ。しかし、ここで発見された粘土板および他の数万もの粘土板文書の評価には数年がかかった。1872年までに、若きジョージ・スミスは粘土板文書の解読に成功し、分類を済ませていた。その中の「神話」に分類した粘土板の半分を読み進めたところで、山の上に乗った船のことが出てきた。おまけに、安住の地を探してくるようにとハトが送り出され、見つけられずに戻ってきたという記述まである。スミスはすぐにこれは創世記に出てくる洪水の話の一部だと気がついた。スミスは、これは聖書以前の神話にまでさかのぼる話なのではないかと考えた。確かに大洪水の話は「ギルガメシュ叙事詩」という初期メソポタミア文学の古典の一部だった。聖書誕生のはるか前にあたるBC2700年ごろ、ウルクの王ギルガメシュが不老不死の妙薬を求めて冒険の旅に出るも失敗に終わる物語だ。大洪水について書かれた粘土板が出土したことは、聖書が真実を語っているという証しのように思われた。ギルガメシュ叙事詩がヴィクトリア女王時代の人びとを驚かせたのは、それが聖書に新しい光を投げかけるものであり、世界の偉大な叙事詩の一つでもあったからだ。その詩はアッカド人の文学における才能を証明するのみならず、楔形文字に詩の言語を文書の形で記録する能力があったことを証明している。
(シュメール神話)
シュメール神話は旧約聖書の物語に共通する多くの要素を持っている。大洪水によって人類が滅亡する物語では、この大洪水をただ一人あらかじめ知らされていたジウスドゥラ(旧約聖書のノアにあたる)だけが助かり、人間の種は絶滅から救われる。また、エンキドゥという名のまだ文明化されていない男が登場する。彼は理想主義的な人間だったが、あるとき娼婦の誘惑に負けて、その結果、エンキドゥは文明化された人間になったものの、彼と自然界との幸福なつながりは絶たれてしまったという話は、アダムとイヴの楽園追放のエピソードを想い起させる
シュメール人は、歴史上一般に英雄時代といわれる政治的・文学的な発展段階を、彼らの歴史の極めて早い時期に通過していた。叙事詩の物語の主人公たちは、エンメルカル、ルガルバンダ、そしてギルガメシュだった。はじめの2人についてはほとんど何も知られていなかったのに対し、ギルガメシュは楔形文字で書かれた文学の中で、当時最も著名な、また最も魅力的な人物の一人であった。彼の性格や数々の冒険と挫折については非常に詳しい分析がなされてきた。しかしながら、ギルガメシュの名声はシュメール文学の源流に由来するものではなく、一般に「ギルガメシュ叙事詩」として知られるセム語族アッシリア語(アッカド語の北方方言)で書かれた作品に根ざしていた。それはゆるやかに統合された一代長編叙事詩であり、今日の学者たちが数多くの粘土板やその断片をつなぎあわせ、何十年もかかってまとめあげられたものであった。ギルガメシュ叙事詩は、2人の主人公の名前ギルガメシュとエンキドゥにはシュメール語の響きがあり、ギルガメシュの両親は立派なシュメール名を持っているし、そのエピソードのいくつかは確かにシュメールに発してはいても、全般的に言って大部分はセム人の創作にかかるものだった。
アッシリア語版ギルガメシュ叙事詩の初めから11章までの内容は、ウルクの壮大な城壁を称えるプロローグと、その同じ城壁に向けてのギルガメシュの悲哀に満ちた帰還との間に物語られるさまざまなエピソード、「ギルガメシュの暴君的な権力の行使」「彼に匹敵する者としてのエンキドゥの創生」「獣同様の野生人が性的動機付けによって人間化される話」「2人の英雄の間に築かれる友情の絆」「杉の森への冒険の旅」「天の牡牛との戦い」「エンキドゥの死」「永遠の生命を求めてウタナピシュティムを訪れる危険に満ちたギルガメシュの旅」「大洪水の物語」「不老の植物を失ってしまう話」は、かなり見事に統一のとれた物語構成を持っている。
一方、シュメール語版ギルガメシュ物語は、「ギルガメシュとキシュのアッガ」「ギルガメシュと生者の国」「ギルガメシュと天の牡牛」「ギルガメシュとエンキドゥと冥界」「ギルガメシュの死」の5編の物語である。それぞれは一つの中心的なエピソードを巡って作られた筋書で構成され、5編の間には互いに何の脈絡もない。したがって、アッシリア語版ギルガメシュ叙事詩全編の原型となったシュメール語のオリジナル版は存在しなかったのである。シュメールの物語は途切れ途切れに淡々と、取り留めもなく語られる傾向があり、詩調には強弱・明暗の変化がほとんどなく、クライマックスもほとんど意識されていない。したがって、ギルガメシュ叙事詩はシュメール人ではなく、セム人の創作といえる。
共にウルクの王としてギルガメシュより先に生きていた他の二人の英雄、エンメルカルとルガルバンダも、シュメールの詩人たちに詩作の霊感を与え、少なくとも4編のかなり長い作品にその偉業と武勇とを称えられている。
もっとも、後世のセム族の詩人たちはこの英雄たちのことを全く無視してしまったようだ。シュメールには5編のギルガメシュの物語とともに、エンメルカルとルガルバンダの4編の英雄叙事詩があった。これらの内容を分析してみると、シュメールの英雄叙事詩は、古代インド・ヨーロッパ語族の3つの英雄時代、つまりBC11世紀にギリシャで栄えた英雄時代、その100年後ほどのインドの英雄時代、そして4世紀から6世紀にかけて北ヨーロッパのゲルマン民族の英雄時代の叙事詩のパターンに非常に近いものがある。これら4つの叙事詩の中でシュメールの叙事詩はずば抜けて古いことから、叙事文学の創出がシュメールに帰せられるという可能性は大いにあると思われる。
シュメールの吟遊詩人や詩人たちは、その国土と同胞たちに計り知れない損害をもたらしはしたが、結局はそこから復興することができた破壊的な大洪水のことを知っていた。メソポタミア南部に猛威を振るった洪水に関する歴史的資料は、古くは紀元後7~8世紀のアッバース朝時代にまでさかのぼって現存し、10世紀、18世紀、20世紀の史料もある。また記録には残っていないこれより前の時代にも多くの洪水があったことは確実である。シュメールの大洪水物語およびそれに基づく旧約聖書の物語は、BC3000年ごろに起こった破局的な災害を受けて生み出されたものであり、この洪水の考古学的痕跡はウル、キシュ、シュルッパクに残されている。シュメール最初の重要な都市はキシュであったことに疑いの余地はない。気まぐれで自由奔放な王名表によれば、キシュを支配した王朝は23人の王を擁していた。キシュ王朝の最も優れた支配者の一人はエタナで、王名表には「すべての国々を安定せし人」と記されている。このキシュの王がシュメールの歴史上注目すべき人物であったことは、彼が天に上ったことを語る伝説によって証明される。これは古代の円筒印章の作者たちに非常に好まれた主題だった。
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