聖書の常識

facebook長岡 美妃さん投稿記事

すべてのことは「見る」行為なのだ。

バイブルの創世記にある宇宙創造で「神は見て、良しとされた」が6回連発する。これが意味するところは宇宙森羅万象は「見る」ために創造され、その創造物を「見て」終わるということである。つまり「見る」ことが始まりであり、「見る」ことが終わりである。

では一体、何が「見て」いるのか?「見て」いる主体は何か?

それは体の目ではない。なぜなら体そのものも「見られ」ている客体にすぎず、体の目で見る世界を「見て」いる主体そのものがあるはずである。その主体があらゆるものを解釈し、また「良し」としている。森羅万象、良し。喜怒哀楽、良し。というように。

バイブルではその主体を神とした。しかし神とは一体何か?という問いが出る。それは今ここを「見て」いる自分以外に何もおらず、バイブルでいう神とは、、、なんだ自分のことだったのかと納得がいく。

人類史には色々な神が生まれ、それによって悲惨極まりない宗教戦争が起こってきた。そう、あの第二次世界大戦もジーザスvs天皇という宗教戦争という見方もできるように。人類の起源の争い、それは他の観点を木っ端微塵に砕くまでの壮絶なぶつかり合いを生む種である。

「見る」主体とは何か?・・・その問いを繊細に辿っていった時、人類の眼は開くだろう。「見る」主体、そこにたどり着いた時に広がるのはただ一元の世界。宗教もない、イデオロギーもない、思想も哲学もない、何も「知る」ことのできない世界。。。だから世界恒久平和が実現する。人類が無知の知を悟り知ることを願ってやまない。


facebook斉藤 一治さん投稿記事

「聖書の常識」(山本七平著 文芸春秋)から以下、引用します。

聖書もまた1冊の本ではない。 現在の日本聖書協会発行の「旧・新約聖書」の目次を見れば、旧約は創世記からはじまって39冊の本、新約はマタイによる福音書からはじまって27冊の本から成り立っていることがわかる。   中略

旧約聖書から生まれた宗教は、3つある。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でそれであり、

旧約に「タルムード」(後述)がプラスされたのがユダヤ教。旧約プラス「新約」がキリスト教。旧約プラス「コーラン」がイスラム教と考えたらよいだろう。

旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の基本になっており、その意味で現代の世界の大部分は何らかのかたちでその影響を受けている。

そして、その影響をほとんど受けなかった民族の一つ、それがわれわれ日本人でる。

                                 引用終了

つまり、旧約聖書に書かれていることは、ユダヤ人(ユダヤ教徒)が生きて行くために必要な規範であり、「この規範は絶対神と人間との契約であるがゆえに絶対であるとされてきた」。

                      「 」内は同書から引用

「タルムード」は、ユダヤ人の規範・律法であり「ユダヤ人たちの民法および聖典を集大成した著作」とされ、「ラビ」と呼ばれる指導者によって実行されています。         

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの「一神教」は、「Religion」と呼ばれ、これが明治になって日本に侵入し「宗教」と偽訳されました。本来「Religion」とは、 Re (再び) ligion(一体になる)という「ラテン語」です。元始、地球原住民である人間は神と一体でした。しかし、アダムとイブが、「悪魔」(蛇)に誘惑されて、神に背き、禁断の木の実を食べたのが「原罪」です。

この「原罪」を犯し、彼らは神から離れてしまったため「エデンの園」から追放されました。

つまり、「原罪」を犯し、一体であるべき神から離れてしまった人間が、再び、神と一体になるために必要なのが「Religion」です。

日本人の祖先も我々も「原罪」を犯してはいません。我々日本人は、今でも「八百万の神」と一体です。日本の「神道」や「仏教」は、江戸時代までは「随神(かんながら)の道」「自然の教え」「信仰」「仏の教え」「お釈迦さまの教え」と呼ばれていて自然な日常生活に密着した「習慣」「習俗」そのものでした。それが、明治になって侵入してきた、一神教である「Religion」の範疇に強制的に入れられてしまいました。

つまり、「原罪」を犯していない日本人には「神道」や「仏の道」だけで充分であり、「Religion」など必要ないのです。そもそも、私たち日本人には「悪魔」という概念が、存在していません。「神」と一体である日本人には「悪魔」が入り込む隙がありません。

私が知る限り、日蓮は「悪魔」を意識しておりました。その著「兄弟抄」には次のような記述があります。「此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始己來彼の魔王の眷属なり」と。この魔王こそ「悪魔」に違いありません。

一方、西洋では、世界最古の叙事詩と言われる「ギルガメシュ叙事詩」のテーマ「森の神・フンババ殺し」「神殺し」から、人間は「神」と離れ、「原罪」を犯して「悪魔」に取りつかれてしまいました。

この主人公であるギルガメシュは、紀元前2600年頃、シュメールの都市国家ウルクに実在した王です。

この「Religion」は「一神教」ですから、異なった「Religion」の信徒を排斥します。

その根源は、砂漠の民がその厳しい風土の中で獲得していった、特有の「憎悪」「妬み」「攻撃」「復讐」であります。

西洋の歴史は、「悪魔」と「神」との戦いの歴史であり、「悪魔」が勝利してからは、「Religion」の名の下に実行された「排斥」つまり「大量殺戮」の記録に過ぎません。

つまり、日本人が幕末、明治以来、受け入れてきた西洋文明は、悪魔が神に反逆し、神を殺害し、神に摩り替わったものです。

更に言えば、悪魔が取りついた自己、これが私たちに与えられている「個人」の本質です。

「神に対する反逆」これこそ「Conspiracy(コンスピラシー)」です。

「Conspiracy」の日本語訳は「陰謀」となっておりますが、これも偽訳です。

陰謀とは、人間同士間の軋轢や戦闘であり、「Conspiracy」は本来、人間が侵すことができない神仏の仕組みの破壊をする人間の意思であり行動です。

つまり、西洋文明の本質は「Conspiracy」です。

ですから「今でも八百万の神と一体である日本国」の存在を許すことができないのです。

戦後「Conspiracy」そのものの占領軍は、神国・日本を徹底的に破壊する「洗脳」を本格化して今日に至っております。

私たちは、民主主義、自由・平等、個人主義、人権など、一見、甘ったるいが麻薬に過ぎない美辞麗句に躍らせられていてはいけません。

私は「法華経」に、この「洗脳」「Conspiracy」を撃退する萌芽が含まれているように思います。

付記:イエスは、新約の中で、「律法学者」や「異教徒から利子を取る商人」のユダヤ教徒を、厳しく糾弾しています。

クリスマスは、そのイエスの誕生を祝う日です。

斉藤は、日本神道と曹洞宗の信者であり、キリスト教の仮面を被ったユダヤ教とは無縁であります。

しかし、今や、「キリスト教」とは無縁となってしまった「イエス」の誕生を祝いたいと思います。


https://fox-walk.com/gilgamesh/ 【ギルガメッシュ叙事詩とは】より

ギルガメッシュ叙事詩は、メソポタミア文明の産物であり、その文化的背景を理解することで、叙事詩の重要性がより明確になります。メソポタミアは、現在のイラク地域に位置し、人類史上最も古い文明の一つです。この地で誕生したギルガメッシュ叙事詩は、当時の宗教、政治、社会構造を反映しており、当時の人々の価値観や信念を垣間見ることができます。

19世紀にイギリスの考古学者オースティン・ヘンリー・レイヤードによってこの物語は発見されました。

粘土板に楔形文字で刻まれており、その解読には長い時間がかかりました。

しかし、その後の研究により、叙事詩の内容が明らかになり、古代メソポタミアの世界観や文化を理解するための貴重な資料として位置づけられました。

共通する神話のモチーフ

ギルガメッシュ叙事詩には、多くの神話や伝説に共通するモチーフが含まれています。例えば、不死の探求、洪水伝説、英雄の旅などです。これらのモチーフは、後にギリシャ神話や聖書、北欧神話などにも見られる要素であり、ギルガメッシュ叙事詩がこれらの神話の原点であることを示唆しています。

例えば、ギルガメッシュとエンキドゥの友情は、ギリシャ神話のアキレスとパトロクロスの関係と類似しています。

また、洪水の物語は、聖書のノアの洪水伝説と多くの共通点を持っています。

これらの関連性から、ギルガメッシュ叙事詩が他の多くの神話の源流であると考えられています。

ギルガメッシュ叙事詩が与えるインスピレーション

現代文化への影響

ギルガメッシュ叙事詩は、現代の文学や映画、アートにも多大な影響を与えています。例えば、映画『ブレードランナー』や『ノア 約束の舟』などは、この叙事詩からインスピレーションを得ています。

また、多くの作家や詩人が、ギルガメッシュの物語を再解釈し、新たな作品を生み出しています。演劇が多そうです。

ギルガメシュ王の彫像が残っています。

「すべてのものを国の果て [源]まで見たという人、すべてを味わい、すべてを知ったという人、ギルガメッシュ、国の源、その基礎を見たという人、智恵をもって、すべてを知った人

秘密を彼は見、隠されたものを彼は得た」

ざっくりあらすじ

古代メソポタミアのギルガメシュという半神半人の暴君を主人公とした英雄物語。

紀元前2600年ごろ、シュメール(現在のイラク・クウェート)の都市国家Uruk (ウルク、イラク南部のサマーワにあるワルカ遺跡)に実在したとされる王、ギルガメシュ(Gilgamesh)は、神と人間の間に産まれた存在であり、超越した力をもっていました。

友達の半獣半人のエンキドゥと協力して、杉の森の恐ろしい森番フンババを殺して悪を追いはらったり、ギルガメッシュにつれなくされた女神イシュタルから送り込まれた天の牛を殺してウルクの都城を守ったりする。

その力の強さに、誰もギルガメシュを抑えることが出来なかったために、暴君となってしまいます。

が、その後エンキドゥが病に倒れ息を引き取ると、自分にもやがて死が訪れるのではないかと恐れたギルガメッシュが、永遠の生命を求めて旅立つ。

しかも、2015年に新たに発見された粘土板から、怪物フンババはエンキドゥの幼い頃の友人だったことが判明。

「エンキドゥは、獣の中で育った男。森の神フンババと友達だったのは当然だろう。それが人間の女と暮したら、もう、獣の様に走れない。やがては、英雄ギルガメシュ王と共に、フンババを殺す。火焼き煉瓦の文明の為に、森を破壊したのだ。

エンキドゥはギルガメシュ王と共に、友であった森の神フンババを殺す。と、夢でお告げを受ける。「フンババ殺しのとがで、お前かギルガメシュか、どちらかが死なねばならぬ」

エンキドゥは、病に倒れ死ぬ。この下りは、エンキドゥが、自罰したかのよう」

エンキドゥ死後、ギルガメシュが旅を続ける中、出会った人物、ウトナピシュテム。

彼は大洪水が発生したとき、家族と動物を乗船させて舟で乗り切り、洪水がおさまったかどうかを鳥を飛ばして確認し、不老不死を得た人でした、というエピソード。旧約聖書のノアの箱船と同じ話があったのか??というような展開。

またギルガメシュって、天を力に任せて荒らし回った素戔嗚尊とキャラが似ているような?

不老不死の果実を蛇に取られる、という話も世界各地にあります。

死んだエンキドゥが冥界を旅するというエピソードも、ギリシャ神話や日本神話に共通するものがあります。

ギリシアのイオアニス・カクリディ教授によれば、ホーメロスのオデッセイにも顕著な影響が見られるそうです。

さらにイスラームやシリアに伝わるアレクサンダー大王の伝説もギルガメシュ叙事詩に酷似しています。

この地方の伝承では、アレクサンダー大王は晩年、若返りの泉を探し、オリエントを彷徨います。

いつか粘土板が全て集まり、全容が判明するのかどうかも、ワクワクします。

時代背景

ウルクは、イラクの国名の由来にもなった古代メソポタミアの重要な都市です。都市神はイナンナ(アッカドのイシュタル)。現在知られている限り、ウルクから発見された文字資料(楔形文字)は人類最古のもので、ウルク市が文字の発祥地であった可能性もあるようです。

世界最古の文学作品の一つ。紀元前2千年紀初頭のものが最古の写本(粘土板に楔形文字で書かれた)で断片的に残っています。

全ての神話のルーツとも言われています。

シュメール人は、アッカド語の呼び名で民族系統不詳。自らのことを「ùĝ saĝ gíg-ga (発音:uŋ saŋ giga)(ウンサンギガ、黒頭の民)」と呼び、自分の国を「ki-en-ĝir(キエンギ、君主たちの地)」と呼んでいました。

メソポタミア(Μεσοποταμία、Mesopotamia)とは、ギリシャ語で「複数の河の間」の意味。

現在のイラク、シリア、トルコにわたって流れているティグリス川、ユーフラテス川の間にあるため、その名がつきました。

イラクで、シュメール人の文明が発展したのをベースに、メソポタミア文明が発展したという流れです。

メソポタミア文明を支えた3つの要素

1. 灌漑農耕の発明

それは余剰生産をもたらし、文化的営為に費やす時間的有余を生み出した。石材、木材は乏しかったが、泥(粘土)は豊富だった。

シュメールの文明観は、粘土からなんでも作り出すことにあったため、物語では人間も粘土から作られる。

2.シュメール都市国家の成立

そこでは分業が進み、地縁血縁に縛られない「個の意識」が芽生えた。周辺諸国との交易も盛んになった。

3.文字の発達

川の反乱が度々起こるため、粘土は豊富にあった。それで煉瓦や粘土板が作られ、粘土板には交易の記録などが残されるようになり、これが文字の原型となっていった。

原文字トークンから絵文字を経て楔形文字が成立することで、情報伝達の正確性が飛躍的に向上した。こういった背景を元に、世界最古の文学作品が生まれました。

イラン中部から北部がAkkad(アッカド)人が住んでおり、隙あらばシュメール(Urukあたり)に進出しようとしていました。そして紀元前2350年頃、アッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一して中央集権国家のアッカド帝国を作ったものの、後に衰退しました。

●北メソポタミア;アッシリア (初期〜古アッシリア時代)

周囲を征服したりされたりし、古バビロニア王国のハンムラビに征服されます。バビロニアと異なり、高原にあるため灌漑が不要で小麦を豊富に産出し、セム語族のアッシリア人商人による交易も盛んでした。

●南メソポタミア;シュメール(北部)+アッカド(南部)を合わせた歴史地理的領域→

紀元前1757年頃、ハンムラビがアッシリアへ出兵して征服し、メソポタミア地方を統一し、古バビロニア王国(バビロン第一王朝)となりました。

都市国家バビロンがシュメール及びアッカドの地を再統一したことにより、ハンムラビは、シュメール及びアッカドの地の王の地位を獲得しました。統一されたこの地域はバビロニアとも呼ばれるようになりました。

紀元前1595年頃ヒッタイトのムルシリ1世に攻められ滅ぼされました。

あとは端折りますが、この地域は後に。

ヒッタイト王国→アッシリア帝国(中アッシリア時代)→4帝国時代(メディア、新バビロニア、リディア、エジプト第26王朝)→ペルシャ王国(アケメネス朝)→ローマ属州時期→パルティア→サーサーン朝→イスラーム帝国→モンゴル帝国→オスマン帝国→イギリス委任統治領メソポタミア→イラク王国→イラク共和国 そして現在に至ります。

ヒッタイト王国では、これを読むと親近感を感じられるようになるかも。。

天は赤い河のほとり

旧約聖書

ユダヤ教の聖書(ヘブライ語で「タナハ」)を元に書かれたキリスト教の正典かつユダヤ教の聖書。

成立時期:紀元前(知られている最古は、アラム語聖書、古代訳)

アラム語とヘブライ語は両方とも北西セム語族の言語として分類されています。

ユダヤ教;紀元前587年にバビロン捕囚、その間に教義が現在に繋がるものに改められました。

キリスト教はユダヤ教の一派として始まり、原始教団は、西暦30年前後に現れました。

イスラム教において、その一部が旧約聖書と啓典に共通した記載がある。

ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)

ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)

イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)

ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

現在読まれているものとは異なり、それぞれ、アラビア語で「タウラー」「ザブール」と呼ばれる”

コーラン(クルアーン);

西暦610年頃にムハンマドが大天使ジブリール(ガブリエル)が彼のところにあらわれ、神から託された第一の啓示をあたえたところから、何度かに分けて伝えられたものを文字にしたもの。

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参考:

1) Wikipedia ギルガメシュ叙事詩、 、旧約聖書、クルアーン、メソポタミア、タナハ、シュメール、、アッカド、

2) 古代メソポタミアの神話と宗教―『ギルガメシュ叙事詩』の魅力を中心に―

3) Lost ‘Epic of Gilgamesh’ Verse Depicts Cacophonous Abode of Gods

4) 『ギルガメシュ叙事詩』 の新文書: フンババの森と人間 渡辺和子 – 2016

5)「ノアの方舟」の原型? 『ギルガメシュ叙事詩』のあらすじ (パンタポルタ)

6) TRIITY

ギルガメッシュ叙事詩は、単なる古代の文学作品ではなく、すべての神話の原点としての位置づけを持ち、現代の文化やアートに意識されなくても、多大な影響を与え続けています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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