facebook永吉剛さん投稿記事
妻沼聖天山に行ってきました。これは間違いなく国宝です。
この聖天様は、1179年に斎藤別当実盛公が祖先伝来のご本尊を祀るために創られたそうです。妻沼聖天様の由緒正しさは、日本最古の聖天尊像として知られ、縁結び、家内安全、商売繁盛、厄除開運、交通安全、学業進学など、あらゆる分野での良縁が開かれるので、お参りする人々が後を絶たないそうです。
このような彫刻で有名なのは日光東照宮ですが、この聖天様にも日光東照宮を手掛けた伝説の彫刻師・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品「わしとさる」が残っております。
さて、ちょっと話が飛びますが、この聖天様が作られたのは1200年ごろ。寄居に鉢形城があったのは1300年ごろ。
寄居の鉢形城は北条氏の城ということで平家。聖天様を創建した藤別当実盛公も平家の人で、聖天様が造られた当時、この辺(埼玉北部)は北条氏の勢力が強かったことが想像できます。
ところで、この聖天様の装飾を手掛けた左甚五郎は1600年ごろの人だと言われております。
1600年ごろは江戸時代。江戸時代は徳川氏。
江戸時代は、源氏も平氏も関係ありませんが、徳川家康は源氏の末裔を主張していたそうです。名前も源氏に寄せて「源元康」と名乗っていた時期もあるようです。
ということは、平氏の寺院であった聖天山が残っているのは気に入らないから、この聖天山を源氏の寺院にしてしまおうということで、徳川家が左甚五郎に依頼して、源氏寄りの寺院に手直しさせたのかもしれません。
つまり、聖天様は家康の独占欲で手直しされた、原平一体の寺院なのです😲←勝手な想像です。
http://kattyan.ath.cx/menuma/7.htm 【本坊歓喜院】
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● 妻沼聖天山ご案内
当山は治承三年(八百数十年前)この地方の庄司齋藤別当実盛公が本尊聖天さまを総鎮守としてお 祀りし民衆の祈願所として開創されました。本坊は実盛公の二男良応僧都が聖天行者の修行所として建立されました。聖天さまは仏法の守護神でありますので、多くの密教寺院では、寺院を守るために祀られています。当山では直に祈願を篭める人を守る本尊さまとして祀られています。開運・厄除け・縁結びのご利益がいただけます。
聖天さまは秘仏でありますが、そのお姿は宇宙の真理、仏法の悟りをお示しになっておられます。信者は自らの信仰によって真理を体得すれば、心眼でお姿を拝することができます。
聖天さまには次のような祈願を篭めることが出来ます。
厄災消除 良縁成就 病気平癒 受験合格 交通安全 旅行安全
進学成就 身上安全 心願成就 家内安全 子宝満足 就職成就
商売繁盛 安産守護 身体健全 結婚式 誕生命名 初宮参り 十三参り 成人祝祷 還暦祝祷
本坊の内拝について
本坊の内拝は平素はできません。浴油万人講参拝「3月第2土、日曜日午前9時~午後3時」
星供祈願法要「12月22日午後7時~8時」のときのみ、内拝できます。
● 妻沼聖天山歓喜院本坊
妻沼聖天山歓喜院本坊(本堂)の切妻屋根破風に「鳳凰」、正面梁上に「双龍」がいます。
一説では鳳は風、龍は雲と雷を象徴し、また、龍は天子、鳳は后を表すそうです。
* (鳳凰) * (双龍)
● 明神社
● 加行堂 * (加行堂)
● 金剛殿
● 板石塔婆 (埼玉県指定文化財 指定年月日 昭和40年3月16日)
種別 考古資料 名称 板石塔婆「善光寺式三尊像板碑」
面の主尊に、阿弥陀如来、脇侍に観音、勢至両菩薩を半浮き彫りにし、光背部に七化仏を配した 所謂「善光寺式三尊像板碑」で通称「ひら仏」と呼ばれている。
裏面には釈迦如来と文殊、普賢の両菩薩の種子が刻まれている。紀年銘は無いが、鎌倉時代のものである。この板碑はかつて妻沼小学校の敷地内(もと大我井森)にあったが昭和30年12月、校舎増築のため 現在地に移転したものである。
高さ178cm・幅59cm. 熊谷市教育委員会
https://seiryuji.org/hoshiku.html 【星祭り(厄除祈願)】より
年の変わり目である節分に、それぞれの人のあたり星(毎年あたり星は変わります)を供養して、 開運除災・無病息災等を祈願祈祷致します。厄除け祈願といいますと、厄年や前厄・後厄の方だけがするものと 一般的には思われがちですが、良い年廻りの方もより一層良くなるように祈願するための星祭りでもあります。 厄年の方は悪事災難を免れるために、良い年の方は益々の幸福のために、 年に一度の厄除祈願をなさることをお勧め致します。
星祭り・厄除祈願を厳修するにあたり、金色堂三不動尊特別御開帳となります。
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