直刺せる冬の朝日や城熾る 五島高資

https://blog.goo.ne.jp/take10nbo/e/3e557ba2a28d8840e003f7d664620f68 【起きて生きて冬の朝日の横なぐり 金子兜太】より

目が覚めると、夜はようやく明けたところであった。山越しに姿を現したばかりの太陽は赤い。寝具から抜け出すと、一夜の内に部屋に満ちた冷気が、たちまち作者の体を覆う。寒いと感じる。しかし作者は、そこであえて窓ガラスを開けた。東の空低く燃える太陽は、作者の頬をぴしゃりと平手で打つように照らしつける。

一層厳しい外の冷気に肌を晒しながら、作者は日差しの暖かさを僅かに感じる。冷たいこと、温かいこと。それは即ち、自分が今生きているということだ。

生を授かり、生かされているということだ。ならばその命を、大切に輝かさなくてはならない。粗末にすることはできない。

作者は冬の朝日に、笑顔を以て答えたであろう。今日も精一杯生きるよ、と。


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_23.jsp【「時刻」で詩情を誘う】より

 しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり 蕪村

辞世です。夜明けの白梅を思い描きながら蕪村は亡くなったのでした。

 朝霜や室(むろ)の揚屋(あげや)の納豆汁(なっとじる) 蕪村

遊興の夜を過ごした後の朝ご飯です。

 なの花や昼一(ひと)しきり海の音 蕪村

菜の花の咲く昼間、しばらく聞えていた潮騒が再び静かになりました。

 牡丹(ぼたん)切(きっ)て気のおとろひし夕かな 蕪村

大きな牡丹の花を切った後、日の暮にふと気の衰えを感じたのです。

 短夜(みじかよ)や毛むしの上に露の玉 蕪村

夏の夜、毛虫が露を帯びている。

時刻(朝、昼など)を詠み込んだ蕪村の句を引きました。『枕草子』に「春はあけぼの」とありますが、季節や情景を詠むとき、そのときの時間をどうあしらうかは句作の着眼点です。今回は時刻を詠み込んだ投稿句を見ていきます。

季語で気持ちを表現

涙落つ暮れゆく空の星にじむ

 寿松木(すずき)美和子さん(55歳、横手市)の作。〈萩散りぬ手を振りほどき息子逝く〉という句も投稿されています。「暮れゆく」という時刻が悲しみを添えます。季語を詠み込んで、涙落つ秋の日暮の星にじむ とすれば、秋の暮という季語に作者の気持ちが反映されます。

読者の共感を呼ぶ

曼荼羅の楼閣三限目の海市

 鷹島由季さん(東北学院大3年)の作。大学の「三限目」は昼すぎ。海市(かいし)は蜃気楼(しんきろう)。春の季語です。アンニュイが漂います。「三限目」も面白いのですが、

曼荼羅の楼閣昼すぎの海市 とすれば、作者が大学生であることを知らない読者にも分かり易い句になります。

五時間目意識遠のく春昼よ

 三谷愛華さん(能代西高1年)の作。高校の五時間目は昼すぎの眠い時間。春も眠い季節。〈春昼の意識遠のく授業かな〉とすれば形は整いますが、「五時間目」のリアルさを生かし、

春昼や意識遠のく五時間目

としてはいかがでしょうか。小中高の五時間目の眠さは読者の共感を誘います。

夢とうつつを行き来する

目を開けてみて朧な朝まだき

 齊藤徹生さん(秋田中央高3年)の作。「朝まだき」は早朝。〈おぼろなる灯りがひとつ朝まだき〉という句も投稿されています。「朧」は湿度の高い春の大気の中で物の形が朦朧(もうろう)とすること。昼の「霞」に対し「朧」は夜です(例外的に「昼朧」という作例もあります)。齊藤さんの句は、夜の朧の気分をひきずった夜明けを詠んだところが新鮮です。

夕蛙迷子の靴を探しおり

 京野晴妃さん(秋田技術専門校1年)の作。春の夕暮、蛙の声を聞きながら(蛙は春の季語)、しまった所がわからなくなった靴を探しているのでしょう。そうはいいながら、迷子になった子供の靴を、大人が探している場面を連想してしまいます。それはきっと、事件に遭った子供の靴が見つかる場面をドラマなどで見かけるからでしょう。アニメ映画の『となりのトトロ』では、迷子になったメイを探す場面で、池で子供用のサンダルが見つかります。

 「夕蛙」の「夕」に、どことなく不思議な気分が漂っています。薄暮は別名「逢魔(おうま)が時」。泉鏡花に、逢魔が時に迷子になった幼い子供を素材にした『龍潭譚(りゅうたんだん)』という詩情あふれる怪異譚があります。

さあ、あなたも投稿してみよう!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000