https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/32157760/【「俳句における自己主張とは…何なのか」】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2965665/ 【進化は止揚・その道はタオ】
https://blog.goo.ne.jp/tuneaki_7/e/cd5e7976b94c62b5c0b07b3dd04bb0e3/?st=0 【俳句言葉の基本は言葉のモンタージュである】より
児 島 庸 晃
私の心の奥深くに未だに消えないで残っている言葉がある。昭和四十年代の次のことばであった。
…斉藤正二氏は“俳句不毛の時代”だと叫び、兜太氏は“精進の時代”だという。この二者の間にある思考の相違は現代俳句に於ける一つの危機を示し続けている。
この言葉は今日に至るも、私の心に残っていてすこしも進展してはいない。それは何ゆえにそう思うのか。私としては長い未解決連続の時代であった。つまるところ未思考に等しかった。考えてみれば俳句を作るという事は自分を語るという実に単純な思考。私の心を詩的言語に託し表現すること。それそのものが私性の文体であったのだ。
そこで思いあたるのが、飯田龍太の文体である。この句体とも言える基本になっているのが、モンタージュ理論のようにも私には思える。モンタージュ理論とは何なのか。簡単な言葉で言えば、言葉と言葉の繫がりにおける意味の深みを、より緊密にして、言葉の緊張感を強く求めること。俳句言葉に可能な限りの変化や変革をもたらすように意識操作することなのである。私達の日常にあっていろいろ体験しているのだが、目視において緊張感を抱いては見てはいない。例えば次の句などは。
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
句集「春の道」1971年飯田龍太第5句集より。この句のモンタージュの対象になる俳句言葉は「一月」なのだが、この句の場合は上下の二段構えの構成で出来上がっている。その上下に同じ俳句言葉「一月」が施されている。そしてその両方に跨るように意味のある配置がなされている。このような意識ある構成の操作がされている。同じ俳句言葉「一月」を意味の違いを二つに比較してアレンジする言葉の使用をモンタージュと言う。もとを正せば、このモンタージュ理論なるものは無声映画の時代にロシアで起こった映画表現理論だった。「戦艦ポチョムキン」の中で使用された編集理論なのである。(1925年に製作・公開されたソビエト連邦のサイレント映画。映画作家セルゲイ・エイゼンシュテインに代表されるヨーロッパ型のモンタージュの中での理論。その映画シーンとは。乳母車が石段を下る場面で、その表現において、乳母車・石段・乳児と交互にスクリーン一杯にカットバックでだぶらせてゆく手法。これをモンタージュ編集とも言うのである。このそれぞれの大写しの表情が重なって緊張感の重みを目いっぱいだすものだった。ずーと後になって日仏合作映画、アラン・レネ監督「ひろしまわが恋」にも使われていた。原爆投下の広島の街の景色に、愛し合うふたりの身体がオーバーラップで重なってゆくモンタージュ編集だった。モンタージュ理論俳句とはこのように意味のあるイメージの重なりを言葉と言葉の重ね合わせることにより、アレンジでの深みを出して緊張感を盛り上げる俳句手法なのである。
花びらは春一番の配達人 小嶋良之
「青群」弟44号より。この句のモンタージュ俳句言葉は、「花びら」で、もう一方のモンタージュ俳句言葉は「春一番」である。このように常にモンタージュの対象となる言葉は一句の中に二つある。そしてこの二つには相関の繫がりがあり、この繫がりがイメージとなって一つの言葉と、もうひとつある別の言葉が重なりダブって意味を深くする。この繫がりが浅ければ俳句にはならない。それぞれ遠くに在るものを、作者の意識操作でくっつけることが大切で、ここで失敗すると何のことだかわからない俳句になる。このとき重要なのが作者の感覚が読者に読み取れるようにしなければならない。この句の場合だが言葉そのものの使い方に工夫がされていて、「花びら」と「春一番」の双方の言葉には違和感はない。それは双方の言葉に課せられた役目が実行されているからである。つまりこの双方の言葉の間には、指示される言葉「花びら」と指示する言葉「春一番」がそれぞれの機能していて、このことがモンタージュされているのである。句の緊張感・臨場感は指示する俳句言葉と指示される俳句言葉が快く読者に伝達出来ているのである。
同じように指示する言葉と指示される言葉の句だが、ここでは、より鮮明に作者の言いたい目的言葉となり得た句がある。
落葉踏む三本足の音未来へ 福島靖子
「歯車」387号より。この句のモンタージュ言葉だが「落葉踏む」の導入部にある。 そして受け言葉としてのモンタージュ言葉は「三本足の音」である。指示する言葉が「落葉踏む」であり、指示される言葉が「三本足の音」なのである。この二つの俳句言葉より、作者の主張したい「未来へ」の言葉が生まれているのである。この句の展開に言葉のモンタージュが使われている。「落葉踏む」の何気ない動作より物事が始まり「三本足」のクローズアップが作者の眼前に現れる。この部分がモンタージュなのである。ここに指示する言葉と指示される言葉とのせめぎあいがある。これらのイメージの交互に繰り返される状況に緊張感が出るのである。「落葉踏む」は第一イメージ、「三本足の音」は第二イメージである。「三本足の音」とは杖をついて歩いているのである。本来の二本の足と杖をつく音もふくめての音なのだろうと私は思った。この第一イメージと第二イメージの重なりだぶりがモンタージュ編集がなさている俳句なのである。さらに作者はこのままでこの句を終了しようとはしなかった。「未来へ」と句を結ぶ。これは赤尾兜子が打ち出した第三イメージ論なのである。兜子は昭和40年頃だったと思うが、句の本質論として現代俳句はイメージの積み重ねであると、その趣旨を語っている。ソシュールの言語論を俳句に取り入れ、第一イメージは目視、第二イメージは展開、この二つのイメージより、第三イメージが出現。この第三イメージは作者の主張したい意味が発生するとの見解を述べている。これが兜子の第三イメージ論であった。この兜子の思考は俳句のモンタージュ理論なのである。この「落葉踏む」の句は主張したい言葉が何気なく強調されて見事なモンタージュ言葉の句となっている。
第三イメージ論を述べていたころの赤尾兜子の句に私は、たびたび涙を流すことがあった。前衛俳句の最前線にいたようにも思われていた俳人だが私はそのようには思ってはいなかった。いま思えば兜子はモンタージュ俳句の基本を忠実に実践していたのであろうと私は思う昨今である。ここに私の記憶に残る思いを述べた記述がありいまも思い出す。。
壮年の暁(あけ)白梅の白を験(ため)す 赤尾兜子
昭和46年「歳華集」の中に収録されたこの句。兜子の存在そのものを問いかける姿のなんと純粋で悲しく痛々しいことか。壮年期の始まりに汚れきったこれまでの人生を白い梅花に問いかける仕草こそ素直であり、より必死に生きてゆこうとする姿でもある。人間の一生を考えていてふと思うことがある。幼年期、少年期、青年期、壮年期、晩年期と経てゆく過程で生まれたままの素直な心はその社会経験を得てどれ程変化してゆくものなのか。とてつもない過去に帰り私自身のことを考えてみる。純朴な精神は多くの競争社会の中でずたずたにされ、打ちのめされ、放り出されて最後には自分自身を見失っているのではないか。私はその中をくねくねと曲がりぶっつからずに避けては通り過ぎて来た。だがいまどれ程の純粋さを保って生きているのか。眼前の咲き始めた梅の白花を見ながらずーっと思っていた。自然はその寒暖の厳しさとも闘いながら毎年開花の季節を迎える。咲き誇る自信に溢れその純朴は人の目を吸い寄せる。真っ白な純粋はひたすらにひたすらに美しい。私は茫然とするだけであった。この句においても「壮年の暁」と「白梅」がモンタージュ言葉である。目視の言葉が「白梅」であり、作者の受けとった言葉が「壮年の暁(あけ)」なのである。ここにも第一イメージ、第二イメージへと変革の証がある。そして第三イメージとしての作者の主張「白を験(ため)す」の言葉を生み出しているのである。だが赤尾兜子は白梅の汚れを寄せ付けぬ白に自分自身の汚れを重ね、自分の汚れちまった傷だらけの白の方がもっと美しいのではないか…そう思った俳人だったのではと考えていた。この句の基本はモンタージュ理論にあったのであろうと私は思う。
盲母いま盲児を生めり春の暮 赤尾兜子
昭和48年作。当時私は兜子主宰の「渦」の同人であったが、眼前の兜子は句会などにおいてもこの句のような暗さは感じなかった。熱心で真剣であった。第三イメージ論を打ち出し青年作家を刺激していた。いまで言う取り合わせ俳句の基本ではなかったかと思う。第一イメージと第二イメージは非常に異質の物であり、両者のぶつかりによって第三の強烈なエネルギーを得るというものであった。それには俳句は二つの構成からなり、指示する部分と指示される部分があるという考えであった。この句は「盲母」と「盲児」がモンタージュ言葉であり、指示する言葉と指示される言葉になっっている。やがて数々の悩みを内に秘め鬱病になってゆく。毎日新聞の記者であったが、その定年の頃より重くなりその「渦」にも一句と記載が減ってゆく。そのころの作品である。そのころの西川徹郎氏は言う。「戦後の傷みに耐えきって赤尾兜子が生まれ、戦後俳句は方法とともに死に得る作家赤尾兜子を得て終るかもしれぬといえるかも」このせっぱつまった徹郎発言を私も真剣に考えていた。この数年後兜子は阪急電車御影駅近くの踏み切りより電車に飛び込み自殺する。妻の恵以さんに煙草を買いにゆくと言って家を出ていったまま帰らぬ人となる。この句における言葉の発想にも目視時のモンタージュがあった。
俳句思えば泪わき出づ朝の李花 赤尾兜子
昭和50年作。この素直さ、純粋さを見よ。俳句を思って泪を出せる俳人がいたか。詩人の足立巻一氏は言った。「兜子はたしかに句を思って涙を流すことの出来る詩人だ。わたしはその涙の質をひそかに知っているつもりである」。美しくきれいになろうとすればそれだけ鬱がすすむ。生命感だけの世界。それは生まれたままの姿だ。この句は「朝の李花」の目視より始まり「泪わき出づ」のイメージへと続く。ここで言葉がモンタージュされている。この時作者の心の中にはとてつもない緊張感が発生しているのである。そして作者の主張でもある「俳句思えば」の言葉に辿りついている。指示する言葉「朝の李花」と指示される言葉「泪わき出づ」がオーバーラップされて言葉の重ね合わせがある。これが言葉のモンタージュなのである。兜子は余りにも真面目で純粋すぎたようにも私には思える。最後の最後まで作者の主張がモンタージュの思考の中より生まれているのである。 いま私的な句に対する思いを書き綴ったが、このような思いを私へ発信するその基本は、やはりここにはモンタージュの基本理念が確実に実行されてきていたようにも私には思える。
https://www.kogumaza.jp/1205haikujihyuu.html 【モンタージュと鬼房】より
矢 本 大 雪
江戸時代の俳人が見れば現在の俳句作品は、多様さに於いては想像をはるかに超えて
いるのだろうか。文体は雅語体こそ少ないものの、文語・口語・会話体と入り混じり、仮名
遣いもさまざまで自由さが横溢している。表記にも、新語や造語なども含めた様々な語彙
の濫用は、絶えず新表現を求める現代俳句の名に恥じはすまい。すでに自由律は、物珍
しいものではなくなっており、無季の句は確信犯的に生み出されるのではなく、有季である
ことの必然性が薄れた瞬間に、誰の手からも生まれる一句となっている。その形式は、一
字空けにはじまり、多行分かち書き、横書きまで生まれた。さらにさまざまな技巧に彩られ
た作品は、もはや俳句の技巧にとっての伸びしろがすべて語り尽くされたのではないか、と
の危惧さえ感じさせる。しかし、俳句がそれら技巧について語ることを潔しとしていないよ
うに感じているのは私だけだろうか。無論技巧が創作に先んじているわけではないことは百
も承知のうえだが、俳句の将来を考えれば、俳句の技巧はもっと整理され、語られ尽くす
べきだろう。無駄に技巧を玩ばぬためにも、また技巧に弄ばれぬためにも、俳句の技法は
研究しておくべきだろう。
さて、数ある俳句の技巧(レトリック)のなかでも、もっとも今後の俳句にとって重要にな
ると思われるのが「モンタージュ」である。意識さえすれば誰にでも使用できよう。しかし「モンタージュ」そのものは標的にはなかなか命中しない自爆のおそれ・確立の高い難儀な技巧であろう。俳句の本質ともいえる「省略・沈黙」部分が際立つのがこのモンタージュの特徴
なのだ。書かれていないものを読もうとするために、モンタージュ作品の成功例はさほど多
いと感じられず、しかも読み手が自由に読み替えたり、落書きさえできる難解さを持ってい
る。ただ、それはその一句を解明し、分析し、一定の鑑賞で縛ろうとするからであり、読み
手が自由に何かを感じとろうとさえすれば、これほど魅力的な技巧もない。佐藤鬼房(以下
敬称を略す)の作品を例にとり、少しモンタージュについて考える。
まず二句一章とモンタージュとの関係である。二句一章という言葉(概念)自体が非常に
俳句的で、十七音という短さの中でこそ活きる言葉であろう。ただし、「切れ」に注目すると短歌にもその意識はある。句の中に切れがあり、一句が二つのフレーズで構成されているものはすべて二句一章と呼んでいい。モンタージュと同義ではないが、二句一章は形式としてモンタージュを含んでいる。さらに、モンタージュは取り合わせの技法をさらに先鋭化しており、比喩表現以上に意識の高い(意識しなければ用いられない)俳句の技法であろう。
ただ、作品によっては取り合わせ、二句一章、モンタージュの線引きがはっきりとは出来な
いものも多く、多くの具体例により分類・分析されることを待ちたい。以下の作品はすべて
佐藤鬼房の第一句集『名もなき日夜』の作品である。
蝶めしひ理化学辞書に燈がともる
柿の花少女の鼻梁すみとほり
発火器をみがきぬ鳩のさびしいかほ
昭和十年から十四年、つまり鬼房が十六歳から二十歳の間になした作品である。若々し
く冒険的ながら、すでに感性のよさが十分に発揮されており、瑞々しい。しかし誰にとっても難解であり挑戦的でもある。
モンタージュは、ごく大雑把に分類すると、モノとコトの組み合わせで成り立っている。「モ
ノ」とは、これも大雑把で申し訳ないが、具体物、存在の感知できる対象(神・霊魂なども含
む)であり、「コト」とは具象に対しての抽象、意識・思考、現象・様子・事態などであるが、実際の句のなかでの使用例では、はっきりと分けられない場合も多い。ちなみに、モノとコトの組み合わせは比較的わかりやすいのだが、モノとモノの組み合わせは、イメージ同士がぶつかり合うため、読み手の想像力が占める割合が多くなり、難解となりかねない。ただ、それが句の魅力ともなる。
先ず一句目であるが、「蝶めしひ」では必ずしも切れがないようにも見える。だから形式的には二句一章とも言いがたいのだが、内容はあきらかに異なった概念の取り合わせに基づき、より積極的に異質な「コト」同士のモンタージュが図られている、。上五と以下とでは因果関係は成立していない。よって「蝶めしひ」を我々は「蝶めしひ(てをり)」 あるいは「めしひた蝶」と読んでいる気がする。後半部の情景ははっきりとイメージできるのに対し、蝶の部分は観念的ではある。しかし、作者自身に重ねたり、覚束なくとも翔ぶことを怖れない蝶に我々は心情を重ねることができよう。詩的でいながら現代性をともなった観念が若々しい。二句目は「柿の花」がモノ、中七プラス下五がコトの形としてははっきりとわかるモンタージュである。おそらくモンタージュとしては、一番鑑賞しやすく使いやすい例であろう。
モノである「柿の花」が明確なイメージで句に安心感を与えるゆえ、取り合わせるコトは、よほどの的外れでない限りは、モノとコトが織りなす一つの状況設定は雄弁となる。この二句
目も安定的ではあるがモンタージュとしては衝撃度が薄い。三句目は、コトとモノの取り合わせ。難解なのは「鳩」であって、それを作者自身とすれば、モンタージュにさえならなくなる。だからこれは鳩でなくてはならないのだが、取り合わせは穏やかな気がする。
鬼房は全生涯にわたって作句の姿勢にゆるぎなかったと私は思っている。一俳句人とし
て常に前向きで自らの世界と斬り結びつづけた。モンタージュ作品も同様で、特段の(モン
タージュの)意識が突出しておらず、対象・テーマが要求する描き方をしたゆえに結果とし
てモンタージュ作品になったかのような、自然さが感じとれる。本来モンタージュは非常に
意識的な技法として語りたかったのだが、鬼房にかかればもはや技巧のあとかたすらはっ
きりしなくなる。鬼房からはなれ、モンタージュ一般についてはまた稿を改めて述べてみた
い。
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