「和」の国

Facebook斉藤 一治さん投稿記事

幕末に「西洋人」が日本に来て日本人を観察しました。「 日本人は粗食でありながら、体力も氣力も持続力もあり、勤勉で明るい 」何故だろうと、西洋人は自分たちとの違いを考察しました。当時は裸足の人が多く、精々、草鞋を履く程度でした。

西洋人は自分たちと正反対の存在である日本人に脅威を感じ、「このままでは、日本を征服することは出来ない」と危機感を覚え、日本人弱体化の対策を練りました。

その対策の一つが日本人に靴を履かせることでした。裸足ですと大地と立体的に接触して、身体のバランスが整います。地球に吸収された日光のエネルギーを地面からも得ることができます。更に、皮膚感覚が研ぎ澄まされ、身体知が旺盛になり、直観力も高くなります。

見事に日本人は靴下を履き靴を履くようになりました。日本人は骨抜きにされました。

裸足で砂や砂利石の上を歩き続けていきますと、快感を覚えるようになります。

自宅に戻り、玄関で靴を、室内では靴下を脱ぎますと心良い解放感に浸ります。

せめて、自宅内だけでも裸足で過ごし裸足で歩きます。

はい!ありがとうございます!


Facebook相田 公弘さん投稿記事

「孔子が語った大切なひと言」というお話です。

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聖徳太子が示している通り、人間社会において「和」が大切であるということはよくわかりますが、なかよく、なごやかに接するためにはどうしたらいいのでしょう。

ヒントは『論語』の中にあります。

弟子の子貢が孔子にたずねました。「先生はいろいろなことをおっしゃっていますが、一言で教えてください。一生実行していかなければならない心構えは何ですか」

孔子は答えます。「其れ恕か(それじょか)」「それは恕である」ということです。

恕とは会意文字(すでにある漢字の意味を二字以上あわせて一字とした漢字)で、心の如しという意味です。誰の心かというと、相手の心、第三者の心のことです。

つまり「恕」とは、人の立場に立ってものごとを考えること、おもいやりのことなのです。

広い心で相手をゆるす、という意味でもあります。人間関係をよくする気づかい術 東洋思想に学ぶ  広瀬 幸吉 著  東京書籍

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「Amazon.com

(アマゾン・ドットコム)」といえば、言わずと知れた超大手通販サイトです。

そのアマゾンさんでも、日本の企業と同じように、ミーティングが数多く開かれます。

そして、重要なミーティングの時には、幹部社員や、マーケティングの達人、ソフトウェア担当者の席の傍らに、誰も座らない椅子があるそうです。その椅子には、もっとも重要な人物が座る。一体、誰のための椅子でしょう?それは、“顧客の椅子”

誰も座らないその椅子は、ミーティングの時に、顧客のことを思い起こし、顧客の求めているもの、顧客の視点、どんな感想をもつのだろうって、その場にいないけど、最も大切な人の椅子を用意するのだそうです。顧客の視点を感じ取れるようにと。

この椅子はアマゾンさんのシアトル本社で伝説となったそうです。

相手の立場、相手がどう思うか、相手から見て自分はどうか。まさに「恕」です。

そして、この人物ほど相手の立場を尊重した日本人はいないのではないかと思うほど、カッコイイ生き方をした日本人をご紹介いたします。

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日露戦争でもっとも激しい戦闘が行われたといわれている、中国は旅順での戦い。

このときの日本軍司令官は「乃木 希典(のぎ まれすけ)将軍」でした。

日本軍は多くの戦死者を出しながらも(乃木将軍の二人の息子も戦死しています)、ロシア陸軍が築いた巨大な要塞を崩しました。

この勝利をおさめた乃木将軍と、ロシア軍の総司令官だったステッセルが、共に会見をしたときのことです。

あるアメリカ人が、この会見の模様を撮らせてくれと、乃木将軍に願い出ます。

それに対し乃木将軍はこう言いました。

「武士道の精神からいって、ステッセル将軍の恥が残るような写真はとらせてはならない」

その後、再度外国の記者団が写真撮影を願い出たときに、条件をつけて受け入れました。

その条件とは、ステッセル将軍に帯剣を許し、「われらが友人となって同列に並んだところを一枚だけ許そう」と言ったのです。

敗れた側の大将が、勝利した側の大将の前で剣を脇にさすことは、当時ありえないことだったそうです。

この乃木将軍の言葉を聞いた外国人記者たちは、武士道精神の美しさと寛大さに感動したといいます。しかし、話はこれで終わりません。

このステッセル将軍は、日露戦争敗北の責任をとらされ、ロシア皇帝より銃殺刑を宣告されました。それを知った乃木将軍、すぐにロシア皇帝に手紙を送り、ステッセル将軍が死力を尽くしてロシアのために戦っていたことを綴り、処刑をとりやめるよう訴えました。

その手紙のおかげか、処刑は中止され、シベリア流刑で済むことになりました。

とはいえ、遠く離れたシベリアへ送られたステッセル将軍にも家族がいます。残されたステッセル将軍の妻や家族。敵だった国の将軍の家族。

この敵国の将軍の家族に、なんと、自分が亡くなるまで生活費を送り続けたそうです。

この戦いで、自分の息子二人も亡くしているにもかかわらず。

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この乃木将軍の生き方に、感動します。

相手の立場に立つということは、相手の体の中に自分の意識を入り込ませて、相手の目を使って世の中を見ることで、少しずつ見えてくるものです。

そうやって、自分の心を相手の心の中に配るから、心配りというのです。

「恕」心の如し、大切にしていきたいですね♪

※魂が震える話より


Facebook相田 公弘さん投稿記事

あの中村天風さんは、終戦前と終戦後で、日本人が大きく変わったと言いました。

一体、何が変わったのか?以下、中村天風さんの著書よりどうぞ。

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世界でも大義名分を重んずる国民、これより以上の国民はなかろうとまで言われた日本国民が、あろうことかあるまいことか、世界で一番みっともねえ国民になっちまったというような状態になっちゃったんであります。

言いたかないよ、日本人が日本人同士のことをね。

二人でいるとき、一つしかないもんだったら二つに分ける。

一つのものを四人の人間に行き渡らせるように四つに分けるぐらいの心持ちを持ってた日本人が、どうです今は。

親子の間で責め合い、兄弟の間でもって争い合い、師弟の間も主従の間もありゃしない。

己(おのれ)一人あるだけの人生というような考え方でもって、道義も廃れていれば、人類愛もほとんど枯れきってるような状態になってる。

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「真人生の創造」中村天風 著PHP研究所より

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天国と地獄の「長い箸」のお話を思い出します。天国と地獄は、実は同じ条件のようです。

ただし、ひとつだけルールがありまして、長い長い箸を使って食べものを食べなくてはいけません。長い箸ですので、自分の口元に持っていって食べようとしても食べることができません。

地獄の住人たちは、自分が得をするように、奪い合って自分で自分の口に御馳走を運ぼうとするのですが、届かないので食にありつけずガリガリの体になっていくのです。

一方天国の住人は、その長い箸を使って、隣の人に食べさせてあげていたのです。

みんなが皆、与えあって過ごしているので、いつもニコニコしているんですね♪

そういう世界で生きるには、自分もそうなる必要があるということです(*^_^*)

モノがある時代だからこそ、心の豊かさを大切にし、磨いていきたいですね♪

※魂が震える話より

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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