「冬陽」と「冬日」

http://kuuon.web.fc2.com/SEINOSIJIN/SEINOSIJIN.1091.html 【生の詩人金子兜太 1091~1100 - FC2】より抜粋

冬陽に睡る青春の日の真昼のごと      『蜿蜿』

 表記の上で「冬陽」と書くのと「冬日」と書くのでは印象が違う。冬陽のほうは太陽の光線である感じが強い。冬日のほうは太陽の光線であると同時に太陽そのものの感じであるし、冬の一日という意味もある。兜太句で「冬陽」「冬日」の句を拾ってみたがどうだろう。

冬陽の色帰営の兵の背のあたり       『生長』 

四壁の冬陽遠い地上の完型ザボン      『金子兜太句集』

樹頂にとまる冬陽老友耳遠し         句集後

冬日の街黒の学生窓に泣き         『旅次抄録』

脳中にしみこむ冬日光りの巣        『旅次抄録』

冬日貴し日暮れて蒼暗の街角街路      『旅次抄録』

冬日かく明るし全盲の人逝きしに      『日常』

 ついでに「夕陽」「夕日」の句を拾ってみた。

舌は帆柱のけぞる吾子と夕陽をゆく      『少年』

出きかけの家浮き煙る夕陽の帰路       『少年』

鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽        『蜿蜿』

夕陽松原赤ん坊の顔三階に          『蜿蜿』

夕陽をなぜセキヨウと読む陰(ほと)洗う   『詩經國風』

ルプンの屋内夕日あかるく島民唄う      『少年』

冷まじき山に夕日の眠む気かな        『東国抄』

夏の鹿夕日が月のごと赫く          『日常』

 「眠る」と「睡る」にも微妙な違いがある気がする。


https://blog.goo.ne.jp/take10nbo/e/3e557ba2a28d8840e003f7d664620f68 【起きて生きて冬の朝日の横なぐり 金子兜太】より

起きて生きて冬の朝日の横なぐり 金子兜太

目が覚めると、夜はようやく明けたところであった。山越しに姿を現したばかりの太陽は赤い。寝具から抜け出すと、一夜の内に部屋に満ちた冷気が、たちまち作者の体を覆う。寒いと感じる。しかし作者は、そこであえて窓ガラスを開けた。

東の空低く燃える太陽は、作者の頬をぴしゃりと平手で打つように照らしつける。

一層厳しい外の冷気に肌を晒しながら、作者は日差しの暖かさを僅かに感じる。

冷たいこと、温かいこと。それは即ち、自分が今生きているということだ。

生を授かり、生かされているということだ。ならばその命を、大切に輝かさなくてはならない。粗末にすることはできない。作者は冬の朝日に、笑顔を以て答えたであろう。

今日も精一杯生きるよ、と。


https://book.asahi.com/article/11583666 【金子兜太の生き方 句にぶんなぐられて気分よし】より

2月20日、98歳で亡くなった俳人の金子兜太さん=2015年12月

 金子兜太氏は野生の人で、なまなましく生きて、句にケダモノ感覚がある。花鳥風月が嫌いな人だった。句にぶんなぐられたけれど気分がいい。

 二〇一二年、兜太氏(当時九十二歳)が主宰する俳誌「海程」五十周年記念祝賀会があり、百四十人の野生的客人が集まった。まず藤原作弥さん(元日本銀行副総裁)が日銀時代のヒラ社員史を語った。組合活動にかかわり、福島、神戸、長崎の支店にとばされた。

 とばされたって日銀だろ、と野生的客人はブーブーと文句をいった。つづいて、トラック諸島に赴任時代の上官だった西澤実さんが「金子君はな、戦争に負けそうなトラック島で、陸海軍合同俳句会をやったとんでもねえ野郎だァ」と大声で演説した。そのときにつくったのが、魚雷の胴にトカゲが這(は)い回ってるって句だ(魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ)。しばらくすると薄っぺらい俳句誌を送ってきやがって、それが「海程」創刊号だった。(拍手)。それがなんだ、五十周年号は机の上に置くと、「広辞苑」みたいに立つよ。(拍手、拍手)。

 つづいて有馬朗人さん(元東大総長)が「東大時代の金子さんはとびぬけて優秀な成績を残しています」と報告すると、隣席の芳賀徹さんが「そんなはずはないだろ」とドラ声をあげた。私の右側にいた宇多喜代子さんは「かつて宇多喜代子をバイ菌から守る会がありました。バイ菌とは前衛俳句と呼ばれた金子兜太さんです」。ズケズケと遠慮なくいうところが俳人の景気のよさだ。

 芳賀さんが「バイ菌って言葉なつかしいですな」とつぶやき、有馬さんも「じつにいい言葉だ」とうなずいて、バイ菌、バイ菌バンザーイとなったところで、小沢昭一さんの音頭で万歳三唱をした。

欲望のままに

 『他界』は、トラック島での戦争体験から、定年直前までの「定住漂泊」の心情を語っている。社会に「定住」しつつ一茶や山頭火のような「漂泊」に生きる。

 《定住漂泊冬の陽熱き握り飯》(一九七二年)

 九十九里浜の病院にいる妻を見舞いにいったときの吟、 《癌と同居の妻よ太平洋は秋》

 人の死を「消滅ではなく他界」と信じている。肉体が消えても精神は永遠だ。二〇〇四年に一〇四歳で他界した母を思い出して《長寿の母うんこのようにわれを産みぬ》

 『小林一茶』は句による評伝で、一茶の約九十句を解説している。欲望のまま自由に生きた一茶の「荒凡夫(あらぼんぷ)」ぶりを兜太氏はめざした。

 『金子兜太の俳句入門』は、芭蕉や中村草田男から、高校生の句(古池に蛙とびこみ複雑骨折)まで引用して、生活実感やユーモアの骨法を説く。自作「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)どれも腹出し秩父の子」を自慢するところがいい。

天からの言霊

 兜太氏は高齢化社会のアイドルとなって、晩年は、多くの本が刊行された。『他流試合――俳句入門真剣勝負!』(金子兜太、いとうせいこう著、講談社+α文庫・961円)は、いとうせいこうさんがまえがきで「こてんぱんにノサれた」と独白する痛快な対談集。

 『存在者 金子兜太』(黒田杏子編著、藤原書店・3024円)は「そのまま」で生きていく人間を「存在者」と規定する。「被曝(ひばく)福島」と題して

 《魂(たま)のごと死のごと福島紅葉(もみじ)して》(二〇一七年)

 兜太名句は三十句ほど暗記しているが、一番好きな句は、

 《脳天や雨がとび込む水の音》(二〇〇八年)

 で、ノウテンという言葉の響きに雨が降り落ちる音が重なっている。芭蕉の言霊(ことだま)が天から降ってきた=朝日新聞2018年3月18日掲載

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