Facebook池谷 啓さん投稿記事
スマナサーラものがたり①
長老の半生記をまとめている。長老がスリランカから日本に来て40年余。その活動は、いわば「スマナサーラショック」に近いものがある。そこで、その半生記を聞き出して(無理やり)、まとめようとしている。まったくの編集途中。いますこしずつ紹介。
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私は日本に来て40年以上になります。
その辺の経緯を詳しく聞かれても、私はもう物を忘れる年齢になりました。
過去をしっかり覚えているというのは、そこに愛着があるんからなんですね。私は今日だけを生きているんです。今日一日だけを。特に思い出としてはないんですね。それだけ。
過去のことを聞かれるのは、愉快ではありません。まるで遺体を掘り起こして「これ臭いね、どうですか」というようなものです。私にとっては耐えられないところもありますよ。
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なぜ日本で活動するようになったのか、よく聞かれます。わかりやすく一言で言うと、「穴に落ちてしまったんです」。人が穴に落ちたらどうしたらいいんですか。その穴から、出なくちゃいけないでしょう。必死でがんばるしかないんです。穴に落ちたまま負けるわけにはいかないです。その穴に落ちてしまったわけだから、もう他の道を選べないでしょう。
それで頑張って穴から上がろうとしてきたんです。
穴から這い上がってでてきたところで、もう人生は終わっているということもあります。
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それは、私だけじゃないんです。一人ひとり、自分が落ちた穴があるんですよ。
それを這い上がるのが自分の人生なんです。すでに穴に落ちたわけだから、文句言ったって意味がない。頑張らなくちゃいけない。努力しなければいけない。
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「何で私だけが?」と思うことでしょう。それは、あなただけじゃなくて、みんな同じなんです。みんなそれぞれが、自分の穴に落ちているんです。それは、穴というものを暗いイメージで捉えるんじゃないんです。
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穴というのは、それは自分の生きる道なんです。自分が落ちた穴だと思ったら、なんとなく晴れ晴れした気持ちになるかもしれません。それって苦しみかもしれないけれども、苦しみでもない。勝手に自分が苦しみと思っているんですね。
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結婚していても、それぞれ落ちる穴が違うんです。旦那の落ちる穴は旦那の穴、妻の落ちる穴は妻の穴、二人で同じ穴に落ちませんよ。夫婦であっても、二人が同じ道を行かないんです。(続く)
スマナサーラものがたり②「負けるなよ」。
13歳で出家する時、母親がいった一言です。それはいまだに守っているんです。
自分にとって支えになっているのは、ブッダの言葉であり、この母親の言葉でもあります。
「勝て」とは言ってませんよ。「負けるなよ」です。
生きるということは、いろいろな障害があって、それを乗り越えることでしょう。問題に直面しないで「これは嫌」だと避けてしまうこともできます。しかし、負けてはいけません。
「負けるなよ」というのは、起きてくる障害に対して、無闇にぶち当たるだけじゃない。進むときもあれば、引く時もある。様子を見ることもある。一気呵成に進むこともあります。とにかくいろいろなやり方があるんです。
誰かの邪魔をしたり、迷惑をかけることだけはしないように生きてきました。後で後悔することはやらないようにしてきました。
いっぽう相手が敵だろうが苦手であろうが、「助けてくれ」と言われれば助けてしまうんです。そのことでカルマ(業)的に守られ、自分の生き方のサポートになっていることもあるかもしれません。
たとい人が助けてくれなくても、自然界が助けてくれるものです。
人生は、自分の生きる道を決めて歩むんです。もしも間違ったと気がついたら、別の道を選べばいいんです。とにかく「負けるなよ」ということなんです。
一つがうまくいかなかったら、別のものをやればいい。
将棋がうまくいかなかったら、囲碁をやればいい。何でもいいから負けないということです。
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スマナサーラ長老の来年80歳(傘寿)に向けての本作りをしている。原稿用紙400ページ分くらいの分量を、コツコツと整理しているところ。
こうやって小出ししながら、感想も頂いて、またがんばるというところ。いまは山の中の一軒家で引き込もり。
明け方から夕方まで仕事づけ。集中力が求められる仕事。
たまに訪ねてくるのは、エホヴァの人。それとたまに友人。郵便局と宅急便。雑草は生え放題。
雨がザアザア降り出している。カエルがないている。17時半にももう暗い。秋の日はつるべ落とし。
スマナサーラものがたり③
私はスリランカの大学で教えていました。科目は、仏教哲学(ジェネラルフィロソフィー)という分野です。仏教哲学は幅広くて、倫理や思想、哲学(メタフィジック)心理学、論理学などいろいろと入っています。
さらに研究をやりたくて、仏教研究を深く探求するのは、あこがれでした。
そこでスリランカでは、「日本に留学してきなさい」ということになりました。
大学の先生たちも、「日本に行けば思う存分研究できるぞ」と言うのです。
日本は仏教国だし、なんでも世界一揃っている国だと聞きました。スリランカでは、本も探して読むのにも大変苦労します。図書館はあっても、本は全く少ない。古い本などは、予約して借りて読むという程度でした。論文を書くにしても、反古紙にメモを書いて研究するようなレベルです。
たまたま「日本にいけ」ということになったわけで、そもそもはアメリカに行きたかったんです。英語もできましたしね。しかし国費留学というのは、願ってもないチャンスです。それで、駒澤大学の仏教学の博士課程に行くことになったのです。(続く)
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スマナサーラ長老、傘寿の記念出版のために書いています。
長老は、シンハラ語、パーリ語、英語、日本語がものすごく堪能です。難しい仏教用語など当然。さらには、ドイツ語、フランス語もわかるようです。もちろんサンスクリット語も。
次は、いかにして日本語を身に着けていったのかを聞きます。
スマナサーラものがたり④
日本に留学することはきまりましたが、やはり懸念されるのは、日本語という障壁です。
母国語のシンハラ語と日本語では、文法はまったくちがいます。その上、それまで日本語を勉強したことは、全くありませんでした。しかしいきなり、駒澤大学の博士課程に行くということになったわけです。
まず日本語習得のために、関西外大に半年間、通いました。関西外大の先生たちは、みんな優秀な大物の方ばかりでした。有能な先生につくというのは、語学習得の一つのポイントです。
また、当時は私は特別にやることはなかったんです。
授業も授業の休みも、みんな日本語の世界です。宿題はいっぱい出される。時間は足りない。徹底して勉強したんです。それで日本語をマスターしたのかどうかは分かりませんが。大学では、比較言語学とかアラビア語とかも教えてくれました。
先生は、「あなたはもう大学に行って博士課程に入れば、もう喋れますよ。そのまま日本語はできます、通じます」と言うんですよ。それまでは心配で、どうしようかと思っていたんです。
駒澤大学に入る時は、留学生会館に暮らしていました。
そこにはいろいろな国の大学生がいました。留学生たちの間で、あれこれやろうという話が出てきます。でも、みんなそれぞれ忙しい。留学生会館の管理局に企画を出せる人がいないんですね。暇でうろうろしているのは私だけ。それで、そんな役目も引き受けました。
語学習得のポイントは何か、とよく聞かれます。
まあとにかく徹底して勉強する、集中して短い時間で勉強することしかないんですね。
とても細かい小さなシンタックス(syntax:単語などの意味を持つ単位を組み合わせて文を作る文法的な規則)を徹底して覚えること。
日本に来る前には、英語もドイツ語もフランス語もすこしはできました。今はもう使わないので、ほとんどできませんけどね。
ただ、英語はものごとを考える時に役に立つ。英語が読めれば、たくさんの科学的な知識を学ぶことができます。
はじめは苦労しましたが、日本に来て40年以上になります。まだ日本語は堪能ではありませんが、意思の疎通や、講演や説法など、それほど苦労はしなくなりました。
しかし、いくら言葉ができても、コミュニケーションは、相手の思考のパターン、エネルギーを読むことが大切ですね。相手の固定概念、コンテクストに沿って答えなくては伝わりません。それを読んだうえで、あとは単語を乗っけていくだけです。(続く)
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スマナサーラ長老の傘寿の記念出版のための原稿作りの過程です。
いまだに英語がしゃべれない私。なにしろまったく日常で使う機会がないからね。
それでもインドを長旅していると、いやおうなく英語を使わざるを得ないので、なんとなく喋れてくる。
インド訛りの英語は聞き取りやすいし話しやすい。ドイツ人やフランス人の英語も。ただアメリカ英語は聞き取りにくい。
ぼくはサンスクリット語などの響きが好きで、インドのバラモンたちのサンスクリット語の響きが大好きで、ある程度、発音は繰り返せるようになった。それ、日本語との相性もあるよね
スマナサーラものがたり⑥
今回は特に難しい。何しろ道元の悟りの境地の説明。書いている私がわかっているわけではないし。ともあれ、投稿。
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道元の教えを、現代人の論理に合わせて語る。
それが私の課題とも思い、理論化していきました。
道元の言葉としては、「只管打坐」(しかんたざ:ただ坐る)。「修証一等」(しゅうしょういっとう:修行と悟りが同じ)「身心脱落」(しんじんだつらく:身心が脱落する、我がいない)の三つが大切なファクターです。
「只管打坐」(ただ坐る)というのは、妄想してはいけないということでしょう。でも実践を支えるテキストがなかったので、言葉の解釈がズレてしまい「ただ形だけで十分だ」と勘違いされてゆく。
ただ坐ったからといっても、心という巨大なエネルギーが働いている。ただ坐るならば、その心もストップさせなくてはいけない。
「石ころのように、置物のように坐れ」ということでしょう。石ころや置物は、自分では何もやっていない。そういうふうに坐らなくてはいけない
でも、それをやってみろと言われても、できるだろうか。できない。
その心をストップさせるための、実践するためのテキストがない。
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道元は「修証一等」(修行と悟りは同じ)といいます。
だから坐ればいい。しかし、坐ればいいんだったら、それだけでしょう。石ころのように坐る。
ほんとうにそれだけですか。
先生たちに聞いたら、そういうことでもない。
いろいろな論がある。定説がある。私が自説を述べると、それは定説で認められてないということになります。
テーラワーダには『大念住経』があるように、そのテキストがある。身体の動き、感覚の動き、心の動きに対して、瞬間瞬間、気づきを入れる(サティ)ことでストップすることができるんです。
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「身心脱落」(身心が脱落する、我がいない)とは何か。
道元は俗世間的な欲は全くなかったし、必死になって悟りを探していた。すべてを捨てているという気持ちでした。当時の道元にいいては、自然なことだと思います。
道元は師匠の如浄禅師に「身心脱落」のことを報告する。すると如浄は、ただ「脱落、脱落」と言った。
身心脱落の「身心」を捨てた。ただ「脱落、脱落」。
その意味はなんだろうか。道元禅師は日本に帰ってから死ぬまで探し続けたんです。
身心脱落というのは「執着を捨てる」ということ。
しかし、「身心脱落」では、脱落しきってない。
まだ脱落するものがある。それは「自分」。「私が身心脱落しました」という「私」。
「私は身も脱落して、心も脱落しました」と。それに対して如浄禅師は「脱落、脱落」とこたえます。その「私」が、捨てられなくてはいけない、と。
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しかし、「私」が捨てられ「私」が消えたところで、「私を捨てた」というのは難しい。
そう言うための「私」という実感。もはやそれがないのだから。
「私」がないということは、それからはもう何も言葉はなし。
無の世界、空の世界。それが仏性の世界。「山水経」の世界。
身心脱落という言葉は、そうした「脱落、脱落」というところまで進まなくてはいけない。
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そのようなことを述べましたが、大学のほうはそれが気に入らない。曹洞宗という宗派の伝統的な解釈、定説を大切にしていました。それでいつの間には、私は異端派扱いされてしまうのです。
「定説」とは、これまでみんながそのように了解してきたから、そうなっているということでしょう。
そうした態度は、けっして科学的ではない。みんなが認めているからといって事実であるわけでもない。定説などあるはずがない。
研究というのは、定説を超えて、とにかく調べてゆく。探求していくことではないか。
そう主張しましたが、うまく意思の疎通ができなかったんです。
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また、学問研究に限界を感じたのは、そこに自由がないからなんですね。
論文では、「です」とは書けない。「と思う」としか言えないんです。
そして、論文にはその通りやらなくていけないルール、決まりがあるんですね。
いい加減な研究というのはありえない。
何かを主張するならばそれなりに根拠となる文献を出す。歴史的な変化をそれを並べて証明していく。根拠となる文献を全部出す。しかし、図書館に行ってそういった本を借りるのもスリランカ人の私には、たいへんな手間でした。
それで一、二年がんばって論文を書いても、アイディアとしてほんのわずかなことしか言えないんです。そして、まだだめと言われます。
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私はそんなにごちゃごちゃ研究したくない。部屋の中で本ばかり読むのは好きでしたが、論文を書くのは面白いことではない。
仕事としてこれを、生涯やらなくちゃいけないとなると、限られた人生にとって、研究論文は、けっして意味のあることではない。
そこで、駒澤大学での研究はやめようということにしたのです。
いろいろな選択肢はありましたが、違う道を歩もうとしたのです。
スマナサーラものがたり⑧
連載は続きます。今回は、大乗仏教に対して批判的なものの見方です。テーラワーダからみると日本の大乗仏教は、ブッダの教えから大きく逸脱していると映ります。道元以外は。
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道元の教えは、ブッダの教えとぶつかることはなかった。ブッダの教えからそんなに逸脱するところはありませんでした。
ところが、日本の各宗派の祖師はそうはいきません。かなりブッダの教えと乖離しているように思いました。
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何の予備知識もなく、駒澤大学に留学した私ですが、では、親鸞を祖とする浄土真宗系の大学(大谷大学、龍谷大学)、あるいは日蓮を祖する大学(立正大学)、空海や法然を祖とする密教や浄土系の大学(大正大学、仏教大学)に入ったら、どうなっていたでしょうか。
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そう聞かれることもありました。
私にしてみたら、どこの大学でもいいのです。
親鸞や日蓮、あるいは密教の大学に入ったとしても、まったく問題ありません。
祖師たちの教えが、ブッダの教えと大きく逸脱しているかもしれません。しかし、それはそれで、なぜどのように、いつから逸脱したのか。そういう研究は成り立ちます。
そのことを根拠を持って示すことで、ブッダの教えを伝えることができます。また、各宗祖の教えの特徴を示すことができるわけです。
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日本の大乗仏教はどこで逸脱したのか。
法然や親鸞や日蓮などの祖師たちは、どこでブッダの教えから逸脱してしまったのでしょうか。
かれらは、みんな比叡山で学んでいます。
そして比叡山は天台宗ですから、その教えのおおもとは中国の天台智顗の教えです。天台智顗は、「摩訶止観」「法華文句」「法華玄義」など、『法華経』をもとに教えを説いています。
しかしその『法華経』という教え自体が、ブッダの教えと大きく逸脱しているわけです。
そもそも大乗経典は、ブッダが説いたという叙述形式になっていますが、仏説ではありません。
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なぜ大乗が『法華経』がブッダの逸脱しているのか。一言でいうと、「信仰」という一点が、大きく逸脱しているといえます。ブッダの教えには「信仰」というものはありません。仏教は、宗教ではないというところが基軸なんですね。
え? 仏教が宗教ではない? 不思議に思われるかもしれません。それはまた、別の機会に論じていきます。
また『法華経』はまさに創作された作品。それも何人かのライターが書き足しています。あちこちから引っ張って書き出して書き足して、増やしているんですね。古くから「それが経典だ、ブッダの説だ」と定説として信じられてきたわけです。
仏教では、「経典」というものはブッダの教えだという定義があるんです。当然なことでしょう。
聖典というものは、そうしたものです。聖書にしても同様ですね。共観福音書があるとか。旧約が39巻、新訳が27巻で合計66巻とか。聖書が継ぎ足されることはないんですね。イスラム教の『コーラン』にしても、典籍としては定まったものです。
あとから継ぎ足されることはない、削除されることはない「定まった体系」とも言えます。
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ところが、大乗仏典は長い歴史の過程で、どんどんと継ぎ足され、加上されていきました。
『法華経』だけではありません。『華厳経』や『阿弥陀経』だの『無量寿経』だの『維摩経』『般若経』『大日経』だの、ほとんどの大乗経典はそのようにして創作されてきました。
日本に仏教が伝わったのは6世紀です。倶舎、成実、律、三論、法相、華厳など、鎮護国家の教え、そして学問的な教えとして伝わりました。
もともと仏教の歴史では、アカデミックな学問僧のお坊さんと、修行するお坊さんと二種類いたんです。アカデミックなお坊さんたちは、膨大な論書などを読んで学びました。
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仏典にしても釈にしても論にしても、キリがなくあります。「空論」やら「唯識」やら。論理学やら。『華厳』とか『法華経』とか。なかには、それぞれ相矛盾するものもあるでしょう。
しかし、学問僧と修行僧とでは、お互いになんのライバル意識もなかったのです。宗派間の争いもなかったんですね。
まあそんなことは、私は宗教成立史の研究をしたいわけではないし、人々の暮らしや生き方とは関係ないことで、私は違う道を歩むことにしたのです。
スマナサーラものがたり⑬
ほんらいのブッダの教えは、「信じなさい」ということはありません。加持祈祷もありません。自分で考え、自分で歩み、自分で責任を持ちなさいということです。いわば気づきの教えです。
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大乗仏教圏である日本では、仏教とは宗教であり、加持祈祷であり、葬式や法要の儀礼のように思われています。あるいは、観光としての寺院。ベースにあるのは、お墓と檀家。生きている暮らしの役に立つというよりも、先祖供養とか死んでから関わるところというイメージかもしれません。そうした文化的背景を持つ日本で、ブッダ教えを説くには落差は大きかったんです。さぞや、大変だったでしょうと聞かれます。
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しかし、みんなそう思うだけで、私にとってはどうでもいいことでした。
人に問われれば、ブッダの教えを真剣にしゃべる。それだけです。余計な妄想はしないんです。また、とくに布教しようと思ったことは、一度もありません。
ただ真剣に授業をやっているだけなんです。
そして、授業するのであれば、生徒が理解してほしい。それができなければ、教える人の失敗でしょう。だから相手の思考パターンに合わせて、理解できるようにただ一生懸命語るだけなんです。
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そもそも、私自身は何の思想も持ってないのです。こういう主義を持っていて、こういう観念があって、「それを弘めたい」とか、「どうか聞いてほしい」ということは、まったくありません。
今ここで人が悩んでいる人とします。その人から「どうしたらいいんでしょうか」と聞かれれば、真剣に答えるだけなんです。
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ここに不登校の児童がいるとします。その子が学校に行くようになってよかったとか、行けないままでは残念とか、どうでもいいんです。学校に行こうが行くまいが、それは関係ないんです。その子が人間として問題なく平和で生きていられるようであってほしい。
philosophy of livingを得てもらいたい。
philosophy of life という固定的な概念ではなくて、生きている現実にどう向き合うのか。
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それが本人の心に生まれてくるように、ちょっと手助けをする。
それも私は押し付けません。「こうしなさい」と一度も言ったことはないんです。
ほんらい宗教の仕事というのは、人間をつくることでしょう。商売が繁盛するために手助けすることではないんですね。
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とにかく理性に語る。人に語る。その人はどう生きるべきかと。その人にちょっと案内をする。判断するのは、その人の責任です。
私が説法してその人が実践したからと言って、嬉しいということはない。
やらなかったからといって残念だ、と落ち込むこともないんです。
しかし、もしも攻撃が来たら攻撃には対応する。いわゆる争論・議論はインド的な遺伝子かもしれませんけれども。
我々は対話することで思考を深め、思考を発達させます。論議する場合は、自分の土俵ではなくて、相手の土俵に立ってみるんです。
それはお互いの勉強になります。相手が議論をふっかけてきても、相手が大した理論を持ってないとつまらないんです。自分自身が、「これはやばいなあ」という感じでないと面白くないんですね。
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