http://www.city.itami.lg.jp/shokai/gaiyorekishibunka/HAIKU/1393132246489.html 【俳句のここがおもしろい!!】より
俳句ってどういうもの?なんだかピンとこないカモ・・・。おもしろいって、どんなところがおもしろいの?教えて、館長さん!
俳句のここがおもしろい!!~柿衞文庫館長が語る
俳句の最大の特徴は何でしょう?
そうです。それは「わずか17音(文字)―5・7・5―からできている」ということです。
このことが、俳句を作る楽しさ、味わう楽しさのもとになっています。
ことばのジグソーパズルを楽しもう
5音や7音は、日本語の基本的なリズムです。
いろいろな標語や広告のキャッチコピー、唱歌、演歌などにこのリズムをもとにしているものがよくみられますが、いずれも目や耳からすっと入ってきて、自然に脳の中に納まっていくような気がしますね。
そして俳句としてこの17音にまとめるために、多くのことばの中から最もふさわしいと思えるものを選び、5・7・5にあてはめていく、いわば、ことばのジグソーパズルが楽しめるのです。
その際、季節を表すことば―季語とか季題とか言います―が、大きな力を発揮します。
「菜の花」「花火」「とんぼ」「雪」といったことばが入るだけで、季節や場所など―いつ、どこで―を説明する必要がなくなり、心ひかれたことに焦点をしぼれば良いのです。
字数がもったいないので、「うれしい」「美しい」「おいしい」などといった気持ちの表現もいりません。
正岡子規の句に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という句があります。風景描写のようではありますが、味覚・聴覚そして秋の空気の触覚もあわせ、全身で古都奈良を味わい楽しんでいる子規の喜びが、言外に伝わってきますね。
限られた文字数だからこそおもしろい
俳句はまた、読者によって作られる文芸でもあります。
17音ではどうしても作者が言い尽くせない部分が残り、そこに作者が思ってもみなかった読者のよみが入る余地ができるのです。言いかえれば作者と読者の距離が近いのも17音であるがゆえの魅力でしょうか。
言葉の絵の具を持ってスケッチに出かけよう
さあ、小さなメモと鉛筆を持って、ことばのスケッチを始めてみませんか?
たくさんの絵の具があれば、色彩ゆたかな絵がかけるように、たくさんのことば―とくに花や木や虫や魚や雨や風などの名前―を手にいれると、俳句の表現もゆたかになり、ジグソーパズルもいっそう楽しくなります。
そして、句材をさがしてちょっと目配りするだけで、今まで気づかなかったすてきなことが、身近なところでおきていることに驚くでしょう。
<お話し:柿衞文庫館長・今井美紀さん>
https://note.com/kugu/n/nd4093ff4e717 【【TALK ROOM】俳句のここが好き!】より
#句具ネプリ -2024秋分-の、おまけのTALK ROOMで、「俳句のここが好き!」「ここがおもしろい!」をお聞きしました。
こちらの記事で、みなさんからのおすすめコメントを、ほぼノーカットでご紹介します。
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言葉の組み合わせの奥深さ、楽しさ
いかに17音に言葉を削れるか、17音を外れる場合はどんな調べの良さにするか。パズルゲームのように言葉を組み換えて嵌めていって、コンボを作るのが楽しいのです。頭の体操。ロジカルクイズ?
フレーズや季語が575にうまくはまった時、パズルのような達成感を味わえる。
今までにない表現の組み合わせに出会えるところ。
不自由な詩形でありながら、自由であること。音数や季語などの枠組みの周辺で最大限遊び尽くす方法を考える、縛りプレイの快感。
17音に入らないものをどうやって詠み込むかとか考えるのが楽しい
十七音という短さに一場面をうまく切り取るよう言葉を配置する、パズルのようなところが好き。語順を変えたり助詞を変えたりするだけで、明確によくなったときの達成感といったら。
17文字だけで多彩な世界を切り取れるところ
トライアンドエラーしやすいところ。
映像や感覚を、リズミカルに17音で表現することの楽しさ。ゾクゾクします。
基本、十七音で表現するところが難しいけど面白い。
結構私自身は言葉数が多くくどくなりがちなタイプのですが俳句は字数が決まっていてその中で情景や心情を伝えるシンプルさが好きです
言いたいことが十七音で上手く表現出来た時
限られた音数にぴったり嵌まる言葉を探したり、季語との取り合わせで解釈が広がったり変化したり・・・無限のパズルみたいで奥が深いなぁと思います。
五七五のリズムと文字数という枠による牽引力。詠む方も、読む方も。
十七音での縛りの中でどう表現するのか悩み、季語に悩まされ季語に救われと試行錯誤した後に、初心者なりに映像がパッと浮かぶ句が出来た時が気持ちがいいです。
十七音で完結させられるところ。季語の選び方ひとつで雰囲気が変わるところ。
短い、有季定型。制約があるからこそ楽しい
十七音という短い中に、千差万別の奥行き(思いを馳せられる余白)を感じられるのが魅力だと思います。
全部で17音、パズルのように言葉をはめ込むことが面白い。
他の詩歌と違い、自分の気持ちを膨らませると同時に17音に削るまとめることの楽しさ。いろいろな季語を知る楽しさ。
日本語同士の新たな組み合わせから生まれる化学反応!
俳句は十七音で作ることがおもしろい。季語が好き。
季語含めた17音の世界で表現する、に尽きると思います。学生時代は、ただでさえ短いのに季語を使わないといけない、と窮屈に思っていました。今は無駄なものを削ぎ落とし、如何に季語に託すか、とりあわせる借辞を考えることに対して自由に感じるようになりました。
俳句は十七音の器の中に季語と他の言葉を入れることで、今まで想像した事の無いような世界を追体験できることが醍醐味だと思います。
文学と言うよりはパズルのような感じの楽しさがあります例えば漢字の光にするかひらがなのひかりにするかの作業
季語の存在が好き
日本語の奥の深さや美しさ、また季節の豊かさを感じることができること
同じ季節、同じ季語でも毎回新しい発見があること
季語を調べることにより、自然と色んなことに詳しくなり世界が広がる。
季語が奥深くて好きです。季語に触れることが切っ掛けで苦手から脱却したもの(主に虫などの生き物)も多いです。生活の嫌な部分が俳句のおかげで楽しくなりました。
季語に思いを託しているところ季語を意識しつつ詠むのが面白くて好きです。季節感はまるでお題をもらっているかのよう。
季語を知るとその世界にハマってしまいます。
季語を通じて、季節の移ろいに敏感になる。
季語や、日本語の美しさに気づける。
「季語」に意味を含ませることができるところ。
少しずつ季語を覚えていくのも楽しいです。
自然を意識するようになった
俳句を学ぶようになって、花オンチの私が外を歩く時に、「猛暑でも百日紅は元気だな」「これはもう柿紅葉になったな」と見つけることが出来るようになりました。
季語を意識することで、実際の季節の小さな変化にも敏感になれること
俳句をやり始めて季語を通じ今まで知らなかった言葉や季節、自然を知るようになりました。最近では道にある草花をグーグルレンズで調べてる時もあります(笑)
季節の捉え方が変わってくる。「日本らしさ」に対しても考えが変わる。
五感が鍛えられるところ
毎日の生活にあふれる植物や動物に、季節の移ろいを感じられるところ。
四季を感じ取れることと、スポーツも題材にできることです。
普段見慣れている景色なのに季節の移ろいを敏感に感じられるようになります。毎日を丁寧に過ごせるような気がします。
日記として。経験の記録として。
個人的には、自分で詠んだ俳句はそのときの心持がとても反映されているので、「言葉のアルバム」のようになっています。辛いことや悲しい出来事、心情をそのまま封印・鎮静化させるために詠んでいるときもあります。鎮魂句みたいな感じでしょうか。
自分でも気づかなかった事や忘れていた事が句になって出てくるところ。
今日は素敵だったな、忘れたくないなと思ったら忘れずに詠んで、ちょっと特別な日記代わりにしています。一緒にいた人にシェアすると意外と喜ばれたり…
人生のあらゆる経験が作品になる。
日記をつけない私にとって、自分のいまの気持ちを残しておけるツール。実際にときどき、昔の句自分の句を読んで、あの時こんなことを思っていんだと振り返っています。
俳句自体が育児記録になるところも好きです。もやもやすることもイライラしたことも、俳句にすると少し心が軽くなり、後から「そんなことあったなぁ」と笑えることもあります。いつも心の隅っこに居て、必要な時に支えてくれて、パワーや笑いをくれる……そんなところが好きで、ありがたい存在だと思っています。
俳句を詠むって立ち止まること、たった一つの記憶を永遠のものとして大切にしまっておくことのような気がします。
自分の句を振り返ってみて「これは〇年前の〇〇旅行のことだわ!」と情景を思い出せること。子供との想い出ならなおさら記憶に残っているので読んで嬉しくなります。毎日を淡々と過ごすより、何か形に残るものを作るのは素敵なことだと思います。子育てばかりだと滅入ってしまうところに日記代わりの俳句があったからこそ、日々の辛い事も笑い話にできたんだと思います。
今という瞬間を切り取れる。一行だけど詩。移り行く四季に合わせて自然を詠むので飽きない。自然を詠むので古くならない。今日始めた人でも名句を詠める可能性がある。子供に勝てない。俳句の下では皆平等。
十七音という短さ!
17音しかないのに世界が広いところ
17音しか使えない不自由さ
17音の長さが好きです。作句してると、短く感じたり、逆に長く感じたりします!
あんまりたくさん言わなくていいところ。
すぐに作品として完成するところ&作品として完璧にはならないところ
言葉って短いほど瞬間火力が高くなる感じがするので俳句は一番爆発力のある詩だと思います。その爆発力が好きです。短いから手軽に作れるし、手軽に読めるのも好きです
言葉の表面からでは計り知れないほどの不思議な奥行き。ここまで短い詩形だからこそなのかもしれません。
最短の詩型!
自分の実感した景を短く表現できる
短くてよいところ
辛い時悲しい時、俳句を作っていたら気が紛れる。もちろん楽しい時も楽しい句をつくれる。
十七音の広がりや可能性。
17音でこんなにも詩情やさまざまな景を伝えることができるのが魅力です。そして、こんなにも多くの方が俳句を詠んでいてもほとんど重なることはなく、類想句だったとしても詠み人それぞれの個性やアイデンティティが詰まった作品になっているのが面白いです。
17文字の後ろに大きくて深い世界が広がっているから。
17音の中にどのような感情を込めても、作品になる可能性があるところが大大大好きです。感情や思考、祈りを17音の弾丸に込めて表現できるので、他の方の作品を鑑賞するのも楽しいし、勉強になります。家からで出なくても自分で作ることができる一番小さい文学館なのかもしれない、俳句は。
たった17音なのに表現は無限。
たった十七音に無限の宇宙を感じられるところ
どう作るのか、どう読むのか、たった17音から広がる自由さがおもしろくて好きです。
言葉と遊ぶ、言葉で遊ぶ、言葉に遊ばれるのも、また楽しくて奥が深い。
自分で自分に驚けるところ
絵の具の代わりに言葉を使って絵を描いている感覚です。言葉を磨くことで静止画から映像、さらに五感を刺激する立体的な空間まで表現可能なところに奥深さを感じてハマっています。
自由なところ。
十七音しかないのに、景色が無限に広がるところ。日本語の美しさ、面白さに改めて気付かされました。
十七音で、たいして何も表現できないけれど、宇宙全てを表現できる可能性がある。
十七音でいろんな情景を想像させることができるところ。知らなかった言葉に出会えること。
十七文字の中に無限の作品が生まれるところが好きです
知らなかった私の世界がどんどん広がっていくところ。
俳句のトリッキーなところが好きです。他の文学と決定的に違うのは「自分もやらなきゃ本当の面白さがわからない」ところかも。有季定型という縛りの中にある、まだ見ぬ言語表現の可能性にわくわくしっぱなしです。
俳句は棒高跳びに似ていて面白いなと思っています。季語は棒高跳びの棒。上手く使えるかどうかはアスリート(作者)の力次第。もちろん風向きや運もあるけれど、鍛錬と道具がピタッとハマると、宇宙までも跳べる。そういう面白みがあると思います。
取り合わせ。自分の持ってきた言葉と季語がマッチした時のアハ体験(?)がとても面白いです。
取り合わせでストーリーを感じさせることが俳句の魅力でもあり、面白いところです。
その俳人の色が、出そうとしなくても出るところ
短い言葉のなかにその人らしさがじんわり感じられるところ
共感し合える、誰かに届けられる
俳句を通じてお互いに経験や想いを共有し、共感し合える。
十七音には記していない気持ちや景が伝わるところや、あるある!と、共感できたりするところ。
俳句を「読む」時は、共感と発見が楽しい。「わかるー!」と「そういう見方があったか!」にたくさん出会えるのが楽しい。
たった十七音なのに、他人の句を読んで映画や物語のように感動するところ。
一人ひとり独自の発想、世界観、解釈が肯定・尊重されるところ
自分がいいと思ったことを句友さんと共有できる。
自分の思いを季語に託して表現できるところ。十七音の自由な世界観を他者と共有できるところ。
句会が面白い。俳句を作る楽しさと、ほかのひとの俳句のどこがよいかを言語化する楽しさと両方がある。
時折、誰かを想って句を作り、その人に贈るということもとても大切にしています。つい最近も両親の金婚式のお祝いに句を詠んでプレゼントしました。その際、恥ずかしながら句の説明もしたのですが、それを聞いていた中学生の姪っ子が俳句にとても興味を持ってくれたのも良かったなと思いました。
見たもの、感じたことを言葉で切り取って、時間も空間も超えて誰かに届けられるところ。
俳句を通して、友達ができる!
老若男女問わずいろいろな人と友達になれる。一人でもみんなとでも楽しめる。
「俳句」という共通項があると、年齢も性別も、さらには出会ってからの時間の長さも全部超越して一気に仲良くなれる瞬間がたくさんあるのが俳句のおもしろいところだと思います。さすが「座の文学」というかんじです!
俳句を通さなければ、きっと遭遇できなかったであろう人たちに出会えるところ。
自分がつくるのも、ほかの方の俳句を詠むことも楽しい。人との繋がりが生まれるのも好き。
友人とお互いの句の感想を語り合える事が俳句の楽しみとなっています。
俳句だけで何時間も過ごせる仲間がいること
年齢、立場に関係なく、たくさんの友達ができること。
年齢関係なく色々な人と繋がれるところ。普通に生活していたら出会えないような人たちと出会えるところ。
句友という名の本当なら決して交わる機会のなかった人達と知り合えます。提出の締切が近づくのに俳句が出来なくて苦しいする時もありますが、今のところ収支報告ならかなりプラスです♪
母、兄と共に句を詠んでいるのですが、1つの句を見てどう思うのか、それぞれ別の意見、視点なのが面白いです。その意見を聞いて、またブラッシュアップできる所は大人数で句を詠む楽しさだと思います。
いつでもどこでもできる、退屈しない!
日々退屈せず過ごせる。
会議中でも、上司に叱られていても、頭の中で俳句を作っていられるところ
隙間時間でも、一人でも楽しめる。
日常の隙間時間でも作れるところ
日常の中で、思い立ったその場で出来るところです。他にも趣味ややりたいことはありますが、そのための準備や片付けが必要で、もちろん家事や育児も並行しなくてはいけなくて、自分の時間がゆっくり取れないと取り組めないことがほとんどです。でも俳句は、そんなバタバタの中でも自分が「あっ」と思った時に出来て、心に留めておけます。(忘れなければ)後から推敲したり、投句してみたり、日常の中に趣味があるような感覚です。
俳句から離れている時間も俳句と繋がる事が出来るので、気軽にいつでも向き合えるところ。
俳句を自分で詠むようになってからは、退屈時間というものがなくなりました。たとえ満員電車に揺られていても、脳みそさえ働けば俳句に遊べる。レジ待ちの行列でも周りを見回して俳句のタネ探すからイライラしない。
場所を選ばず、大掛かりな道具も必要なく気軽に楽しめる。
道具が要らないのでいつでもどこでも俳句は作れる。
お金が比較的かからない。老若男女みな平等に楽しめる。
スマートフォンがあれば、手軽に始められるところ。
学びがいがある、奥深くて沼にハマる
学ぶ上でゴールの見えない深さ。やめようと思ってもやめられない中毒性。
初心者ながら季語や言葉遣いなど知らない事を掘っていくのが楽しくなってきました。
知らない言葉に出会える。
難しいところが好き。走る時に風を感じるように俳句を楽しみたい。
俳句ってやり始めると、奥が深くて、あれ?思っていたより全然上手くいかない…と落ち込むことばかり。だけど、続けているうちにふっと言葉が湧いてきたり、ここぞ!という句が思いついたりすることがある。その瞬間が嬉しい。俳句って、なかなか上手くいかないからこそ、面白いのではないでしょうか。難しいからこそ、上手くできた時の喜びはひとしおだと思うのです。
奥が深く、学ぶことの尽きない楽しさ、おもしろさがあります。
どうやったら他人に伝わって、かつ、新しいものになるのかまったく分からない所が面白いです。
考える過程、作品になる体験
季語からどう景を膨らませていくか悩めるのが楽しいです。
俳句は集中できた時、日頃の不安や雑念が一切排除される快感が堪らないです。俳句のことだけを考える、例え5分でもものすごく贅沢な時間。俳句スポ根説がありますが、ゾーンという意味ではわかるなぁーと思います。
日々の生活のなかで集めてきた俳句の種が、マテリアルとして自分の中に蓄積されていき、ノートに向かってペンを走らせることでそのマテリアルが作品(十七音の定型)にまとまっていくその過程が気持ちよく、溜まっていたものがゼロになるのが最高に心地いいです。
勝手に頭に降ってきたいい感じのフレーズを、捨てずに、ひとに褒められる(かもしれない)かたちで有効活用(?)できる。
悩んで悩んで悩み続けてできたのアハ体験
人に言ったら笑われそうなヘンテコな思いつきを、詩として受け止めてもらえるのが嬉しい。私の中のヘンテコがのびのび遊べる大事な居場所です。
自分のことをありのままに表現できて、読んでくれたひとが共感してくださるところ。自分の気持ちを表現できる。
俳句にすることで、いつでも思い出と向き合える。
写真を撮ることも好きで、そこで俳句を詠むことにより、自分にとって、より忘れられない記憶として焼きつけることができます。
鑑賞も好き。鑑賞の自由さが好き!
同じ句であっても人それぞれの受け取り方、読み方があっていいこと
余白や余韻によって、十七音をはるかに上回るものを感じられるところ!
俳句は短いので、読んだひとが好きに鑑賞できる想像の余地があるところ。
鑑賞が楽しいです。十七音から広がる世界を想像すること、そしてそれが作者の句意に沿っていた時が楽しいです。また逆もあり。拙句を読んで下さった方に伝わった時が嬉しいです。自分の詠んだ以上の世界を広げてくださることも楽しみです!
人の句でクスリと笑えること。俳諧味というか、共感するエピソードが多々あるので、そういう句を見つけるとほっこりします。
時代を超えて、作者の実感が読者の中で再現されるところ。短いからこそ陳腐化しない点は俳句の魅力だと思います。
俳句を鑑賞する際、どんな解釈をしてもよいところ。作者の意図と違っても良いし、逆に違った読みの方が句が面白くなる場合もある。
余白の芸術であるところ。読み手によって解釈が異なる場合があることも一興。選者の評によって句がドレスアップするのも堪らない。
フットワークが軽くなった、世の中の見え方が変わった
俳句のネタになると思えば、何でも積極的に取り組めるし、なんでも経験してやろうと思えるところ。
サングラスのように、俳句というメガネを通してみると世界が違う色で見えること。時々外したくなることもあるけれど、それもまた面白い。
周りの事物に対して「お!」と、心が引っかかることが増えたことです。
俳句を始める前は気にも留めなかったことを楽しめるようになりました。毎日の生活の中に季語が溢れていて、驚くことばかりです。句友さんとお会いできるのもうれしいです!
そのほかには、こんなコメント
俳句にすることによって、その事柄に興味が無い人にも伝えることが出来るところ。(卓球をしていて、卓球のことを句にしたら卓球をしている人以外にも卓球をして感じたことを伝えることが出来た。)
読む時の自身の状況などによっても感じ方が変化すること
名句は人を励ます力を持っている。
俳句は俗っぽくても良いみたいなので、私のような下衆にはピッタリだと思った。
みなさん、ご回答ありがとうございました!
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