棚機津女

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明日は七夕です。七夕の起源は中国ですが、日本ではこの日に古くから「棚機津女(たなばたつめ)の祓い」が行われてきました。

お盆にご先祖様をお迎えする前に、自分たちの穢れを祓う御神事です。

棚機津女とは、神様を迎えて祀るために、7月6日の夕方から7日朝にかけて清浄な水辺にある機屋に籠もる巫女のことです。棚機津女の元を訪れた神が、7日の朝にお帰りになる際、人々が水辺で身を浄めると、一緒に穢れを祓ってくれるといわれています。

私はお風呂に日本酒とお塩を入れます。  

今年は全国で

牽牛星と織女星が見えますね

https://shindenforest.blog.jp/archives/88734788.html 【七夕の星を見よう】より

七夕 五節句の一つ。日本の七夕は、新暦7月7日に行われることが一般的です。

七夕の起源は中国ですが、日本ではこの日に古くから「棚機津女(たなばたつめ)の祓い」が行われてきました。

お盆にご先祖様をお迎えする前に、自分たちの穢れを祓う御神事です。

棚機津女とは、神様を迎えて祀るために、7月6日の夕方から7日朝にかけて清浄な水辺にある機屋に籠もる巫女のことです。

棚機津女の元を訪れた神が、7日の朝にお帰りになる際、人々が水辺で身を浄めると、一緒に穢れを祓ってくれるといわれています。

中国と日本の御神事が融合したものが現在の七夕です。

七夕では一般的には短冊に願いを書いて竹に飾りますよね。

多くの七夕の神事は、7月7日午前1時頃に行うことが多く、お祭は、7月6日の夜から7月7日の早朝にかけて行われます。

2023年の七夕の夜、月の入りは、午後8時19分ころです。

夜9時には完全に暗くなります。そのため星が見やすい条件が整っています。

ほとんどの人は七夕は知っているとはいえ牽牛星と織女星を見る人は少ないのではないでしょうか。

東側の空には夏の大三角形が見えます。夏の大三角はわし座のアルタイル、こと座のベガ、

はくちょう座のデネブの3つの星で形成されています。

これらはとても明るい星ですので都会でもよく見えます。

というか、都会では夏の大三角形のような明るい星だけしか見えないかもしれません。

sky-s国立天文台

この夏の大三角形のうちの二つの星わし座の1等星アルタイルが、ひこぼし

こと座の0等星ベガが、おりひめぼしです。空気の澄んだ場所ではその星の間に天の川が見えます。

そしてあまり知られていないことですが、この小さな星座であること座のベガ(おりひめぼし)は12,000年後には、北極星となります。

北極星は、実はずっと同じ星ではないのです。

今月末にはみずがめ座δ流星群がありますね。


https://ameblo.jp/youka81/entry-12858995107.html 【七夕(しちせき)の節句織姫の意味】より

親愛なる皆さまこんにちは、中井耀香です。いつもご訪問くださり有難うございます

本日は七夕ですね七夕 七夕の節句(しちせきのせっく)です。

奇数は陽の数で、その数が重なる時にはお祭りをします

3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句に続く 7月7日は七夕の節句です。

今日はたなばた様の日で織姫と彦星が天の川を渡って出会う日となっています

織姫と彦星のモデルは「瀬織津姫×饒速日命」と言われています。

せおりつひめとにぎはやひのみことです。この2柱の神様はあまり表に出て来ません。

縄文の神と言われていて隠されています。特にセオリツヒメは大祓いの祝詞に登場するだけで

単体で祀られてる神社も少ないです。瀬織津姫の「瀬」は川や滝を現し、瀬で織る姫です

しちせきを「たなばた」というようになったのは、「棚機」たなばたから来ています。

棚機(たなばた)は、古来の神が川や滝のそばで着物を織って、それを男神をお迎えして土地の豊饒を頂く神事から来ています。

川で機織りをする女性を「棚機津女たなばたつめ」と言いました。瀬織津姫のことです。

そしてその着物を着て人々に豊饒を与えるのが男神のニギハヤヒでした。

それを、中国の織姫と彦星の伝説と重ねて隠したのが今の七夕さまです。

それまではしちせきと言っていた七夕の節句をたなばたと言い出したのは、瀬織津姫が

棚機つ女=たなばたつめだったからです。

機織り機で神様に捧げる神御衣=かみこ、を織りあげて、それを棚に供えて旗を立てて神を迎え入れて、一晩神様と共に過ごして翌日にケガレと一緒に神を送り出し人々の罪と穢れを祓って祖霊に秋の豊作を祈るという神事です。

そしてその神事をしているお社が伊勢の地にあります。

それが・下機殿(しもはたどの)神服織着機殿神社 かんはとりはたどのじんじゃ  

神服織着機殿神社末社八所神服織機殿鎮守神(かんはとりはたどののまもりのかみ)

が御祭神です。ここは女性の手で絹糸を使って「和妙にぎたえ」を作って内宮に奉納します

・上機殿(かみはたどの)

神麻続機殿神社 かんおみはたどのじんじゃ 神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどののちんじゅのかみ)です。

男性が麻を使って「荒妙あらたえ」を作って内宮に奉納する

人生一気に運気上げたかったら、絹と麻の服を着るとよいと言われています。

古くは機織りを行う「服部神部はとりかんべ」という人々が住んでいました。服部さんの氏はここから来ています。

饒速日が「火」で瀬織津姫が「水」なので2つが合わさって「火水(かみ)=神」となり統合がおこります。

本日七夕の節句は多次元にいる自分と統合することができ本来の自分を憶い出すことができる日ということですね

夜は天の川を仰ぎ見て天と地を繋ぐイメージをしてみて下さいね拍手

本日も最後までお読み頂いてありがとうございます

中井耀香

https://rashimban2.blog.fc2.com/blog-entry-46.html 【7月7日は七夕です①】より

7月7日は七夕です。願い事を書いた短冊を笹の葉に飾り、織姫星と彦星が見えるかな、と夜空(天の川)を見上げたりしたものです。年に1度だけしか会えない織姫と彦星の伝説にちなみ、恋人達の日としてイベントを催している商店も見受けられます。20年くらいの前までは家庭や自治会(町内会など)で七夕にちなんだイベントをやっていた印象があります。しかし、近年は七夕飾りをする家庭が減少していると聞きました。伝統行事はしっかり次代に伝えていきたいですね。

七夕

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<七夕伝説のおこり>

七夕は、天の川に隔てられた織姫と彦星が年に1度だけ逢うことが許された日…。そんな印象をお持ちの方が多いと思いますが、本来の七夕伝説は少し様子が異なります。

七夕伝説のおこりは古代中国です。天の川の西側に住む織物が得意な織女(しょくじょ)と東側に住む牛飼いの牽牛(けんぎゅう)という夫婦の物語で、織女は天帝(中国で一番偉い神様)の娘という設定です。

娘(織女)の結婚相手を探していた天帝が、働き者で評判の牽牛のことを知り、娘の結婚相手になるように頼みました。牽牛は畏れ多いと思いながらも承諾し、2人は夫婦になりました。ところが、結婚すると2人は真面目に働くどころか天の川のほとりでペチャクチャおしゃべりばかりしています。天帝が働かないのかとたずねても、「明日からやります」のくり返し。業を煮やした点帝は、牽牛をもともと住んでいた天の川の東側に移し、2人を別々に引き離しました。

牽牛と会えなくなった織女は毎日泣いてばかり。牽牛も悲しさで家に引きこもり牛の世話ができない有り様。困った天帝は、以前のように一生懸命に働くならば、年に1度だけ逢うことを許そうと譲歩。それを聞いて喜んだ2人はしっかり働くようになった、という儒教的思想の色濃いお話です。

儒教は、孔子(前552年~前479年)が説いた思想や信仰の体系で、長いこと中国の古典的倫理観の核心とされていました。織女と牽牛の物語は中国の後漢王朝(8年~220年)の時代には完成していたようです。しかし、このお話では肝心の7月7日という日付が出てきません。

なぜ、7月7日の夜に願い事をしたり、そもそも七夕が7月7日になったのでしょうか。さらには、七夕とかいてなぜ「たなばた」と読むのはなぜでしょう。明日はそんな日本の七夕の由来についてお話します。

https://rashimban2.blog.fc2.com/blog-entry-193.html 【7月7日は七夕です②】より

昨日は古代中国の織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の物語を紹介しましたが、ここには肝心の7月7日という日付も、七夕を「たなばた」と読む理由は書かれていませんでした。なぜなら「たなばた」は日本の姫様に由来するからです。

<日本における七夕の由来>

織女と牽牛の物語は、日本最古の和歌集『万葉集』にも書かれているため、遣唐使によって奈良時代(710年~784年)には日本に伝わっていたことが分かります。この織女と牽牛の物語に中国の乞巧奠(きこうでん)という風習と日本に古来からあった「棚機津女(たなばたつめ)」の信仰が合わさり、平安時代頃に日本七夕が完成したといわれています。

乞巧奠(きこうでん)とは何でしょうか。乞巧とは「巧みを乞う」という意味で、奠(でん)は「崇める・祀る」という意味です。乞巧奠(きこうでん)とは古代中国における女性が手芸や裁縫の上達を願って行う行事のことでした。遣唐使がこの風習を日本に伝えたところ、天皇家に仕える女官は、織女の織る絹織物があまりに美しかったので、織姫(織女)星が輝く7月7日の夜にお供え物をして機織りや裁縫などが上手になるよう願うようになりました。

また、日本には古来より「棚機津女(たなばたつめ)」という風習(信仰)がありました。棚機津女(たなばたつめ)とは、天から降りてくる水神に捧げる絹布を織るため、7月6日に水辺の小屋に籠って機織りをする女性のことです。棚機津女(たなばたつめ)が織った絹布は神が着る衣なので、水神が天に帰る7月7日にお供え物をして禊(みそぎ)を行うと、水神が厄災を祓ってくれると信じられていました。

加えて、旧暦の7月7日は稲の成長に必要な水が最も不足する日でもありました。そこで雨不足とならないように、水神に雨乞いをしたという地域伝承も残されています。琉球地方(沖縄県)には織女と牽牛の物語が羽衣(はごろも)伝説と混ざった形で伝承されているところがあります。

七夕2

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江戸時代(1603年~1867年)になると、七夕は学問や書道の上達を願う行事として行われ、織姫星と彦星を引き合わせるため、桶に水を張り、そこに2つの星を映し、桶をゆらして2つの星があたかもくっついたかのようにする遊びが行われていたようです。

このように、中国から伝わった織女と牽牛の物語に中国の乞巧奠(きこうでん)という風習と、日本古来の棚機津女(たなばたつめ)の風習が合わさり、そこに稲作に必要な雨乞いや学問や書道の上達を願う意味が加わり、7月7日の七夕(たなばた)祭りが完成していったのですね。 

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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