https://note.com/yorimichi_copy/n/nbbd1e61465d2 【「マルハラ論争」でなくすべきものはマルじゃなかった】より
最近知った「マルハラ」という言葉。LINEやチャットツールのやりとりで若者が上司など目上の人から「。」がつくメッセージを受け取った際、冷たさや威圧感を抱く現象をマルハラスメント(マルハラ)と表現しているそうです。
例えば、上司からの仕事の連絡。
「この部分、今日中に修正してください。」
「会議までに資料まとめておいて。」
「仕事の進捗を報告してください。」
このような上司からの連絡を怖いと感じたり不安に思う若者がいるんです。文末のマルがメッセージの印象を左右してしまうなんてびっくりですよね。
マルハラはネットニュースや情報番組で話題になり、SNS上でも様々な意見が見られます。みなさんはどう思いますか?
社会人1年目の私は、ハラスメントとまでは思わないけどその気持ちはよくわかるといったところ。怖い時、あります。
実際、マルハラは若者共通の感覚なのか、どんな時にどうしてそう感じてしまうのか、一若者の視点で考えたことをまとめました。
マルの印象はツールで変わる
まず前提として、マルがすべて怖いわけではありません。
なぜならメールなどほかの場所でもマルを毎日見ていて、自分も使っているから。上司や先方からのメールにはもちろんマルがありますが、怖さや威圧感はなし。でもLINEやチャットで見ると…というのが実情。
つまり、メール形式とチャット形式ではマルへの印象が違うということ。
これはメッセージの送り方が異なるからではないでしょうか。
メールは基本的に用件を一度に伝えます。相手や内容によっては挨拶が入ったり、複数の用件を送ったりするので長文になることもあります。マルがないと読みにくいです。
対してLINEやチャットは一言か短文を連続して送ります。長~いふきだしよりも短くテンポよく送ることが多いですよね。本来マルを打つべき箇所でふきだしを切り換えていませんか?
同じ内容でもメール形式とチャット形式では見え方が違う
マルが欠かせないものと、使わなくても読めるもの。チャット形式はむしろ使わない方が自然な会話に近く感じます。短いやりとりでマルをつけないことに慣れているから、ないはずのマルを見ると違和感があるのかも。
マルは世代間のギャップに限らない
度々、マルハラは世代間でのギャップと取り上げられます。マルへの印象がLINE普及前のメール文化を経験した大人世代とそうではない若者世代では違うというもの。
LINEは若者にとってコミュニケーションツールの原点。私も初めてスマホを持った時から使っていました。短文でマルを使わないスタイルのやりとりに大人世代よりもなじみがあるのは確かです。
ただ、LINEのマルについて若者みんなが気にしているとは思えなかったので同世代の友人にグループLINEで聞いてみたところ、
「使わないし、そもそもつけるつけないとか意識してなかった」
「怖いというか、かしこまった感じしてなんとなくつけない」
「でもつけてる人が嫌だとは思わない」
「バッサリ切られてるみたいでそれ以上返事しにくくない?」
「怒ってんの?って」
「相手にもよる」
と返ってきました。マルなしで。
文末にマルをつけないことこそ共通していましたが、相手のマルに対する印象はやはり様々でした。
かしこまっていてフォーマル、会話を断ち切られたなどの感覚は若者でも個人差あり。私の友人のように気にならない人もいます。必ずしも世代間のギャップとは言えなさそうです。
マルには感情が見えない
マルの怖さには「会話を断ち切られた感覚」のほかに「感情の見えなさ」が影響していると思います。
例えば、自分が何かを提案したときの返事で考えてみましょう。
A)いいと思います。
B)いいと思います~
C)いいと思います!
D)いいと思います👍
個人的な感覚で言うと、Aはほかに比べて相手がどんな気持ちで返事をしているのか想像しにくいです。Bは語尾が伸びていて怒っているとは感じず、CやDはかなり肯定的に感じませんか?
気にしすぎかもしれませんが、マルで終わっていると本当にこの提案でよかったかなと思ってしまうんですよね。自分が送る側でも、ぶっきらぼうに見えていないかなと気になったり。
ほかの記号や絵文字と比較したとき、温度感がなく相手の様子や感情がわからないことが、不安や怖さに結びついている気がします。
なくしたいのはマルではなく先入観
「会話を断ち切られた感覚」も「感情の見えなさ」もメッセージを受け取る側の尺度で、人によって様々。理解しがたい人もいて当然です。
それなのに使い方をめぐって「ハラスメント」とネガティブな呼び方をしたり、若者共通の価値観としてしまうのは強引だと思います。マルが気になる派も相手の様子を推測しているだけで、「マルがついている!悪質!」と思う人はそういません。
マルを使う使わない、良し悪しで議論するのではなく、「マルをそう解釈する人もいるんだ」とか「誰しもが自分のようにマルを気にしているわけではない」と自分にはない感覚を頭の片隅に置き、互いに必要以上に悩んだり気を遣うことが減るといいなと思います。
しかし本来、句読点は文章を読みやすくするための記号であり、特別な意味や感情は含みません。SNSを筆頭に文字コミュニケーションが当たり前の今、私たちは誤解を招かない表現に気を付けるようになりました。加えて、表現に対して過度な先入観を持たないことも重要なのではないでしょうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc24d1f491c5a8bef7828bbfc8525dbda5dd0596 【“マルハラ論争”あなたはどう思う?―俵万智「感覚の違いが可視化されるのは良いこと」】より
今日7月6日は「サラダ記念日」。1987年に発売された歌人・俵万智さんの歌集『サラダ記念日』収められている短歌「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」は、当時誰もが口ずさめたほど話題を集め、7月6日が「サラダ記念日として広く認識されるようになった。10年以上前にX(旧Twitter)でアカウントを開設し、SNSでも積極的に短歌も発信している俵さん。自身がSNSとどう向き合っているのか、そして最近話題になった“マルハラ”論争についてどう思ったのか、話を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
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Yahoo!ニュースVoiceでは、“SNS上での言葉づかいに関するモヤモヤ”について、あなたの体験を募集しています。本記事にコメントを投稿してみませんか?
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『サラダ記念日』の「いいね」と、SNSの「いいね」は通じるものがある?
マルハラについての思いを語る俵万智さん
――短歌『サラダ記念日』の表現は、現代でも影響力を持っています。ご自身ではどう感じられているのでしょうか。
俵万智: 私が「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という短歌を作ってから、「何月何日は何とか記念日」という表現が一般的に使われるようになりました。30年以上前の歌の表現が、今でも使われていることに驚いています。
あと、ここ数年は上の句の「この味がいいね」の部分に注目して、「『いいね』の元祖」とも言われます。「まだSNSもない頃から、『いいね』という言葉をずいぶん早くに見つけたね」と感想をいただいたこともあります。この歌を作った頃は、「いいね」の視点からこの歌が評価される日が来るとは思っていませんでしたから、時代が変わると短歌の読まれ方も変わるのだと実感しています。
――俵さんはSNS上でも短歌を発信されていますが、SNSを使うようになったのはいつ頃からでしょうか?
俵万智: 2011年のはじめ頃から主にX(旧Twitter)を使っています。私はスマホを持つのも遅かったし、機械にも弱い方なんですけど、当時劇作家の松尾スズキさんがXを始めたと聞いて、それを読みたい一心で一生懸命登録をしたのがきっかけです。言葉が人から人へ手渡されていく様子が数字や他者の反応で可視化されるので「これはなんか面白いぞ」って思ったのが最初ですね。松尾さんはXはもう辞められたんですけど、私は続けています。
“マルハラ” の背景にあるのは、コミュニケーションツールに対する世代的な感覚のズレ
――最近、SNSが火付け役となって、“マルハラ” が話題になりました。「目上の人からのLINEの文末に、『。』という風に句点を付けられると威圧的に感じる」という若い世代からの意見について、俵さんはどう思われましたか。
俵万智: ハラスメントっていうのはちょっと大げさじゃないかなと思いましたね。実際に多くの人の反応も「そんなことでハラスメントっていう?」という感じでしたし。
ただ、言葉を使う世代や属性によって、特定のツールにおける文章の感じ方にズレがあるんだということに気づかされました。LINEというコミュニケーションツールに対する感覚が、世代間でちょっとずれているということです。我々の世代は、画面には文字が表示されているわけだから、LINEも書き言葉だと思っている。そこで『。』を文末に付けないなんてありえないと感じるのですが、若い人にとってLINEは話し言葉の延長だから『。』は必要ないんでしょうね。
我々の世代は、まとまった文章として2~3文になったら、絶対に句点を付けないと、どこで文章が終わっているか分からないわけです。句点をつけないということは、すなわち1文以内ということですよね。一方で若者はLINEなんて、ひと言で返せばいいと思っている傾向もある。LINEに句点が何個もついた長文が送られてきたら、ジーンズでくつろいでいるところに課長がネクタイを締めてきたような感じで、ラフな雰囲気を叱責されているように感じるのかもしれません。
でもXやLINEを通じて個々の感覚の違いが可視化されるのは、良いことなのではないでしょうか。その違いが分かれば、年配の人が文末に『。』をつけていても、別に脅しにかかってるわけじゃないし、若い人が句点をつけていないのも、失礼なことを考えているわけではないということが分かります。このことが話題になることによって、お互いの溝が少しでも埋まれば良いわけです。
――“マルハラ” について世間が注目していた頃、俵さんが詠んだ短歌も話題になりました。
俵万智: 「優しさにひとつ気がつく×でなく○で必ず終わる日本語」 の歌ですね。
この歌は実は“マルハラ” について詠んだわけじゃなんです。“マルハラ” が話題になったタイミングで、たまたま最近歌集に収めていた短歌で、句点について触れた作品があったんですよね。日本の句点は文の最後に〇を付けることを考えると、「なんだか優しくていいな」と思って、作った歌です。「こんな歌を作ったよ」という、軽い気持ちでXに投稿したんですよね。
そうしたら、予想を超える反響がありました。SNSのすごい力で、瞬く間に広がり、新聞のコラムでも取り上げられるほどの話題になったんです。「これからはもう句点を使わないようにしようと思っていたけれど、やっぱり〇って素敵だね」という感想が多かったですね。“マルハラ” という言葉をハラスメントという殺伐とした空気の中で話し合うよりも、「こういう観点もあるよね」という感じで受け入れてもらえてよかったなと思いました。
「相手がどんなルールで運転しているか広い心で見る」SNSを利用するときの心構えとは
――10年以上SNSを利用されている中で、俵さんご自身はSNSを使う良さをどう感じていますか。
俵万智: かつて「リツイート我もするなりツイッターは言葉のバケツリレーと思う」という短歌を詠んだことがあります。「バケツリレー」のように、誰かが発した言葉を次の人がリツイートすることで、多くの人々に言葉が伝わるというのが、私の感じているSNSの魅力です。それはずっと変わらないですね。
短歌は、特にSNSに向いている形式だと思います。小説1冊を140文字のXで伝えるのは難しいですが、短歌はその短さ故にSNSでまるごと届けることができますから。短歌の31文字が、読んだ人の心の中で100文字、1000文字、さらには1万文字にも広がったらいいなっていつも思っています。短いことは窮屈だったりマイナスだったりするものではなく、短いからこそ読む人が参加し、読み手の中で完成させる余地があるのです。
やっぱり私は言葉を届けたいと思っているので、多くの人に届くっていうことはすごく嬉しい。短歌がSNSを経由して即座に多くの人に読まれ、普段歌集を買わない人までも届いていく。そう考えるとすごいツールだと思います。希望を感じますよね。
――SNS上ではたびたびトラブルが発生することもありますが、俵さんはSNSに対してどう向き合うべきだと考えていますか。
俵万智: SNSのコミュニケーションは言葉だけですから、情報の解像度が低くなり、誤解やトラブルが発生しやすくなるのだと思うんです。実際に会って話すのとは異なり、言葉以外の声色、表情、服装、年齢などの要素が見えないですからね。だからこそ、注意深く言葉を扱わなきゃという面があるんだと思います。
ある知り合いが、募金活動が締め切られたと思っていたらまだ続いていたので、「まだやってるんだ」と書いてXにポストしたそうです。その人は、「まだ募金活動が継続していることを知らせたい」とポジティブな文脈のつもりで発信したのですが、その言葉だけだと「長々と募金活動をやってる」と、ネガティブに受け取る人もいる。「まだやってるんだ♡」とハートマークでも付ければ、発信の意図がより明確になったかもしれないのですが。自分が発するときは1通りの解釈しか思いついていないときもあるから、言葉だけが飛び交う中ではより注意深く、発信することが必要にはなっていると思いますね。
SNSでは、言葉が驚くべきスピードで広がり、知らない人にも届いてしまいます。そのため、ルールを知らないと、まるで高速道路を無免許運転しているくらいの感じでトラブルや事故が頻発していますよね。急速に一般化したSNSは、ルールが整う前に道路ができ、車もできてしまった状況かもしれない。よくSNS上で言い争いを目にしますが、「俺のルールはこうだ!」という主張を延々と続けていては、問題は解決しないですよね。そんな中でトラブルを避けるためには、相手がどんなルールで運転しているかを広い心で見ることも大事だと思います。
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俵万智
1962年生まれ、大阪府出身。歌人。早稲田大学在学中に歌人佐佐木幸綱に出会い、短歌を始める。1987年、第一歌集「サラダ記念日」が話題を呼び、空前の短歌ブームを起こす。88年、『現代歌人協会賞』を受賞。歌集や、エッセイ、評論、紀行など著書多数。23年、『紫綬褒章』を受章。最新歌集は『アボカドの種』
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