https://www.yomiuri.co.jp/life/20221107-OYT1T50163/ 【ろうの女優としての半生を振り返る~忍足亜希子さんに聞く~】より
耳の聴こえない女優としてだけでなく、本の執筆や講演、手話教室の先生など活動を広げる忍足亜希子さん(52)。夫で俳優の三浦剛さんと長女との和やかな家族生活を紹介した『我が家は今日もにぎやかです』という本も昨年出版した。忍足さんに、ろう者であることの思いや、活動の意義について聞いた。(以下、敬称略)
手話狂言、誰もが笑顔…聴覚障害の俳優熱演 東京・港区
リアルな姿伝えたい
――女優となったきっかけを教えてください。
自らの経験を振り返る忍足さん
忍足)女優になる前は神奈川県の銀行に勤めていました。勤務して5年目になった頃、「定年までずっと銀行で勤めていけるだろうか? 今の仕事が合っているだろうか?」という悩みを抱えていました。そんな時に仲のいい手話通訳士が「手話に関する映像関係の話があるんだけど、興味ある?」と話を持ってきてくれました。私は「やってみたいです」とお返事しました。
最初は見学だけだろうと思っていましたが、話が進んでしまい、NHKのノッポさんの手話番組「ノッポさんの手話で歌おう」に出演することになりました。それが転機となり、5年間勤めた銀行を思い切って辞めることになりました。その頃はまだ、女優になろうと決めたわけではなく、しばらく自分探しの旅をしながら、これからの自分のしたい事を考え続けていました。
NHKの番組に出演したころの忍足さん
その頃、手話を使った登場人物が出てくるテレビドラマが放送され、手話ブームが起こるほど注目されていました。しかし、私には違和感がありました。
ドラマで演じられるろう者は、暗く、寂しく、悲しい雰囲気のイメージだったからです。作られた印象に対し、「ろう者はもっと明るい。リアルな姿を伝えたい」という思いを強く抱くようになりました。私が女優の道を歩み始めることになった大きな原動力のひとつです。
――映画に出演することになったきっかけは?
忍足)27歳の時、映画「アイ・ラヴ・ユー」のオーディション募集を知りました。人前に出ることが苦手だった私にとっては新しい挑戦でした。
――当時、手話を使う主演女優はかなり珍しかったのではないでしょうか?
30歳ごろにイタリアを旅行した時の忍足さん
忍足)「アイ・ラヴ・ユー」は家族愛、友情がテーマの映画です。私が演じたのは聴こえない主人公の女性の役で、聴者で消防士の夫と小学生の一人娘という家族の物語です。彼らの心が触れ合い、愛を深めていくというストーリーです。聴こえない役を、聴こえない人が演じること自体が珍しく、注目されたのではないでしょうか。
日本手話の表現、目の動きなどは、ろう者特有の表現です。聴こえない役は聴こえない人が演じるのがよいのではないかと思いました。
苦労する日本語の理解
――演じることは大変ですか?
5歳のころの忍足さん
忍足)セリフを覚えること、役になりきって感情移入することが難しいです。ろう者の多くは手話が第1言語で、日本語が第2言語になります。私は幼いころから日本語を学習しましたが、目からの情報しかありませんので、日本語の理解には時間がかかります。
また、喜怒哀楽の表情を作り、演じるのも大変です。セリフはまず手話に翻訳して、内容を十分理解し、納得するまで練習します。役作りは大変ですが、とても楽しいです。
――日本語の習得はかなり苦労されたのでしょうか?
7歳のころ、スケートを楽しむ姿
忍足)私が通っていたろう学校は、口の動きで話を理解する「口話教育」が中心で、とても厳しかったです。学校で少しでも手を動かして話そうとすると「ダメ」と注意されました。そして日本語を覚えるため、今日は何をした、何を食べた、という具合に、毎日作文をさせられました。ろう者は文章を書くのが苦手な人が多いので、小さいうちから文章力をつける必要がありました。また口元を見て言葉を読み取る「読話」も毎日訓練していました。
似たような形の言葉が出てきて「たばこ」「たまご」「なまこ」は口の形が全く一緒で困惑してしまったことがありましたね。「手話だったら理解出来るのに」と思ったことを思い出します。当時は聴こえない人に負けないように、日本語が書けるように努力しました。
映画のカチンコを一工夫
――当時の撮影で、思い出に残るエピソードはありますか?
忍足)撮影は1~2か月ありましたが、自分以外の人物になりきって演じるのは本当に難しいなと思いました。撮影現場でベテラン俳優の演技を見て「へえ、なるほど、心情はこうやって表現するんだ」と勉強になりました。私は演技の勉強はしたことがありませんでしたので、不安や迷いもたくさんありました。映画撮影の時は、聴こえる監督、聴こえない監督の2人の発言を、手話コーディネーターが通訳をしてくれたことで、私は安心して、生の演技を見て学びながら勉強することができました。
32歳の時、映画「アイ・ラヴ・ピース」の撮影でアフガニスタンを訪ねた忍足さん(右)
映画には「カチンコ」という音が出る道具があります。カメラが動き出し、撮影開始を知らせるために使う道具です。私は音が聴こえないので、光で合図できるように、撮影スタッフがカチンコにストロボを付けてくれました。でもろう者は、光るものを見ると反射的にビックリしてしまうのです。そこでストロボは夜のシーンだけ使ってもらい、それ以外では、手話コーディネーターがあげた手を下ろす仕草でカチンコを代用してくれました。目に優しい、驚かない「カチンコ」です。
――当時と比べてろう者のイメージは変わっていると思いますか?
忍足)確かに変わってきていると思います。今年話題になった米映画「コーダ あいのうた」を見て、明るいイメージを持ってくれた人が多かったようです。昔は手話を使っていると、「見ちゃダメ」「手話を見ると病気がうつる」と避けられた時代すらありました。今は手話に興味を持つ人が増えています。聴こえない人に対する認知度も上がっていますし、ろう者に対するイメージも変わってきています。手話を見て「かっこいい」「いいですね」という声が聴かれるような時代になって本当にうれしいです。
家族3人の時は手話で会話
――家族の中で演技のことが話題になることもありますか?
昨年、家族について書いた本を出版した(写真は表紙)
忍足)夫と長女は聴者です。家では、演技の話はしません。夫の三浦剛がセリフを覚えるのに付き合うことはあります。時々、娘も手伝いますね。時にはダメ出しもします。
家庭内では基本的に、「家族で会話する時は手話で」というルールを守っています。家族みんなで映画を観るのが好きで「あの演技は良かった!」「感動して泣いた」と、手話で感想を伝え合うこともあります。
――昨年出版した「我が家は今日もにぎやかです」では、家族の楽しい雰囲気が伝わってきます。
忍足)家族3人でいる時は手話で会話をしています。ひとりだけ取り残さないようにみんなで一緒に笑い合える関係を大事にしたいからです。小学5年生の娘は聴者ですが、声を出さずに手話で話しかけてくれます。生まれた時から日本手話を身につけてほしいので、私も手話で話しかけています。娘は話すのが大好きなので、指文字や手話で「しりとり」をしたり、指文字表現を読み取って、当ててもらったりして、わいわい楽しんでいます。
「聴覚障害者」と「健聴者」
――最近、映画などでコーダがテーマになる機会が目立ちます。
忍足)ろう者の親を持った聴こえる子どもは「コーダ」と呼ばれ、親の通訳を務めるなど、親に配慮しながら、生活していると言われています。わが家の場合、夫も娘も聴こえるのですが、何か困った時だけ手話通訳をお願いしています。娘はテレビのCMなどが流れた時や、コンビニなどで店員さんが話しかけてきた時、さりげなく手話通訳をしてくれます。私に出来ることは自分でしますし、出来ない時は手話通訳をお願いすることもあります。
――聴覚障害者という言葉をどう思いますか。
ろう者と聴者の相互理解の大切さを語る忍足さん
忍足)ろう者は「障害者」と呼ばれるのをとても嫌がります。私も障害者と言われて良い気分はしません。ろう者は「ろう者」として誇りを持っており、生き生きとしています。生まれつき聴こえないだけで、他は聴こえる人と変わらないからです。「健聴者」という言葉もありますが、「聴こえない人は不健康なの?」となってしまうので、聴こえる人には「聴者」という言葉を使わせていただいています。マイノリティー(社会的少数者)と呼ばれるろう者は、コミュニケーション手段が手話、ただそれだけです。
生きた手話を知ってほしい
――手話に対する関心は高まっていると感じますか?
手話文化の世界について話す忍足さん
忍足)そうですね。手話に興味を持って、聴こえない人と会話したいという人は増えています。手話を使った人が登場するドラマの影響で、関心を持ってくださるのはとてもうれしいですね。手話は “見る言葉” なので、相手の顔を見ながら会話します。
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手話に興味を持ってほしいという思いから、5年前に手話教室を始めました。ろう者の「生きた手話」を知ってもらうために、まず手話を楽しんでもらい、そしてよく使われる日常の手話会話などを教えています。手話は言語なので、外国語を学ぶような感覚で楽しんでいただけるとうれしいです。
――楽しそうですね。
忍足)手話は、相手の顔を見て表情をつけて「気持ちを伝え合う」会話をすることが本当にとても大事なんです。日本人は考えていることを、表情に出さない人が多いですが、手話をする際には表情を豊かに話すことが求められます。手話という言葉を楽しんでほしいと思います。
――聴者とろう者が理解し合うためにはどうしたらよいですか?
忍足)ろう者も聴者も人と人とのつながりを大切に、お互いに歩み寄りながら新しい文化を作っていくことが大事だと私は感じています。
インタビューに応じてくれた忍足さん。右手は「アイ・ラヴ・ユー」の意味(東京都千代田区で、2022年10月)
聴こえない人は、外見からは分かりませんので、そういう意味では「損」だと思います。聴こえる人と外見に変わりはないからです。私はよく聴者に道を聞かれます。耳が聴こえないことを伝えると、聴こえる人は大変申し訳なさそうにその場を去ってしまいます。
そういうことが何度もあるので、なんだか悲しいなと思ってしまいます。それは一般の聴者にとって、ろう者とのコミュニケーション法が分からず、構えてしまうからなのではないでしょうか。コミュニケーション手段はいろいろあります。筆談、スマホでのやり取り、空書き、ボディーランゲージなどです。手話がわからなくても大丈夫、その場で臨機応援に会話ができるようになれば誰でも楽しくなると思います。
プロフィル
おしだり・あきこ
1970年、北海道千歳市生まれ。1999年に映画「アイ・ラヴ・ユー」でデビュー。日本でろうの女優が主演する映画は初めてだった。その後も映画や舞台に出演し、2021年には「僕が君の耳になる」に出演。夫の三浦剛も俳優。小学5年の長女との3人の楽しい家庭を描いた共著『我が家は今日もにぎやかです』もある。
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