大井恒行さんより『水月伝』(ふらんす堂)を頂きました。心よりお礼申し上げます。
覚めているほかは眠りぬ鈴の風 同
Facebook松田 ひろむさん投稿記事
大井恒行『水月伝』を読む
大井恒行さんから句集『水月伝』をご恵送いただいだ。23年間の作品から選び取ったというから、あだやおろそかには読めない。個人句集としては第3句集というから、永い句歴のわりには少ない。これにも驚いた。
恒行さんは、ずっと以前に「俳句空間」(1986.9書肆麒麟-弘栄堂書店)という総合誌の編集長をされていたときから注目していた作家であって、何冊か当時の「俳句空間」も持っている。特に「鈴木しづ子追跡」は印象に残っている。「俳句空間」と、現在の同人誌「俳句空間-豈-」の関係については、彼自身が書いている。https://sengohaiku.blogspot.com/2013/05/haikukukanAni.html
恒行さんといえば、実作よりも論のひとという印象であったが、今回の『水月伝』を拝読して、多彩な才能の持ち主であることを改めて認識した。
カバー表紙は、あっさりとした水色に「水月伝」とのみ。
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの四部構成。
Ⅰは戦争・原発などをテーマにしている。無季・分ち書き・多行形式など、俳句のあらゆる過去の実験的手法を駆使している。もちろん有季定型もある。
東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク 7
「君が代」に直立不動昭和の日 27
戦争に注意 白線の内側へ 44
Ⅱも無季・有季・分ち書き・多行などがあるが、テーマはなんだろう。雨や空が多いようだ。
春の日の飛魂(ひこん)よ風をつかまえろ 47
手を入れて水のかたさを隠したる 65
浄不浄凍てを逃れず黒き鶴 72
Ⅲは前書き付の追悼句。多彩な交友関係が窺がえる。
小生が面識もあり、会話を交わしたこともある方は、三橋敏雄・佐藤鬼房・鈴木六林男・八田木枯・加藤郁乎・磯貝碧蹄館・金子兜太・高橋龍・清水哲男・黒田杏子・斎藤愼爾・岸本マチ子であった。恒行さんに比べると微々たるものに過ぎない。
他界の春よ与太な兜太よ九八 84
Ⅳは最後をしめくくる力作と拝見した。碧梧桐流のルビ俳句も一句ある。
行方分からぬ光放てり手の林檎 97
砲手ならずも絶えて久し労農派 105
ダモイ(家へ)また聞くに堪えざる春隣(ウクライナ) 130
この国をめぐる花かな尽きたる山河 134
全体として刺激される句が多かった。ただ言葉の裏の喩が多く、それが重たい。作者の方向性には共感するものの、小生とは詩法が違うために、個々の句の鑑賞は難しかった。
悼 中村苑子 (2001年1月5日 享年87)
切り抜きは重信の記事桃遊び 75
中村苑子(1913-2001)は高柳重信(1923-1983)の妻であるが、事実婚であった。句は〈翁かの桃の遊びをせむと言ふ〉という苑子の句を下敷きにしたもの。ただ、この「桃遊び」は連想が広がる。これは苑子の句の手柄。
二人が「結婚」したのは1958年重信35歳、苑子45歳であった。10歳年下の重信はかわいかったのであろう。苑子が重信の記事の切抜きをしていたことも読んだことがある。苑子の句は「翁」であるが、苑子・重信の「桃遊び」も楽しい。
『後の月』
「水月忌」と同じ月の連想で斉藤節『後の月』(花神社)もアップする。彼女は黒田杏子の母。「風」同人。この句集の装丁は中原道夫。表紙の月は、カバーが切り抜かれて、表紙本体が見えるもの。
たたかひの劫火に失せし子らの雛 節
そら豆剥く子等育ちゐし日のごとく 節
留守居して昼こほろぎに鳴かれけり 節
https://furansudo.ocnk.net/product/3057 【大井恒行句集『水月伝』(すいげつ】より
◆最新句集
句集『水月伝』は、現代俳句文庫『大井恒行句集』(一九九九年一二月)以後、二〇〇〇年から二〇二三年に至る二三年間の作品から選びとった。
*
ボクのこれまでの単独句集はすべて故人に捧げられている。
本句集もまた、大泉史世と救仁郷由美子に捧げたいと思う。
◆作品紹介
明るい尾花につながる星や黒い骨
〈近い帰国(スコーラダモイ)〉いくたびも聞き日本海
光の粒の蘇生す済州島(チェジュド)ヤブツバキ
猪飼野は風の道なり風の道
触れているこの世の手には地震の風
原子炉に咲く必ずの夏の花
叫びは立ちこめ土砂より速く飲み込む海
鳥かひかりか昼の木に移りたる
雨を掬いて水になりきる手のひらよ
くるぶしを上げて見えざる春を踏む
https://fragie.exblog.jp/32781967/ 【大井恒行さんより突然の電話が、、、】より
8月15日(月) 敗戦記念日 旧暦7月18日
稲田堤駅ちかくのお宅に咲いた竜舌蘭をやっと見られた。すでに夕方である。
4メートルくらいはありそうだ。葉の部分はこんな感じ。花が咲くとなると茎がスルスルと伸びて花を咲かせるらしい。
花の部分をよく見ると、すでにおおかた花は終わっている。盛りのときは黄色の花がもっと華やかに咲くようだ。もう少し早く来たかったな。。。
昨日の朝日新聞の「風信」に吉田成子著『桂信子の百句』がとりあげられている。
著者は信子に師事した「草樹」編集長。副題は「揺るがぬ自我」。
大花火何といつてもこの世佳し
午前中に自宅でパソコンに向かっていると、携帯がなった。出ると、「大井です」という声。
俳人の大井恒行さんである。
「実はコロナに罹ってしまい、8日間ほどホテル隔離療養をして戻ったばかりです。その間に妻(俳人の救仁郷由美子)が亡くなりました」
わたしは驚くやら、奥さまの急な訃報に言葉もでない。
救仁郷由美子さんは、7年の闘病生活を経て、お子さんやお孫さんに囲まれて家で息を引き取られたという。
隔離療養の大井さんは、スマートフォンの画面越しに奥さまとお別れが出来たという。
救仁郷由美子さんの闘病のことはすでに伺っていたので、折りがあればその状態を尋ねていたのだが、よりにもよって大井さんのコロナ隔離闘病中に亡くならるとは。しかし、携帯越しであってもお別れができたのは良かった。。。
今日は親しい人に声をかけて府中の斎場でお通夜があるという、そのご連絡をいただいたのだ。もちろん参列させていただくことにした。
このことについては、大井恒行さんがご自身のブログで詳しく書かれているので是非にそちらをアクセスしていただきたい。
→大井恒行の日日彼是
救仁郷由美子さんは、永田耕衣の「琴座」によって俳句をはじめられ、「豈」の同人であった。
救仁郷由美子さん。
敬愛されていた安井浩司氏からのはがきなど。
今日は、豈同人の方が数名参列されていた。
わたしが存じ上げている俳人の方は、池田澄子さん、筑紫磐井さん、酒巻英一郎さん、高山れおなさんなど。
池田澄子さんとはメールのやりとりやお電話でお話することがあってもお目にかかるのは3年振りくらい。ましてはほかの方々はもっとお会いしていない。
先日、大泉史世さんを亡くされた書肆山田の鈴木一民さんもいらしていた。大井さんとは親しい友人であられる。
わたしはご闘病の大泉さんのことなど伺いたく、しばし、立ち話をする。
書肆山田は編集を大泉史世さん、企画・営業を鈴木一民さんのお二人でやってこられた詩歌専門の出版社である。詩歌のすぐれた本をたくさん出版している。いま目の前の鈴木一民さんが語る言葉はすべて大泉史世という編集者への敬愛の言葉である。心から尊敬しておられたのだということが言葉の端々からうかがえるのだ。大泉さん亡き今後は、書肆山田をおしまいにするとおっしゃっている。わたしは言葉を返すことができない。「大泉は僕なんかと人間の格がちがいました」とポツリとおっしゃった鈴木一民さんである。ご夫婦として長い間二人でやってこられて、こんな風に言えるということにわたしは少なからずショックを受けている。。。。
「ふらんす堂さん、頑張ってください」と言って、鈴木一民さんは去っていかれたのだった。
帰りは池田澄子さんたち「豈」の方々と府中までタクシーでご一緒する。
女性組が先について、男性組があとからとなった。
男性たちをまっている間、わたしは池田澄子さんに竜舌蘭の写真をお見せした。
そしてひととおりに竜舌蘭についてお話をして、
「池田さん、竜舌蘭について一句つくってください」と申し上げた。
「あとでメールで送ってくださるのでもいいですよ、ブログに発表させてもらいます」って半強制的に。
「もう一度、写真ご覧になります?」って聞くと、池田さん、「ううん、いらない」って答えながら紙切れの端になにかさらさらと書きつけている。そして、それを私に見せてくださった。
竜舌蘭高しここで一句を書けというあっという間に一句をつくった池田澄子さん。
さすがである。
お食事をされるという「豈」の方々にお別れをつげて、わたしは仙川に戻ったのだった。
一緒に食事をしたいけれど、ほら、ブログを書かなくっちゃいけないでしょう。。。
そしてこうして書いているのだけど、なんということ!!
パソコンがフリーズして書き直したりして、もうさんざん、こんな時間になってしまった。
明日から仕事。気合をいれて頑張らなくては。。。。
病み上がりの大井さん、どれほど気をおとされ憔悴されているかと心配だったのだが、
「あら大井さん、どんなにやつれているかとおもったら、少しも前と変わらないわね、良かった!」って池田さんに言われていた。
ほんと、いつもの穏やかな大井恒行さんだったのでわたしも安心したのだった。
看病疲れがこれからでなければいいのだけど。。
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