https://furansudo.ocnk.net/product/3057 【大井恒行句集『水月伝』(すいげつ】より
◆最新句集
句集『水月伝』は、現代俳句文庫『大井恒行句集』(一九九九年一二月)以後、二〇〇〇年から二〇二三年に至る二三年間の作品から選びとった。
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ボクのこれまでの単独句集はすべて故人に捧げられている。
本句集もまた、大泉史世と救仁郷由美子に捧げたいと思う。
◆作品紹介
明るい尾花につながる星や黒い骨
〈近い帰国(スコーラダモイ)〉いくたびも聞き日本海
光の粒の蘇生す済州島(チェジュド)ヤブツバキ
猪飼野は風の道なり風の道
触れているこの世の手には地震の風
原子炉に咲く必ずの夏の花
叫びは立ちこめ土砂より速く飲み込む海
鳥かひかりか昼の木に移りたる
雨を掬いて水になりきる手のひらよ
くるぶしを上げて見えざる春を踏む
https://fragie.exblog.jp/32781967/ 【大井恒行さんより突然の電話が、、、】より
8月15日(月) 敗戦記念日 旧暦7月18日
稲田堤駅ちかくのお宅に咲いた竜舌蘭をやっと見られた。すでに夕方である。
4メートルくらいはありそうだ。葉の部分はこんな感じ。花が咲くとなると茎がスルスルと伸びて花を咲かせるらしい。
花の部分をよく見ると、すでにおおかた花は終わっている。盛りのときは黄色の花がもっと華やかに咲くようだ。もう少し早く来たかったな。。。
昨日の朝日新聞の「風信」に吉田成子著『桂信子の百句』がとりあげられている。
著者は信子に師事した「草樹」編集長。副題は「揺るがぬ自我」。
大花火何といつてもこの世佳し
午前中に自宅でパソコンに向かっていると、携帯がなった。出ると、「大井です」という声。
俳人の大井恒行さんである。
「実はコロナに罹ってしまい、8日間ほどホテル隔離療養をして戻ったばかりです。その間に妻(俳人の救仁郷由美子)が亡くなりました」
わたしは驚くやら、奥さまの急な訃報に言葉もでない。
救仁郷由美子さんは、7年の闘病生活を経て、お子さんやお孫さんに囲まれて家で息を引き取られたという。
隔離療養の大井さんは、スマートフォンの画面越しに奥さまとお別れが出来たという。
救仁郷由美子さんの闘病のことはすでに伺っていたので、折りがあればその状態を尋ねていたのだが、よりにもよって大井さんのコロナ隔離闘病中に亡くならるとは。しかし、携帯越しであってもお別れができたのは良かった。。。
今日は親しい人に声をかけて府中の斎場でお通夜があるという、そのご連絡をいただいたのだ。もちろん参列させていただくことにした。
このことについては、大井恒行さんがご自身のブログで詳しく書かれているので是非にそちらをアクセスしていただきたい。
救仁郷由美子さんは、永田耕衣の「琴座」によって俳句をはじめられ、「豈」の同人であった。
救仁郷由美子さん。
敬愛されていた安井浩司氏からのはがきなど。
今日は、豈同人の方が数名参列されていた。
わたしが存じ上げている俳人の方は、池田澄子さん、筑紫磐井さん、酒巻英一郎さん、高山れおなさんなど。
池田澄子さんとはメールのやりとりやお電話でお話することがあってもお目にかかるのは3年振りくらい。ましてはほかの方々はもっとお会いしていない。
先日、大泉史世さんを亡くされた書肆山田の鈴木一民さんもいらしていた。大井さんとは親しい友人であられる。
わたしはご闘病の大泉さんのことなど伺いたく、しばし、立ち話をする。
書肆山田は編集を大泉史世さん、企画・営業を鈴木一民さんのお二人でやってこられた詩歌専門の出版社である。詩歌のすぐれた本をたくさん出版している。いま目の前の鈴木一民さんが語る言葉はすべて大泉史世という編集者への敬愛の言葉である。心から尊敬しておられたのだということが言葉の端々からうかがえるのだ。大泉さん亡き今後は、書肆山田をおしまいにするとおっしゃっている。わたしは言葉を返すことができない。「大泉は僕なんかと人間の格がちがいました」とポツリとおっしゃった鈴木一民さんである。ご夫婦として長い間二人でやってこられて、こんな風に言えるということにわたしは少なからずショックを受けている。。。。
「ふらんす堂さん、頑張ってください」と言って、鈴木一民さんは去っていかれたのだった。
帰りは池田澄子さんたち「豈」の方々と府中までタクシーでご一緒する。
女性組が先について、男性組があとからとなった。
男性たちをまっている間、わたしは池田澄子さんに竜舌蘭の写真をお見せした。
そしてひととおりに竜舌蘭についてお話をして、
「池田さん、竜舌蘭について一句つくってください」と申し上げた。
「あとでメールで送ってくださるのでもいいですよ、ブログに発表させてもらいます」って半強制的に。
「もう一度、写真ご覧になります?」って聞くと、池田さん、「ううん、いらない」って答えながら紙切れの端になにかさらさらと書きつけている。そして、それを私に見せてくださった。
竜舌蘭高しここで一句を書けというあっという間に一句をつくった池田澄子さん。
さすがである。
お食事をされるという「豈」の方々にお別れをつげて、わたしは仙川に戻ったのだった。
一緒に食事をしたいけれど、ほら、ブログを書かなくっちゃいけないでしょう。。。
そしてこうして書いているのだけど、なんということ!!
パソコンがフリーズして書き直したりして、もうさんざん、こんな時間になってしまった。
明日から仕事。気合をいれて頑張らなくては。。。。
病み上がりの大井さん、どれほど気をおとされ憔悴されているかと心配だったのだが、
「あら大井さん、どんなにやつれているかとおもったら、少しも前と変わらないわね、良かった!」って池田さんに言われていた。
ほんと、いつもの穏やかな大井恒行さんだったのでわたしも安心したのだった。
看病疲れがこれからでなければいいのだけど。。
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