「言霊思想の比較宗教学的研究」

http://moon21.music.coocan.jp/ronbun03.html 【博士論文「言霊思想の比較宗教学的研究」論文概要】より

 本論文「言霊思想の比較宗教学的研究」は、ミルチア・エリアーデのいう「言語の呪術-宗教的価値づけ」の一事例としてわが国の言霊思想に焦点をあてたものである。

 序章では、まず声音と声音の受容器官である耳の「呪術-宗教的価値づけ」を考察した。記紀万葉の時代の日本人は「草木語問(ことと)う」と表現したが、聴くことはまずそうした「草木語問う」声を感受し、その「呪術-宗教的力」に感応することから始まる。そのような声音の力に着目した思想家が空海や出口王仁三郎や折口信夫である。彼らの声音の力についての見解を検討し、霊性と身体性とをつなぐ媒体としての声に創造性、世界開示性、心身浄化力があることを指摘した。

 その声は聴覚器官としての耳を通して物理的・身体的に知覚される。耳の発生学的・形態学的特徴と構造をもとに、さらにその「宗教的価値づけ」について考察した。耳の「宗教的価値づけ」とは、耳は「身体の中の縮約された身体である」、あるいは「身体の中の霊性的器官である」、すなわち「耳は身身である」という身体的象徴解釈である。

 世界宗教史において、聴くことの宗教文化を倫理的に深めた宗教がユダヤ-キリスト教である。聖書は、その神の聖なる啓示=言葉を書きとどめた書であると信仰されてきた。旧約聖書では、神の言葉はヘブライ語で主として「ダーバール」と呼ばれ、新約聖書ではギリシャ語の「ロゴス」と訳された。そのことがその後のヨーロッパの宗教・哲学思想・学問の性格に大きな枠組みと強い制約をもたらした。その枠組みが現代の言語理論にまでつながっていること、また現代の主要な言語理論の源流とその論点を示した。

 そして宗教言語の問題として言霊思想を考察するにあたり、言語の(1)物質的次元、(2)生命的次元、(3)社会的次元、(4)霊的次元の四つの次元を区別することで言霊思想の全体像をつかむパースペクティブを設けた。

 第一章では、わが国における「言語の呪術-宗教的価値づけ」としての言霊思想を(1)言語生命観、(2)言語定型観、(3)声字実相観、(4)口唱行力観、(5)和歌即陀羅尼観、(6)声音法則観、(7)言霊宇宙観、として思想史的に位置づけた。

 言霊思想は、基層的には「草木語問う」という生命的・アニミズム的な言語意識、すなわち「言語生命観」に支えられている。それが次第に和歌や祝詞などの定型詞章に神秘的な力が宿るという「言語定型観」に結実し、対外的な国威意識の高揚と連動しながら「言霊」観念の醸成を見た。「言霊」には、「草木語問う」というアニミズム的な言語意識と、「言霊の幸はふ国」というナショナリズム的な言語意識の二つの異なる言語意識が含まれている。その二つの異なる言語意識を密教的な宇宙論に結びつけたのが「真言陀羅尼」の概念であり、「声字実相観」である。この神仏習合的言語意識が、中世に心敬や正徹の「和歌即陀羅尼観」を生み出した。

 『古事記』の中で、八俣の大蛇を退治して清々しい気持ちになった須佐之男命が、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくるその八重垣を」という短歌を詠んだのがわが国における和歌の濫觴であったが、その和歌は紀貫之によって、力をも入れずして天地鬼神を動かす呪的-霊的力能を持つものと捉えられた。そうした和歌の神聖性や呪術性についての「呪術-宗教的価値づけ」が、和歌=真言陀羅尼とする中世の思想を生み出した。

 神仏習合的流れに対して、真言僧契沖の万葉集の研究から始まった国学は、わが国固有の「言語の呪術-宗教的価値づけ」を密教的な神秘説に付会する「声字実相観」や「和歌即陀羅尼観」から解放しようとした。特に本居宣長は、仏教や儒教や道教などの大陸伝来の思想を構造づけている知の「さかしら」を「漢意」とみなして徹底的に批判し、国学的古典観(古学観)、世界観・人生観(古道観)、言語観(古語観)に基づいて、大和言葉に対する再「価値づけ」を試みた。その時、わが国固有の言語意識として「言霊」の再発見・再評価が起こり、五十音図に天地の自然法則性と神秘を見る思想、すなわち「声音法則観」が生まれた。

 「国学者」(古学者)の多くがわが国固有の言語特性と優秀性を闡明しようとする意図を持っていたが、それを全面展開したのは平田篤胤である。また、同時代の国学者たちも競ってその言語特性を明らかにしようと情熱を傾けた。山口志道、中村孝道は、そうした江戸時代後期の傍流国学者群像の一人であり、後に出口王仁三郎に甚大な影響を与えることになる。山口志道と中村孝道は、言霊を生命的に理解し、声と呼吸の分節の中に宇宙論的かつ神話的な世界創成の過程を見て取ろうとした。

 山口志道は「天地の水火(かみ)と人間(ひと)の水火(いき)と同一」と主張し、五十音と片仮名の発生を呼吸と結びつけて解釈し、それをさらに『古事記』上巻の神々の発生と結びつけた。それに対して、中村孝道は「七十五声は即ち天地の声」と主張し、五十音ではなく、七十五音の音義を解釈し、特に「ス声」に着目した。同時代の平田篤胤にも同様の視点と志向性があるが、その言霊思想は神代文字論にも及び、特に「ウ声」を五十音の根本と考えた。

 平田篤胤の国学研究は多岐にわたり、近代の民俗学および霊学の先駆的研究となった。この三者の言霊思想や国学研究、霊学研究は、霊学者・本田親徳や言霊思想家・大石凝真素美を介して、大本教の出口王仁三郎に多大な影響を与えると同時に、その思想と実践の基盤を提供した。大石凝真素美は中村孝道の言霊七十五声説を元に、山口志道の「火水」の象徴図形を加えてみずからの言霊説を展開した。大石凝は七十五声を独特の十八稜図に表し、その中心に「ス声」と○(マルチョン)を位置づけた。これらの言霊論を整序し、統合し、さらには「言霊隊」なる組織「言霊閣」という建物を作って言霊の言語実践をしたのが出口王仁三郎である。

 出口王仁三郎は言霊学に基づいて「オホモト(大本)」や「タニハ(丹波)」を解釈し、言霊学と鎮魂帰神の行法を含む霊学を大本教の宗教活動の根幹に据えた。そして、浅野和三郎や谷口正治や友清歓真などの神道系新宗教の指導者の宗教活動に大きな影響を与えた。大本から分派した友清歓真と岡田茂吉の言霊論は出口王仁三郎に対する距離に基づいて展開された。友清はより批判的・超克的に、岡田はより共感的・継承発展的に言霊論を展開した。友清歓真は従来の言霊説の牽強付会ぶりを批判し、独自の音霊法を提唱・実践した。それに対して、岡田茂吉は言霊を浄霊という病気治療の実践と結びつけた。

 これらの国学-霊学系の言霊論に対して、折口信夫は、国文学の発生というテーマを追いかける中から言霊の発生的風景を描き出した。それは「神の自叙伝としての原始叙事詩と、神の意思表現手段としての片哥」という視座の提示であった。国学-霊学系の宇宙論的言霊論と国学-民俗学系の詩的言霊論はその背景と内容を異にする言霊論であったが、いずれも平田篤胤の流れを汲むものである。    

 第二章では、第一章の言霊思想の思想史的考察に基づき、言霊思想の比較宗教学的考察を行なった。まず宗教言語と日常言語と詩的言語との原理論的かつ類型論的な相違点について考察した。宗教言語は、その一般的特質として、含意性・多義性・象徴性への志向において詩的言語と共通し、明示性への志向において科学言語と共通し、言語場の強い制約を受ける点で日常言語と共通する。

 しかし、言語場の強い制約を受けるとはいうものの、同時に新たに言語場を改変し、場の関係性を変換していく創造的な働きと力を発揮する。この宗教言語の現実を読み替え、再創造していく力は、宗教言語が根源的に発揮する世界開示性や「呪術-宗教的価値づけ」に基づいている。

 そうした宗教言語の一般的特質を思想史的に見ると、西洋のユダヤ-キリスト教の宗教言語は契約の真理性を中心的信仰とする「律法的(契約的)言語観」をその中核として内包し、日本の宗教言語は「場」の情勢や状況に間主観的に規制される「八意(やごころ)的言語観」を含んでいる。『古事記』には、神々の思考をまとめあげ、たくさんの「意識=心=思念」を包摂する神として「八意思兼神(やごころおもひかねのかみ)」が登場する。

 こうした日本的な「八意的言語観」が出口王仁三郎の言霊論と言霊実践の根底に底流している。出口王仁三郎の「言霊解」は、解釈のヴァリエーションを幾重にも重ね、音-意味の多義的織物を作り上げてゆく解釈作業である。出口王仁三郎の言霊論および言霊運動は、言霊思想を言語宇宙論的な体系の中に組み込み、独自の霊的行法や修法を取り入れ、世直しの世界救済運動に連動させ組織化した点で、日本の言霊思想史の頂点を形成している。

 出口王仁三郎や神道系新宗教の教祖たちはまた、巧みな言語遊戯を言霊実践と結びつけた。日本文化全般に濃厚に見られる言語遊戯は、言霊論と言霊実践において重要な役割を果たした。言語遊戯は同音多義性を利用して、意識の高揚した状態や変容状態に導く。またその多義性を利用して、意味の地平を飛躍的に拡充する。その言語遊戯の意味論的機能を、「コモンセンス(常識)の世界を「ノンセンス(無意味-非意味)」によって撹乱し、「ダブルセンス(意味の二重性)」を顕現させ、「マルチセンス(意味の多重性)」の意味世界に連れ出す、意味拡充と意味再発見の過程と機能として位置づけた。こうして、意味の拡充と再発見・再結合としての言語遊戯的言霊実践の意味論的機能と力動を考察した。

以上が、本論文「言霊思想の比較宗教学的研究」の概要である。

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