神道とは何か

https://www.setojinja.or.jp/kouza/kouza10.html 【「さくら」に見る日本の心(お花見とお祭り)】より

【ある年の月次祭(ついたち朝まいり)四月一日の講話より】

月次祭に皆さんご列席ありがとうございました

暖かくなって、だんだんお出かけもだいぶ楽になりて、昨日が桜の開花宣言が出てましたね

ここ二、三年、桜が咲くのが早い時期が多かつたので、今年は平年より一寸遅めのやうですが入学式などには恰度よい頃合になりました

桜が咲いたといふと、上野公園が賑はつてとかの報道もテレビや新聞に必ずといつてよいほどされますが、「お花見」というのがつきものですね

落語の中にも長屋の八つぁん、熊さんも花見をする話が出てきます

花見といふと、お酒を飲んで、歌を歌つて、楽しんでと、いはば娯楽のやうに現代人は考へえます たぶん江戸時代ころから花見は人々の娯楽だつたのでせう

ところが、このやうに、お酒を飲んで、歌を歌つてといふのは、これは花見に限らないことですけれども、こんな伝統といふか習慣があるものといふのは、大体お祭りと繋がつた由来があるものと見て大方間違ひないのです

お祭りといふのは、神様をお招きして、神様と人間とが出会つて、そこで心を通はせて、その喜びの中で、お酒を飲み歌を歌ひ、踊りを踊つて、といふことが古来の基本的構造になつてゐます

通常、お祭りの儀式の中では、そのお酒を飲んだり歌つたりの部分を直会(なほらひ)と言つてゐます

大体、町内のお祭りでも最後の方には必ずみんな集まって酒を飲む習慣がついているわけです

これを「鉢払ひ」「鉢洗ひ」といふ言ひ方をすることもあります

ですから、お正月の行事にしろ、御盆の行事にしろ、日本中の昔からの色々な年中行事があり、飲食歌舞の習慣のあるものも多くありますけれども、その中でも、「お花見」といふのもには殊にさういふ要素が強く認められます

神様に出会ふたといふことは、どの神様と、何時、どこで出会ふかが肝心なことになります

昔の人の生活条件からすると、春の、これから田づくりを始める、そうした時期にですね、一年間の豊饒を、稔りをもたらしてくれる神様に、その神様が春になって活動を始めるその時期に、お迎へして豊作や子孫繁栄を祈りたい

その神様と出会へる最も典型的な場所が桜の花の下なのです

その神様と出会ふために花の下へ行き、そして神様と一緒に宴会をする

そこにはお祓ひだとか、祝詞だとか玉串奉奠だとか今日の神社でのお祭りのような、儀式らしい儀式はないけれども、むしろ弥生か縄文の昔に遡るやうな古い形のお祭りの姿が残つてゐるんです

お花見以外にも、そのやうに野外に出て何かをする習慣というのは他にもありました

例えば、百人一首の中に「春の野に出て若菜摘む」という「春の野」といふのが出てきますよね

万葉集には額田王の「野守は見ずや君が袖ふる」といふ歌がありますね

これは春ではなく実は夏の歌なのですが、野を守つている番人が見てゐるよ、あなたが袖をふってゐると、浮気してゐると疑はれますよ、とそういう内容の歌だとされてゐますけれども、大勢で野原に出てさうした行楽をする行事があつたことが判ります

このやうに春から夏になると、野原に出る行事がありました

秋には紅葉狩もありました。薬草を摘むためとか、そういう習慣だと古典の授業では一般に説明されますけれども、このやうな野外行事の基本は、特に春の野原に出ると、萌えてくる草花や、その中にこもっている大自然の一年の稔りをもたらす大きな霊気があるわけで、それを身にふりつける、それと一体になる

それにより自らの生命を若返らせ活性化することでした

その喜びがお祭りになるわけですね

殊に、桜といふものの場合ですが、「さくら」の語源説には様々なものがあり、どれが正しいかは一概には言へませんが、その語原説の一つに、「さ」といふものの「くら」が「さくら」なんだといふ説があります。「くら」といふのは漢字で書くと「座」といふ字を書きます

座席の「座」です

馬の上の座席が「くら(鞍)」です

それから神様がお座りになるところを御神座と言いますが、これを古い言葉で「くら」といひます すると、「さ」というものがいらつしやる「くら」いふう風に考へられます

それでは「さ」といふのは何かといふことになります

「さ」といふ字が頭につく言葉には、田植えのときの用語にたくさん「さ」がつきます田植で植ゑる苗を「早苗」(さなえ)と言います

それから、それを植ゑる女性を「早乙女」(さをとめ)と言ひます

田植ゑを終へた祝ひの行事を「さなぶり」といひます

これは「さのぼり(さ昇り)」で田の精霊である「さ」が天へ登る意味だといはれます

また「さ」には、吉永小百合の「さ」のやうに「ゆり」の上に「さ」がつく、田や米以外の草花につくものもあります

このやうに自然の草花の清らかな美しさ、その本質の無垢な清浄さ、その根源である自然の精霊、中でも豊かな稔りの象徴である米つくりの力の元となる魂、それを表してゐるのが「さ」だといはれてゐます

さういつた、自然の中の神聖なもの、生命の根源に活力を与へる見えない力、さういふものが、桜の花の咲くときに大地に降りてくる

そして、その魂といひませうか、精霊そのものの鎮まる「座」になるのが「さくら」といふわけです

桜が開くのはその精霊が降臨した証しとなります

その桜の花の下、すなはち精霊の降りてこられたその場所に行つて、その精霊と私たちも一体になる

かういふ昔ながらの、大自然と人間とが一体になる、花を通じて一体になる

そしてその生命力で私たちが生かされてゐる

さういふ気持ちが、おそらく、この花見の宴の中にも、今でも無意識の中にも日本人の原体験として生きてゐるんだと思ひます

生きてゐるといっても、ほとんどの人がそれを知らずに、仲間同士で一緒に行く、その連帯感といひませうか、長屋では長屋の人間同士、大家さんと店子と一緒になる、会社の花見だと、新入社員も含めて部長も課長も一緒になる

さういふ連帯感、地域の隣組なら隣組で、友達同士は友達同士のそのつながりを深めることをしてゐます

その原点にはかうした精霊と一体になることとのつながりの中に、真の連帯感があつたのです

平安朝の雅びの時代から、歌に詠まれた桜ですが、昨今の若者のヒット曲にも桜はたびたび登場します

無意識の中にも、今の若者にも、祖先の思ひ、心といふものは脈脈と流れてゐるのです

神道を学ぶこといふことは、その無意識の心を、少し見えるところに引出す作業なのかもしれません。


https://1000ya.isis.ne.jp/0065.html 【神道とは何か】より

鎌田東二

 神道は神教ではない。

 そこにはもともと「主張」というものがない。「言挙げ」がない。静かなものである。そこがわからないと神道の感覚はなかなかわからない。

 ところが、中世近世の神道の歴史には、神道を神教にしたがった“神道家”たちの主張の歴史が、そうとうに交じっていた。言挙げばかりであった。

 たとえば、度会家行・延佳によって確立された「外宮の神学」と『神道五部書』による伊勢神道、卜部吉田兼倶による唯一神道と反本地垂迹論、家康を大権現にするために企画された天海の山王一実神道、山崎闇斎の垂加神道などなど、静かなどころか、次々にうるさいほどの神道理論が交わされてきた。

 あげくが明治維新後の国家神道なのである。

 こういう「理屈の神道」と「上からの神道」がありすぎて、神道が本来もっているはずのナチュラルでアニミスティックな感覚を静かなものだと唱えるのがしだいに困難になっていた。

 逆に、静かに神道に奉じる者たちは、こうした日本の歴史が抱えてきたうるさい歴史に目を閉じるようになってきた。オウム真理教の事件がおころうとも、森首相の「神の国」発言があろうとも、神社の社会はひたすら沈黙をまもるようになっていったのである。

 これらの両方に目をむけて、かつ揺るがない立場をもつ者の登場が待たれたものの、そのような勇猛果敢はなかなかあらわれなかった。

 鎌田東二は国学院の出身で、若いころからぼくのところに遊びにきていた俊英である。『遊』もよく読んでくれていた。

 ぼくが7人と8匹で住んでいた渋谷松濤の通称ブロックハウスにも、汗をかきかきよく訪れてきて、そのころブロックハウスで満月の夜に開いていた「ジャパン・ルナ・ソサエティ」での俳句会などにも顔を出し、「お月さまぼくのお臀にのぼりませ」などという“名句”を披露してくれていた。この句はその夜の句会の一席になっている。

 もっとも当時の鎌田君は立川密教やオカルティズムやニューポップスに関心をもっていて、水神祥のペンネームでしきりに大胆な仮説を書いていた。彼の友人にも密教関係者が多かったとおもう。

 しかし、鎌田君の本来はそもそもは少年期のころから神々との交流にあったようで、しばらくするうちに日本各地のミステリースポットや世界の聖地をまわるようになっていた。

 ついで、30代半ばで神職の資格を得てからは、“神界のフィールドワーカー”としての活動に積極的に徹するようになった。いわばフリーランスの神主になったのである。いまもそうだとおもうけれど、そのころから石笛や法螺貝を携帯し、いつでもその笛を吹いて心を鎮めているようだった。

 そのうち、彼こそが“神道の現代的解説者”としての期待を担うことになったのである。

 そのような期待に応えて講演や執筆をする“解説者”は、実は鎌田君のほかにも出てきているのだが、ぼくが見るかぎりでは、やはり鎌田東二の気っ風が群を抜いている。

 本書は、自分の息子がいつのまにか高校生になってしまったことに驚く著者が、ペダンティックな宗教的表現を捨てて、それこそ高校生にも伝わるように神道の心を平易にまとめようとした神道入門書である。

 その努力はなかなか功を奏していて、ところどころにまことにわかりやすい、しかも本質的な、鎌田東二ならではの説明が顔をのぞかせている。

 本書では、神道は「センス・オブ・ワンダー」を感じることだという立場が採用されている。

 「センス・オブ・ワンダー」はレーチェル・カーソンの著書のタイトルでもあるが、神道はもともとその感覚をもってきた、そのように、鎌田君はつかまえた。これを神道用語でいえば「ムスビ」の感覚であり、「ありがたさ」「かたじけなさ」の感覚であり、また「惟神(かんながら)の道」の感覚ということになる。

 このセンス・オブ・ワンダーを祭祀する空間が、各地に広がっている神社や社や沖縄のウタキなどである。

 むろん、このことは日本だけに特有しているものではない。そこには「環太平洋祭祀文化圏」とでもいうものが広がっていて、日本はそのアジアと太平洋に広がる祭祀文化圏との共鳴のもとに、それなりに独自な神道を発展させていった。

 しかし、なぜ日本の神道は独自なものになったというふうに見えるのか。鎌田君も神道が韓国や台湾のものとずいぶんちがっていることを認めている。

 本書では、そうした日本の神道が独自なものになっていった歴史の全プロセスは、実は「神神習合」のプロセスによるものだったというふうにとらえている。

 神仏習合、本地垂迹、反本地垂迹、儒教理論による神道論、宣長や篤胤の神道論、黒住教や大本教などの神道派新興宗教の動向‥‥。これらは結局は「神神習合」のプロセスのあらわれだったというのである。

 ようするに多神なのである。

 多神教なのではない。ただ、多神なのである。

 なぜ多神になったのかといえば、日本がハイブリッド型のクレオール文化として成長してきたからだと、鎌田君は言う。その理由や説明は入門的な本書では省かれている。

 そのあたりの説明は省かれているものの、そうしたハイブリッドでクレオール的な文化を雑多にとりいれた日本のような国では、むしろ一つの主張にこだわらない神道のような祈りが発達してきたという理由については、本書ではなんとなくわかるように綴られている。鎌田君もそのへんのことを理屈で説明したくはなかったのであろう。

 一方、「きよきもの」「あかきもの」を重視する神道が、歴史のなかではしばしば汚濁にまみれてきたことは、否定することができない。

 それならキリスト教だって、たとえば魔女裁判をはじめ、異教弾圧の歴史をくりかえしてきたではないかと言うだろうが、成功しているかどうかは別として、キリスト教はそうした歴史の矛盾を克服するための神学をつねに検討し、みずからグローバリズムに身をさらしてその昇華を試みてきた。

 マックス・ウェーバーの有名な仮説になるが、プロテスタンティズムは資本主義の“倫理”さえつくりだしたのである。

 それに対して神道は、たしかに日本人の感情には浸透しているような気がするものの、そこに国際性を求めようとはしなかったし、市場をつくろうとしたわけでもなかった。

 また、社会の事件を克服するための神道的苦闘を強いられてもこなかった。しかも大東亜共栄圏を旗印としたときは、アジアに対して神社をおしつけたところもあった。

 それなのに、ここが不思議なところでもあるところだが、神道には心を洗うものがある。神道に名状しがたい清潔感があること、神道が宗教とはちがうものをもっていそうなことについては、すでにラフカディオ・ハーンをはじめとする海外の知識人たちが何度も指摘してきたことだった。

 それもまた否定できないことなのである。

 神道を理解するにあたっては、仏教と比較するのがわかりやすいときもある。

 仏教とのちがいは神道側もしきりに説明しようとしてきたし、国家神道が断行されたときも、廃仏毀釈という神仏分離の問題がおこっている。

 ただし、この問題をうまく説明するのは、なかなか難しい。日本の宗教史というものは、つねに神仏習合型に発展してきたからで、そこに神道と仏教を截然と区分するのは困難なのである。

 そこで、だいたいはこの問題は避けて議論されるのが“常識”だった。

 が、鎌田君はこの問題にもわかりやすい説明をしてみせた。生活感覚のなかで「神と仏」は次のようなちがいをもってきたのではないかというのだ。

  1. 神は在るもの、仏は成るもの。

  2. 神は来るもの、仏は往くもの。

  3. 神は立つもの、仏は座るもの。

 この比較は言い得て妙である。これらの感覚的な「ちがい」は、たしかに『梁塵秘抄』や『閑吟集』のようなものを読んでいても感じられてくる。おそらくは、日本人の多くにもピンとくるものだろう。

 詳しくは折口信夫などを読むのがよいだろう。あきらかに神はどこからかやってきて、そこにありつづけ、気がつくとそこに立っているものなのだ。

 もっとも、ここには触れられてははいないが、神はまた帰ってしまうものでもあった。

 いずれにしても、このような神仏感覚のちがいを前提に、神道と仏教はときに反目し、ときに習合し、ときに溶融さえおこして、つまりは鎌田君のいうところの「神神習合」をおこしてきたということになる。

 21世紀の日本の将来を考えるのなら、そろそろ勇気をもって神道を議論することが必要だろう。

参考¶鎌田東二の本では『翁童論』(新曜社)がおもしろい。また神道の独得の言葉づかいについては『神道用語の基礎知識』(角川書店)が、神仏習合の変遷については『神と仏の精神史』(春秋社)などがある。

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