定住漂白

Facebook市堀 玉宗さん投稿記事  『小林一茶という生き方・再考』

 嘗て、金子兜太は「定住漂白」という造語を駆使して小林一茶の深層心理を紐解いて、その人生を現代に曝け出して見せた。思えば、一茶だけではない。わが人生もまた、漂白流浪の観が纏いつく。今、能登半島地震に被災している人生の最前線で、来し方行方を振り返り、展望しようとしている自分がいる。私は一茶足り得るだろうか。一茶を越えられるだろうか。私は私を越えられるだろうか。

 一茶は宝暦十三年(千七百六十三)に信州・柏原に生まれた。継母との折り合いが悪く十四歳のとき江戸へ出る。その後俳壇の宗匠として名を成す。然し、父の死後、継母や異母弟との間に生じた相続問題をめぐって骨肉と言ってよい争いが続いた。その結果、遺産の僅かな田畑を手にし、文化十年信州に戻り故郷に住む。翌年の五十二歳で初めての結婚をする。人並みの暮らしが続くかと思われたが、次々に生まれた四男一女が皆早死にし、妻にも先立たれる。再婚、離婚を繰り返し、一茶の晩年は不運の連続であったと言っていいだろう。

 然し、一茶にはその運命さえも俳諧の生贄にするような力強さがある。一茶のイメージには子供や小動物、弱い者への温かい眼差しをもった人間が感じられるというのが一般的なところであるが、それも又、一筋縄ではいかない一茶の人間性の一面であろう。一茶には川柳作家としての、穿ちやオドケ、社会風刺の作品もある。そして境涯への慟哭と言っていい俳句の一群もある。貧しい市井人一茶には人間性を素材とするほかなかった。

 一茶が熱心な真宗門徒であったかどうか存知しないが、彼には妙好人に通じるような現世を生きることへのふてぶてしさ、逞しさがある。そこには境涯を必死に生き延びてきた土性っ骨のある人間像が浮かび上がってくるのだ。人様に何と言われようが、思われようが、今を生き抜くこと。一茶の俳句はそんな後には引けない人間の、浄土への通行手形のようなものだったのではないか。

 文政十年、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。そして同年十一月十九日その土蔵の中で六十五歳の生涯を閉じた。

二万句に上ると言われる一茶の生涯俳句。とにもかくにも彼はそれだけ輝かしい命の痕跡、輝きを後世に残したのである。その作品一句一句に一茶の裏表のない人間性が覗える。俳句は一茶の等身大であり、それ以上でも以下でもない。

定型の陰に隠れ、或いはアリバイ証明に汲々とし、或いは思わせ振りに見える現代俳句の世界からは、一茶の表現世界は余りにも単純素朴、無警戒に見えることであろう。馬鹿正直に自己を曝け出すこと、赤裸々な自己表出というものが敬遠される現代。一茶の俳句は好き嫌いを超えて、それまでにない俳句の可能性を開いた革新者であり、矢張り稀な存在者であったと言わねばなるまい。

「露の世は露の世ながらさりながら 一茶」


Facebook市堀 玉宗さん投稿記事 『行雲流水という生き方・再考』

「雲水」という言葉は「行雲流水」又は、「雲心水意」の略である。「雲衲霞袂」とう言葉もある。禅の修行者のことを「雲水」と呼ぶが、行く雲流れる水のごとき自在な境地であらねばならないというところからきている。

逆に、留まるということは執着するということに他ならず、理想的には身心の束縛を解き放つこと、それが仏弟子の面目であり、真の自由人たる所以。

雲は空を流れて滞ることなく、水も瞬時として留まることなく、いずこともなく消えてゆく。時々刻々、さし障りなく今を生きていく。身も心も投げ出して無常に徹するという「清浄行」が「行雲流水」の本質として貫かれていよう。

私が「雲水」という言葉を知ったのは出家した後のことである。仏弟子としての姿を端的に言い現わしており、憧れの生き様となっていった。雲水貴族という洒落た言葉もある。まだ独身だった大乗寺時代の私などは肩で風を切って生きている様な雲水だった。

仏の顔も三度までなどどこ吹く風の怖いものしらず。思えば汗顔の至りであるが、なんか妙に懐かしくもあるのはどうしたことか。今ではお寺の住職という定住漂白の身となってはいるが、三衣一鉢で身も心も軽く生きる、そのような「生涯雲水」が本望であることに変わりはない。

しかし、云うは易く雲水の道は厳しいものである。すべての執着、束縛を擲つことが容易であろう筈もない。それほどまでにしなければ本当の自在の境地は得られないということ。そのような自己確立の孤高な生き方が「行雲流水」には込められていることを人は見落としがちである。物見遊山の気楽な道行ではない。

「雲水」としての生き方を困難にさせるものはなんだろうか?言い方を替えるならば、命の自在さを妨げるもの、それは何だろうか?

鈴木大拙の言葉として伝えられている次のような示唆を忘れられないでいる。真の自由とは何か、という設問に対して大拙は、肘を指して屈伸させてみせたという。

「肘に関節があることによって私は自由に腕を動かすことができる。」

命には生老病死という関節がある。無常という骨がある。関節や骨がない五体など考えられない。それはすでに五体を成してさえいない。生老病死や無常という関節・骨があることによって私は命を自在ならしむる。

というより、命は本来的に自在であり、「私」の執着を離れている。執着も「私」という妄想のなせる業である。無縄自縛、有縄自縛、有無透脱の自縛他縛をわがものとする。それこそが雲水の醍醐味なのだろう。単なるボヘミアンや漂泊者であろう筈もない。

「捨」の実践を「行」ともいう。身を捨て、心を捨てる解縛の道。「行仏」は必ず「威儀」を具足するというのが宗門の習いである。雲水であろうが、住職であろうが、自己を縛するのではなく、自在ならしむる「捨」であり「威儀」でなければならない。

「煩悩」がそうであるように、「行」もまた人の数ほどある。雲心水意に適っているかどうか。本物であるかどうか。本物だけがそれに感応するだろう。雲水のこころ、それは仏弟子としての初心であり、全てである。合掌。


https://ameblo.jp/tukuhae/entry-12469304769.html 【定住漂白】より

私が仕事を辞めるきっかけとなったのは「小さな暮らしのすすめ」という一冊の本。

丁度東日本大震災の直後だったと思う。

特に絵本作家の久保田昭三氏の極貧といっても良いような生活ぶりに衝撃を受けた。

ある程度の金はあったので、贅沢さえしなければ年金が受給出来るまでは十分暮らして行ける。鳥が羽をたたむように暮らしを小さくしたいと思った。

図書館で読める本は捨てて、それ以外の本は自炊して電子書籍にした。これで持ち物の大半は消えた。さらに殆どの家具を捨てて、熱海の大きな家から逗子の狭いマンションに引っ越して来たのである。

その「小さな暮らしのすすめ」の新装版が鎌倉中央図書館にあった。

その中で俳人の金子兜太氏のインタビュー「自然体の荒凡夫という豊かさ」に共鳴した。

荒凡夫とは小林一茶が晩年に使っていた言葉で、ひとことで言うなら、自由に生きる平凡な男ということ。他人様に迷惑をかけず、気ままに気楽に生きる。

自分を自由で平凡だと割り切っていれば、怖いものなどはなくなり、自分を他人様と見比べて、背伸びしたり、卑屈になったりすることもないと金子は語る。

さらに金子は山頭火などはもっとも徹底した漂白だと言う。

しかし楽しくも愉快でもない。むしろ苦しみが目立つ。定住して、内面で漂白をかみしめる。

この状態が自然体の自由。その事に気付いて定住漂白という言葉で表現した。

勝ち組と言われて、くだらないものを市場に持ち出し、ガキをだまくらかして儲けているけしからん連中にも問題があるが、一方で、それを喜々として享受している若者達に抵抗力をつけさせられない側にも反省すべき点はある。

最後に腹を固めれば、新しい情報が氾濫しようが、しょせん自分は自分でしかないという立場に身を置ける。荒凡夫には、いろいろな事を羨ましいという心情はない。気楽で気楽な身軽が一番。

震災直後に買った本にも金子兜太氏のこのインタビュー記事は掲載されていたと思うのだが、全く記憶がない。当時の私にはどうやら伝わらなかったようだ。今の私に荒凡夫という言葉は相応しい。漂白に憧れていたが、定住漂白というのも良いではないか。

物に対する執着は既にない。家も車も立派な家具も要らない。

花鳥風月を愛で、自然の移ろいを感じる事が出来れば、それで良い。残りの人生は荒凡夫として生きて行く。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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