大師覓ぐ雲の彼方や二月尽

Facebook近藤裕子さん投稿記事

2月29日  ☘️人生に寄り添う詩☘️

 《山のあなた》  カール・ブッセ(山田敏 訳)

 山のあなたの空遠く「幸い」住むと人のいう。 ああ、われひとと尋(ト)めゆきて

 涙さしぐみかえりきぬ。 山のあなたになお遠く 「幸い」住むと人のいう。

直訳すると 

人が山の向こうに幸せがあると言ったので山の向こうに行ってみたが、そんな幸せなどなく、私は涙を流しながら帰ってきた。

そうすると人々は、山のもっとずっとずっと向こうに幸せはあるんだよ、というのです。。。となりますが

山の向こうにある幸せとは、「未だ出会っていない将来の自分自身」のことのようです。

物理的な〈山の向こう〉ではなく

今の自分よりも成長した自分自身と出会うことができてはじめて、幸せを見つけることができる と言っているのです。

今もこの詩歌は私を励ましてくれます。


Facebookj加藤隆行さん投稿記事【「で」と「が」で人生が変わる】

さっき思い出した過去の記憶。

デパートの文房具売場みたいなとこで母ちゃんがイライラしている。

「早く決めなさい!」ああ、ボクは色鉛筆が欲しいらしい。でも優柔不断でいつまでも決められない状態なのだ。

「どっちにするの!?」  こっちかな、あっちのがいいかな・・・

「早くしなさい!」  これかな、いややっぱあれかな・・・

「もう!いい加減にしなさい!」母ちゃんの堪忍袋の緒が切れた。

そして、あきらめにも似た拗ねた気持ちで「じゃあこっち ”で” いい…」と言って、一方の色鉛筆を選んだ。とても満たされない悲しい気持ちだった。。。

そーいえば幼き日にこんな場面がたくさんあったことに気がついた。

学校の先生にも「たかゆきは優柔不断!」と言われていたことを一緒に思い出した。

でもボクは「決められない」のではなく「吟味」することが好きだったんだ。

「じっくり考えて選ぶ」ことが至上の喜びだったのだ。でもそれを「優柔不断」

「決められない子」なのだと思った。

ボクの「喜び」ボクの「特質」ボクの「楽しみ」であったものを「ダメなこと」として禁止し

今後の改善事項として自分に課したのだ。

「優柔不断ではいけない」「早く決めねばならない」「そーしないと母ちゃんがイライラする」「そーしないと先生に嫌なこと言われる」「そーすることが大人になることだ」「だから早く決められる人になるべきだ」それでボクは「こっち ”で” いい」という生き方をするようになった。とっとと答えを出すことを良しとした。

でもそれは自分で決めているのではなくただ、拗ねた気持ちで「だから、こっち ”で” いいんだよ!怒」と、あきらめていただけだった。

そのうちこざかしくなって、どっちを選んだら、効率的” なのか”他人に褒められる““社会的に認められる” のかそんなものを基準にして選ぶようになった。そのほうが”得”だからだ。

それが「こっち ”で” いい」を「こっち ”のが” いい」にさらにカモフラージュしてあたかも自分の意思で決めてきたかのように自分をダマしてきた。

ずっとずっとそんな生き方をしてきた。

そりゃあ人生に幸せな気持ちを感じることも人と一緒に行動し楽しく「決めて」行くこともできないワケだわ。

「決める」前からあきらめて勝手に相手を優先し勝手に犠牲者になってアタマでは“得”するからと自分を説得し「決めたフリ」をするのだから幸せになれるはずがない。

もひとつ思い出した。昔の彼女と買い物に行った時こう言われたことがある。

「かとうさん、 これ ”で” いい、じゃなくてこれ ”が” いい、だよ」

そん時は、「なんだよ上から目線で」って思ったんだった。

ああ、拗ねてるわwしまったしまった。ボクは自分の人生を他人に明け渡していた。

自分から犠牲者を装っていた。もう自分の人生に妥協するのはやめよう。

ボクのペースで決めたらいい

これからは「これ ”が” いい」で生きていこう。

やっと人生が自分のものになってきたな。

さてアナタは「で」と「が」、どちらで生きていきますか?(^ω^)


Facebook加藤隆行さん投稿記事

いきなしノンデュアリティに行こうとするのは無理があって、まず二元世界デュアリティの一極「否定(危険不安)」状態に自分がいることに気づき、まずは「肯定(安全安心)」できるようになることが必要。両極を知ったときはじめて両者が統合されその先にノンデュアリティな「空」が訪れる(といいよね、ぐらい)。てかこれが順当だと思う。それ以外は事故かバグ。事故はいいけどバグ狙っちゃ駄目、それチートなんであとでペナルティあるよ。どちらにせよ3次元世界に生きる身としてはショートカットし過ぎでルール違反。自己肯定ないまま、一瞬、浅く浅く「空らしきもの」を垣間見て帰ってきた人が、「ワンネスを体験した“特別な私”」というカンチガイを振り撒き、怪しげな指導者らしき人となり、強化された自我でマウントしながら他者否定を伝え続け、自己否定する人をカモる。だからワシは現実に足がついた「自己肯定感」がまず大事とおもてます。ワシの体感、経験則なので異論反論受け付けます。ま「自己肯定感」自体もだいぶカンチガイされがちな概念だけど。

そしてワケワカな人、ゴメン。ワケワカル人には当たり前のこと言ったかもしれん。でもどうせ全部が遊びなのでオジサンの戯言と思って、スルーくだされませ。こういうこと面白がってくれる人のみ向けの投稿で、自分メモ。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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