日月神示

Facebook日月神示と神社とあいしらはまさん投稿記事

天はもろもろの神秘な靈の姿を現し明るく円からなるものである これは始めも終わりも善で閉じ、円となるからである。人の心は神から生まれ、元々明るいものである。徳という行いにも 神の心が含まれている その心は神の本質でありはたらきである この明るく円らかな心のままで生きることが 徳を修める道である 心を修めて固く守り 善のままに円を描くように生きてみよ 心を調えてみよ 心を調えるから 神 現れるのじゃ 心ぞ


靈(たましい)を磨けば、何が起きるか 判ったであろう

自らの靈(たましい)を足場として、上に登ってくれば良し、頼りないと思うのは、そなたが物質世界に どっぷりとハマっているからぞ 身魂磨け、頼りないようにみえて 頼りがいがあるのじゃ

わたしたちが誠の心という時、そこに現れてくる感情はまさに神に真向う心です。日本人は古来、誠の心を大切なものとして語り継いできました。真心をもって相手(神)に尽くすことが、できれば、必ず相手(神)にも 通じるものです あいさんが、宣る、祝詞もそうです。感情をのせて、神に向かい合えば良いのです。ひとりひとりが誠心誠意まことの心を尽くして 物事に取り組めば そこに神靈の加護が自然と生まれ 神と人が一体となって物事の成就に遭進することができるのです

古代の人は、言葉というものを非常に大事にしてきました なぜなら 言葉に神靈が宿り、神威がこもることを知っていたからです

言葉は【誠の心】をもって発する時、【言靈】となり【神】に言霊以上のものを伝えることができるのです

また、神靈への祷りや奉上も、誠の心をもってすれば必ずや叶えられるということを忘れてはいけない【誠】という漢字は【言】が【成る】、つまり まごころをもって発した言葉は言靈となり、必ずその通り成し遂げられる、ということを意味してるのです。あいさんってさ。言葉をとても 大切にしてるでしょ。

祝詞だって 感情を込めて宣れば 必ず通じます 大事なのは 貴方の感情です



https://ameblo.jp/kakeru-911/entry-12212641324.html 【麻賀多神社(里宮)~天之日津久神社と日月神示】より

著者はオカルト者なので、予言書(預言書)の類にも大いに興味があります。

その預言書の中で、我が国において最大と称されるのが「日月神示」です。

<日月神示>

日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より自動書記によって降ろされたとされる神示である。

日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになって来たといわれている。(wikiより)

この中矢伸一氏の著作を書店で目にした時から何かピンと来るものがあり、購読後、当時はかなりのめり込みました。

預言書と言えば「聖書」が代表格ですが、もともと信仰心の薄い宗教嫌いの著者は聖書の言葉などに何一つ感銘を受けたことは無かったけど、日月神示の言葉(神が直接語っている)には大いに感銘を受けることが多く、神示で勧められている玄米菜食なども実践したくらいです。

その神示が岡本天明に降ろされたのが、千葉県成田市にある「麻賀多神社」の末社である「天之日津久神社」であり、以前から行ってみようと思っていましたが、機会があって2015年5月1日に参拝して来ました。

ちなみに、Googleマップで「麻賀多神社」と検索すると千葉県佐倉市のものが表示され、危うくそこを目指して車を走らせるところだったが、ネットの知人に指摘され、無事に成田市の方に向かうことができた。

<麻賀多神社>

社伝によれば、景行天皇42年6月晦日、東征中の日本建尊が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。応神天皇20年、神八井耳命の8世の子孫である印旛国造・伊都許利命が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神を併せ祀った。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。推古天皇16年、伊都許利命の8世の子孫の広鋤手黒彦命が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。

(略)

そして、今回の参拝のメイン。末社の天之日津久神社。

日月神示は今ではスピリチュアル方面でも有名なので、参拝客(特に女性)も多かった。

著者所有の日月神示翻訳本「ひふみ神示」も持参したのだが、岡本天明と違って霊感ゼロの著者の身には何も降りて来なかった(当たり前)。

近くにあった「麻賀多大権現」と掘られた石碑。神仏習合の名残だろうか?

さて、かつて大いに夢中になった日月神示に関連した参拝であったけれど、行ってみればごく普通の神社でこれといった発見は無かった。霊感でもあれば別だったかもしれないが。

しかし、この成田市台方の麻賀多神社は里宮であり、同じ成田市船形に奥宮がある模様。距離はそんなに離れていないし、まだ時間もある。

そして、奥宮へ向けて車を走らせた。(次回へ続く)


https://tutahu.com/%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%80%80reunion%E3%80%80/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E3%81%A8%E3%81%B2%E3%81%B5%E3%81%BF/【いろはとひふみ】より

学校で平仮名を五十音図という表をみて学んだと思います。

今は、ゐやゑが削除されて歯抜けになっていると思いますが。。。

江戸時代には、四十七字でいろはではじまるかな手本がかなり親しまれていたようです。

それを意味のあるように漢字をあてた有名な詩がありますね。

実はうちの玄関に竹脇無我さんが書いた枕屏風が飾ってあります。

また、いろはの四十七字を七文字づつ区切って、末尾の言葉をつなぐと

とかなくてしす。つまり咎なくて死すです。これがあの有名な時代劇。赤穂浪士が四十七士で討ち入りしたお話が、これらのことをかけまして仮名手本忠臣蔵といわれたわけですね。

ここまでは、時代劇していればだいたい知っていることですがもう一つ古いのがあるんですね。

一二三(日文)です。おばあちゃんとかは、数字をこうやって ひー、ふー、みー、よーって数えていたような気がします。

これがまた、諸説ありまして、祝詞として使われていたとか それは、ネットで調べれば出て来ますので見て下さい。実は、これにも漢字をあてて意味のある文にしたものもあるようです。良寛さんが書き写していたとか、人生訓のようになっています。

これは、書籍「国語の建設」林武著から、の抜粋です。

そして、良寛さんの読み下しは、こちら、書籍「外は、良寛」松岡正剛著より

人(ひ)トハ含(ふ)クム道(み)チアリテ

善(よ)キ命(い)ノチ報(む)クヒ名(な)アリ

親ヤ(や)子(こ)ハ倫(と)モガラ元(も)トノ因(ち)ナミ

心コ(ろ)ロハ顕(ら)ハシ練(ね)リ忍(し)ノベ

君(き)ミハ主(る)ジ豊(ゆ)タカニ位ラヰ(ゐ)シ

巨(つ)カレハ私(わ)タクシニ盗(ぬ)スミナ勿(そ)

男(お)トコハ田(た)カヤシ畠(は)タウチ芸(く)サキレ

女(め)ハ蠶(か)イコシ績(う)ミ織(お)レ

家(ヱ)ハ饒(に)ギハヒ栄(さ)カヤセ

理(り)ハ宜(べ)照(て)ラセ

法(の)リハ守(ま)モリ進(す)スメ

悪(あ)シキハ攻(せ)メ絶(た)エセ

欲(ほ)シキト我ワ(れ)トハ刪(け)ツレ

それにしても、どうして文部科学省はゐとゑをなくしてしまったのでしょう?

たぶん、ローマ字にするときに面倒だったからでしょう??

日本にとっては、痛手ですね。

言霊という言葉は、現代でもつかわれていますが、ゐとかゑとか抜け落ちた現代仮名遣いでも、魂が残っているのか少し疑問ですね。

国語の建設 (1971年)


阿比留梅仁さまのFacebookより抜粋

⑴ひふみ祝詞・⑵阿比留神楽をご紹介します。

⑴ひふみ祝詞

ひふみ祝詞は対馬国(現九州一帯とその周辺の島々)を支配していた阿比留氏(あびるし)が代々伝承してきた祝詞であるという説もある。現代では奈良県の石上神宮や熊本県の幣立神宮がひふみ祝詞を奏上する神社として知られていて、幣立神宮には神代文字の1つ阿比留草(あひるくさ)文字でひふみ祝詞が刻まれた鑑石(かがみせき)が奉安されている。

文献上では大和国を本拠地とした豪族 物部氏(もののべし)の史書「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」の第三巻天神本紀に「もし痛むところあらば、この十宝をして、一二三四五六七八九十と言いて布瑠部(ふるべ)ゆらゆらと布瑠部。かく為(な)せば、死(まか)れる人は返りて生きなむ。(亡くなられた人をも蘇らす)」と詔(みことのり)をしたことが記されている。

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)とは、天地に神が生まれた時から第33代推古天皇までの歴史が記述されている古書。

大同年間(806~810年)~平安時代初期以前(~904年)に成立したとされる。

この先代旧事本紀(「ひふみ」十音)を取り入れた神道家や神道流派はひふみ祝詞を重要としていたが、江戸初期に幕府の御用学者たちにより先代旧事本紀は偽書の恪印を押され、神道の主流から外された。

明治維新時代より日本の歴史を伝える記紀を基に国家神道の整備が始まったことでひふみ祝詞は滅多に世に出ることはなくなった。

ちなみに、第65代花山天皇の子孫である白川家が受け継いだ神道「伯家神道(はっけしんとう)」が採用していたのがひふみ祝詞だった。

伯家神道は神道の中心的存在の宮中に伝わる古来の祭式儀礼を長く維持し継承してきた名流で、ひふみ祝詞は斎主(さいしゅ/神事を執り行う最高位の神官)が神前で奏上する神聖なものとされていた。

一般には出回ることがなかったひふみ祝詞だが、岡本天明(おかもとてんめい)が神からの啓示を受けて作った「日月神示(ひつきしんじ/ひつくしんじ)」という書物にひふみ祝詞が記され、世に出回ったことで多くの人が唱えるようになった。

岡本天明とは、偽書とされた古文献の復権と再評価を目的としていた神道家、神典研究家、画家。

昭和19年「ひつくの神」から神示を授かり日月神示という神霊予言書を記した。

⑵阿比留神楽(あびるかぐら)

阿比留神楽(あびるかぐら)は、太陽神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」がその子供である「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の粗暴な行動に心を痛め、天岩戸(あまのいわと)に閉じこもってしまうことから始まります。

これにより世界から日の光が失われ、八百万の神々はどうにか天照大御神に出てきてもらおうと考えて、技芸の女神である「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」に依頼します。

天鈿女命はこの岩戸の前で舞を舞い、その賑やかな様を気にした天照大御神を岩戸から誘い出し、見事世界に日の光を取り戻したのです。

この天鈿女命が巫女の起源であり、巫女による神がかりの儀式の際に舞を舞うようになります。そして天鈿女の子孫である「猿女君(さるめのきみ)」により、舞が儀式化し、神に奉納される神楽へとつながっていくのです。

この時の祝詞が

ひふみ祝詞

ひふみ よいむなや こともちろらね

しきる ゆゐつわぬ そを

たはめくか うおえ にさ

りへて のます

あせゑ

ほれけ

ひふみ祝詞

ひ:光があり太陽が生まれた

ふ:風が吹いた

み:水が世界をつつみ海が生まれた

よ:こうしてこの世が誕生した

い:そして命が現れた

つまりひふみ祝詞の最初の文は宇宙の始まりから生命の誕生までを表しているのです。

そしてひふみ祝詞には他の解釈もあり最初の「ひふみ よいむなや こと」は数字も表しています。

ひ(1) ふ(2) み(3) よ(4) い(5) む(6) な(7) や(8) こ(9) と(10)

これは宇宙の広がりを表しているともされます。

数字は非常に不思議です・・・

ニコラ・テスラも数字を愛した一人です。

彼は「三・六・九の数の謎を解けば宇宙を理解する鍵を得たことになる」という言葉を残しています。

ニコラ・テスラが愛した数字については『宇宙の鍵を握る神秘の数字『「三・六・九』』の記事をご覧ください。

宇宙の神秘がわかるかもしれませんよ。

ではひふみ祝詞の現代語訳を見ていきましょう。

ひふみ よいむなや こともちろらね

すべての生物や森羅万象は宇宙の偉大な恵みによって生かされています。

私たちの日常生活の全ては日の神、月の神の慈しみによるものです。

生かされていることに対して大きな感謝を感じています。

しきる ゆゐつわぬ そを

日の神、月の神は死や老い、病気の苦悩を取り除き悪神が憑りつくことから守ってくださいます。

たはめくか うおえ にさ

田畑や米など豊かに実り海では毎日豊漁を与えてくださいます。

りへて のます

全ての人が毎日を喜びと共に働いて飢えることなく生きています。

あせゑ

朝仕事に出て日中は汗を流して働き夜は家に帰り夫婦和合により子孫が繁栄します。

ほれけ

常に日の神、月の神の出現を祈りながら信仰心を持ちましょう。

ひふみ祝詞の全体の意味としては

自分を苦しみから解き放ち毎日の生活が喜びに満ちた豊かで幸せなものになるよう家族仲良く自然の恵みに感謝しつつ神に祈りましょう

となります。

四七文字にも関わらず宇宙の真理や生き方まで込められた「ひふみ祝詞」だと思います。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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