生きることは「流れ」そのものです。

Facebook市堀 玉宗さん投稿記事

〇生きることは「流れ」そのものです。

道元禅師は「時は有なり。有は時なり」と諭されました。「時」とは「いのちそのもの」ということ。「時」とは「無常」「流れそのもの」であり、それがそのまま「有」「いのち」であるというのです。「無常は仏性なり」という言葉もあります。いのちは「流れ」をその本質、面目、醍醐味、真相としています。「流れそのもの」が全てであるということ。人の一生とは「流れを学ぶ旅」「流れながら流れを学ぶ道程」です。

 仏道がありのままに生きることを理想とするのには、流れに逆らって生きようとする本末転倒があるからです。溺れる者藁をもつかむという。その真相は、流れにあって藁を掴むから溺れるのです。世の中には様々な「藁」があります。お金、名誉、肩書、等々。人生という激流を乗り切るのに藁よりも大きな船であるに越したことはないように思えますが、わが身の器以上の舟もあろう筈もありません。小さすぎて流れに翻弄させそうだし、かといって余り大きすぎては座礁するということもあります。

 諸行無常の流れを生きるコツ。それは力を抜いて流れに身を任せ、心を任せて生きることが最善です。力を抜けば自然と水に浮きます。身を捨てて浮ぶ瀬が確かにあります。というより、流れそのものが、わが身わが心が浮ぶ瀬ではないのでしょうか。今、ここ以外のどこにも浮ぶ瀬がありはしません。

 人は倒れたところかしか起き上がることはできません。今に倒れ今に起き、流れに倒れ流れに起き上がる。いのちは一度だって流れを止めたり、遡ったりはしません。いのちは迷うことなく、生老病死そのときそのときの風景があるばかりです。出会いや別れがあります。迷いや覚りがあります。苦楽や希望や絶望があります。初心があり、末期があり、今があり、永遠があり、眼差しがあり、救いがあります。それもこれもすべて「流れ」の為せるところのものです。

 いのちとは流れそのもの。それだけが第一義としてあります。仏法に奇特なし。まさに日々是好日なる所以です。娑婆世界の喧騒とは流れの間に間に浮んだ欲望や妄想の泡沫に過ぎません。何ものにもとらわれず、飄々と流れのままに生き死にする。本来、握るべき藁もありません。「本来無一物」という壮大な流れの世界があるばかりです。いのち、大事に。合掌。


https://antaiji.org/archives/kimyou/ruten/6.html 【流転流転 オメデトウゴザイマス】より

以前、「流転」を読んだ方に「流転して何になるか」と聞かれたことがあります。どういうことかといいますと、「死んだあと、私やあなたは流転して、何に生まれ変わるのか」という意味でした。輪廻転生のことを「流転」だと思われたようです。

 仏教には昔から「四法印」という教えがあります。それは一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の四つの教えです。

1)一切皆苦・私たちの存在は満たされない存在です。常に満足し切れないよ うにできています。

2)諸行無常・物事は移り変わってゆきます。これはここでいうすべてのものの「流転」の姿です。

3)諸法無我・物事には実態がありません。「私」もなければ「あなた」もありません。現実 につかみ所は存在しません。

4)涅槃寂静・このつかみ所のない、満たされない現実に、そのまま徹底して落ちつくことで す。

 仏教のこの基盤の上に立てば、「私が流転して何かに生まれ変わるか」という質問はもうはや無意味になってしまいます。流転する主体はそんざいしません。あえていうならば、「流転」が「流転」しているだけです。

 死んだ後、私たちがどうなるかというよりも、今ここ生きている私たちのありようがどうなっ ているのか、というのは問題ではないでしょうか。今ここ存在している私が死んだ後に別のものに移り変わってゆくのではなく、常に移り変わってゆく現実に沿って生きているのを仮に「私」と呼んでい るだけです。「私」というものは瞬時に移り変わってゆきます。

 元旦に当たって、今までの自分の悪い癖など捨て去り、新しい自分に生まれ変わろうとする願いも、こういう意味合いにおいて非常に大 事なことであり、そういう大事な機械を与えてもらえるのは本当に「オメデタイ」ことです 。しかし、元旦だけではなく、私たちが願っても願わなくても、毎日新しい自分に変わりつづけ ています。ただ、そこにハッキリした「誓願」というものがなければ、元旦に漠然と願っていたことをすぐ忘 れてしまい、業に流されるだけでしょう。

 業に流されるのも「流転」。

 誓願を立てて法輪を転じるのも「流転」。

 流転が流転している中、どっちを向いて流転するかが、各々に課せられている問題です。


Facebook向後 善之さん投稿記事

「悪魔を出し抜け」 ナポレオン・ヒル 著 きこ書房

自己啓発系の本はほとんど読んだことがありません。元祖自己啓発とも言えるナポレオン・ヒルのこの本を読んだのは、単行本で30,000円するのに、アマゾンunlimitedでkindle版なら0円だったからということもあります。

この本に書かれていることは、成功するためには、「流されるな」、「自分の頭で考えろ」と言うことです。

不安や恐怖などで、自分の頭で考えることをやめると、ヒプノティック・リズムに飲み込まれ、成功の道から遠のいていくことになるということです。

ヒルの言うヒプノティック・リズムとは、繰り返し潜在意識を誘導して、人々を同じ思考・感情を生むように誘導するエネルギーと言えるかと思います。

目標をしっかりと定め、自分の頭で考えると外からのヒプノティック・リズムに飲まれることなく、逆に自分でヒプノティック・リズムを作り出し利用し、「引き寄せの法則」によって、成功への道が開かれるということかと思います。

要は、著者は「思考は実現する」と考えているのです。そのためには、「もう一人の自分」とコンタクトし、その指示に従うことが成功の鍵であると主張しています。「もう一人の自分」とは、自分の内面から湧き出てくる言葉と考えていいでしょう。その「もう一人の自分」の言葉に耳を傾けると言うことが、「流されず、自分の頭で考える」ということになると、僕は理解しました。そして、人を成功から遠ざけるのが、不安や恐怖などにより「自分には無理だ」という考えてしまうことなどです。

ふむふむなるほどねとは思いましたが、この本を100%信じて行動したら痛い目に遭うだろうと思いました。面白い考え方もありますので、部分的には応用していけばいいのではないかと思います。

「自分には無理だ」は、前に進むのに過度なブレーキをかける考え方なので、それは横に置いて考えたらいいということについては、全く同感です。しかし、「思考は実現する」と言い切ってしまうことには、疑問を感じます。そうではなくて、「自己一致した思いは、それを実現する準備ができている」とでも言ったほうが良いかと、僕は思います。

この本の中では、悪魔の言葉として、「運などというものは万が一にも存在しない。人間が自分たちの理解できない状況を運と呼んでいるだけだ(p.213)」と書かれていますが、僕は、その考えに同意しません。どんなに準備しても冷静でも、思考が自己一致したものであっても、それが実現しないことはあり得ると考えます。だって、どんなに真面目に準備してても一瞬の地震で全てを失うことってあるでしょ?それって、その人の中に原因があるなんて言えますか?それに、たとえば、量子の世界とか複雑系の世界で、未来を完全に予測できますか?現代の物理学では予測不能となっています。だから、僕は「運」はあると思っています。

「引き寄せの法則」のようなことが起こったとしたら、その中には、何らかの「運」の要素が存在しているのでしょう。

僕は、吉福伸逸さんという僕が最も尊敬するセラピストと仕事をした経験があるのですが、それは若い頃には想像すらできないことでした。確かに会社をやめ留学して臨床心理学を学んだという準備はしてきましたが、それでも、その準備の結果吉福さんを引き寄せたなんてことはとても言えません。僕は、単に「運が良かった」と思っています。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という野村克也さんの言葉が好きです。

大事なのは、「運」が向いてきた時にそれをしっかりと掴む感覚と行動力だと思っています。そこが、ナポレオン・ヒルさんと僕の考えの最も大きな違いのようです。

そもそも、著者が「流されるな」「自分の頭で考えろ」と言っているのですから、この本の作るヒプノティック・リズムに流されて100%その内容を信じるというのは、実はこの本の趣旨ではないのではないかと思います。


和して同せずの在り方が必要ですね


https://ameblo.jp/susanoko0827/entry-12791902552.html 【悪魔の支配から脱するために】より

今朝、ユーチューブでナポレオン・ヒル著の「悪魔を出し抜け」という本について解説する番組を見つけて視聴した。

成功哲学で知られるアメリカ人・ナポレオン・ヒルが家族の反対により70年以上出版できなかった「悪魔を出し抜け」という本が2011年にナポレオン・ヒル財団により出版されたという。

ユーチューブ番組を視聴した内容を掻い摘んで書く。

ナポレオン・ヒルは何らかの手段により悪魔と対話出来る能力があったようで、しかも悪魔に強制的に語らせる能力があったらしい。

(もしかしたらソロモン王の指輪を持っていたのだろうか?)

悪魔は全人類の98%を支配しており、ナポレオン・ヒルに対して余を陛下と呼べと言ったが、ナポレオン・ヒルは決してそう呼ばなかった。

悪魔は人を恐怖で支配し、恐怖を生み出す要素として、貧困・非難・病気・失恋・老い・死などの恐怖の種を人に植え付けるという。特によく使うのが貧困や死であるという。

それと悪魔が人を支配する力のもう一つが無知。

このように悪魔は恐怖と無知の力によって人をコントロールするのだという。

そして恐怖と無知に支配された人間は流されるようになる。悪魔は恐怖と無知によって流される人間を作るのが仕事なのだという。

他に悪魔が人をコントロールするための要素として恐怖を含め、迷信・金銭欲・貪欲・情欲・恨み・怒り・虚栄心・怠け心の9つのアイテムのどれか一つの扉を開けることで悪魔はどんな人間の精神の中にも入ることが出来るという。

悪魔は人間に自分の頭で考えさせないようにするために宗教家や教師、親などありとあらゆる手段を利用する

そんな悪魔が恐れる人間は流されず自分の頭で思考する人間、そういう人間の思考には悪魔は存在出来ないという

ゆえに悪魔は人が否定的思考に陥るよう習慣化させる罠をしかけ、それをヒプノティックリズムというそうだ。このリズムに巻き込まれると人間は永遠に抜け出せないそうだが、これとは逆の肯定的な思考に切り替えると抜け出せるという。

そしてそのような状況は人が失敗した時や逆境により発生する場合があるという。

悪魔曰く悪魔は宇宙の半分のマイナスの力、神はもう半分のプラスの力であり、プラスとマイナスのどちらが勝っても宇宙は崩壊してしまうので均衡を保たねばならないが、人間は自分の意志でそのどちらにも行く自由がある。そして本来人間以外の生物が束になっても敵わないとてつもない強い力を持っているという。

このナポレオン・ヒルの話にはとても感銘を受けた。これは人類にとって必要不可欠な知識だと思う。

あ、僕は流されない人間であることは読者の皆様はご存知ですね🤭

僕は特定の宗教には属さないし、会社以外で何かの組織に属したり組織作りしたりはしないし、誰かに入れ込んでスパチャするような馬鹿なことはしない。

人をコントロールしようとする者、人から金を巻き上げる者、人から何かを奪うものから離れて、人に流されず、自分で思考して生きることが真の人間の在り方であると思う。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000