龍神・見守る

Facebookいと きょうさん投稿記事

人は龍神(たつかみ)の上に存在する

人は五つの元素(ウツホ・カゼ・ホ・ミヅ・ハニ)を持つ生命体。

一方、龍(たつ)は、(カゼ・ホ・ミヅ)を持つ存在。

龍は天の世界に千年・地の世界に千年・人の世界に千年暮らし、悟りを得て神と成ります。

一方人は、タミからトミに、トミからカミへと進化します。

進化の過程でシヰ(欲)を減らして行きます。

シヰ(欲)が少なくカミとなった人は、人のために働き、人々を幸せにします。

カミと成った人は、最後のシヰ=食欲を自ら無くし、タマ(意識のある素粒子)となって空間の中で民を見守ります。

アマテルカミ(天照大神)は太陽に戻られ民を見守っています。

龍神に頼ること、龍神に祈ること、龍神を崇めることではなく、自らがカミになることが人に与えられた使命となります。


一指李承憲@ILCHIjp

私たちは、まるで自分の生命を所有しているかのように考え、行動しています。しかし、あなたの許可や同意もなくやってきて知らせもなく消えてしまうものをどうして自分のものと言えるのでしょうか?生命はあなたが生み出したものではありません。生命があなたを生み出したのです。

Facebook岡本 よりたかさん投稿記事「時期を待つ」

畑をやっていて、いつも不思議に思うことがあった。

ニンジンとかほうれん草とかの種を蒔くのだけど、何故か全然芽が出て来ないことがある。

理由など全く分からず首を捻るだけ。でも当時は商売でやっているので、もう一度蒔いてみたりするのだけど、やっぱり芽が出ない。

ところが、うっかり畑の外にこぼしてしまった種だけは芽吹いていたりする。

で、諦めずに、3度、4度と蒔き続けていると、ある時一斉に芽が出てきたりする。

ベテランの農家に訊いてみたりするのだけど、種の保存が悪いだの、蒔き方が悪いだの、水やりが足りないだのと、いや多すぎただの、雨の後に蒔くとだめだのと、いつも栽培者の問題だと断言される。

だが、天邪鬼な僕にはそうは思えなかった。芽が出ないのは本当に栽培者の問題なのだろうか。

そこで、徹底的に実験してみた。

保存していた種、買ったばかりの種、深く蒔く種、浅く蒔く種、水やりをしっかりする場所、水やりをしない場所、晴れが続いた日、雨の後、その他色々と。

どんな条件で芽吹いて、どんな条件で芽吹かないのか。

そしてそれぞれ待つこと10日ほど。気になって何度も畑に行くのだが、結局、全部芽が出て来ない。いや正確に言えばポツポツとは出ているのだけど、芽が出揃わないのである。

全く原因が掴めず、しばらく忘れていたある日、おそらく2週間ほどした時に畑に行ってみた。

そして驚いた。どんな条件であろうが、結果的に全部の芽が出揃っていたのである。

不思議なものだ。人の意識から遠ざかると芽吹き始める。種も人の目を気にしているかのように。

実は、これ、ある意味とても正しい推測だったのである。

種が芽吹かない理由。それは、土の振動。

種は土が振動している時は芽吹きが遅れる。種を蒔いたあと、人が畑に行ってしょっちゅう歩き回ると、人の歩く振動が種に伝わる。

すると、種は地上に障害があると察知して芽吹きを一旦止めたりするのだ。それは生命を守るためでもあり、子孫を守るためでもある。

振動があると言うことは、大きな動物、つまり草食動物がウロウロしている可能性がある。あるいは天地転変があるのかもしれない。そういう環境で芽吹くのは危険である。

何故、僕がそれに気付いたかと言うと、しょっちゅう手入れに行く畑では草は生えにくく、あまり行かない畑に限って草の伸びが早いと言う事実を知っているからだ。

そしてもちろん、種は自分が芽吹く時期を知っていて、その時期が来なければ、芽吹かず、ずっと待ち続けるということである。

時期を間違えれば、芽吹いた芽は一瞬で枯れてしまうから。

まぁ、そんなことを言っているから、エセ農家だとか言われてしまうのかもしれない(笑)。こんなことにエビデンスなどなく、単なる経験でしかない。

しかし、この経験則が自分のスキルをアップしてくれる。つまりは失敗は成功の元なわけだ。

そこで僕は、まず種を蒔くところの雑草の処理をしっかりした後、種を蒔いたら、その場を離れて、最低でも2週間から1ヶ月は畑に行かないことにした(笑)。

そうすることで、種は自分でタイミングを見計らい、時期が来たら勝手に芽吹いてくれる。

信じる者は救われる程度の話だが、何事もそうであると思う。

問題が起きたら、なんでもかんでも自分自身に問題があったと思わない方がいい。じゃないと後悔ばかりすることになる。

では相手に問題があったかと言うとそういうことでもない。

つまり、お互いに時期を待っているということであり、逆に言えば、解決したければ慌てて対処ぜす、待つべき時は待つという姿勢も必要ということである。

もちろん、慌てて対処しなければならない事案もあるだろうが、当面の対処を施したら、あとは時期を待つという心の余裕も必要なのだろう。

今日は取り止めのない話だったが、これにておやすみなさい。 


Facebook佐々木 淳さん投稿記事

「拘束? してますよ」

心は痛まないのか。

「はあ? 治療の一環で拘束しているわけで、それを全然現場を知らないきみが土足で入ってきて、心痛みませんかって何なの? 失礼だよ」

取材で心を痛める精神科医に多く出会ってきた。

「ぼくはそんなふうには考えない。適切に法律で決まっている。患者さんの安全を考えて拘束して、なぜ心が痛むの? しないことで、もっと変な結果が出る方がおっかないじゃないか」

当事者は拘束しないでほしいと強く望んでいる。

「できないね。拘束して治療のプログラムに乗せるのが今の法律上の建前だ」

ーーーー

東京新聞で報道された日本精神科病院協会の山崎学会長とのインタビュー。衝撃を受けた人も多いと思う。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/261541

日本人は精神病が多いというわけではないはずだが、世界の精神科病床の実に20%が日本に集中している。

そして日本の精神科病院には年単位の入院患者が多い。3分の1が1年以上、うち半数が5年以上の長期入院患者だ。

最近は徐々に短縮しているが、それでも平均在院日数は275日。これはフランスの50倍、ドイツの12倍、イギリスの7倍。

日本の精神科医療はこのままでいいのか。そんな議論は以前からある。

しかしこれは精神科病院側だけの問題ではない。

山崎会長が言うように、精神障害の人を地域で見守るためのリソースは絶対的に少ない。そして、多くの人は精神障害の人に対して偏見を持ち、関わりを持ちたくないと思っている。

精神障害の人をコミュニティから隔離したい健常者たち。そして精神障害の人を隔離することで「社会のニーズ」に応えてきた精神病院。当事者の思いを置き去りにしてきたという点では、みんなが共犯者だ。

そして、これは精神障害だけの話ではない。本人の意思に反して地域から隔離されているという点では、身体障害も、知的障害も、そして認知症の人も、かつてのハンセン病などもみんな同じ。

どんな社会を目指すのか。

僕は誰かの幸せのために、誰かの人生を犠牲にするような社会であってほしくはないと思う。

入院の少ない欧州のような支援体制を実現には、専門人材の確保も必要だし、なにより一般市民の理解も必要になる。薬に依存した医療の在り方も考えないといけないかもしれない(内科医でも普通に向精神薬が処方できる状況はあまり健全ではないと思う)。そして何より財源も必要だ。

重要なのは、この問題に対して見て見ぬふりをしないことだと思う。

山崎会長とのインタビューは次のように続く。

ーーーーーー

日本も今後は病院ではなく、地域で見守る態勢に本腰を入れるべきだ。

「地域で見守る? 誰が見てんの? あんた、できんの? きれいごと言って、結局全部他人事なんだよ」

確かに社会資源が少ない。

「障害年金たった年間70万円で、どうやって地域で生活させんの? できないよ。働けないんだぜ」社会構造も変えないと。

「変わんねえよ! 医者になって60年、社会は何も変わんねえんだよ。みんな精神障害者に偏見もって、しょせんキチガイだって思ってんだよ、内心は」

精神科病院に入院し続けることは幸せなのか。

「そう思うよ、ぼくは。地域で、アパートで一人暮らししながら、明日のことも分からず生活するのと、病院の4人部屋で皆でご飯食べるのと、どっちがいいかって言ったら、ぼくは病院を選択するよ」

30年入院してても?

「出してどうすんの? 地域でマンツーマンで診れるならいいが財源も人もいない。支えているのはいつもボランティアじゃねえか」

ーーーーーー

しかし、僕はこの現状はこれからも不変のもの、不変であるべきものであるとは思わない。

一人ひとりが障害に対する、そして障害とともに生きる人に対する考え方、関わり方を変えること。

障害とともに生きる人を地域から隔離するのではなく、ともに暮らすための社会資源に投資をすること。

年間1兆1500億円が精神科の入院医療に投入されている。

この一部をコミュニティで支える仕組みづくり、人材確保に振り向けるだけでも、世の中は大きく変わるんじゃないか。

そして、それは私たち全員にとって安心できる社会なんじゃないか。

あまりにも大きすぎるテーマだが、取り組まなければならないところから着実に取り組んでいきたいと、仲間たちが動き始めている。

患者さんが入院継続を望まない精神科病院からの退院を支援したい/一部の問題等のある精神科病院からの退院支援プロジェクト

https://readyfor.jp/projects/taiinshien2023

ぜひ、少しでも関心をもってもらいたいと思う。


Faceboおk津田 紘彰さん投稿記事  【小6の長男が、いじめに遭いました】

半年ほど前にも同じ子《ミノル(仮)》からいじめられ、人が大好きな長男は「それでもミノルと仲良くしたい!」と一生懸命に優しく接して、その時は仲良くなれたんです。

しかし、勉強もオール1である長男のことをまたミノルはいじめるようになり、「お前なんか生きてる価値ねえんだよ」「どっかいけ。○ね」すれ違いざまにもそんな言葉を浴びせていたようで、気丈に振舞っていた長男も、トイレで一人で泣いていたそうです。

「半年前は頑張って、仲良くなれたのになんで…」そこで、長男と話し合うことにしました。

「どうしようか。お前がもう一回だけがんばってみる、というならもちろんお父さんは応援するし、ミノルやミノルの親にお父さんが話をしてくることもできるけど…」

「んー。一回、父ちゃんからミノルに話してほしいな…」「そっか。じゃあそうしよう」

ミノルは長男、次男と一緒の分団登校なので毎朝迎えにきます。

小3の次男にもミノルは、「あいつの弟だ」ということで学校で悪口を言うらしく、

「ミノル、大っ嫌い!」と次男もよく怒っていました。

翌朝7時半、玄関のインターホンが鳴りました。

「よし、お父さん、行ってくるわな」

長男、次男に見守られながら門のところに降りていくと、寒空の下にミノルが立っています。

「お前がミノルか?」

「は、はい…」

驚いているミノルに私は声をかけます。

「お前、うちの長男に《お前なんか生きている価値ねえんだよ》って言ったのは本当か?」

「は、はい…」

「じゃあお前、うちの長男が死ねば満足か?長男が自殺でもしたらうれしいか?」

「い、いえ…」

足をブルブル震わせながら、涙目になるミノル。

ミノルの目を真っすぐ見て、私は伝えました。

「お前さ…本当は、めちゃくちゃいいやつだろ?」

「?」

「お前のここ、めちゃくちゃいいもの入ってるだろ?」

ミノルの胸の辺りを指で押さえます。

ジャンパーの中に何か入ってるのか?とのぞき込むミノル(笑)

「ちげーよ(笑)ここだ、ここ」

ミノルの心臓近くに手を当てて、

「お前の目みりゃわかるんだよ。お前、めちゃくちゃ優しいやつだ。おっちゃん見てたぞ。お前が応援団で選手宣誓したり、クラスで学級委員やってたりさ…」

「……」

「お前みたいな、勉強もできるしリーダーシップもあるやつから見たらさ、うちの長男なんてだらしねーし言いたいこともいっぱいあるだろうけどさ」

「……」

「助けてやってくれよ。そんなに色んなことできるんだから。うちの長男だけじゃない、お前みたいに色んなことうまくできなくて、困ってるやつたくさんいる。男だったらさ、助けてやれよ。卑怯なマネすんな」

「はい…」

ポロポロ涙を流しています。

「ほら、優しいやつだな。今日は一人で行きな。気をつけていけよ」

「は、はい…すみませんでした…」

「おう」

肩をポンポンと叩いて送り出しました。

驚いたのはその日の夕方。

「お父さん、ミノルに何言ったの(◎_◎;)?」

長男が駆け込んできました。

「今日ね、学校にいったらすぐにミノルがぼくのところに来て謝ってくれて…。めっちゃくちゃやさしかったよ!」

先生からも電話がかかってきました。

「私も担任としていじめに気づいておりまして、ミノルと話をしなければと思っていたところなんですが今日ミノルと長男さんで私のところにきまして…」

人懐っこい長男は、

「せんせいー!ミノルにね、いじめられてたんだけどまた仲良くなったよ!」とわざわざ言いにいったそうです(笑)

「あの、お父さん、ミノルに何を伝えて下さったんですか?なんか、他の生徒のこともすごく助けてくれるようになって…」

今回のケース、一番考えなくてはならないキーワードは、「勇気」でした。

親が出て行ってミノルを恫喝する、親御さんのところに怒鳴り込む、といった方法で解決する選択もありますが、

それをやってしまうと、長男がまたいつか人生の課題にぶつかった時、

「どうせ父ちゃんが何とかしてくれる」

と、彼の自主性や前に進む勇気を奪ってしまいます。

自主性と勇気を奪われると、人は依存が始まり、時には内にこもってひきこもることもあります。

また、まだ幼いミノルを怒鳴りつけて人格否定してしまうと、彼の今後の勇気も奪います。

だから長男に、「どうしたい?」ときちんと彼の考えを聞いて、

前回頑張ったけどまたうまくいかなくなっちゃったから今回だけは父ちゃんに言ってほしい、

という彼の意見を尊重した上で、

長男の勇気を奪わずに、ミノルを勇気づけた。

だから長男にもきちんと伝えました。

「お父さんね、別にブチ切れたり怒鳴ったりしたんじゃないんだよ。こうやって言ったんだよ…」

「なるほど…そう言えばいいのか…」

またいつか、「相手を勇気づける言葉」を長男も使えるようになるでしょう(笑)

翌日から、次男もびっくりしていました。

「とうちゃーん!ミノルくんがね、超やさしいんだよ!あのね…」

呼び捨てにしてたくせに…(笑)

今度、どこかでミノルを見つけたら、「ミノル!がんばれよ!」って声をかけてあげたいし、

長男の卒業式で会えたら、抱きしめてあげたいと思っています(^^♪

長男と、これから一生の友だちになれたらいいですね。

一人一人の中にちゃんとある勇気を、どう呼び覚ますか。

そう教えて下さる、《アドラー》は本当に素晴らしいです。

アドラーを中心に置きながら、ハイレベルのコーチング・カウンセリングが学べる学校がUNIVERです。

先日は、素性を隠して長男も体験会に参加してくれました(笑)

「すごかった…おれ、めっちゃ泣いた。チョー楽しかった」

マレーシアに移住する前に、どうしてもUNIVERの学びを長男に味わって欲しかったんです。

今日もまた、相手の勇気を揺り動せるように(^^♪  いってきます。

※「ひろメ〜ル」より転載



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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