Facebook清水 友邦さん投稿記事
ホロメスが書いたとされる「ヘルメスの賛歌」によると竪琴を発明したのはヘルメスです。
ヘルメスが幼児の頃、アポロンが飼っていた牛を盗み、怒りをかってしまいますが、ヘルメスがお詫びに竪琴を作りアポロンの杖と交換すると二人は仲良くなりました。
ヘルメスの父はゼウスで母はマイアといいました。マイアは母を意味するアルカディアのキュレネ山の女神で、ヘルメスもそこで産まれました。
古代ギリシャにエジプトからフェニキア人にさらわれた巫女によって開かれたという伝説の神託所ドドナがありました。
そこで神託をおこなっていたのはプレアデスとよばれる女性預言者達でマイアはその一人でした。
マイアはまた樹木の再生に関わるイタリアの古い女神でもありました。マイアはラテン語の魔術師、支配者、ギリシャ語の祭司、魔術師の由来とされています。
「世界はわれわれの感覚によって引き起こされる幻影にすぎない。」と魔術は教えます。
幻影を起こす魔法の力、神の世界から遊びに来ている物質世界、真実の世界を覆い隠している幻想世界を示すマーヤもまたマイアに関連します。
ヘルメスはギリシャ以前の先住民族ペラスゴイ人の古い神の一人です。
ヘルメスの杖(ケリュケイオン)を持つヘルメスは神の声を伝える神託の神であり、死者の霊魂を導き永遠の生へと再生させる冥界の神です。
ヘルメスは神界と死者の国と人間界の三つの世界を自由に行き来きできる神でもありました。
ヘルメスは魔術、錬金術、西洋神秘学の父と呼ばれています。
秘教の教えはヘルメスからアポロンに伝わりオルペウスを経てピュタゴラス、プラトンに受け継がれました。
オルペウスは密儀宗教の創始者とされています。
ヘルメスは古代オリエントとギリシアの文化が融合したヘレニズムの時代にエジプト神話のトート神と同一とされ3倍偉大なヘルメスを意味する「ヘルメス・トリスメギストス」と呼ばれるようになりました。
ヘレニズム時代に新プラトン主義がプロティヌスによって開花して中世イスラーム哲学に大きな影響をあたえました。
そしてイタリア・ルネサンス期の哲学者マルシリオ・フィチーノによって中世でヘルメス文書が翻訳されると、聖書と同等に扱われるほど熱狂的に受けいられたのです。
「唯一者の奇蹟を成し遂げるに当たっては、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し。
万物が一者より来り存するが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり」
ヘルメス文書「エメラルドタブレット」
ヘルメス文書は錬金術の基盤となる書物でヘルメスは錬金術の神でもありました。
ヘルメス選集の第一文書「ポイマンドレース」はアラビア語に翻訳され中世イスラーム哲学に大きな影響をあたえました。
ヘルメスはイスラムの聖典クルアーン(コーラン)の預言者とされています。
ヘルメス文書の「ポイマンドレース」では人間の本質が叡智(ヌース)であることをあきらかにします。
真実の探求者が身体の諸感覚が停止した時にあらわれた途方もなく巨大な存在に「あなたはどなたなのですか」と問いかけます。
ヘルメスである「ポイマンドレース」が答えます。
「私はポイマンドレース、他に並ぶものがない叡智(ヌース) である。私はお前の思ひ計りを知り、 何処にあつてもお前と共に居るのだ」
叡智(ヌース) とは思考作用の知恵ではなくマインドを俯瞰する
自己の本質のことです。グノーシス、ソフィアとも呼ばれます。
はるか昔、この世界にまだ何もなかった時代「神と叡智」だけが存在していました。
神は宇宙を包み永遠の回転を起こし、そこから世界を創造しました。
神から光り輝く霊が生じてアストラル界が作られ、そしてさらにその模倣として人間が暮らす物質世界が作られたのです。
そして、人間は自己の本質を忘れ物質世界に魅せられてしまい不死性を失ってしまったと宇宙の成り立ちを説明します。
魂は本来、神である光の世界に属していましたが、物質世界で身体の中に投げ込まれると共に眠りに陥り、夢にうなされ、二元性に分離した世界で恐怖と不安、不信と混乱の中で苦しんでいるのです。
「神が光と命とからなることを学び、自らもこれらから成ることを学ぶなら、お前は再び命に帰るであろう」
「酔いと眠りと神に対する無知に自己を明け渡している者よ、目覚めるのだ。ロゴスなき眠りに魅せられた、酩酊の様をやめるのだ。」
ヘルメスは眠りに陥っている人間に目覚めるようにいいますが、ある者は自分は知っているとうぬぼれ、からかいながら去っていきます。
探求者はヘルメスの教えの通り不死の水を飲み覚醒を感謝したのでした。
世界を分離させて見ているのは思考作用のマインドです。
私たち人間はマインドを自分と思い込んでマトリックスの中で酔いと眠りの状態で過ごしているというわけです。
錬金術とは金を取り出す方法です。
それは物質の金ではなく本当に価値がある永遠の不死の存在である自己の本質を取り出すという比喩なのです。
http://engawayoga.com/this-world-is-an-illusion 【この世は幻想でありマーヤと呼ばれているので、根本の癒しは剥がすところにある】より
古代のインド哲学では、この世のことをマーヤと呼んでいたそうです。
マーヤというのは幻想世界という意味です。幻想の世界がこの世界であると言っているわけです。それを聞いてどうでしょうか。実際に、そうなのかと思ったり、そんなわけはないよと思ったり様々でしょう。映画のマトリックスではそのあたりを描いていると言われております。
マトリックスを見られた方はいらっしゃるでしょうか。面白いのでぜひ見てみてください。
マトリックスの中でエージェントと言われる存在がいます。それが、人の自我の象徴をしているように私には観じられます。
幻想世界の幸せというのは自我にとっての幸せだとも言えるのではないでしょうかね。
満たされない世界
自我やエゴの幸せはどこまで行っても、満たされることがありませんね。
今までの幸せを想像してもそうでしょう。
今までに幸せであったことのおかげでその後ずっと幸せをキープされている人はいないでしょう。
逆に不幸ばかりだよ、という方もその不幸を思いっきりキープし続けることも難しいでしょう。(幸せよりかはできてしまうのかもしれませんが)
「不幸ばかりだよ!」と叫ぶことで一瞬だけでも幸せを感じたりしておりますからね。
幻想世界において、エゴの幸せを追い求めたり、この現実世界(幻想世界)の苦しみをとることをしていてもキリがありません。
先ほども書いた通り、この世界が幻想だからですね。
幻想を癒しても、また新しい幻想を自我が作り出す。
キリがありませんね。
根本的な解決と言いますか癒しは、幻想であることに気づくことが必要になってくるわけです。
この世界がただのストーリーであることに気づくことです。
ゲームの世界でどんなに頑張って平和な世界を作り出しても、本来の世界は変わらないということです。
ストーリーを剥がす
ただのストーリーであることに気づけば、様々な苦しみとは距離を置くことができます。
いろんなことは起こりますよ。
大変なことが起こらないわけではなく、大変だと観じなくなっていく感覚です。
もしくは、感情も自然と流れていく唯のエネルギーのように観じられるようになる。
そんな状態の方が生きやすいですよね。
そういった自我の感覚を剥がしていくことが大切です。
私が私だと思っている存在が実はまやかしであることを観じていくのです。
気づくことでそれは剥がれ落ちていきます。
観察していく瞑想などしているとフッと離れる時があることがわかることでしょう。
知識や理解ではないところで腑に落ちていきます。
腑に落ちても幻想世界は続きます。
この時の腑に落ちた快感をまた引きずってしまうこともありますのでご注意ください。
自我はどんな時にも「私のもの」として所有したがります。
エゴを生み出すのはアイデンティティ
実はアイデンティティがエゴを生み出していると思います。
アイデンティティというのは自分は何者かというやつですね。
このブログでも何者として生きるのかを大切にするといいようなことを書いています。
何者かをフォーカスするといいと言ってます。
これは、まずはアイデンティティを一つに絞っていき極めていくことで、最後の役割も落としていくことができると思うからです。
自我というのは何者かわからなくなると死んでしまうので、ものすごい恐怖が襲います。
「私の」「私が」と思っていた私そのものがなかったとなると大変です。
そうですよね、なんのこっちゃという話です。
私の身体、私の気持ち、私の服、といった「私の」というのがないなんて考えられないですね。
考えること自体が私へと埋没させていきます。
役割を絞って極めていき、その役割を消滅させるか突き抜けると見える世界があると思います。
だから、”私”とか役割を剥がし続けることも大事です。
そして、役割をしっかりと絞り込んでいくことも大事です。
その両輪から思い込みやブロックや観念も外していけます。
自分が「何者だ」と思ったことを実践していこうとしても、様々な思いが湧いてきますし、勝手に差し込まれているような思考や観念も思い出していくことでしょう。
幻想ということを腑に落としていき、ぜひ現実と思っている私をどんどん剥がしてみてください。
根本的な癒しになると思います。
終わりに:人は実態のないものに依存できる
人というのは何にでも依存できます。
さきほど書いたアイデンティティというのも一つの幻想です。
そのアイデンティティにも依存することができます。
人はその幻想を自分だと思い込んでいく同化もしていきます。
〇〇会社の社員というアイデンティティに同化すると、その〇〇会社が批判されると私まで批判されているように感じる人も多いことでしょう。
その〇〇会社が私という存在になっているからですね。
そういったアイデンティティに同化されている人がたくさんいらっしゃいます。
同化する先が多ければ、それだけ幻想の荷物も増えますから大変ですね。
「靴下が変だね」と言われただけで、自己が傷つくとか大変ですよね。
ましてやちょっとした冗談でも傷ついてしまったりします。
同化先は少ない方がいいです。
徹底的に減らしていくのもいいと思います。
身軽になりますよ。
実態のない絵に描いた餅ですからね、捨ててしまいましょう。
根本的な解決はここからしかないと観じております。
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