Facebook清水 友邦さん投稿記事
11月29日(日本時間30日午前6時30分)はジョージ・ハリスンの命日です。
ジョージは脳腫瘍の治療で大量の放射線を浴び衰弱して他界しました。
家のカミさんも突然斜視になって脳腫瘍だったということがわかりました。
それ以来、西洋医学の手術、薬物、放射線の治療はしないで、自分の好きなワクワクすることをして、科学的根拠が確立していない呼吸道と雑穀を食べて温泉と笑いで20年過ぎて、今にいたってます。
ジョージ・ハリスンがいたビートルズは1968年の末にレコードの売り上げが二億六百万枚に達するというショービジネスで大成功を治め名誉と地位と財産を得ていました。
しかし彼らはそれでも満足できませんでした。
ビートルズは次のようにいっています。
「僕たち4人は、ものすごく忙しい生活をしてきた。金で買えるものならほとんどすべて手に入れた。でもそういうことができるようになってみると、買ったものなんてやがては何の意味もなくなるってわかった。それで何か他のものを探し始めるわけさ、新しい経験を。僕たちは今、その空白を埋めるものを見つけたんだ。」リンゴ・スター
「物質的なものに意味が無いとわかったよ。みんな物質的なものにこだわっているけど、そんなものは長く続かないし消えてしまうものなんだ。人はカルマを燃やしつくして輪廻からぬけださなくていけない。それがすべてなんだ」ジョージ・ハリスン
商業的に成功して、お金を好きなだけ出して買い物をしても本当の満足は得られなかったのです。
本当の喜び、真の満足はお金や単なる刹那的な快楽では得られないのです。
そのことに気がついたとき人は探求の道を歩み始めます。
1943年4月16日スイスの製薬会社サンド社で化学者のホフマンはLSDの合成に成功しました。
1950年に商品化され70年代にはいって完全に禁止されるまで驚くほどの早さで世界中にLSDは広がりました。
60年代の後半はビートルズやローリングストーンズを始め、グレイトフルデッドなど、かなりの数のロックミュージシャンがLSDを体験しています。
LSDを摂取すると日常世界とは全く違った意識状態を体験します。
自我の境界が溶け出してコズミックダンスをしている光のエネルギーと一体になり
自我とは社会体制によって大量生産された操り人形でありすべては自分の意識が作り出したものに過ぎないとの洞察が大勢の人に起きたのです。
その体験が「チベット死者の書」と驚くほど似通っていることをティモシー・リアリーは「サイケデリック・イクスペリエンス」に著しました。
日常意識は知覚の扉が閉じているので気がつきませんが、変成意識状態になると知覚の領域が広がり光の洪水に襲われます。
あまりにもまばゆい激しい光に出会うと恐怖心をいだいて大抵の人は逃げだしてしまいます。
チベットの死者の書ではバルドといってます。
恐怖心を抱かずに光の海に飛び込むことができれば二度と生まれ変わることがないのです。
死の本当の意味を理解するのです。
しかし、LSDは光の体験をもたらし実在が物質でなく光であることをかいま見せてくれますが
LSDの薬理作用が効いている間の一時的なことだけのことでした。
「LSDをやると誰もが啓発されると勘違いした。ところがLSDをやって色んな光や色があらわれて『不思議の国のアリス』みたいな体験をしても全く啓発されない人もいることがわかった。」ジョージ・ハリスン
ビートルズはその頃全員LSDをやっていましたがLSDをいくらやってもある時点でそれ以上どこにも行けないことに気がついていました。
どんなにすばらしい体験を何回しても薬が切れると元の木阿弥になってしまうのです。
LSDでいくら素晴らしい体験をしてもLSDはどこにもたどり着かないことに気がついたビートルズのメンバーは薬を使わずに自然なもので高次の意識を得る方法を求めました。
「人生にとって大事なことは自分が何者で、どこに行こうとしていて、どこから来たのか?それを自分に問いただすことだと思った。」ジョージ・ハリスン
ジョージ・ハリスンがインドに興味を持つきっかけになったのは映画ヘルプのサウンドトラック録音で、初めてシタールに触れてからでした。
ジョージと妻のパティはインド音楽に引かれて1966年にインドを訪れてラヴィ・シャンカールの弟子になりました。
インドに行ってからジョージはヴィヴェカーナンダやラーマクリシュナやヨガナンダなど精神世界の本にすっかり夢中になりました。
本を読んで瞑想しようとしましたが自己流ではうまくいかなかったようです。
TM瞑想というマントラを教えるマハリシ・マヘシュ・ヨギ(Maharishi Mahesh Yogi)にビートルズがあったのはその頃です。
マハリシとは偉大な聖者という意味で和尚のような称号なので個人の名前ではありません。
しかし、当時はマハリシといえばマヘシュ・ヨギのことを指していました。
インドにはほかにも沢山の無数のマハリシがいます。
マヘシュ・ヨギが1967年8月24日にロンドンのヒルトン・ホテルで講話するというする話をジョージは妻のパティから耳にしました。
さっそくジョージはほかのメンバーを誘ってマヘシュ・ヨギの講義を聴きにいきました。
マヘシュ・ヨギの話に感動したビートルズは全員TM瞑想の会員になりました
そのころのビートルズはマネージャーの急死に打ちのめされていました。
「困った事態になったと思った。僕らは音楽以外には何の才能もないと思っていたから、恐ろしかったんだ。『これで僕らもおしまいだ』そう思ったよ」ジョン・レノン
「僕らは迷子になってしまったんだ。」ジョージ・ハリスン
心理的に参っていたビートルズのメンバーはマヘシュ・ヨギにますます傾倒していくことになりました。
1968年2月ビートルズ一行はインドへ探求の旅に出かけました。
1968年はカスタネダの最初の本「呪術師と私」が出版されました。
そして1968年は若者による大規模な抗議運動が起きて世界が震撼した年でした。
ポーランドのワルシャワ大学で民主化運動が起きた「3月事件」、チェコでは民主化を要求した「プラハの春」、パリでは学生によるゼネストが起きた5月革命、アメリカではマーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・F・ケネディ上院議員が暗殺され、北ベトナムで「テト攻勢」が起きて、かつてないほどのベトナム反戦運動の高まりが起きていました。
社会変革を求める公民権運動、ベトナム反戦運動などの反体制的な政治運動とともに対抗文化(カウンターカルチャー)ヒッピー運動(フラワームーブメント)はアメリカ人の価値観とライフスタイルの転換を生み出しました。
1968年はフランスでMouvement de Libe’ration des Femmes=MLF(女性解放運動)が開始されて新しいフェミニズムが生まれています。
アメリカで初めてのゲイパレードが行われたきっかけは1969年6月28日のニューヨークのグリニッジビレッジのゲイバー「ストーンウォール・イン(Stonewall inn)」の反乱からです。
68年はジェンダー、LGBTへの理解が広まり、性別のあり方が見直されてきた象徴な年でした。
1969年7月ケネディ宇宙センターからアポロ宇宙船が打ち上げられて月に到着しました。
その時、初めて人類は本当の自分の姿を客観的に見る事ができました。
月から見る地球に国境線はありません。
人類は地球人というアイディンティを持つようになったのです。
1968年の前後は次の文明へと流れる大きな潮流の転換点となる外側の革命と内面の革命が世界で同時多発的に起きた時代でした。
その影響をもろに受けた一人がスティーブジョブズです。
それまで外側の地位や名誉や経済的な成功にあったアメリカ人の価値観が内面の自己実現、自己成就とする主観的なものに移っていったのです。
スティーブジョブズが普及させた情報機器によるネットワークの発達は人々の意識のプロセスを加速させています。
All Things Must Pass
「世界のあらゆるものは過ぎ去っていく」
「植物は芽を出し、枯れては消える。人間もすべての生物も同じく生まれては死を迎え消え去る。宇宙にはこの原則を持つなにかが流れている。それは、我々が存在するすべての背景に流れるもの」ジョージハリスン
「死そのものは、たいした問題ではない。生命はみんなの心の内側でも外側でも
続いていく」ジョージハリスン
ジョージハリスンの遺灰は遺言によりガンジス河に流されました。
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清水友邦 オンライン講演会 「本当の自分に出会う」
2020年12月17日 (木) 19:30 - 21:00 視聴費 3000円
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自分とは何か 意識とは何か 喜怒哀楽に揺れ動いている私は誰か 自分は本当に存在しているのか 自分を知るためにはどうすれば良いのか
清水友邦が人生をかけて探求してきたエッセンスを語ります。
【講師】 清水友邦 イーハトーブ心身統合研究所 所長
著書 「覚醒の真実」(ナチュラルスピリット)「よみがえる女神」(ナチュラルスピリット)
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