Facebook西元 満晴さん投稿記事
⭕母校での授業が「いのちの授業」のきっかけ
「いのちの授業」とは、わたしが七十六歳の時から行っている、子どもたちにいのちの大切さを伝える活動のことです。
あちこちの小学校にわたしが出かけて行き、子どもたちに直接語りかけます。
これまでに225回も「いのちの授業」を行い、3万人近い子どもたちがわたしの話を聞いてくれました。その第一回は、わたしの母校である神戸市立諏訪山小学校(今では名前が変わっていて、神戸市立こうべ小学校になっています)でした。
NHKの教育テレビからお話があり、「一流の学者、芸術家、財界人が母校で後輩の子どもを相手に授業をする様子を番組にしたい」と言われました。
わたしの前には第一回目として、作家の井上ひさしさんが山形県の母校で授業をされたとのことでした。
この番組の考え方は今も引き継がれていて、NHKのEテレで金曜日の午後7時25分からの放送「課外授業▪ようこそ先輩」として息長く続いています。
わたしが母校の諏訪山小学校を卒業したのは、1924年、日本の年号でいうと、大正13年のことでした。きみたちのひいおじいさん、ひいおばあさんが子どもだった時代です。
この年、初めての冬のオリンピックがフランスのシャモニーで開かれ、日本では甲子園球場ができました。
10万人以上の人が亡くなった、関東大震災という大震災が起こった翌年のことです。
卒業してから63年ぶりに母校の小学校を訪れることになったわたしは、5年生の子どもたちに「からだの中のポンプ▪心臓」というお話をすることにしました。
わたしは循環器(心臓や血管など)を専門にしている内科の医師ですから、その話をするのがいいと思ったのです。
授業では、子どもたちに何本も持っていった聴診器を渡して、みんなにお互いの心臓の音を聞かせました。子どもたちは耳がいいので、聴診器を使うとはっきりと 心臓の音(心音といいます)を聞くことができます。
それまでに聴診器で心臓の音を聞いたことがある子どもはほとんどいませんでしたから、子どもたちは驚き、心臓の働きに興味を持ってくれました。
そこでわたしは、心臓の働きや血圧などの知識を教え、それから「心臓はどんな役割をしているのか」「心臓はいのちなのか」「いのちとは何か」について、子どもたちと一緒に考えました。 そうして45分の授業はあっという間に過ぎていきました。
子どもたちの瞳は知的好奇心できらきらと輝き、わたしは教えることの楽しさを久しぶりに味わいました。
この日、わたしが校庭にある楠の大木を抱えた写真が、今でも残っています。
この楠は樹齢が150年といわれていましたから、その頃のわたしの2倍近くの年齢です。
この時の体験がもとになって、わたしは「いのちの授業」をあちこちで行うようになりました。
その頃は、小学校でのいじめや子どもの自殺が大きな問題になっていて、わたしも心を痛めていました。わたしの話を聞くことで、少しでも世の中からいじめや自殺がなくなればいい、そう考えて十歳を中心とする子どもたちと正面から向き合うようにしたのです。
それから30年近い時が経ち、わたしは日本全国、それどころかオーストラリア、アメリカ、ブラジルといった海外の小学校にまで足をのばして「命の授業」の出張授業を続けてきました。
人づてに話を聞いたPTAの人から頼まれたり、学校の先生から頼まれたり、また「いのちの授業」のことを何かで聞いた子どもたちが、お父さん、お母さん、先生にお願いして実現したこともあります。
わたしは、自分のいのちの続く限り、医師の仕事とともに、この「いのちの授業」を続けていきたいと思っています。
日野原重明
日野原先生は、103歳にして「いのちの授業」に凄い情熱を傾けておられ、しかも現役のお医者さんで、あまりの忙しさで、睡眠時間は3時間だったとか。
世間の常識では、睡眠時間は8時間必要だと言われていますが、日野原先生のように3時間の睡眠でも長生き出来ることが証明されましたね。
ピンク仙人も、1日の睡眠時間は5時間程度で40年病気知らずで元気に暮らしています。
要は、睡眠は時間ではなく、質の良い睡眠を採っていれば大丈夫です。その、質の良い睡眠睡眠法についてちょっとヒントを。
普通、眠りに入るときは、昼間の働く自律神経の交感神経ですが、この交感神経のまま眠りについてもなかなか眠れません。そこで、呼吸を口呼吸から鼻呼吸に切り替え、腹式呼吸で眠りに就くとすぐに深い眠りにたどり着きます。
ここからが問題です。人は、眠りのサイクルとしてレム睡眠、ノンレム睡眠を1時間半毎に
繰り返します。つまり、まどろみ睡眠と深い睡眠の繰り返しだと思ってくださいね。
だから、日野原先生のように3時間でも大丈夫です。でも、昼間の疲れ取るためには、3時間の倍、せめて6時間以上の質の良い睡眠をお奨めします。
では、ピンク仙人の1句を。
睡眠は時間じゃなくて質の問題です ピンク仙人ありが太陽。幸せます😃💕☀️☀️☀️
いよいよ、満を持して新シリーズでピンク仙人の郷土の偉人である日野原重明さんの本「明日をつくる十歳のきみへ」が始まりました。
⭕明日をつくる十歳のきみへーーはじめのことば
わたしは2014年の10月で103歳になったお医者さんです。
世の中では100歳を超えていると、すごいお年寄りと思われるかもしれませんが、わたしは毎日仕事をしたり、本を書いたり、みんなの前で話をしたりしています。
あちこちに旅行に行き、春にはイギリス、秋には韓国や台湾にも行ってきました。
わたしは、95歳の時、「十歳のきみへ」という本を書きました。この本はとてもよく読まれていて、今でもたくさんの子どもたちが感想文を送ってくれています。
最初にこの本を手に取った十歳の子ともたちは、今では18歳。もう立派な大人になりました。「十歳のきみへ」には「九十五歳のわたしから」という副題がついています。
九十五歳のわたしが思っていること、子どもたちにぜひ伝えたいことを書きました。
それが今でも読まれているのは、とても嬉しいことです。
たくさんの子どもたちから寄せられる感想文は、とても励みになります。
しかし、あれから八年経って、わたしは子どもたちに 少し違うことを言いたくなりました。
もう少し正確に言うと、「十歳のきみへ」にも書いたのだけれども、もっと力を込めて言いたいことができてきたのです。
それは「いのちと時間」ということについてです。
九十五歳の頃から、わたしは全国あちこちの小学校に出かけて行き、「いのちの授業」をやってきました。ほとんど毎月のように出かけたので、この10月で通算225回になりました。
「いのちの授業」では、わたしは「いのちと時間」というお話をします。
子どもたちに、「いのちとはなんだろうか?」と問いかけ、
いのちとは「自分が使える時間のこと」だというわたしの考えを伝えます。
子どもたちは順番にきちんと話をすれば、かなり難しいことでもちゃんとわかってくれます。
その「自分が使える時間」ですが、子どものうちはそれをぜんぶ自分のためだけに使います。
ご飯を食べるのは自分の体のためですし、勉強するのも自分の頭のためです。わたしはそれでいいと思っています。
ただし、成長しておとなになったら、自分の使える時間を少しでも、自分のためだけでなく、他の人のためにも使ってほしいと思います。
今の世の中は、どこかの国で戦争があります。また、平和なはずの日本でも、3万人前後の人が自殺で亡くなっています。学校や会社にはいじめがあり、人と人の争いは絶えません。
わたしは世の中をよくするために、子どもたちに二つのことをわかってもらいたいと思っています。
それは「許しの心を持つこと」と「おとなになったら人のために自分の時間を使えるような人になること」です。
この二つを身につけた子どもたちが増えていけば、世の中から争いや、憎しみはなくなっていくでしょう。
「長生きするのはいいことなの?」と子どもたちから聞かれたことがあります。
わたしははっきりと答えます。「いいことです」。
なぜなら、人のために使える時間がそれだけ増えるからです。そして、長生きすればするほど、もっとたくさんの時間を人のために使いたくなります。
それが生きるということなのだと、わたしは思っています。
日野原重明
日野原重明先生は、1911年10月4日、山口県山口市の湯田温泉の近くで生まれ、
「110歳まで現役を続けることを目標にしている」と宣言され、座右の銘はウイリアム▪オスラーの「医学は科学に基づくアートである」です。
ご逝去されたのは2017年7月18日で、106歳でした。その見事な生き方がピンク仙人の尊敬する理由であり、目標なのです。
もっとも、ピンク仙人の座右の銘は高杉晋作の「面白きこともなき世を面白く」で
「神さまから頂いた125歳まで元気に楽しく面白く生きる」です。
新シリーズでは、日野原重明先生に学びながら、ピンク仙人の想いもお伝えしていきます。
では、ピンク仙人の1句を。
125歳まで元気に明るく面白く ピンク仙人ありが太陽。幸せます😃💕☀️☀️
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