種山高原

http://www.ihatov.cc/monument/103.html 【「種山ヶ原」詩碑】より

 種山ヶ原 一九二五、七、一九、  宮沢賢治

まっ青に朝日が融けて この山上の野原には 濃艶な紫いろの アイリスの花がいちめん

靴はもう露でぐしゃぐしゃ 図板のけいも青く流れる ところがどうもわたくしは

みちをちがへてゐるらしい ここには谷がある筈なのに こんなうつくしい広っぱが

ぎらぎら光って出てきてゐる 山鳥のプロペラアが 三べんもつゞけて立った

さっきの霧のかかった尾根は たしかに地図のこの尾根だ 溶け残ったパラフヰンの霧が

底によどんでゐた、谷は、たしかに地図のこの谷なのに こゝでは尾根が消えてゐる

どこからか葡萄のかほりがながれてくる あゝ栗の花 向ふの青い草地のはてに

月光いろに盛りあがる 幾百本の年経た栗の梢から 風にとかされきれいなかげらうになって

いくすじもいくすじも こゝらを東へ通ってゐるのだ

碑について

 賢治が初めて種山ヶ原へ行ったのは、盛岡高等農林学校3年の1917年秋のことでした。同級生とともに、徒歩で水沢方面から岩谷堂、原体、伊手を経てこの高原まで登り、地質調査を行いました。この旅で出会った種山ヶ原の自然は賢治を魅了し、これ以降彼は、何度となくこの地を訪れます。そして、短歌、詩、童話、劇、歌曲など、彼のその後の創作の重要な舞台となりました。

 いま私たちが種山ヶ原を訪ねる場合にも、当時の賢治とほぼ同じ道筋をたどるのが一般的です。このルートは現在は国道397号線となっていますが、やはり水沢から東へ山道を登り、銚子山や伊手を過ぎて、江刺市と住田町の境にある姥石峠のトンネルを抜けると、「道の駅 種山ヶ原」というサービスエリアがあります。

 このあたり一帯がいわゆる種山ヶ原で、ここから北へ山道を入っていくと、種山(物見山)の頂上や、「星座の森」キャンプ場もあります。

 「道の駅 種山ヶ原」の一角に賢治の詩碑が建てられたのは、2001年12月のことでした。

 サービスエリアの南西の隅に、鯨の体躯のように横たわる青く巨きな岩は、当時の新聞記事によれば「全国最大の賢治詩碑」だということです。住田町内に露出しているところを掘り出されたという石英斑岩は、その幅5mもあります。

 さて、碑面に刻まれているのは、『春と修羅 第二集』より「種山ヶ原」です。

 その最終形態は、<テキスト>に掲げたような本文27行の小品なのですが、実はこの作品の下書稿(一)第一形態は、「パート一」から「パート四」までの各部で構成された、総計164行の長大なテキストでした。

 「種山ヶ原詩群」の項で触れたように、賢治は1925年7月19日の夜明けから夕暮れまで、種山ヶ原を歩きとおしたと推測されます。それはおそらくあの「小岩井農場」の散策にも匹敵する詩的歩行だったでしょう。賢治はこの時、四つのパートにわたる厖大なスケッチを書きとめました。

 そこには、美しいかきつばたの花を心ゆくままに手折り集めながら、全自然の祝福を貪欲なまでに受けとり、ほとんど自然そのものに溶解してしまいそうな賢治がいます。ちょうど種山の頂上で全体のクライマックスとなるその「パート三」には、「雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに/風も水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され/じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で/それをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ…」という有名な一節も出てきます。

 この段階のテキストは、それはとても素晴らしい作品だったと私は思うのですが、なぜか作者は後にこれをパートごとにばらばらに分解してしまいます。そしてその各々は、作品番号や日付も失いながら、何度も何度も推敲・改稿を受けていくことになるのです。

 これまで明らかにされている賢治の種々の推敲例の中でも、ここで「種山ヶ原」テキストがたどる錯綜した経過は、その最も複雑なものの一つと言えるのではないでしょうか。そのおおまかな様子については、「『春と修羅 第二集』関連草稿一覧」の該当箇所をご参照ください。

 結局このような過程を経た後に、かろうじて作品番号と日付を保持して残ったのが、ここで詩碑にもなっている最終形態です。

 これはこれで魅力的な作品なのですが、初期形態からずっと追跡してここに到達してみると、何か少しもったいないような気持ちを覚えなくもありません。官能的なまでに豊穣だった果肉はどんどん削り取られてゆき、一つの「種」が残っています。

 ここで私は、種山ヶ原自身もその一例であるところの、「残丘モナドノック」という地学現象を連想せざるをえません。

 太古にはもっと高い山脈だった北上山地が、長い年月のうちに侵食されて現在のような「準平原」になっていく過程で、蛇紋岩のように硬い岩は、他の地質と比べて相対的に侵食を受けないために、周囲の土壌とともに取り残されました。その結果、まわりから少し盛り上がったなだらかな丘の中央に大きな岩があるという、このあたり独特の地形ができていったのです。

 ここに私は、当初の長大な心象スケッチが長年の推敲によって削られていったことと相似の運命を感じてしまいます。

 そして、地質学的空想にふけりながら種山ヶ原を散策すれば、そのなだらかな起伏から昔の急峻な山々を偲ぶことができるように、小さな「種山ヶ原」最終形からも、失われたものだけではない静かな時間の堆積が感じられるようにも思うのです。


https://www.esashi-iwate.gr.jp/seiza/ 【宮沢賢治が愛した種山高原】 より

自然回帰のキャンプ場

岩手県奥州市にある種山高原星座の森は、海にも山にも、空にも星にも手が届く、思わずそんな気がしてくるほど抜群のロケーションのキャンプ場です。

キャンプライフ・コテージ・スターウォッチング・植物観察・昆虫採取・バードウォッチング・森林浴など、楽しみは星の数。

イーハトーヴの大自然が呼んでいる。

種山高原

岩手県奥州市(江刺)・遠野市・住田町にまたがる物見山(種山)を頂上とした高原地帯です。

物見山頂上からは、北に岩手山・早池峰山 、東に五葉山、南に北上山系の山なみ、西に焼石連峰と奥羽山脈の連山、そして、そのふもとには北上平野を一望でき見事な眺望を楽しめます。また、5月下旬から6月上旬にはレンゲツツジの群生が咲き乱れます。

宮沢賢治が愛した種山高原

大正6年8月、はじめて種山を訪れた宮沢賢治は、種山高原一帯の風景と気象に魅せられ、以後何度も訪れて「風の又三郎」をはじめ、数多くの作品を残しました。


流星や浮き上がる種山ヶ原  高資

種山や鏡なす日を見霽かす  高資


http://www.esashi.com/kenji.html 【宮沢賢治と種山ヶ原】 より

宮沢賢治は大正六年八月二十八日、盛岡高等農林学校三年の時、江刺郡役所(現・奥州市江刺区)の依頼を受け、土性調査をする目的で、学友二人と共に初めて江刺を訪れた。

 この日、岩谷堂から盛岡にいる親友、保坂嘉内宛に「今日当地ヘ来マシタ。アシタカラ十日バカリ歩キマス。コレカラ暫ク毎日御便リ致シマス。(以下略)」という葉書を出している。その後、三十一日田茂山(羽田)、九月二日伊手、三日人首からと、江刺郡内から出した四通の葉書が今も残っている。

 賢治はこの調査の旅で、種山ヶ原をはじめ明るくゆったりした江刺地方の自然が大変気に入り、以後、何度も訪れている。こうして種山ヶ原と江刺は、賢治の短歌、詩、童話、戯曲の舞台として、何度となく登場することとなる。

星座の森に立つ「風の又三郎像」

(撮影/高橋貞勝氏)

江刺出身の菊池武雄氏が

装幀した 宮沢賢治著

「注文の多い料理店」(復刻版)

 

 種山ヶ原を舞台にした作品の中で最も知られているのは、三度映画化されている「風の又三郎」だろう。最初の映画化は戦前の昭和十五年で島耕二が監督。有名な「ドードド」で始まる歌は、このときに杉原泰蔵が作曲したものである。二度目は昭和三十一年、村山新治が監督した。江刺でロケされたのはこの作品だが、残念ながら三作のうち、これだけがビデオ化されていない。

 平成元年に映画化された『風の又三郎~ガラスのマント~』は、伊藤俊也監督作品。壇ふみ、草刈正雄、樹木希林、内田朝雄らが出演した。この映画の中で少年達が踊っていた剣舞は、原体剣舞から習ったものである。

 「風の又三郎」のほか、童話では 「さるのこしかけ」「達二の夢」「種山ヶ原」などが種山ヶ原を舞台にした作品。賢治は花巻農学校の教師をしていた大正十三年に、これらの作品を変形・発展させ、戯曲「種山ヶ原の夜」を書いて生徒に演じさせている。昭和三十七年に高原の一角、立石近くに建てられた詩碑に刻まれているのは、この戯曲の中で使われている「種山ヶ原の雲の中で刈った草は」で始まる詩「牧歌」だ。 賢治の作品には、岩手の自然を舞台にしているものが多いが、中でも岩手山、早池峰山、種山ヶ原は登場する頻度が高く、研究家の中では「賢治三山」と呼ばれている。

 種山ヶ原がいくらかでも全国的に知られているのは、種山ヶ原が賢治に「発見」されてからであるのは言うまでもない。

 平成六年五月、種山頂上に向かう道路沿いにコテージ、オートキャンプ場などを配置したアウトドア施設「種山高原・星座の森」がオープンした。施設の中央にあるコミュニティー広場には、賢治を愛する市民有志によって設置された「風の又三郎像」(日本芸術院会員・中村晋也氏作)が立っており、今にも飛び立ちそうである


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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