虹は義と愛のバランシング

FacebookMiho Murataさん投稿記事

日光を浴びると、幸せホルモン「セロトニン」が出るんだって!😳

免疫力が上がったり血行がよくなったり ストレスが減ったり、うつ病が改善されたり

病気の予防ができたり!

あとはビタミンDも作られるから骨が健康になったり🌱

太陽の光って肌の敵!みたいについ思われがちだけど、いいことも沢山ある☀︎

全部0 or 100じゃないよね✨やっぱりバランスが大切😊

太陽の光も程よく浴びて、幸せホルモン沢山増やそ〜!!☀️


小早川Facebook小早川 智さん投稿記事

ビタミンDに関する画期的な研究により、日常的な日光浴がcovid-19の転帰を改善することが明らかになった。 https://note.com/akaihiguma/n/nf6e7f5348565

今回の研究では、ビタミンDが重症のCOVID-19感染症を予防する可能性があるという証拠がさらに追加されました。主任研究者であるLina Zgaga教授(トリニティカレッジ医学部疫学科准教授)は、「ビタミンDの補給に関する適切なデザインのCOVID-19無作為化比較試験を実施することが重要です。」「それまでは、ビタミンDのサプリメントが安全で安価であることを考えると、特に冬を目前に控え、サプリメントを摂取してビタミンDの欠乏を防ぐことが望ましいことは間違いありません」と述べています。

公衆衛生上のアドバイスは、人口を抑制し、ビタミンDを抑制し、何百万人もの人々を深刻な病気や死のリスクにさらしてきた。

エジンバラ大学がん疫学・グローバルヘルス学部のEvropi Theodoratou教授は、「厳密に行われたビタミンDの研究から得られた新たな結果に対して、心を開いておくことが重要である」と述べています。世界中で治療が差し控えられ、ワクチンが誤った救世主として押し付けられる中、日光浴は自然免疫、公衆衛生、安全への真の道を提供します。

この2年間の公衆衛生上のアドバイスは、社会全体の人々に、屋内に閉じこもり、分離し、スクリーンに夢中になることを奨励してきました。この恐怖は、人々を弱体化させ、コルチゾールのストレスホルモンを増加させ、一方で免疫系の回復力に必要なビタミンDのレベルを抑制しただけです。つまり、児童公園やビーチ、州立公園、野外イベントなどを閉鎖することは、個人の自由を侵害するだけでなく、ビタミンD濃度の低下や重症化、感染した場合の死に至る可能性を高めることになるのです。このような活動は、罰するのではなく、奨励すべきものでした。

神との対話@kamitonotaiwa_

世界の悪と呼ぶものを非難してはいけない。それよりも、そのどこを悪と判断するのか、どこを変えたいのかと自問しなさい。

外に向かってではなく、内に向かって、「この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか」と問いかけなさい。


”それ”は在る bot@o0690oo

自由とは、いったい何だろう。どのようなことが、真の自由なのだろう。何かから逃避しようとしているのは自分ではなく、自分の思考と観念ではないのか。思考や観念がない時、全てはあるがままに〈在る〉。自分を束縛していたのは、自分自身の価値観、観念、思考ではないのだろうか?

聖書に「園の中央にある善悪を知る木から取って食べてはならない。食べると死ぬから」と書いてあります。

取って食べたアダムとイブは 神を失い、楽園を追放されます。

善悪の区分をすることは自己を神化することであり、絶対的な善悪は 存在しないということではないでしょうか。

「ハートビーイング」というライフスキルプログラムがあります。

その中で人に言われて 嬉しかった言葉を書き出す作業をします。

いつもと言って良いほど トップになる言葉があります。それは「ありがとう」です。

感謝の言葉が 人を癒し 愛の循環を生む力を持つことが 良く分ります。

若い頃の私はモラリストが嫌いでした。偽善者のように思えたからです。

しかし偽とは人(の)為と書くのも面白い。道徳律を押しつけられるのも嫌でした。

ひところ不登校が話題になりました。

「よい子で頑張ること」が不適応を生む大きな 要因と言われました。

善い子とは 周りの大人にとって都合のよい子の呼称です。

善い子は自分の意思より 周囲の期待や価値観に応えることを優先します。

成長する中でいつの間にか自分を失っていくのです。

保育士の研修を担当していますが その方々の大多数が 善い人でなければならないという誤った信じ込みを持っています。

研修内容の一つに「~さん あなたはかけがえのない大事な方ですよ。ありのままでいいですよ。よく頑張ってきましたね」と伝えるプログラムを入れています。

皆 大感激を受けます。

しかし「善い人であれ」を自分に課して 生きていくと周りから評価を得 人生を勝ち取る大きな力になります。

このような 自分を縛りながら 一見人生を勝ち取ってきたかに見える厄介な信じ込み(一般的にドラィバーと呼ばれる)は氣づいても手放す(自由になる)のが困難です。

プロフィールで思春期の自分のささやかなレジスタンスぶりを紹介しました。

この頃の自分はむしろ偽悪者を目指していたのかもしれません。

虚無に目覚めた中学時代のある日から 毎日やり続けていた氣象観測もぴたりと止め、レギオン遍歴をはじめました。

授業は興味が持てないとボイコットに徹するのですが(教科担任に帰れと言われ 帰ると次回からは教室に入れないと宣告されました。クラス担任が平謝りに謝って 事なきを得たこともありました。)

試験をボイコットした時も クラス担任が自宅まで 車で迎えに来てくれました。

教科書持ち込みでいいから 追試を受けるよう言われましたが、授業が進めば そこまでの教科書は破り捨てていましたので 持ち込み用の教科書もありません。

その後はどうなったか記憶にないのですが退学届まで提出し、突き返された高校を 無事卒業してしまいました。  

休み時間は職員室に入り浸りの 不思議な少女でした。

教師たちには主に「生きる意味」を尋ね続けるのです。

ある理科の教師が 「命とはリトマス反応のようなものだよ」とそっけなく言い切りました。

今はわかる氣がします。

教師たちもニヒリストが多く逆に「死ぬ自由があるものとないものとどちらが幸せだと思うか?」「浦島太郎はなぜ老人になったと思うか?」などチンケナ質問をされてしまいました。

授業中はチョークを投げつける教師が 自宅にまで招待してくれました。

理科室、図書室はフリーパス。

図書室は高校生になってからもフリーパスでした。

こんな和多志は真面目か不真面目か決められますか?

意味を問う落とし穴は 無知の底なし沼、レギオンの墓場となりました。

善悪を区別してすっきりしようとする独善からようやく解放され続けています。


FacebookHanami Tsujiさん投稿記事

母親という人間は、多くの人にとって非常に縁の深い存在だと感じます。

だから、幼少期その関係がハッピーなものでなかったと感じている人は、大人になってもその昇華されなかった気持ちが残っており、それを周りの人に投影します。

男女関係なく、母親の嫌だったところをちらっとでも感じると、そのことに心揺さぶられ、糾弾の気持ちが湧きます。

逆に、幼少期の関係がハッピーだったと感じている人は、大人になって他人に母親の素敵な面を見ます。

これは、意識的に起こることではなく、無意識で発動するものです。

親との関係が悪かった場合、「わたしをまるっと受け止めてほしい、認めてほしい、愛してほしい」が多くの人の子供の頃の願いだったと思います。それが発動して、子供の頃の思いを昇華しようとします。しかし、目の前の人間は自分の母親そのものではないので、一向に解決されることがありません。

人間関係で問題が起きた時、他の誰かではなく、当人(ここの場合は母親)と向き合う必要があります。

とはいえ、私のように母が亡くなっていない人もいると思います。大事なのは、それを感じている自分の心と向き合う事です。傷ついた自分の心を癒せるのは、自分しかいない。

小さい頃の自分を癒す。私はホ・オポノポノに出会って、小さい頃の自分を抱きしめることができました。それまで、何をやっても癒せなかった、心の中で抱きしめることができなかった幼い頃の私を抱きしめられたんです。

ホ・オポノポノは、「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています」この4つの言葉を唱えます。

何に向かって? 誰に向かって?

「わたし」に向かって。(ハナミンってことじゃないよ😆笑)

でも初めはそんなこと意識しなくていい。とにかく唱えるだけでいい❤️

この4つの言葉を唱えてみて、どれか引っかかるものがありますか?なぜその言葉に引っ掛かるんでしょう。深掘りしていくと、辛いこともたくさん思い出します。

でも、自分を深く知るきっかけにもなります。あぁ、私、こういうことが辛かったんだな、悲しかったんだな、って。そうして出てきた思い、一つも否定する必要がありません😊

あなたから出た思いは、どれも大切なもの💓まるっと今の「わたし」が受け止めたらいいんです😊❤️

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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