Facebook能村 聡さん投稿記事 『自己信頼~自分を信じ抜く』(再投稿)
19世紀の米国の哲学者・思想家のエマソンの言葉から
「人は自分の人生を支配する最高の権利を持っている」
この言葉は、周囲の評価や出来事に左右されず、自分がこれは重要だと思うことを大事にしながら、自分の人生を自由に生きることです。
「偉大な人ほど平凡な一日を真面目に過ごす」
これは、地に足をつけて、いまをいきることの大切さを示した言葉です。
さらに・・・・「我々の強さは、弱さから生まれる」
人の言葉に左右されやすい、傷つきやすい「弱さ」も別の視点から見れば、人の気持ち(心)に敏感であり、それに高い感度を持つからこそ、最も相手が必要とするタイミングで、相手が喜ぶことで何をしたらよいかがわかる、他者と相互理解・相互信頼の関係性をつくる高い潜在能力を持つという”強さ”です。
エマソンはずっと「自分のままで生きよ」と説いています。
それはわがまま身勝手に生きよという意味ではなく、本当の自分は何をするために、生まれてきたのかに忠実に生きることなのです。
自分のミッションが何かは、自分がやっていて一番楽しいワクワクすると感じることにヒントがあるでしょう。
自分の内面を磨き「自己信頼」(自分を信じる力)を発揮せよということです。
自分を救済するのは所詮、自分でしかないのです。
そのために頼るべきは外にあるものではなく自分自身です。
自分への信頼の強さこそ生きていく支えです。
そんなこと言われたってできない、自分を信頼できるようになるにはどうしたらよいのか?できないと諦めている自己肯定感が低い人も現実には多いです。
自己信頼できるようになるには、どうすればいいか?それは、エマソンの言葉にあるように日々の平凡な暮らしで遭遇するする様々な体験から学び、すべてに感謝の念を持ち、それらの体験を人生の糧として、一歩一歩、成長していくこと、しっかり地に足をつけて今を生きていくこと、でしかありません。
自らの意識が現実を創っていつのですから、自分の正直な想い(本心=本当の心・気持ち)が創造した、ハートに喜びを感じる現実を小さな”成功”として積み重ねていくことです。
*参考:エマソン 自分を信じ抜く100の言葉 中島輝 著 朝日新聞出版 刊
ラルフ・ウォルドー・エマソンは南北戦争前夜に花開いたいわゆるアメリカ・ルネッサンスを代表する思想家、ドイツ観念論、ことにカント哲学の精神をアメリカに移入して、超絶主義を提唱した思想家。
Facebook清水 友邦さん投稿記事
人は成長する過程で本来の自分を否定して親や社会から植え付けられた条件付けを受け入れて偽りの人格を形成していきます。
親たちは自分の神経症的な欲求や機械的な反応で子供に接します。
子どもを支配したり、過保護にしたり、脅かしたり、怒ったり、厳しくしすぎたり、甘やかしたり、兄弟姉妹で差別をしたり、偽善的に接したり、無関心だったり、その時の衝動のまま一貫性なく接します。
子供の欲求が親の期待するものと異なれば、子供の主張はすべて押さえつけられます。
子供が自分の正当な権利の侵害に対して訴えても、親にひどく怒られて罰をうけるか
罪悪感を感じるように仕向けられます。
脅しと恐怖によって自分はいかに弱い存在かを意識し始めます。
愛をもたらしてくれる親に対する敵意は危険なことを学習します。
子供は世界を認識して、感じて、危険か安全か解釈します。
子供は親に依存せざるを得ないので自分の意見や感情を表現することを抑圧します。
幼いときに要求が無視されたり尊重されなかったり、両親が信頼できなかった場合、その子どもに基本的不安が生じます。
基本的不安とはこの世界は敵意に充ちていて、孤独で無力であるという、漠然とした感覚です。
不安を感じると心の安定を保つために自我は防衛を始めます。
そうして子供は環境に適応し、防衛のために偽りの自我を形成します。
苦痛があまりにも耐えがたいと、マインドは現実を直視することから逃避しようとするのです。
子供の内部では取引がおこなわれ否定されたあるがままの自分は偽りの自己にとって変わられます。
精神分析の用語では防衛機制(Defense Mechanism)と呼ばれています。
主な防衛機制は次のとおりです。
「身体化」
抑圧された衝動や葛藤が、様々な身体症状となって表れること
「反動形成」
嫌いなのに褒めたり、好きなのに冷たくしたりと思っていることと正反対にすること
「同一視」
自分にない権威に近づくことで自分を高めようとすること
「退行」
耐え難い事態に直面したとき、幼い状態に戻ること
「合理化」
満たされなかった欲求に対して、理由付けして自己納得させること
「投影」
自分の中にある不快な感情を自分ではなく他者が持っていると思い込むこと
「否認」
受け入れがたい出来事から目をそらし、認めないこと
「知性化」
知識や論理を通して感情や痛みに直面しないように切り離すこと
まさしくマインドは機械です。それがいつも24時間自動的におこなわれている為に
自己は気がつかないのです。
不快な感情を無意識の奥深くに押し込んで表面の日常意識で感じないようにしてしまうのが「抑圧」です。
身体感覚が低下した状態では感情が意識にのぼってくる通路が封鎖されているので、感情が発散されず蓄積されてしまいます。
固く防護された偽りの自己は、自分を巧みにごまかし、心から湧いてくる感情を素直に表現することはしません。
でもそれは蓋をしているだけなので内圧が高まるか、あるいは押さえ込む力が弱まると表面にでてきます。
否定的な感情が浮上した時、マインドはきっかけとなった物事や人物に対して自己正当化の物語を作り上げます。
そうして思考を強めて、エネルギーが流れる通路を再び封鎖してしまうのです。
本質の自分は幼児期に取り残され、自動人形の様に振る舞う、偽りの人格にエネルギーが使われて、機械的な人生を生き続けます。
「わたしは世界(あなた)に対して怒っている」から妄想的投影が起きて「世界(あなた)はわたしのことを怒っている」になっていることに気づけません。
分離された世界では、失意と倦怠、疎外感や孤独感が雲のように漂います。
エネルギーが流れる通路が封鎖されているためにエネルギーの供給を失い生命エネルギーが枯渇した状態でいます。
自己の中では、、深刻な分離が起きているので、バッテリーが充電されません。
単調で代わり映えのしない、退屈な日常が繰り返される芝居を、見ている気分に襲われます。苦しみは自己が分裂した境界線上で発生しています。
苦しみは、病気ではなく、偽りの境界線を認識している状態です。
苦しみは、境界線が自己を分離させていることを、知らせています。
境界線がうすくなると、苦しみがやってくるので、思考は絶えず自我の境界線を補強し続けています。
偽りの自我と、同一化している限り境界線のない無限で永遠の世界を知ることはできないのです。偽りの自我に閉じ込められた状態で死の恐怖と不安に、怯えなければなりません。
苦しみが何を意味するのか、なぜそれが起こるのかを、洞察する必要があります。
そうでなければ自覚をもって苦しみと直面しようとせずいたずらに苦しみにのみこまれた人生を過ごすことになってしまうでしょう。
苦しみの根源は頭の中に浮かぶ思考で世界を分離させていることにあります。
分離した時間の中で過去を嘆き、未来を恐れています。
宇宙は光に満ちています。その光を思考が遮っています。思考が静かになると、時間と空間の境界線が消えます。あらゆる物事が相互に関係しては刻々と変化して流れていきます。
世界と私を分ける境界が消えると過去・現在・未来もなく生まれることも死ぬこともなく観照の中で、永遠の今だけがあることに気がつきます。気づいた瞬間に、あなたは大笑いするでしょう。
何もないところに自分で光を遮って影をつくり出して、その影に怯えていたのですから。
0コメント