https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_30.jsp 【回想も格好の題材に】より
俳句は一般的には眼前の情景を詠むものと考えられていますが、ときには過去のことを想像し、あるいは回想して句に詠むことがあります。このような句を得意とした俳人が蕪村です。
鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 蕪村
江戸時代の俳人の作です。鳥羽殿(鳥羽上皇の離宮)へ武者が急ぐ場面は、例えば保元の乱などを想像します。
易水に葱流るゝ寒哉 蕪村
秦の始皇帝を狙う刺客の荊軻(けいか)が、易水で燕の国の太子と別れたという中国の古典(『史記』)に取材した句。「風蕭々トシテ易水寒シ、壮士一タビ去ツテ又還ラズ」と荊軻が詠んだ詩のパロディで、悲壮感の漂う場面を、葱(ねぎ)という身近な野菜によって滑稽化した俳趣ある作品です。
野を焼いて帰れば燈下母やさし 高浜虚子
大人に混じって野焼をして帰って来た作者を、燈下の母が優しく迎えてくれた。大正期の作。作者の母は明治のうちに亡くなっており、回想の句と思われます。
今回は詠史の句(歴史に取材した句)や過去を回想して詠んだ句を、投稿作の中から拾ってみましょう。
感動をストレートに表現する
源平の戦を見しか山桜
宮部蝸牛さん(兵庫県西宮市、73歳)作。源平の古戦場に咲いていた山桜の老木は合戦を見たのだろうか、というのです。「か」は疑問です。さすがに源平の時代の山桜は現存していそうもありませんから、遠慮気味に「見しか」(見たのか)としたのでしょうけれど、ここは思い切って
源平の戦を見たる山桜
としてはどうでしょうか。山桜が古木であることに感動したのですから、断定的な表現にしてよいと思います。「見たる」も悪くないのですが、
源平の戦を知れる山桜
も考えられます。「知れる」は、知っている、という意味です。
夏の雲古代の都市を隠しけり
京野純さん(秋田北高3年)作。大きく盛り上がる夏の雲の中に、古代都市が隠れている、というのです。ジブリのアニメにでもありそうな情景です。切れ字の「けり」が効いています。
遠き日のタイムカプセル虹の下
加藤真綿さん(秋田北高3年)作。眼前に虹が立ち、その虹の下のあたりに遠い昔、タイムカプセルを埋めたのです。
強調する言葉はどれか
梅雨明や海に沈んだ飛行船
武石湖都菜さん(秋田北鷹高を今春卒業)作。梅雨明けの明るい海。この海に、飛行船が沈んだ過去がある。切れ字の「や」が効いています。海を強調するなら
飛行船沈みし海や梅雨明くる
としてもよい。添削句は文語(下線部)を使いました。
上五の字余りは気にならない
今はなき冬木の桜の並木道
佐藤那奈さん(大館鳳鳴高)の作。以前に通った道をまた通ったら桜並木が無くなっていた、と解しました。中七の字余りを直しながら添削を試みます。
昔ここに桜並木や冬の道
添削句は上五が六音です。一般に、中七下五が七音五音に収まっていれば、上五の字余りは気になりません。
全体を文語で揃(そろ)える
盆は夜亡き祖母の声髪撫でる
澤石瀬菜さん(秋田中央高3年)作。「盆は夜」(お盆らしい時間は夜だ)で切って読みます。思い出の中の祖母の声が髪を撫でてくれるようだ、というのです。「亡き祖母」は文語調です。一句全体を文語に揃えて、下五は「髪撫づる」(下二段活用の連体形)とするのがよいと思います。
盆は夜亡き祖母の声髪撫づる
Facebook清水 友邦さん投稿記事
いまここにある喜び
浄土真宗の在家信者に妙好人(念仏を唱えて暮らす信仰深き庶民)と呼ばれる人々がいます。
石見の才市と呼ばれる島根県に生まれた浅原才市(あさはらさいち1851年-1932年)は無学な下駄職人でした。
信仰の詩をかんな屑・木片・紙片などに書き綴っていました。
最初、阿弥陀を唱え続けている才市と阿弥陀の間には分離がありました。
思考は過去や未来に行ったり来たりで、いまここにとどまる事が出来ません。
思考は分離を引き起こし、世界と私に分け隔てしまいます。
極楽浄土は今ここにあります。念仏を唱えて未来のどこかに極楽浄土を求めても得られません。極楽浄土を求めようとしたとたんに、いまここから離れしまい極楽にいられなくなるからです。
「知ることも信ずることも過去のたね 過去に種を植えられて今に種を植えたが
なむあみだぶつ」(浅原才市)
永遠のものとは、最初からいまここにあるので、新しく手に入れる必要がないのです。
永遠とは、過去も未来も『いまここ」に常にあるものです。
「臨終すんで、まいるじゃない 臨終済まぬとき、まいる極楽なむあみだぶ に、すめてあることなむあみだぶつなむあみだぶつ」(浅原才市)
才市は死んだ後のどこか遠くに極楽があるのではなく、生きているこの瞬間に、極楽があると気づきました。
「才市どこが浄土かい ここが浄土のなむあみだぶつ」(浅原才市)
人は誰もが生まれつき悟っている阿弥陀仏です。
しかし、悩み苦しむ自我と同一化しているために、自分が阿弥陀仏であることに気が付きません。
自分はあわれで不幸な凡夫なのです。
気づきは誰もが持っているので、浅ましい愚かな自我には気がつくことができます。
認めたくない心の痛みは、抑圧して心の奥底にしまい込んでいます。
自分と向き合う作業はしまい込んだ不快な感情が沸き起こるので、自我は思考が作り出すメロドラマに入ってそれを感じないようにしてしまいます。
自分自身の問題との直面をさけ現実と向き合うことの逃避に念仏が使われてしまうと、あるがままの自分を見ないで自我を強化し防衛してしまうのです。
才市はあさましい自我から逃げずに徹底的に自分を見つめました。
「悪に悪、悪をかさねて裟婆でもつくる。あさましいとは皆うそよ。うそだ。わしが涙悪だ。
ええも悪いも皆悪だ」(浅原才市)
「罪つくり、「罪つくる人こそ、仏なり。「罪作らざる人は、地獄なり。知識の教をきかぬから」(浅原才市)
「如何に悪人とはいいながら私の心は世界の発頭人であります。言うも言はんもなく、親が死ぬればよいと思ひました。死なんであらうかと思ひました。この悪業大罪人が、よくも今日まで大地が裂けんこうにおりましたことよ」(浅原才市)
才市は30年以上もの歳月の間、毎日「なむあみだぶつ」と唱えるうちに自我の境界を超えて自分が「なむあみだぶつ」つまり存在そのものだということ気がつきました。
「今私があさましいと言うたのは、わしのこの心が持ちも下げもならぬ心を言うたのであります。この才市が、心故にできたお慈悲であることをあさましと言うたのであります。この才市の、あさましい心とあみだ親様の心と一つでありますると知れたのは、もうもと私の邪慳(じゃけん)があるからであります」(浅原才市)
自我の才市と本当の自分である阿弥陀仏は異なっているように思えますが同一体なのです。(西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一)
「なむあみだぶ(南無阿弥陀仏)とみだ様は、一つのもので二つがない。
なむあみだぶ(南無阿弥陀仏)がわたくしで、みだ様が親さまでこれが一つのなむあみだぶつ」才市が下駄を削っていたのではなくて阿弥陀仏が下駄を削っていたのです。
「わしが阿弥陀になるじゃない阿弥陀の方からわしになるなむあみだぶつ」(浅原才市)
「お慈悲も光明もみなひとつ才市もあみだもみなひとつなむあみだぶつ」(浅原才市)
人はみな、あさましい自分と阿弥陀仏が一つになって生きています。
そのことに気がつくと喜びの人生を送ることが出来ます。
「信のよろこび天然自然おのづからおのづのなせる信のよろこびなむあみだぶつ」(浅原才市)「私や嬉し凡夫の根切りをしてもろてあってないも同じこと。嬉し嬉しのなむあみだぶつ」(浅原才市)
阿弥陀とは永遠と無限の光を意味します。私たちの本質は光の存在なのです。
thanatology@thanatology_bot
〔彼らは〕過去を憂い悲しまず、未来を渇望しない。現在あるものによって、身を保ち行く。それによって〔彼らの〕色艶は清まる。〔しかしながら〕未来を渇望するがゆえに、過去を憂い悲しむがゆえに、それによって愚者たちは干上がる。刈り取られた緑の葦のように。(サンユッタ・ニカーヤ)
心安らぐ仏教の教え@buddha545
いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の世の真実のすがたに目を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。(遺教経)
”それ”は在る bot@o0690oo
『〈私〉は真理を求めている。探し出すのだ』と思っている以上、探求者はいつまで経っても探求者のままだ。私は探求者だ、という観念もまた、思考の産物に過ぎないことを理解するまで、探求者は探求者を捨てられない。
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「10歳のときは10歳の子どもしかできないことを楽しんだらいい。クワガタとか芋虫を採ってくるとか。30歳、40歳だからその時やれることがある。80歳だからこそやれることもたくさんあるんです」
「人間に必要なのは情報の数じゃない。情報から生まれる叡智です」──86歳のITエバンジェリスト、若宮正子。【世界を変えた現役シニアイノベーター】
81歳のときにアプリを開発し、「世界最高齢プログラマー」とApple社から称される若宮正子。当の本人は、そんな反響をよそに「つくりたいアプリがあったからプログラミングを始めただけのこと」とあくまでマイペース。軽やかに新しい冒険を楽しみながら、日本の本格的なデジタル社会の実現に向けて、世界をまたにかけて走り回る。
1935年東京生まれの若宮正子。独学でパソコンスキルを習得し、2016年からiPhoneのアプリ開発を始めた。NPO法人ブロードバンドスクール協会の理事として、シニア世代へのデジタル機器普及活動に尽力するほか、日本政府のIT改革の有識者メンバーとして活躍する。
エクセルアートでデザインされた小花模様の爽やかなブルーのシャツをまとって取材場所にやってきたのは、愛称「マーチャン」で知られるITエバンジェリスト(IT技術の伝道師)の若宮正子だ。若宮の名が世界に知れ渡ったのは、2017年のこと。ハイシニアが楽しめるゲームを作ろうと考え、お雛様をひな壇に正しく並べるアプリ「hinadan」を81歳のときに開発した。これを知ったApple社のCEOティム・クックにアメリカに招かれ、世界開発者会議(WWDC)など大規模なテックイベントに出席。「世界最高齢プログラマー」として世を驚かせた。昨年は七草粥に入れる野菜を選んでいくアプリ「nanakusa」をローンチし、プログラマーとして進化を続ける。ウィットに富んだ軽妙な語り口調で、若宮はこう語る。
「色んな場所へ行き、色んな人と出会うと、インスピレーションの種類が増えてくる。hinadanをつくったきっかけは、私が理事を務めるブロードバンドスクール協会で毎年開催している『電脳ひなまつり』というオンラインイベントでお披露目できたら面白いだろうと思ったから。せっかくつくったので公式に登録したら、思いがけず世界的に知られることに。話ができすぎていますよね。Apple社から『こんにちは、CEOがあなたい会いたいと言っています』というメールが来たときは、そんなばかな! って思いました」
テクノロジーが急速に進化し、社会に浸透するにつれ、ITと高齢者は相容れないものとして捉えられるようになった。しかし若宮は、そんな固定観念を軽やかに覆した。使いやすくて利便性の高いスマホを、高齢者も活用する。そんな当たり前のようで見えていなかったニーズを、若宮は示したのだった。ティムと話したときのことを、こう振り返る。
「2010年代からスマホがメインストリームになり、メーカー各社はユーザーを獲得すべくしのぎを削っていました。でも、80代のお婆さんがアプリを作ったということで、それまでターゲットとしていなかった高齢者という処女地が残っているじゃないかと、ティムをはじめ皆さんが気がついたんだと思います。彼は私の話に非常に関心を持って聞いてくださる、人柄のいい方でした」
若宮がパソコンを使い始めたのは定年退職が近づきつつあった、今から約30年前のこと。親の介護で家にいながら、周囲とコミュニケーションをとる手段として活用したかったのだという。当時はパソコン操作のマニュアルも出回っておらず、インターネットも普及していなかった時代。電話回線を使い、プロバイダーが管理する一つのホストコンピューターに会員がアクセスして情報交換をするパソコン通信が主流だった。若宮はコンピューターを買った店やメーカーの人に聞いて回り、パソコンのセットアップから使い方までを独学で習得していった。そこから広がる人と人との繋がりに、どんどん魅了されていったと目を輝かせる。
「当時、友達をつくる手段といえば血縁・地縁・職縁がメイン。それ以外のところで友達をみつけようとすると、だいたい変人に決まっている(笑)。パソコン通信でできた仲間はなかなかユニークな方が多くて、それが新鮮でした。高校を卒業してから私は銀行で働いていたんですけど、銀行員は皆さん立派でまじめで、頭もいい。だけど、あまり人と違うことはしない。一方で、当時パソコンをする人は、少なくともオンライン上はぶっ飛んでいて、それがすごくおもしろかったんです」
60歳を超えて独学でプログラミン技術を習得してしまうなんて、いったいどんな才能の持ち主なんだろうかと思う人もいるかも知れない。でもその答えはいたってシンプルだ。
「わからなくて当然、毎日が勉強で知らないことばかり。だから私はなんでも人に聞いて聞いて聞きまくる。私にとって77億人の全人類が先生なんです。新しいことを始めることや、一から学び直すことを恥ずかしいと思う人がいるとすると、たいがい本人がそう思っているだけで、周囲は何も思っていないことが多いんです」
すべてを完璧にこなそうとしなくていいという視点も重要だと言う。七つ道具を使いこなさなくても良く、必要最小限のやり方で楽しみながら活用する。それこそが若宮流の情報リテラシーの高め方なのだ。
「私はもともと手先があまり器用ではなく、タッチタイピングは今もできません。使うのはだいたい両手で5~6本。だけどできなくても良いんです。文章を書くときに、私の頭が指よりも早く回転するわけじゃないですし、音声入力だってできます。ビル・ゲイツは二本指でタイピングすると噂で聞きました。ようするに何を打つかが問題であって、早く打つかは問題ではない。パソコンは頭の中に入っているものを外に出す道具ですから。それに今はロボティック・プロセス・オートメーションの技術が進み、ロボットが人の代わりに作業をしてくれる時代にまでなったんですから、自分だけでできないことがあってもなんとかなります」
「80歳だからこそやれることもたくさんあるんです」
「エクセルアート」創始者でもある若宮。エクセルを計算表として使うのではなく、セルをさまざまな色で塗りつぶすことでデザインを作り、生地や紙にプリント。それらを使って、巾着袋やうちわなどを作成している。
「エクセルアート」創始者でもある若宮。エクセルを計算表として使うのではなく、セルをさまざまな色で塗りつぶすことでデザインを作り、生地や紙にプリント。それらを使って、巾着袋やうちわなどを作成している。
私たちはすぐに、「新しい学び」を社会に還元しようとする。もちろん、習得した知識や能力が誰かの役に立つのならば、この上ない喜びだ。だがそこに縛られすぎていると、なかなか一歩を踏み出せなくなってしまう。それではあまりにももったいない。そこで見習いたいのが、人生100年時代を颯爽と歩く若宮の柔軟な思考だ。得たスキルが世のためになるかなど、学びに理屈は必要ないと言う。
「社会のあり方が正しいならいいですけど、歪んでいるかもわからない。86年生きてわかったんですけど、能力を測る社会のものさしは刻一刻と変化しています。私は銀行員時代にお札を早く数えるのが苦手で、よく叱られていました。ですが紙幣計数機や計算機が導入され、その能力は重要ではなくなりました。高度成長期にはお得意さんを開拓する営業力が評価され、今は独創力が重視されるアイデアの時代になりました。だからこれから求められるのは、人の真似からいかに抜け出せるか。そのためには、自分がフリーの立場で世の中を見ていくと、見えてくるはずです。だからこそ、今自分が良いと思うことをやればいい。周りの人の言うことや視線は気にしない。気にしすぎる人ほど遅れていると思います」
若宮の著書『独学のススメ』(中公新書ラクレ)で、「先憂後楽」という故事成語が出てくる。先に苦労しておけば、後に良いことが待っているという考えだ。若宮は、歯に衣着せぬ口調で、この言葉を「悪い思想」と指摘した。
「10歳の子は10歳のときにしかできないことをやればいいのに、今の子どもたちは中学の受験準備に追われています。しかし中学に入ったら、いい高校に入れ。その次はいい大学に入れ。いい会社に就職しろ。社会に出たら、結婚しろ。子どものために備えろ。老後に備えろ。一生かけてずっと死ぬ支度をしているわけ。無駄だと思います。10歳のときは10歳の子どもしかできないことを楽しんだらいい。クワガタとか芋虫を採ってくるとか。30歳、40歳だからその時やれることがある。80歳だからこそやれることもたくさんあるんです」
IT社会を豊かにするために。
そんな若宮は、1999年に円熟世代の豊富な知識と経験をインターネットを利用して世界に発信・交流する会員制コミュニティ「メロウ倶楽部」の創設に携わり、現在も副会長を務める。コロナ禍で会員が少し増え、高齢者だけでなく若い会社員や子どもも参加するようになったという。こうした新風を好機と捉え、Zoomを活用した親子三世代のプログラミング教室を開催するなど、新しい試みを絶やさない。
人々にとって精神的な居場所となっているメロウ倶楽部では、テーマ別の部屋を設けている。なかでも「生と死」という部屋は、家族には話せないような、年老いていく上で考える自身の終焉について本音で語り合ったり、気軽に介護の苦労などを打ち明けられる場だ。ほかにも、「コロナとワクチン」という部屋では、ワクチンの予約方法や自身が経験した副反応のことなど、生の声を共有し合う。インターネット上の特性を生かした有意義な空間だ。
このようにインクルーシブな環境を長年構築してきた若宮は、今年9月に日本政府が新たに「デジタル庁」を設立するに伴い、デジタル改革関連法案のワーキンググループで有識者として活躍する。国が「No one left behind(誰一人取り残さない)」をスローガンに掲げる中、若宮はより多くの高齢者が情報リテラシーを高められるような環境づくりに奔走する。高齢者にわかる言葉をウェブサイトで使うことや、操作を簡単にすること、市町村にデジタル支援員を置くことなどを提案している。
「本来年寄りは情報を集めて、自分の中で消化して吐き出せる能力があるはずです。だけどITに乗り遅れたと感じてしまい、自信を失っている人があまりにも多い。そのハードルを取り除き最適化していくことが、高齢者のためにも、若い人のためにも、最終的には社会のためにもなるんです」
エストニアで学んだ、“国家”の在り方。
「人間に必要なのは情報の数じゃない。情報から生まれる叡智です」──86歳のITエバンジェリスト、若宮正子。【世界を変えた現役シニアイノベーター】
日本のIT政策をいかにアップデートしていくべきか、海外から学ぶべく若宮はコロナ禍になる前にデジタル先進国のエストニアを訪れていた。エストニアは世界に先駆けて国政選挙の電子投票システムを導入したほか、バーチャルな電子国民となれる電子居住権制度「e-Residency」の仕組みを構築するなど、電子政府として注目を集める。日本と同じように少子高齢化社会が進んでいるが、エストニアでは若者や家族が積極的に高齢者にITを教えることで、上手く運用できているのだという。そこで若宮は、IT政策のノウハウを習得する以上に、国家とは何かを考えるきっかけになったことが大きな収穫だったと話す。
「エストニアは『情報は国家なり』という国。小さい国なので、もし侵略されたとしても、データと人さえいれば新たに国家が作れるわけ。核爆弾やミサイルを買うよりも、情報武装してソフトパワーで防衛力を高めるほうが、よっぽど国家として安全安心だという考え方なんです」
次に若宮が関心を寄せるのは、今夏訪問する予定だったデンマーク。国連が発表した電子政府調査2020で、電子政府発達度指数ランキング世界1位に輝いている。若宮が注目するのは、テクノロジーに対するデンマークの視点だ。日本では、テクノロジーを企業の利益率向上のために活用されることが多いが、デンマークは先進技術で仕事を高度化することに注力する。それにより、週5日制の8時間労働だったのを、水曜は午後2時で仕事を終了する社会システムを構築したのだ。
「国民は新たにできた時間で音楽や手芸など好きなことに打ち込み、幸福度を上げると同時に自分をバージョンアップできる。国を上げて部活をしてるんです。それがひいては国の発展に繋がっていくんだと思います」
とはいえ、加速する技術革新や情報過多社会で脳は疲労困憊……そう感じている人も多いのではないだろうか。情報が無数に溢れる現代社会で、若宮はどのようにして新しい情報を捌き、アップデートし続けているのか。若宮によると、流れてくる無数の生の情報そのものにあまり価値はないという。
「情報に自分の経験を加えて消化し、今度は自分の中で熟成させる。そこから出てくるのが叡智です。これから人工知能の時代になり、特にwithコロナ社会をどう生きるかって時に、人間に必要なのは叡智。情報の数じゃありません」
アクティブシニアのトップランナーといえる若宮。その前向きで天衣無縫な人柄に、ファンが多いのが頷ける。
「私には情報リテラシーがあったがために、こういう人生を送ることができました。その御礼に、誰ひとり取り残さない社会に向けて命ある限り全力疾走していきたい。それこそが、ITエバンンジェリストとしての使命だと思っています」
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