FacebookMasaru Hagiwaraさん投稿記事 【天外さんの新刊が出ました】
天外伺朗さんの新刊が出ました。表紙と帯に、この本のいわんとすることが書かれています。
「宇宙の流れに乗れば、奇跡が連続する」「もう努力しない! がんばらない! それでいい!」「大宇宙の大河の存在を知り、目に見えない流れに 身をゆだねれば、どんな時にも奇跡は起こる!」この様な言葉を見るだけで、開放された気分になる。
本書は、『ここまで来た「あの世」の科学』、『宇宙の根っこにつながる生き方』に続く三部作と著者は綴っている。
特に、後者の『宇宙の寝っこにつながる生き方』を読んで感銘して、伊豆で行われていたリトリートに天外さんを訪ねた。
ジャージを着た天外さんは輪の中の端の方に座っていたので、わからなかった。
昼食の時間になり、座敷でテーブルを囲んで、食事を摂った。
その時に隣にいた人に「初めて来たのですが、あなたはよくきているのですか?」と尋ねた。
返って来た返事が「私がこの会を主宰しているのです」。2004年の天外さんとの出会いでした。
当時、未だ私も大学病院に所属しており、神奈川県の医師、看護師、薬剤師の有志を募って「体、命、魂を考える会」を開いていました。
そこで講演をお願い出来たのです。天外さんは並外れた能力をお持ちなのです。
そては、グライダーの未公認の長時間の飛行経験を持ち、テニスも上手を聞いています。
専門分野とはいえ、理解の難しい、量子力学の造詣も深いです。
この本の中で、特に魅かれた個所は、『ティール組織』の筆者、F・ラルーさんの
言葉です。
それは、「自分自身を”人生”にあけわたし、”人生”が私に何をして欲しいのか耳を澄ませると、人生は簡単になる」F・ラルー
この考え方は「夜と霧」著者、ビクトール・フランクルも(どんな時にも人生には意味がある)、と同じです。
どうぞ、興味のある方は手に取って、天外ワールドを味わって下さい。
Facebook相田 公弘さん投稿記事
「子供や部下への接し方」のお話です。
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私は、子供たちにいつも次のようにいう。
「今日から“私はできない”といってはいけません。
何かをはじめるときには、一言、“私はできる”といってはじめなさい。
そうすると、たいていのことをなし遂げられるようになります。
その力を使ってもなおできなかったときに、“私はできなかった”といっても遅くはないでしょう」
子供が弱氣になって、「できない」などといったら、私は呼び止めて「コラッ。できるといいなさい」とやり直させる。
「できる」といおうが、「できない」といおうが、たいしたことはないなどと考えたら、大間違いである。
このささいないいまわしが子供の潜在意識に入っていき、その子を積極的にしたり、無氣力にしたりするのである。
このように子供にプラスの考え方をさせるには、親も子供をプラスに見なければいけない。
親や教師は、ときに子供をよい子と悪い子に分けたがるが、それは間違いである。
だいたい、10のうち、よいところが8で、悪いところが2の子供は、“まあまあよい子”の部類に入れられる。
逆に、よいところが2で、悪いところが8だったら、“悪い子”で、手がつけられないと見なされる。
これがいけない。
子供をプラスに見ようと思ったら、2のよいことに注目して、その子にさらに自信をつけさせるようにすべきだろう。
そうするとおもしろいもので、残りの悪い8は徐々に消えていくものだ。
氣の威力 藤平光一 著 幻冬舎
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人はどうしても、欠けている所に目が行ってしまうようです。
お茶碗が少しだけ欠けていたとしても気になります。
ピザが1ピースだけ欠けていたら気になります(笑)
でも、残りのピザを楽しむこともできます。
アメリカのある研究によると、創造性のもっとも高い子どもたちは、教師に好まれないそうです。
逆にいうと、教師に好かれる子は、創造性が低いともいえます。
「よい成績をとろう」という意欲が足かせになっているそうです。
アメリカに、ウォルト君という小学5年生の男の子がいました。
彼が学校の授業で、花壇の絵を描いたとき、先生に言われてしまいます・・・
「ウォルト君、その絵はおかしいわよ。花に顔があるなんて」
ウォルト君は言い返します。
「僕の花にはあるんだよ」
そう言って、絵を描き続けたそうです・・・
ウォルト君とは、のちにディズニーランドをつくった、“ウォルト・ディズニー”
心理学者のトッド・ルバート・スターンバーグ氏は、「成果をあげたいという欲求が中程度を超えると、創造性が低下するということが実証されている」といいます。
成功への意欲があればあるほど、失敗への恐れゆえに、変革を恐れる傾向にあるのです。
挑戦せずに、無難な道を行こうとすると、安定するかも知れませんが、大きな飛躍は期待できないでしょう。
子どもの頃、才能がないと思われていたとしても、それは相手の理解できる容量を超えていたからかもしれません。
アレクサンダー・ロックハートは、著書の『自分を磨く方法』の中で、「間違いを犯すことを恐れるあまり新しい挑戦を避けることが、最大の間違いかもしれない」と述べています。
だとしたら、失敗や欠けているところばかりを指摘して、やる気を奪ってはいけませんね。
「君ならできる!」と勇気づけることが、大人や上司の役割なんだと思います。
※魂が震える話より
Facebook相田 公弘さん投稿記事 【ため息の力】
「最近、調子がいい人、食欲があって毎日笑って過ごせる人は病気で、
『あぁ~』とため息をついたり、憂鬱になったり、気持ちが沈んでいる人のほうが健康的なんじゃないか」と作家の五木寛之さんは語っていた。
年間3万人を超える人がこの平和な日本で自殺している。
戦後半世紀の右肩上がりの時代に誰も体験しなかったような状況が今日の日本にはある。
こんな時代にあって、「何と言うことだろう」と嘆き悲しみ、心が萎えてしまうのは、健康な精神の持ち主なら当然のことである、というわけである。
「心が萎える」というのは、「しおれる」「しなえる」という意味と同義語で、一般社会ではあまりよくないこととされている。
しかし、五木さん言う。
「萎えたり、しなびることで、折れずにすんでいるんです。だから萎えていいんです」
雪国では木の枝に雪が積もると、その雪の重みに絶えかねて太い枝でも折れてしまうそうだ。
ところが、柳や竹のように細い木は、雪が少し積もっただけで枝がしなえて雪をふるい落とし、またもとの状態に戻る。
「そんな木を見ていると人間の心も萎えていいんだなぁと思うんです」
ため息をつくことで、萎えた心をしゃんと元の状態に戻そうとしている。
ため息には命を活性化する力があるんです、と。
もう一つ、現代社会に対する五木さんの文学的なメッセージは「いのちの軽さ」だ。
自殺や他殺の動機はとても軽い。
これは心が乾いているからだと思う。
カラカラに乾いたものに、さらに熱を加えると焦げて、握るとばらばらに壊れてしまう。
水分、湿り気が必要だ。
現代社会に欠けている潤い、水分、湿り気、これは一体何なのか?
「一言でいうとそれは『情』ではないでしょうか。
愛ではだめなんです。
愛情が必要です。
メル友だけではだめ、友情が必要です。
熱があるだけではだめ、情熱が必要です」
戦後日本人は「情事」とか「義理と人情」というように、じくじくした人間関係を嫌い、
お互いのプライバシーに踏み込まないような、あっさりとした関係を好んだ。
しかし、今日のようにカラッカラに乾いてしまった社会には、むしろ『情』という水分を補給し潤う必要がある。
「その湿り気は涙ではないか」と五木さんは言う。
「泣きなさい、笑いなさい」と歌った『花』という歌が大ヒットした。
涙を流すことは笑うことと同じくらい大事だ、と訴える。
共に笑い、共に泣き、萎えた心に大きなため息をつきながら、明日の日本を語ろう。
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