https://ameblo.jp/mekara777/entry-12817703636.html?fbclid=IwAR1h5zNg46OFh9m-NSQO0hHlnHEp3Ktmr7CgzpSIqoy7k5Go169IyNvlNWY 【君死にたまふことなかれ 其の一】より
https://www.youtube.com/watch?v=MYq4USpSvlw
日本を貶める作家や先生はたくさんおいでですけれど、日本を高め、日本人が成長できるような切り口で語るものがいかにも少ないのは、たいへん残念なことに思います。
たとえば、先日読んだ本です。タイトルは伏せますが、その中には、
「与謝野晶子は『君死にたまふことなかれ』を日露戦争の最中に歌ったから、晶子は反戦主義者であった」と書いてありました。
驚きました。
与謝野晶子は、反戦主義者でも好戦主義者でもありません。与謝野晶子は、「歌人」です。
歌は「察する」文化です。思想ではありません。心を察するのが歌です。
ですから歌人が扱うのは、政治や思想ではなくて、人の心です。そして人の心とは、常にひとつではありません。常に相反し、千路に乱れているのが、人の心というものです。
好きだからこそ憎らしい。独占したいから突き放す。立派だからこそ嫉妬する。
ひとりの人でも、心には複雑な感情があるのです。それが大勢の人となれば、世間や社会の心は、さらに一層複雑です。『君死にたまふことなかれ』は、弟の出征に際して詠んだ歌です。
弟を笑顔で元気に送り出した一方で、「生きて帰ってきてほしい」と思う気持ちがある。
その心を歌った詩です。
与謝野晶子は、わかっているのです。自分の弟の出征が、姉である自分や、両親の命を守るため、安全で安心な暮らしを守るためだと、わかっているのです。
だから出征は、とてもありがたいことだし、立派な軍服姿になった凛々しい弟の姿が愛しくてたまらないのです。
だからこそ、生きて帰ってきてほしい。死んだり、大怪我をしたりせず、無事に帰ってきてほしい。
そしてその気持は、当時の日本人の女性たちの誰もが抱いた気持ちだったし、彼女はそれをまさに代弁したからこそ、この歌は、まさに当時、一世を風靡したのです。
けれどその影響を、危惧する人もいました。
与謝野晶子の尊敬する歌人の大町桂月(おおまちけいげつ)です。
彼は、雑誌『太陽』に、「世を害するはかかる思想なり」と与謝野晶子の歌にクレームを付けました。
これに対して与謝野晶子は翌月、『明星』誌上で「歌はまことの心を歌うもの」と反論しています。
このことをもって、大町桂月と与謝野晶子の歌人同士の火花を散らした対立と闘争のように捉えている先生もおいでのようですが、私は違うと思います。
大町桂月は、歌が思想にされてしまうことを危惧しているのです。
第一に、時期が悪い。いよいよ戦いというとき、兵たちは死んでお国のために奉公しようとしているわけです。
それを「生きて帰ってきてね」などと言われたら、兵士たちの、あるいは国家としての決意に乱れが走る。戦うべきときには、心をひとつにして戦わねばならぬ。そういう時期に、発表すべき歌ではない。
第二に、歌は思想ではない。歌は気持ちであって、言論でもなければ思想でもない。
ところがこの歌は、そうした思想として捉えられてしまう危険性がある。このことを大町桂月は指摘しているわけです。
そして与謝野晶子も、翌月、「歌はまことの心を歌うもの」と回答しているわけです。
そもそも大町桂月は晶子の才能をたいへん深く認めているし、与謝野晶子も桂月を生涯尊敬し続けています。
https://ameblo.jp/mekara777/entry-12817705140.html?fbclid=IwAR1h5zNg46OFh9m-NSQO0hHlnHEp3Ktmr7CgzpSIqoy7k5Go169IyNvlNWY 【君死にたまふことなかれ 其のニ】より
https://www.youtube.com/watch?v=1v0OSsqheds
世の中のことごとくを「対立と闘争」という色眼鏡で見ようとするから、間違えるのです。
そもそも、そういう「レッテルを貼って、相手を決めつけ、中傷し、対立を煽る」ということ自体が、西欧的共産主義にかぶれて、たいせつな日本的心を失ってしまっている。
実に哀れなことです。
国を守るということは、諸外国ならいざしらず、わたしたちの国では、私達自身の暮らしを守るということです。
諸外国では、国を守るという言葉は、「国にいる一部の支配層の人たちの利権を守る(=庶民の暮らしを守るわけではない)」という言葉と同義です。
現実問題として、日本では、社長さんと平社員の年収は、古い名門の企業ならせいぜい10倍です。
社員が350万なら、社長は3500万円くらい。
これが外国人が経営者となっているたとえば日産ですと、社長の給料は2億9千万円です。
100倍近いひらきになります。
さらに在日系の会社ですと、◯◯まさよし氏など、申告所得だけで94億円です。いったい、一般社員の何倍なのでしょうか。
このことは驚くには値しないことで、事業に成功し、社長となれば、まさにウシハク者として世に君臨し、その富は個人が独占する。まさにそれが世界ではあたりまえのことです。
日本にある在日系の某大手宗教団体のトップは、個人の年収が3兆円を超えるといいます。
この場合、末端の信者は、お金を教団に払っても、教団からお金をもらうことはありません。
ウシハク者が君臨し、民衆を支配し独占し収奪する。
それがあたりまえの国家や民族であれば、戦いは、そのごく一部のウシハク者たちのためだけに、若者が駆り出され、戦場に向かわせられるというものでしかありません。
傭兵なら多少良い給料がもらえるし、そもそも自分の意思で兵士になっているわけですから、死ぬことも自分持ちかもしれません。
けれど、一部のウシハク利権者のために、国家が徴兵をするとなると、これはもう、農産物や財を支配層に収奪されるというだけでなく、命まで収奪されるという意味にしかなりません。
そういう国が、満州から樺太、千島列島、朝鮮半島、そして日本を狙って南下し、圧力をかけ、挑発し続けていたのです。
あまりにも日本とは国力が違う。
だから日本はできるだけ戦いを避けようとして、あらゆる努力を重ねてきました。
けれど、どうにもならない。
日本はシラス国です。
天皇を中心に君民一体となり、民こそがおおみたからとされる国柄です。
一部の利権者が、破格の贅沢をし、他の民衆がそのために収奪され、使役されるという国柄ではありません。
ひとりひとりが主役であり、お金持ちでも貧乏人でも、誰もが人として対等であることを希求した世界最古の国家であり、国そのものがひとつの家族となった国です。
その国が滅ぼされ、ウシハク国の支配下となれば、ありとあらゆる不正や不条理が日本で行われることになります。
日本を貶めることが日常となり、日本人だからということで殺され、暴行され、強姦される。それが常態化してしまう。そのことは世界の歴史にもあきらかです。
だからこそ、日本は20倍の国力を持つロシアと、正々堂々の戦いに臨まなければならなくなったのです。
そしてそのことは、当時の日本国民の総意でした。
言論人というのは、比較的個性がつよいというか、我が強くて、日頃は仲の悪い者も多いのですけれど、日露戦争の開戦のときは、不思議と全員一致で、乾坤一擲、断固戦うべし、というのが、日本の論調でした。
あたりまえです。
当時の日本は、現代の日本以上に東亜の諸国に人々が出ていたし、そこで暮らしていました。
満州や樺太が襲撃されるということは、そのまま隣の家が襲撃されるということと同じことだという、実感を当時の日本人は共有していたのです。
まさにシラス国だからです。
与謝野晶子の『君死にたまふこと勿れ』の全文を掲載します。
そのうしろに、同じく与謝野晶子の『無題』とされた歌を掲載します。昭和2年(1927)の歌です。
実に素晴らしい歌だと思います。
一読すれば、きっと何かを感じていただけると思います。
ところが、この『無題』の歌、ネットなどでググっていただくとわかりますが、そのどれにも「ぞっとする」とか「天皇制を容認する尻すぼみ」とか、批判的、否定的なレッテルを貼った上での紹介になっています。
そんな紹介など不要です。
歌は、歌そのもので感じればよいことだからです。
https://ameblo.jp/mekara777/entry-12817705722.html?fbclid=IwAR1h5zNg46OFh9m-NSQO0hHlnHEp3Ktmr7CgzpSIqoy7k5Go169IyNvlNWY 【君死にたまふことなかれ 其の三】より
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君死にたまふこと勿れ
〜旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて与謝野晶子
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あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、末に生れし君なれば、親のなさけはまさりしも、親は刃をにぎらせて、人を殺せとおしへしや、人を殺して死ねよとて、二十四まで育てしや 堺の街のあきびとの、旧家をほこるあるじにて、親の名を継ぐ君なれば、君死にたまふことなかれ、旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても何事ぞ、君は知らじな、あきびとの、家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、すめらみことは、戦ひに、おほみずからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獣の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければ、もとよりいかで思(おぼ)されむ。あゝをとうとよ、戦ひに、君死にたまふことなかれ、すぎにし秋を父ぎみに、おくれたまへる母ぎみは、なげきの中にいたましく、わが子を召され家を守り、
安しと聞ける大御代も、母のしら髪はまさりぬる。暖簾(のれん)のかげに伏して泣く、あえかにわかき新妻を、君忘るゝや、思へるや、十月(とつき)も添はでわかれたる、少女(おとめ)ごゝろを思ひみよ。この世ひとりの君ならで、あゝまた誰をたのむべき、君死にたまふことなかれ
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