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【リンク集】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/10449688/ 【宇都宮城(栃木)】
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/9848423/ 【伊藤公国改神・伊藤博文】
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https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7970768/ 【桜と武士道】
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「つまづいたおかげで」相田みつを
つまづいたり ころんだりしたおかげで物事を深く考えるようになりました
あやまちや失敗をくり返したおかげで少しずつだが人のやることを暖かい眼で見られるようになりました
何回も追いつめられたおかげで 人間としての 自分の弱さと だらしなさ をいやというほど知りました
だまされたり 裏切られたりしたおかげで 馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして・・・身近な人の死に逢うたびに人のいのちのはかなさと いま ここに 生きていることの尊さを骨身にしみて味わいました
人のいのちの尊さを 骨身にしみて 味わったおかげで 人のいのちを ほんとうに大切にする ほんものの人間に裸で逢うことができました
一人の ほんものの人間に めぐり逢えたおかげで それが 縁となり 次々に 沢山のよい人たちに めぐり逢うことができました
だから わたしのまわりにいる人たちは みんな よい人ばかりなんです
Facebook原 靖之さん投稿記事
急に、まとめてみたくなった自分が独自に認識している古神道の世界。
古武道は、やがて古神道へと続く!では、その古神道とは?誰か共鳴できる人へ!
「古神道の世界で生きる 」
はじめに 私達人類は、どんな存在だと自覚し、認識していますか?
もし、私達人類が霊的な存在だと認識するのか?それとも社会的な存在だと 認識するのか?
社会的な存在だならば、日々食べていくために働く。肉主霊従といえるまた、逆に霊的な存在ならば、魂の成長の為に、又は、人類への貢献の為に 働く。これは、霊主肉従といえる
私達は、この二つの価値観をいつも選択しているといえるかもしれない。
現代の問題現代社会では、親、学校などが社会の常識という形で、その子の魂の欲求を 洗脳してしまう。
洗脳のやり方は
① 解凍:今の生き方・考え方に疑問を抱かせる。否定したり、恐怖を与えたり して、自分らしく生きることをまずは、否定する。(私って、ダメなの?と疑問を抱かせる)
② 変革:親・学校が人間として正しい生き方は、こうなんですよと教えてくれる。
この時点では、半信半疑の状態だが、そうなのかなぁと思う。
③ 再凍結:学校という集団で、
親・学校のいう事を聞くと、褒めてもらい、逆らう と、罰をうけるという、成功体験を重ねて、それを事実だと思い込む。こうやって、魂の想いを、社会の常識によって、書き換えられる。これにより、魂の想いに逆らう状態をつくり魂のエネルギーが下がった状態の人が大勢作られることになる。
その人が、自己否定や、他者攻撃という形で不協和なエネルギーを奏でる。
これらが結果として、社会のいろんな問題を作り出す原因となっているようだ。
解決方法の提案では、具体的な解決方法は、何があるだろうか?
本来の魂に覆っている思考から、解放することだ。そうすることにより、魂本来のエネルギーが解放され、魂本来の周波数により、魂同士が共鳴する状態となる。
古神道では、それを禊ぎ(身削ぎ)と言っていた。
自分本来の魂を覆い、気を枯らす存在、穢れ(気枯れ)の原因を祓う事を目的と していた。
それは、感謝の行であり、肉体的な行(古武道の世界)である。
具体的なやり方① 霊主肉従 の存在に気付く→まずは、肉体より先に霊が先にうごいている
という事実に気付く。
その為には、霊を操作することで、肉が動かされるという体験を 何度も体験して、どうやら霊が主であることを実感する必要がある。
② 自分で霊的な存在をつながる方法、扱う方法を学ぶ →姿勢を調整する、意識を調える、
食を調えるなどを体験することで 霊を自分で調整できることを実感する。
全ては自分がコントロール できるという事実に気付き、日々、実践する
③ 大事なポイントは、
1) 正中線 プラーナ管 という軸でトーラス場を作る
2) 上丹田(天)・中丹田・ハート(人)――下丹田・足(地) 3) 世界を認識している言葉での陰陽(ポジ・ネガ)を両方ともに、中立の存在で認識できる状態にする
4) 自分のハートからの衝動に、身を任せて動ける状態を保つ
5) 日々、自分を内観して、上記の事が常に保てているか、チェックする
Facebook蛯名 健仁さん投稿記事【News『真相』2021.8.26】
〜嘘も百回言えば真実となる〜
ナチス・ドイツの宣伝大臣であった ヨーゼフ・ゲッベルスの有名なセリフ(※諸説有)で
「嘘も百回言えば真実となる」という言葉があります。
これは例え嘘であっても繰り返し言い続ける事により、誰もが真実と感じるようになるという意味です。
嘘の内容の規模が大きければ大きい程効果があるとされ、
"プロパガンダ"(特定の思想、世論、意識、行動へ誘導する宣伝行為)の天才と称されたゲッベルスの大衆操作の手段として有効に使われていました。
現在も日本や世界各国で同じような事例がいくつも見受けられます。
一人一人が真実を見分ける力を身に付ける必要があるのかも知れません。
■ http://www.ecpr.or.jp/.../%E5%98%98%E3%82%82%E7%99%BE%E5.../
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マスメディアによって作られた恐怖によりほとんどの国民が洗脳されてしまいました…
嘘を信じて病んで死んだとしても国は認めず全て"自己責任"となるのです!
幸いにも弱毒のロットに当たり生き残ることができたとしても"半年に一度が義務化"され
病み死ぬまで要求されることでしょう…
嘘を信じ続ける限りは死のリスクから決して逃れることが出来ないのです…!
日本人よ!目を醒ませ!!人も土地も企業も技術も買収され続けているぞ!
国の乗っ取りが目的の悪しき策略であるぞ!
Facebook玉井 昭彦さん投稿記事
鎮魂の夏、安全地帯で言う「戦う覚悟」 福島申二(斜影の森から:28)
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過ぎていく鎮魂の8月に思う。およそ戦争というものは、為政者たちの浅慮で始まり、若者の肉体が担い、おびただしい涙が流されて、終わる。
明治生まれの川柳家だった井上剣花坊(けんかぼう)という人に〈暖室に酒呑みながら主戦論〉の一句がある。政治家にせよ資本家にせよ、自分は戦場に行く心配のない者が、ぬくぬくとした酒席で気炎をあげている光景に想像がおよぶ。
どの時代、どの国によらず、好戦的にふるまいがちなのは、自らは戦わない者であることが多い。ドイツの作家レマルクの名作「西部戦線異状なし」を原作とする同名の映画(米、1930年)には、剣花坊の川柳を写し取ったかのようなシーンがある。
第1次大戦は欧州に戦死者1千万人という惨状をもたらした。血みどろの前線から若い兵士が休暇をもらって帰郷する。土地の年配者らは酒場で彼を囲み、地図を開いて気炎をあげる。
「持久戦を続けず、こっちに進むんだ」「一気に攻め、敵を蹴散らせば終戦だ」。別の人は「突破はここから始めるべきだ」。もう一人が「でも川だらけじゃないか」……いつしか怒鳴り合いになっていく。仲間が消耗品のように死んでいく現実を知る兵士が、悲しそうな顔で立ち去るのを、夢中でまくしたてる面々は気づきもしない。
*
今年は、若者らの命を湯水のように注ぎ込んだ昭和の戦争に敗れて78年の夏だった。だがここにきて、死者たちの「化身」ともいわれる平和憲法を無きものにするかのように、国のかたちが「戦争仕様」に変わりつつある。
政府内では「反撃能力(敵基地攻撃能力)」や「継戦能力」といった言葉が当たり前に使われ、台湾を訪ねた自民党の副総裁は台湾有事における「戦う覚悟」を強調した。むろん日本と日本人の「覚悟」も含まれる。
例によっての放言ではなく、聞くところでは政府の姿勢に沿った発言ともみられている。そうであればなおさら、ただならぬ言葉の意味と意図は深い。平和憲法下の「戦わない決意」を葬るつもりかと憤る人もいる。
思えば、そうやって国のかたちを変えたり、「戦う覚悟」を唱えたりしているのは、何かがあっても武器をとる立場の人たちではない。イラク戦争と当時のブッシュ米大統領を批判したマイケル・ムーア監督の「華氏911」(米、2004年)を思い出す。
ホワイトハウス近くで、監督自身が米議会の議員たちに「あなたの息子もイラクに派遣すれば」と突撃取材する場面がある。映画によれば500人を超す議員のうち、わが子が入隊してイラクへ行ったのは1人だけ。安全地帯にいて他人に戦いを命じるのが、権力側の本性らしいことがよく分かる。
ムーア監督に会ったのは映画公開の年だった。こう言って怒っていた。
「戦争を仕掛けた閣僚や議員、戦争で利益を得る石油企業の重役の息子らが、真っ先に行くべきなんだ」
ある種の人々の特権的な思い上がりに、痛棒を食らわす言葉であろう。
*
「西部戦線異状なし」に戻れば、冒頭に「これは戦争に破壊された世代の話である」と英文の序詞(プロローグ)が表れる。
世代とは若い世代のことだろう。むごい時代を引き受けた世代は、日本にもあった。敗戦のとき19歳だった詩人茨木のり子さんのよく知られた代表作に、哀しい言葉が置かれている。
わたしが一番きれいだったとき/(中略)男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差だけを残し皆発っていった
いま、「安全保障環境の厳しさ」を御旗に「現実的」という呪文が幅をきかせる時代である。だが現実の僕に成り下がれば、その先にあるのは何か――。
鎮魂の8月は、歴史という井戸に深く釣瓶(つるべ)を沈めて、想(おも)うときでもある。
◇
ふくしましんじ 元朝日新聞編集委員。2007~16年に天声人語を執筆。著書に『日曜の言葉たち』(岩波書店)。
(朝日新聞8月25日)
https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S15725492.html
*
わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから 青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね
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