https://tsukinami.exblog.jp/28314528/ 【日本的感性のことば(1)かげ】より
「かげ」
この言葉を漢字で書くとき、ふつう「陰」か「影」のどちらかを使用します。
「陰」の語義は、遮蔽物の向こうにあって見えない部分です。物陰、山陰といった用い方をします。山陰は、ほんらい、山の向こう側、山の裏側のことですが、日陰を含んだ意味合いで使われることが多くなっています。日陰は日向(ひなた)の反対語ですね。
常用漢字「陰」と常用外漢字「蔭」のちがいについては、現代国語で厳密に使い分けられていません。しかし、すくなくとも詩歌における草蔭や木蔭の場合には、「陰」でなく「蔭」を用いたいものです。他に、表にあらわれない援助や庇護を意味することばとして、御蔭様のごとき用法も知られています。
「影」はもっと複雑で、三つの語義をもっています。
第一は、物に光をあてることによって生じた黒い部分をいい、英語でいえばshadowです。山影、影法師のように用います。第二は、光そのものです。詩歌でよく用いられる月影が、この用法にあたり、月の光を意味します。日影という言葉を使うことはほとんどありませんが、月影と同じように、日の光を意味するため、日陰と区別しなければなりません。つまり、同じ「影」であっても、第一のshadowと第二のlightとでは、作用反作用で逆の意味になります。「影」の第三の語義は、物理的な形状というよりも心理的な影響を受けた姿、像です。面影(おもかげ)がこの用法にあたります。面影の構成は、面(かお、おもざし)+影(イメージ)で、仏語でいえば、イマージュです。
付記しておくと、「かげ」と読む他の漢字に「翳」があります。これも常用外漢字で、光のとどかない陰の部分をいいます。容貌の「翳り」などと用いるため、多分に影のニュアンスを含んで、心理的にマイナス、負のイメージのつよい「かげ」といえそうです。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~
https://tsukinami.exblog.jp/28315163/ 【日本的感性のことば(2)にほふ】より
「にほふ」
現代人の多くは、動詞「匂う」名詞「匂い」ということばを、たいてい、香りや臭気の意味でのみ使っています。実をいえば、これは原義からは大きくずれています。
「にほふ」という語の構成は、丹+秀(穂)ふ。「丹」は赤い土のことですから、本来「にほふ」は、赤い色が光り輝いているさまをあらわしていました。和歌でも、紅葉が陽光に映えている様子を「にほふ」とうたいました。なので、「いろ(色)」といえば、匂うばかりの赤色のことでした。
「にほふ」が臭覚へとずれていったのは、万葉時代の終わり頃からとされています。これにあわせて、中古の韻文における「いろ」にも、赤以外の色、たとえば黄色や緑色、紫色が加わるようになりました。
現代の辞書で「匂う」の項をひらくと、赤い色が美しく映えるや、よい香りが立つ、わるい臭気がただようのほかに、薄くぼかしてある、よい雰囲気・気配がある、恩恵が及ぶといった多様な語意が示されています。ずいぶん拡がっていますね。
「にほふ」「にほひ」は、詩歌用語として幅ひろく使える、感性のことばなのです。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~
https://tsukinami.exblog.jp/28316775/ 【日本的感性のことば(3)かぜ】より
「かぜ」
よく句会でお世話になっている先輩俳人に<風の○○(お名前)>を自称する方がおられます。彼の秀吟にはたいてい「風」の語が入っており、本人に言わせれば、苦しいときの「風」頼みなのだそうです。
風とは、いうまでもなく大気の流れのことであって、すでに万葉歌にたくさん用例がありました。でも、詩歌における「風」は、それほど単純なことばではありません。ただの風景描写に過ぎなかった一句に<××の風>を詠み込んだとたん、にわかに季節感から人生観まで匂わせて、深みのある情趣を帯びはじめます。
「風のいろ」という変わった用法があります。この場合、カラー(色彩)に重きがあるわけではなく、草木の葉や海川の水を吹き動かす風の動きと、その趣をいうようです。あえて色彩にこだわると、風そのものというより、風によって動かされる草木の緑や紅葉の色、さらには、かなしい心のありようまでカバーしています。視覚「風の色」は聴覚「風の音」まで感じさせてくれます。「風わたる」といえば、風景が広がりをもち、ときに人の心の揺れまで表現できるかもしれません。
それから、秋の季題で「色なき風」という面白い季語があります。中国の五行思想で白色を秋に配し、その秋風を素風(そふう)を呼んだらしく、それが日本の和歌に入って、華やかさのない寂しい、もの哀しい情景と結びつきました。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~
https://tsukinami.exblog.jp/28316848/ 【日本的感性のことば(4)けしき】より
「けしき」
和歌集を調べると「けしき」の語は、万葉集や古今集に出てこず、11世紀に成立した後拾遺集に初めて登場するそうです。同じ頃に成立した平安時代の散文(土佐日記や枕草子)にも、「風雲のけしき」や「空のけしき」の形で用いられています。そのころの「けしき」は、「気色」と書いて、自然界の気配や様子をあらわしました。
おそらく鎌倉期の頃から、人の気持ちをあらわすことの多くなった「気色」の語が「きそく」や「きしょく」と読まれるように変化し、やがて、風景(landscape)とほぼ同じ意味をもつ「けしき」には「景色」の語をあてることが多くなったのでしょう。
逆にいえば、「けしき」という感性のことばには、その成り立ちからみて、宇宙の気だとか地上の山水の持つ霊的な生命力、あるいは人間の気持ちや気分が宿っていることを記憶にとどめておくべきでしょう。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~
https://tsukinami.exblog.jp/28316871/ 【日本的感性のことば(5)なごり】より
「なごり」
先にふれた「おもかげ(面影)」と語感の似たことばに、「なごり(名残)」があります。
たとえば東京の街で、江戸の面影といえば、全体的な町の印象になるでしょうし、江戸の名残といえば、具体的な建造物だとか慣習が目の前に浮かんでくるでしょう。
「なごり」は、もともと「余波」と書いて、波が砂の上に残した痕跡を意味しました。現代国語の辞典には、風がおさまったあと、なお静まらず波立っているさまとあるはずです。
「なごり」は、隠喩的表現として用いられることが少なくありません。「風のなごり」は自然界の力の大きさを感じさせますし、「夜のなごり」とくれば、なにやら秘密めいた男女の恋愛ごとを想像させるでしょう。
「なごり」は、あふれるほど情感のこもった、感性のことばです。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~
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