https://fmsp.amob.jp/mob/pageShw.php?site=F&ima=3530&cd=kusunoki 【1945年8月9日、午前11時2分。長崎市に広島に次ぐ2個目の原子爆弾が投下されました。】より
死者約7万4千人、負傷者約7万5千人、当時の長崎市人口の2/3が原子爆弾の犠牲となりました。爆心地から南東へ約800mのところにあった山王神社の2本のクスノキも、原爆による強烈な熱線と凄まじい爆風により、大きな被害を受けました。一時は生存も危ぶまれましたが、その後、樹勢を盛り返し、現在は長崎市の天然記念物に指定されています。そして地域の人々や子供たちによって、命の尊さを伝える存在として、今もなおその場所で生き続けています。
強烈な爆風により片足になった山王神社鳥居
爆風と熱線を受けた直後の山王神社のクスノキ
樹齢約500~600年といわれるこのクスノキは、現在倒壊の恐れが出ています。
原爆の被害による内部の空洞化に加え、枝葉が伸びすぎたことによって強風への抵抗力が弱くなっています。
長崎出身の歌手・福山雅治は、自身の音楽活動の中で、この被爆クスノキをモチーフにした楽曲『クスノキ』を2014年4月に発表しました(アルバム『HUMAN』収録)。その後、全国のライブ会場でもこの楽曲を披露したことから、多くの方に被爆クスノキの存在を改めて知っていただく機会が生まれ、「クスノキの倒壊を防ぐために支援ができないか」という声が多数寄せられました。平和と再生、生命の逞しさの象徴である被爆クスノキ。一人一人の想いを形にするべく、「クスノキ募金」口座を開設いたしました。皆様からお寄せいただいた募金は、株式会社アミューズ(代表取締役社長 中西正樹)を窓口とし、長崎市との連携の上、都度送金させていただきます。
http://juntengirl.blog134.fc2.com/blog-entry-691.html?sp 【福山雅治さんの歌、クスノキ】より
順天姉です。
福山雅治さんの最新アルバムのHUMANに入っているクスノキという歌は、長崎市の山王神社の被爆クスノキの歌なんだとか~歌詞の中にも片足鳥居って入ってる~♪
↓初回限定でDVD付かグッズ付とあるようです。
↓クスノキという曲ができるまでのことなどを熱く語っておられました。HUMANの中の曲はいろんな人に当てはまるように作られているけど、クスノキという曲だけは長崎出身の福山さんしか歌えない~とも・・・長崎市民のソウルミュージックになったらいいですね~
https://www.youtube.com/watch?v=H356B39Qj-c
山王神社に福山さんの歌のクスノキはあります。
山王神社って松平伊豆守信網が、島原の乱より帰途、此の地通過の際、景勝が近江叡山の下に似て又地名も坂本と同じ事でここに山王権現をお祀りしたらということで山王神社現在に至るのようです→HP参照
坂本町という名前でなければ山王神社存在せず?^^;
↑
クスノキの歌詞の中にも我はこの「丘」で生きるとあり、坂の中にあることがうかがえます(←長崎市の神社は楽に入れるところは少ないです。足を鍛えねば^^;)
↓付近、階段と坂多しです(^^)/
山王神社1山王神社2
山王権現って日枝山(比叡山)の山岳信仰と神道、天台宗が融合した神仏習合の神なんだとか・・・(ウィキペディア参照)
最初の御祭神は大国主命→国造りの神様、大山昨命→杭の神様、大年命→穀物の神様らしいのですが、
その後寺になったり、神社になったり、近所にキリシタン改宗対策のため、わざわざ伊勢神宮から皇大神宮を勧請した神社がたちゆかなくなって、一緒にお祀りすることになったり、クスノキだけでなく、神社もすごくドラマチックで波乱万丈~。原爆でそういった由来書や宝物は焼けてしまったらしいですが・・・。
↓原爆でこのように壊れちゃってる・・・しかも道端にこれずっと雨ざらしだし・・・(:_;)
山王神社3
今の御祭神は、
天照大御神→太陽の神様、
豊受比賣神→食べ物の神様で天照大御神さまのお食事係なので一緒に祀られることが多いらしい、
大山昨神→比叡山の地主神(山王神社は「山王日吉神社」と言って、日吉は比叡山の日吉大社から来ているようです)
大物主人→大国主命の別称、
伊邪那岐神→結婚の神様、
高皇産霊神、神皇産霊神→生命力の本源神
天御中主神→宇宙の根源神
健甕槌神→雷神様
経津主神→刀剣の神様で健甕槌神と一緒に祀られることが多いらしい。
大年神→穀物の神様
御代御代皇御孫神(歴代天皇)
なのだとか・・・。
すごい神様がいっぱい祀られています(←ふらっと入ってお参りするにはもったいない神々が~)
↓その神々が通る真ん中を通っている息子であった・・・平に御容赦を~
山王神社4
で、クスノキ様は樹齢500~600歳らしいのですが、いつごろからそのにいるのかな~。まさか自分がこんな目にあうとは~って嘆いているかもです。
つ~がもしかして、このクスノキ様自体が「神」かも・・・。ご神木だし、神様は「柱」と数えるようなので~
以前も紹介したかもですが、
↓こちらの本にクスノキはおしゃべり・・・という話が載ってて、
視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)
山王神社のクスノキはこの姿を恥ずかしいと思っているらしいです。
↓葉は生い茂っているのですが、穴をふさいでいたりするからかなぁ・・・(;_;)
クスノキ2
なので、山王神社のクスノキに会ったらほめてあげて・・・と描いてました。
木ってネットワークもってて、たとえば山王神社のクスノキは世界中のクスノキと繋がっているらしい・・・。
↓それはこちらに描いてあった・・・ホントかな~^^;
スピリチュアルかあさん 見えない何かと仲良しな日々♪
先日SONGSという番組でも福山さんはクスノキを熱唱しておられて、山王神社についても放送されていました。
↓山王神社のクスノキの全体像が~。さすがテレビ♪鳥居から入るとなかなかこちらの姿に目がいきません。なんせクスノキ結構でかい
クスノキ
福山さんのクスノキの歌詞の中に、人々の営み見てるよ~って歌詞があるのですが、福山さんの伝えたいことは長崎市民すべての思いかも・・・。
↓こんな時代も見てきたんだろうな~(原爆でなにもなくなったあと、仮設住宅がこんな感じでできたんだって。NHKで言ってました。)
被爆仮設住宅
私は知識として知ってることを語ったり、
せめて歌って伝えていかねば~(*'ω'*)とは思っています(^^;)
↓こちら槇慎一さんのリボンもあの日を語り継ぐ歌オススメです(*^-^*)
https://www.youtube.com/watch?v=l4iHdXcACPE
学校で習うあの日を語り継ぐ歌・・・
↓ああ許すまじ原爆を~。私が学生の時は新学期始まってからすぐ授業で習ってた。8月9日に間に合わせるためだと思いますが、当時はそんなこと考えてなかったな~(^^;)
https://www.youtube.com/watch?v=zq9pXGShrHk
https://www.youtube.com/watch?v=32B2n5cNIJE
https://sannou-jinjya.jp/pages/17/ 【山王神社の被爆の話し】より
被爆遺構の保存・世界の平和祈願は、わたしたちの務め。
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、米軍の爆撃機によって広島についで長崎に原子爆弾が投下され、
多くの尊い生命を奪い市街地は廃墟と化しました。
しかし世界では未だ核兵器の開発がやまず、人類は依然として核兵器の恐怖にさらされています。
当神社では、今後も被爆遺構(一本柱鳥居や被爆クスノキなど)の保存に努め、
核兵器廃絶と世界の恒久平和実現に向けて貢献できればと考えています。
林重男氏撮影山王神社所蔵写真
左の写真:原爆により破壊された浦上方面の写真。手前に山王神社2本のクスノキ。そして、一本柱鳥居が写っている。
右の写真:山王神社参道石段の中間にある石灯籠。強烈な爆風により台座から少しずれて角の一部に欠損がみられる。右奥は二の鳥居の一部。
(林 重男氏撮影/山王神社所蔵)
一本柱足鳥居
山王神社の参道には、一の鳥居から四の鳥居までありましたが、1945年(昭和20年)8月9日の原爆投下により、爆風に対して並行に建っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとはすべて倒壊してしまいました。
一の鳥居はほぼ原型のまま、二の鳥居は爆風で笠石がねじまげられ、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残りました。しかし戦後の昭和37年、一の鳥居は交通事故により倒壊したため現在も当時のままの姿で立っているのは、二の鳥居だけとなりました。
現在の一本柱鳥居
※写真をクリックすると拡大表示されます。
現在の一本足鳥居
▲二の鳥居(一本足鳥居)
▲平成25年文化財登録を記念したモニュメント
▲文化財登録の記念のモニュメント
平和を祈る気持ちのこもった折り鶴
▲平和を祈る気持ちのこもった折り鶴
倒壊した鳥居
▲倒壊した鳥居
割れてしまった額束
▲割れてしまった額束(がくつか)
倒壊した鳥居の解説板
▲倒壊した鳥居の横に設置されている解説板
被爆当時の二の鳥居
被爆前の二の鳥居( 一本柱鳥居)
●上左の写真
参道石段上、一本柱鳥居は山王神社二の鳥居で片方の柱は爆風の為、倒壊している。その奥の巨木は同神社のクスノキで、枝葉は爆風により吹き飛ばされ、幹は熱線により黒焦げとなった。この付近の民家は全て全壊・全焼している。
●上中の写真
一本柱鳥居は山王神社二の鳥居で、強烈な爆風により爆心地側の半分は吹き飛ばされ、片方の半分が残った。
●上右の写真 一本柱鳥居は山王神社二の鳥居で、強烈な爆風により爆心地側の半分は吹き飛ばされ片方の半分が残っている。左奥高台の建物は鎮西学院中学校(現在の活水高等学校)中央奥は城山国民学校(現在の城山小学校)その後方の野山は岩屋山。
(林 重男氏撮影/山王神社所蔵)
※右の写真は、被爆前に撮影された二の鳥居の様子。
クリックすると拡大表示されます。
原爆被災の貴重な遺構として、長崎市指定天然記念物に指定されています。
山王神社の境内入口にそびえる2本のクスノキは、樹齢約5~600年、胸高幹囲がそれぞれ8メートルと6メートルで、長崎市内にあるクスノキの巨樹の一つです。共に昭和20年の原爆で主幹の3分の1以上を失ったため、 樹高は10メートル内外ですが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西40メートル、南北25メートルの大樹冠を形成しています。原爆被災により一時落葉し枯れ木同然になったにも係わらず、2年程度の後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っています。また、蘇った大楠に直接手を触れ、その生命力にあやかろうと毎日多くの参拝者の方が訪れています。
風を受けると聞こえる葉音は環境省の“残したい日本の音風景百選”にも選ばれています。
全国で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境「音風景」の公募があり、全国各地より多数の推薦の中から、「山王神社境内の楠の葉ずれの音と其れを取り巻く周囲の方々の愛着」が高く評価され、長崎県において唯一の認定となりました。
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